愚禿鈔 (上)
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
愚禿鈔 (上)
愚禿鈔 上
【1】 賢者の信を聞きて、 愚禿が心を顕す。
賢者の信は、 内は賢にして外は愚なり。
愚禿が心は、 内は愚にして外は賢なり。
【2】 聖道・浄土の教について、二教あり。
- 一には大乗の教、 二には小乗の教なり。
【3】 大乗教について、二教あり。
- 一には頓教、 二には漸教なり。
【4】 頓教について、また二教・二超あり。
【5】 漸教について、また二教・二出あり。
- 二教とは、
- 二出とは、
- 一には竪出 聖道、歴劫修行の証なり。
- 二には横出 浄土、胎宮・辺地・懈慢の往生なり。
【6】 小乗教について、二教あり。
【7】 ただ阿弥陀如来の選択本願を除きて以外の、大小・権実・顕密の諸教は、みなこれ難行道、聖道門なり。また易行道、浄土門の教は、これを浄土回向発願自力方便の仮門といふなりと、知るべし。
【8】 『大経』に、選択に三種あり。
【9】 『観経』に、選択に二種あり。
- 1釈迦如来
- 選択功徳 選択摂取
- 選択讃嘆 選択護念
- 選択阿難付属
- 2韋提夫人
- 選択浄土 選択浄土の機
【10】 『小経』に、勧信に二、証成に二、護念に二、讃嘆に二、難易に二あり。
- 勧信に二とは、
- 一には釈迦の勧信なり、釈迦に二あり。
- 二には諸仏の勧信なり、諸仏に二あり。
- 証成に二とは、
- 一には功徳証成、 二には往生証成なり。
- 護念に二とは、
- 一には執持護念、 釈迦の護念なり。
- 二には発願護念、 諸仏の護念なり。
- 讃嘆に二とは、
- 一には釈迦讃嘆に二あり。 二には諸仏讃嘆に二あり。
- 難易に二とは、
- 一には難は疑情なり。 二には易は信心なり。
- 執持に三あり。[已今当なり。] 発願に三あり。[已今当なり。]
【11】 『法事讃』に三往生あり。
- 一には、難思議往生は、[『大経』の宗なり。]
- 二には、双樹林下往生は、[『観経』の宗なり。]
- 三には、難思往生は、[『弥陀経』の宗なり。]
【12】 『大経』(意)にのたまはく、「本願を証成したまふに、三身まします」 と。
- 法身の証成 [『経』(大経・上)にのたまはく、
- 「空中にして讃じてのたまはく、〈決定してかならず無上正覚を成じたまふべし〉」と。文]
- 報身の証成 [十方如来なり。]
- 化身の証成 [世饒王仏なり。]
【13】 仏土について二種あり。
- 一には仏、 二には土なり。
【14】 仏について四種あり。
- 一には法身、 二には報身、
- 三には応身、 四には化身なり。
【15】 法身について二種あり。
- 一には法性法身、 二には方便法身なり。
【16】 報身について三種あり。
- 一には弥陀、 二には釈迦、
- 三には十方なり。
【17】 応・化について三種あり。
- 一には弥陀、 二には釈迦、
- 三には十方なり。
【18】 土について四種あり。
- 一には法身の土、 二には報身の土、
- 三には応身の土、 四には化身の土なり。
【19】 報土について三種あり。
- 一には弥陀、 二には釈迦、
- 三には十方なり。
【20】 弥陀の化土について二種あり。
- 一には疑城胎宮、 二には懈慢辺地なり。
【21】 本願一乗は、頓極・頓速・円融・円満の教なれば、絶対不二の教、一実真如の道なりと、知るべし。専がなかの専なり、頓がなかの頓なり、真のなかの真なり、円のなかの円なり。一乗一実は大誓願海なり。[第一希有の行なり。]
【22】 金剛の真心は、無礙の信海なりと、知るべし。
【23】 『疏』(玄義分 二九八)にいはく、「われ菩薩蔵頓教と一乗海とによる」と。
【24】 『讃』(般舟讃 七一八)にいはく、「『瓔珞経』のなかには漸教を説く。万劫、功を修して不退を証す。『観経』・『弥陀経』等の説は、すなはちこれ頓教菩提蔵となり」と。{文 }
【25】 円頓とは、[円は円融・円満に名づく。頓は頓極・頓速に名づく。]
【26】 二教対
- 本願一乗海は、頓極・頓速・円融・円満の教なりと、知るべし。
- 浄土の要門は、定散二善・方便仮門・三福九品の教なりと、知る
- べし。
- 難易対 横竪対
- 頓漸対 超渉対
- 真仮対 順逆対 純雑対
- 邪正対 勝劣対
- 親疎対 大小対
- 多少対 重軽対
- 通別対 径迂対
- 捷遅対 広狭対
- 近遠対 了不了教対
- 大利小利対 無上有上対
- 不回回向対 自説不説対
- 有願無願対 有誓無誓対
- 選不選対 讃不讃対
- 証不証対 護不護対
- 因明直弁対 理尽非理尽対
- 無間有間対 相続不続対
- 退不退対 断不断対
- 因行果徳対 法滅不滅対
- 自力他力対 摂取不摂対
- 入定聚不入対 思不思議対
- 報化二土対
- 以上四十二対 [教法に就くと、知るべし。]
【27】 真実浄信心は、[内因なり。] 摂取不捨は、[外縁なり。]
【28】 本願を信受するは、前念命終なり。[「すなはち正定聚の数に入る」(論註・上意)と。文]
即得往生は、後念即生なり。[「即の時必定に入る」(易行品 一六)と。文
