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「親鸞聖人御消息 (上)」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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 「[[自然]]」といふは、「自」はおのづからといふ、行者の[[はからひ]]にあらず、「然」といふは、しからしむといふことばなり。しからしむといふは、行者のはからひにあらず、如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。「法爾」といふは、この如来の御ちかひなるがゆゑに、しからしむるを法爾といふなり。法爾はこの御ちかひなりけるゆゑに、およそ行者のはからひのなきをもつて、この法の徳のゆゑにしからしむといふなり。すべて、ひとの[[はじめて]]はからはざるなり。このゆゑに、[[義なき]]を義とすとしるべしとなり。
 
 「[[自然]]」といふは、「自」はおのづからといふ、行者の[[はからひ]]にあらず、「然」といふは、しからしむといふことばなり。しからしむといふは、行者のはからひにあらず、如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。「法爾」といふは、この如来の御ちかひなるがゆゑに、しからしむるを法爾といふなり。法爾はこの御ちかひなりけるゆゑに、およそ行者のはからひのなきをもつて、この法の徳のゆゑにしからしむといふなり。すべて、ひとの[[はじめて]]はからはざるなり。このゆゑに、[[義なき]]を義とすとしるべしとなり。
  
 「自然」といふは、もとよりしからしむるといふことばなり。弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏<ref>顕智本には仏がない。このことから宗祖はなんまんだと称えておられたという説がある。</ref>とたのませたま<span id="P--769"></span>
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 「自然」といふは、もとよりしからしむるといふことばなり。弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏<ref>顕智本には南無阿弥陀となって仏が無い(校異294)。このことから宗祖は南無阿弥陀(なんまんだ)と称えておられたという説がある。</ref>とたのませたま<span id="P--769"></span>
 
ひて迎へんと、はからはせたまひたるによりて、行者のよからんとも、あしからんともおもはぬを、自然とは申すぞ[[とききて候ふ]]。ちかひのやうは、[[無上仏]]にならしめんと誓ひたまへるなり。
 
ひて迎へんと、はからはせたまひたるによりて、行者のよからんとも、あしからんともおもはぬを、自然とは申すぞ[[とききて候ふ]]。ちかひのやうは、[[無上仏]]にならしめんと誓ひたまへるなり。
  

2011年7月12日 (火) 21:56時点における版

 書名の「御消息」とは、親鸞聖人が関東から京都に帰られて遷化されるまでに、関東各地の門弟に与えられた手紙のことである。43通あって、そのほとんどは『御消息集』『血脈文集』や従覚上人が編集された『末灯鈔』などに収録されているが、近年公表された真蹟消息や古写本等も含まれている。その内容は門弟の質問に対する返事や聖人の身辺のことであり、門弟からの懇志に対するお礼に添えて書かれたものなどもある。これらの消息集におさめられたものには、互いに重複するものや、真蹟などとの異同が認められるものがある。このため『浄土真宗聖典』では、年代の確定できるものおよび年代の推定が確実視されるものを年代順に、ついで年代の推定に疑問が残るものおよび年代が不明のものを月日順に配列する編綴方法をとり、書名については『親鸞聖人御消息』としている。

 この消息を通して、関東の門弟たちの間で、教義的にどのようなことが問題になっていたかを推測することができる。誓願名号同一や「如来とひとし」ということについての説明、また造悪無礙の異義に対する厳しい批判などがそれである。さらに念仏停止の訴訟に関することや善鸞義絶と関連するものがいくつかみられることも注意すべきである。その他、「自然法爾章」のような短篇の法語も収録されている。

 全体としては、晩年の聖人の信心の領解がうかがわれるとともに、指導者としての聖人の態度や門弟の信仰態度などを知ることができ、初期の真宗教団の動静をうかがうに欠かせぬものである。

親鸞聖人御消息

   親鸞聖人御消息

上-1


(1)

有念無念の事

 来迎は諸行往生にあり、自力の行者なるがゆゑに。臨終といふことは、諸行往生のひとにいふべし、いまだ真実の信心をえざるがゆゑなり。また十悪・五逆の罪人のはじめて善知識にあうて、すすめらるるときにいふことなり。真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の儀則をまたず。

 正念といふは、本弘誓願の信楽定まるをいふなり。この信心うるゆゑに、かならず無上涅槃にいたるなり。この信心を一心といふ、この一心を金剛心といふ、この金剛心を大菩提心といふなり。これすなはち他力のなかの他力なり。

 また正念といふにつきて二つあり。一つには定心の行人の正念、二つには散心の行人の正念あるべし。この二つの正念は他力のなかの自力の正念なり。定散の善は諸行往生のことばにをさまるなり。この善は他力のなかの自力の善なり。この自力の行人は、来迎をまたずしては、辺地・胎生・懈慢界までも生るべからず。このゆゑに第十九の誓願に、「もろもろの善をして浄土に回向して往生せんとねがふ人の臨終には、われ現じて迎へん」と誓ひたまへり。臨終まつことと来迎往生といふことは、この定心・散心の行者のいふことなり。

 選択本願は有念にあらず、無念にあらず。有念はすなはち色形をおもふにつきていふことなり。無念といふは、形をこころにかけず、色をこころにおもはずして、念もなきをいふなり。これみな聖道のをしへなり。聖道といふは、すでに仏に成りたまへる人の、われらがこころをすすめんがために、仏心宗・真 言宗・法華宗・華厳宗・三論宗等の大乗至極の教なり。仏心宗といふは、この世にひろまる禅宗これなり。また法相宗・成実宗・倶舎宗等の権教、小乗等の教なり。これみな聖道門なり。権教といふは、すなはちすでに仏に成りたまへる仏・菩薩の、かりにさまざまの形をあらはしてすすめたまふがゆゑに権といふなり。

