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久遠実成

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2017年12月9日 (土) 00:56時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

くおん-じつじょう

 久遠劫の過去世において実に正覚(しょうがく)を成就しになっていること。一般に釈尊について、そのさとりの内容、つまりが常住不変であることにもとづいていわれるが、これに準じて阿弥陀仏も久遠実成の古仏、久遠実成阿弥陀仏といわれる。すなわち経典には十劫(じっこう)の昔に成仏されたとあるが、実は久遠の昔からすでに成仏せられていた古仏であるということ。  (持名鈔 P.1001,真要鈔 P.969)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

御開山の仏身観は『論註』の法性(ほっしょう)・方便の二種法身(ほっしん)として阿弥陀仏を領解されておられる。法性法身とは、さとりそのものである法性真如(しんにょ)を本身とする仏身のことで、それはあらゆる限定を超えた認識を超えたものであり、方便法身とは、「この一如宝海よりかたちをあらはして、法蔵菩薩となのりたまひて、無碍のちかひをおこしたまふをたねとして、阿弥陀仏となりたまふがゆゑに、報身如来と申すなり」(一多 P.690)の阿弥陀如来だとされておられる。「讃阿弥陀仏偈和讃」で、

弥陀成仏のこのかたは
いまに十劫とときたれど 
塵点久遠劫よりも
ひさしき仏とみえたまふ (浄土 P.557)

と、塵点久遠という天台『法華経』の語を用いて「如来常住 悉有仏性」という大乗仏教の理を示しておられる。

如来

親鸞聖人の仏身論