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仏説阿弥陀経

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ぶっせつあみだきょう

 略して『小経』とも呼ばれる。この経は舎衛国の祇園精舎において説かれたもので、無問自説の経(問いをまたずにみずから説かれた経)、また一代結経(釈尊一代の説法の結びの経)といわれる。

 正宗分は大きく三段に分けて見ることができる。初めの一段には、極楽浄土のうるわしい荘厳相と仏・聖衆の尊い徳を示される。次に、この浄土には自力善根では往生できないのであって、一心に念仏することによってのみ往生ができると説かれ、終りに、東西南北、下方上方の六方の諸仏が、この念仏往生の法が真実であることを証誠し護念されている旨を説き述べられるのである。

 『大経』には阿弥陀仏本願が説かれ、『観経』には、あらゆる善根功徳(定散二善)と弥陀念仏の法とを説いて、最後に他力念仏の一法を勧められるが、この経にはもっぱら念仏一法のみを説いて結ばれるのである。

 なお、浄土三部経については、親鸞聖人は一致と差別と両様の見方を示されている。それは『観経』『小経』には顕説と隠彰の両義があるからである。『観経』は顕説からいえば定散二善の法を説くもので、第十九願諸行往生の法を開説したもの、『小経』も顕説からいえば多善根多福徳の自力念仏の法を説くもので、第二十願の法を開説したものと見られる。このように見る場合は三経差別である。

 しかし、『観経』もその本意は定散二善の法を廃して他力念仏を説き、『小経』もその本意は他力念仏の法を説く。それが隠彰の義であって、『大経』と同じ本願の法を説く。これが三経一致である。その一致のなかで、『大経』は法の真実、『観経』は機の真実、『小経』は機法合説証誠というふうに、それぞれ顕されるのである。