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同居の土

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

どうこのど

 凡聖(ぼんしょう)同居土(どうごど)のこと。 凡夫(ぼんぶ)と聖者が雑居する世界。 天台(てんだい)大師智顗(ちぎ)(538-597) は仏国土を凡聖同居土・方便(ほうべん)有余土(うよど)実報(じっぽう)無障碍土(むしょうげど)常寂光土(じょうじゃっこうど)の四土に分類し、極楽をこのうちもっとも低劣な凡聖同居土と論定した。 (要集 P.1109)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

天台大師智顗の『観経疏』における四種浄土説。

  1. 凡聖同居土(ぼんしょう-どうこど)(凡夫と聖者がともに同居している土。)
  2. 方便有余土(ほうべん-うよど)(三賢位(十住・十行・十回向)の菩薩の智慧に応じて感得される土。)
  3. 実報無障礙土(じっぽう-むしょうげど)(初地以上の菩薩が、それぞれのさとりの程度に応じて感得する土。)
  4. 常寂光土(じょうじゃっこうど)(仏が完成された仏界であり仏のみが感得、受用できる土。)

 天台宗では、阿弥陀仏の浄土は凡夫と聖者が混在しているので「凡聖同居の浄土」であるとし、四種の浄土の中でもっとも低位の浄土であるといわれていた。

善導大師は「是報非化論(玄義分 P.326) や「凡夫入報説」(玄義分 P.330)で阿弥陀如来の浄土は阿弥陀仏の大願業力によって成就された報仏・報土であり、凡夫が仏願に乗託して往生できる浄土であるとされた。御開山は「真仏土巻」(真巻 P.364)で、この両説を引文されておられる。

 法然聖人は天台宗の学僧であったから、この天台の「凡聖同居土」の論理に対するためには、善導大師の示された凡夫入報説によって浄土宗を立宗する必要があったと云われている。既存の仏教思想の枠内にいるかぎり念仏一行をもって凡夫が報土へ往生する義はあらわせないとされたのである。この経緯を記述した勢観房源智の「浄土随聞記」を下記に引用した。
なお、これを承けられ継承発展されたのが、親鸞聖人の示される、阿弥陀仏の大悲が往還回向する往生即成仏の智慧と慈悲の躍動する無住処涅槃の浄土であった。それは第十八願に『若不生者不取正覚(もし生ぜずは、正覚を取らじ)」と阿弥陀如来が誓われた生仏一如の真実の浄土であったのである。このような浄土は、まさに唯だ仏と仏のみが知見する浄土であって、天台の四種浄土説を超えているといわねばならない。御開山が、

安養浄土の荘厳は
 唯仏与仏の知見なり
 究竟せること虚空にして
 広大にして辺際なし (高僧和讃)

と、仏と仏のみが智見する浄土であると讃詠される所以である。この浄土への往生を難思議往生という。 

天台智顗の四種浄土説
三身
凡夫入報
古今楷定
参照WEB版浄土宗大辞典の「四身四土」の項目
参照WEB版浄土宗大辞典の「浄土の勝劣」の項目
『拾遺語燈録』浄土随聞記

又一時師語曰。

また一時、師(法然聖人)語りていわく。

我立淨土宗之元意 爲顯示凡夫往生報土也。

我、浄土宗を立てる元意は、凡夫、報土に往生することを顯示せんが為なり。

且如天台宗 雖許凡夫往生 其判淨土卑淺。

しばらく天台宗のごときは、凡夫往生を許すといえども、その判ずる浄土は卑淺なり。

如法相宗 其判淨土雖亦高深 不許凡夫往生。

法相宗のごときは、その浄土を判ずることまた高深なりといえども、凡夫往生を許さず。

凡諸宗所談 其趣雖異 總而論之 不許凡夫往生報土。

おおよそ諸宗の所談その趣、異なるといえども、すべてこれを論ずるに凡夫報土に往生することを許さず。

是故 我依善導釋義 建立宗門 以明凡夫生報土之義也。

このゆえに、我、善導の釋義に依って宗門を建立し、以って凡夫報土に生まるの義を明かすなり。

然人多誹謗云 勸進念佛往生 何必別開宗門 豈非爲勝他邪。

然るに人多く誹謗して云く、念仏往生を勧進するに、何ぞ必ず別して宗門を開かん、豈、勝他の為にあらずやと。

如此之人未知旨也。

此の如きの人は未だ旨を知らざる也。

若不別開宗門 何顯凡夫生報土之義乎。

若し別に宗門を開かずんば、何ぞ凡夫報土に生まる、この義を顕さんや。

且夫人 問所言念佛往生 是依何敎何師者 既非天台・法相 又非三論・華嚴 不知以何答之。

さらにそれ人、言ふところの念仏往生は、是れ何れの教、何れの師に依るやと問はば、既に天台・法相にあらず、又三論・華厳にあらず、知らずは何を以てか之(これ)に答えんと。

是故 依道綽・善導意 立淨土宗 全非爲勝他也。

是の故に道綽・善導の意に依って浄土宗を立つ、全く勝他の為には非ざる也。

『拾遺語燈録』浄土随聞記

同文が『醍醐本法然上人伝記』『拾遺漢語灯録』にある。