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無明

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2024年3月21日 (木) 18:27時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

痴無明と疑無明

 仏教とは智慧宗教です。智慧とはもちろん人間の虚妄分別を超えた仏陀の覚りの世界、無分別智般若実智)をいいます。
覚りとは、人間の思議を超えているから言葉によって表現することは不可能です。何故なら人間は言葉によって概念を把握し分別し、生と死、愛と憎、善と悪、有と無などと分別する存在だからです。覚りの世界とはそのような対立を超えた一味平等な世界です。

ところで、この智慧の反対が無明です。釈尊は、人間の苦悩の根本を無明であると洞察されました。これは釈尊が苦の原因を順に分析された「十二因縁」の根本が無明であることから解かります。
仏教では智慧を光で表現します。つまり、無明(闇)の反対語である智慧を光というわけです。現代的な表現で言えば真理という言い方が親しいのかも知れません。ただ、言葉は時代によって言葉の意味内容が変遷します。また、通仏教でいう言葉と浄土門で使う言葉には意味の違いがありますから、脳内辞書を柔軟にアップデートしないと、御開山の著述されている書物は全く理解不能状態に陥ります。

さて、浄土真宗では、この無明の解釈に二つの意味を持たせます。無明(ち-むみょう)疑無明(ぎ-むみょう)です[1]。痴無明とは煩悩に覆われ真理に暗いことで、通仏教の無明と同義です。疑無明とは仏智の顕現である本願を疑って受け容れないことをいいます。なぜ疑無明が無明といえるかといえば、阿弥陀如来の仏智である真如に背いた状態ですから「疑無明」といわれるわけです。

浄土真宗でご信心を得るということは、この疑無明が晴れたことをいいます。しかし、痴無明は死ぬまで晴れることはありません。これを混同すると<絶対の幸福>などというスローガンに騙され、信と覚りを混同した変な宗教に騙されることになります。

この疑無明が晴れたことを、御開山は『正信念仏偈』で、

摂取心光常照護 已能雖破無明闇
貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天
譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇
摂取の心光、つねに照護したまふ。すでによく無明の闇を破すといへども、貪愛・瞋憎の雲霧、つねに真実信心の天に覆へり。たとへば日光の雲霧に覆はるれども、雲霧の下あきらかにして闇なきがごとし。
現代語:大智大悲の光明は、信心の行者を常に照らし護りたまう。信心の行者は、すでに生死に惑う無知の闇は破られているが、愛憎の煩悩は、雲や霧が天を覆うように、信心の天を覆っている。しかし太陽が出ているかぎり、厚い雲霧に覆われていても、地上に闇はないように、信心は煩悩を透して念仏者を導き続ける。(*)

と、讃詠されておられます。『尊号真像銘文』では、「摂取心光常照護」を、

「「摂取心光常照護」といふは、信心をえたる人をば、無碍光仏の心光つねに照らし護りたまふゆゑに、無明の闇はれ、生死のながき夜すでに暁になりぬとしるべしとなり。「已能雖破無明闇」といふは、このこころなり、信心をうれば暁になるがごとしとしるべし。「貪愛瞋憎之雲霧常覆真実信心天」といふは、われらが貪愛・瞋憎を雲・霧にたとへて、つねに信心の天に覆へるなりとしるべし。「譬如日月覆雲霧雲霧之下明無闇」といふは、日月の、雲・霧に覆はるれども、闇はれて雲・霧の下あきらかなるがごとく、貪愛・瞋憎の雲・霧に信心は覆はるれども、往生にさはりあるべからずとしるべしとなり」 ➡

と、仰いますから、妄念煩悩はあっても生死に迷うことはなくなっているとされます。根本の無明はまだ残っているが、阿弥陀如来の摂取の心光は、まるで夜明けの黎明のように私を護り育てて下さり続けているのだということです。
このご法義の先達(せんだつ)は、信心の沙汰をする時には「夜明けさせてもらったか?」と、よく言っていた。阿弥陀如来の本願を疑いなく受け容れることを「夜明け」に喩えていたのだが、本願に対する疑無明が晴れたか否かを沙汰していたのでした。

帰依ということを、生の[依]る処、死の[帰]する処といいますが、浄土(覚りの世界)を目指して生きていく生き方が信心でもあるわけです。無明の闇の中で、生きる方向が解からない存在に、浄土という方向を指し示す教えが浄土真宗(浄土を真実とする宗義)です。そして、その浄土から、なんまんだぶという声になって届いているのが、私の上に顕現している浄土であり阿弥陀さまであるわけです。

(36)

無明長夜の灯炬なり
智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり
罪障おもしとなげかざれ (正像 P.606)

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ……


  1. 痴無明と疑無明。この痴無明説と疑無明説に反対する説もある。しかし御開山の浄土思想を理解する補助線として痴無明説と疑無明説は有用である。