- また「必定の菩薩と名づくるなり」(地相品・意)と。文]
【29】 他力金剛心なりと、知るべし。
すなはち弥勒菩薩に同じ。[自力金剛心なりと、知るべし。『大経』(下)には「次如弥勒」とのたまへり。文]
【30】 二機対
- 一乗円満の機は、他力なり。
- 漸教回心の機は、自力なり。
- 信疑対 賢愚対
- 善悪対 正邪対
- 是非対 実虚対
- 真偽対 浄穢対
- 好醜対 妙粗対
- 利鈍対 奢促対
- 希常対 強弱対
- 上上下下対 勝劣対
- 直入回心対 明闇対
- [以上]十八対 二機に就くと、知るべし。
【31】 また二種の機について、また二種の性あり。
- 二機とは、
- 一には善機、 二には悪機なり。
- 二性とは、
- 一には善性、 二には悪性なり。
【32】 また善機について二種あり。[また傍正あり。]
- 一には定機、二には散機なり。[『疏』(序分義 三八一)に「一切衆生の機に二種あり、一には定、二には散なり」といへり。文]
【33】 また傍正ありとは、
- 一には菩薩、[大小] 二には縁覚、
- 三には声聞・辟支等、[浄土の傍機なり。]
- 四には天、 五には人等なり。[浄土の正機なり。]
【34】 また善性について五種あり。
- 一には善性、 二には正性、
- 三には実性、 四には是性、
- 五には真性なり。
【35】 また悪機について七種あり。
- 一には十悪、 二には四重、
- 三には破見、 四には破戒、
- 五には五逆、 六には謗法、
- 七には闡提なり。
【36】 また悪性について五種あり。
- 一には悪性、 二には邪性、
- 三には虚性、 四には非性、
- 五には偽性なり。
【37】 光明寺の和尚(善導)のいはく(玄義分 二九七)、「道俗時衆等、おのおの無上の心を発せども、生死はなはだ厭ひがたく、仏法また欣ひがたし。ともに金剛の志を発して、横に四流を超断せよ。弥陀界に観入して、帰依し合掌し礼したてまつれ。相応一念の後、果、涅槃を得んひ と」といへり。{文 }
【38】 『浄土論』(二九)にいはく、
「世尊、われ一心に、尽十方無礙光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず。われ修多羅の真実功徳相によりて、願偈総持を説きて、仏教と相応せり」と。{文 }
【39】 『仏説無量寿経』(下)にのたまはく、[康僧鎧三蔵訳]
「〈わが滅度の後をもつて、また疑惑を生ずることを得ることなかれ。当来の世に経道滅尽せんに、われ慈悲哀愍をもつて、特に此の経を留めて止住すること百歳せん。それ衆生ありて、この経に値ふもの、意の所願に随ひてみな得度すべし〉と。仏、弥勒に語りたまはく、〈如来の興世、値ひがたく見たてまつりがたし。諸仏の経道、得がたく聞きがたし。菩薩の勝法、諸波羅蜜、聞くを得ることまた難し。善知識に遇ひ、法を聞き、よく行ずること、これまた難しとす。もしこの経を聞きて信楽し受持すること、難のなかの難、この難に過ぎたるはなけん。このゆゑにわが法かくのごとくなしき、かくのごとく説き、かくのごとく教ふ。まさに信順して法のごとく修行すべし〉」と。{文 }
【40】 『無量寿如来会』(下)にのたまはく、[菩提流志三蔵訳]
「如来の勝智、遍虚空の所説の義言は、ただ仏のみの悟なり。このゆゑに博く諸智土を聞きて、わが教、如実の言を信ずべし」と。{文 }
【41】 『無量清浄平等覚経』(二)にのたまはく、[帛延三蔵訳]
「速疾に超えてすなはち、安楽国の世界に到るべし。無量光明土に至りて、無 数の仏に供養したてまつれ」と。{文 }
【42】 『諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』(下)にのたまはく、[支謙三蔵訳]
「われ般泥&M017421;して去きて後、経道留止せんこと千歳せん。千歳の後、経道断絶せん。われみな慈哀して、ことにこの経法を留めて止住せんこと百歳せん。百歳のうちに竟らん。いまし休止し断絶せん。心の所願にありてみな道を得べし」と。{略出}
【43】 元照律師『阿弥陀経の義疏』にいはく、[大智律師なり]
「〈勢至章〉にいはく、〈十方の如来、衆生を憐念したまふこと、母の子を憶ふがごとし〉と。『大論』(大智度論)にいはく、〈たとへば魚母のもし子を念はざれば、子すなはち壊爛する等のごとし〉と。阿耨多羅、ここには無上と翻ず、三藐は正等といふ、三菩提は正覚といふ。すなはち仏果の号なり。
薄地の凡夫、業惑に纏縛せられて五道に流転せること百千万劫なり。たちまちに浄土を聞きて、志願して生を求む。一日名を称すればすなはちかの国に超ゆ。
諸仏護念してただちに菩提に趣かしむ。謂ふべし、万劫にも逢ひがたし。千生に一たび誓に遇へり。今日より未来を終尽すとも、在処にして讃揚し、多方にして勧誘せん。所感の身土・所化の機縁、阿弥陀と等しくして異あることなけん。この心極まりなし、ただ仏、証知したまへ。このゆゑに下に三たび信を勧む。わが語を信ずるものは、教を信ずといふなり。わが十方諸仏を信ぜざるがごとしと、あに虚妄なるをや」と。{略出}
[ 本にいはく]
[ 建長七年乙卯八月二十七日これを書く。]
[愚禿親鸞八十三歳]