 浄土宗にまた有念あり、無念あり。有念は散善の義、無念は定善の義なり。

浄土の無念は聖道の無念には似ず、またこの聖道の無念のなかにまた有念あり、よくよくとふべし。

 浄土宗のなかに真あり、仮あり。真といふは選択本願なり、仮といふは定散二善なり。選択本願は浄土真宗なり、定散二善は方便仮門なり。浄土真宗は大乗のなかの至極なり。方便仮門のなかにまた大小・権実の教あり。釈迦如来の御善知識は一百一十人なり、『華厳経』にみえたり。

南無阿弥陀仏

   建長三歳[辛亥]閏九月二十日

                   愚禿親鸞[七十九歳]



(2)

 かたがたよりの御こころざしのものども、数のままにたしかにたまはり候ふ。明教房のぼられて候ふこと、ありがたきことに候ふ。かたがたの御こころざし、申しつくしがたく候ふ。明法御房の往生のこと、おどろきまうすべきにはあらねども、かへすがへすうれしく候ふ。鹿島行方奥郡、かやうの往生ねがはせたまふひとびとの、みなの御よろこびにて候ふ。

 またひらつかの入道殿の御往生のこときき候ふこそ、かへすがへす申すにかぎりなくおぼえ候へ。めでたさ申しつくすべくも候はず。おのおのみな往生は一定とおぼしめすべし。さりながらも、往生をねがはせたまふひとびとの御中にも、御こころえぬことも候ひき、いまもさこそ候ふらめとおぼえ候ふ。京にもこころえずして、やうやうにまどひあうて候ふめり。くにぐににもおほくきこえ候ふ。法然聖人の御弟子のなかにも、われはゆゆしき学生などとおもひあひたるひとびとも、この世には、みなやうやうに法文をいひかへて、身もまどひ、ひとをもまどはして、わづらひあうて候ふめり。

 聖教のをしへをもみずしらぬ、おのおののやうにおはしますひとびとは、往生にさはりなしとばかりいふをききて、あしざまに御こころえあること、おほく候ひき。いまもさこそ候ふらめとおぼえ候ふ。浄土の教もしらぬ信見房などが申すことによりて、ひがざまにいよいよなりあはせたまひ候ふらんをきき候ふこそあさましく候へ。

 まづおのおのの、むかしは弥陀のちかひをもしらず、阿弥陀仏をも申さずおはしまし候ひしが、釈迦・弥陀の御方便にもよほされて、いま弥陀のちかひをもききはじめておはします身にて候ふなり。もとは無明の酒に酔ひて、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒をのみ好みめしあうて候ひつるに、仏のちかひをききはじめしより、無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、三毒をもすこしづつ好まずして、阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身となりておはしましあうて候ふぞかし。

 しかるになほ酔ひもさめやらぬに、かさねて酔ひをすすめ、毒も消えやらぬになほ毒をすすめられ候ふらんこそ、あさましく候へ。煩悩具足の身なればとて、こころにまかせて、身にもすまじきことをもゆるし、口にもいふまじきことをもゆるし、こころにもおもふまじきことをもゆるして、いかにもこころのままにてあるべしと申しあうて候ふらんこそ、かへすがへす不便におぼえ候へ。酔ひもさめぬさきになほ酒をすすめ、毒も消えやらぬに、いよいよ毒をすすめんがごとし。薬あり、毒を好めと候ふらんことは、あるべくも候はずとぞおぼえ候ふ。仏の御名をもきき念仏を申して、ひさしくなりておはしまさんひとびとは、後世のあしきことをいとふしるし、この身のあしきことをばいとひすてんとおぼしめすしるしも候ふべしとこそおぼえ候へ。

 はじめて仏のちかひをききはじむるひとびとの、わが身のわろくこころのわろきをおもひしりて、この身のやうにてはなんぞ往生せんずるといふひとにこそ、煩悩具足したる身なれば、わがこころの善悪をば沙汰せず、迎へたまふぞとは申し候へ。かくききてのち、仏を信ぜんとおもふこころふかくなりぬるには、まことにこの身をもいとひ、流転せんことをもかなしみて、ふかくちかひをも信じ、阿弥陀仏をも好みまうしなんどするひとは、もとこそ、こころのままにてあしきことをもおもひ、あしきことをもふるまひなんどせしかども、いまはさやうのこころをすてんとおぼしめしあはせたまはばこそ、世をいとふしるしにても候はめ。また往生の信心は、釈迦・弥陀の御すすめによりておこるとこそみえて候へば、さりともまことのこころおこらせたまひなんには、いかがむかしの御こころのままにては候ふべき。

 この御中のひとびとも、少々はあしきさまなることのきこえ候ふめり。師をそしり、善知識をかろしめ、同行をもあなづりなんどしあはせたまふよしきき候ふこそ、あさましく候へ。すでに謗法のひとなり、五逆のひとなり。なれむつぶべからず。

 『浄土論』(論註・上)と申すふみには、「かやうのひとは仏法信ずるこころのなきより、このこころはおこるなり」(意)と候ふめり。また至誠心のなかには、「かやうに悪をこのまんにはつつしんでとほざかれ、ちかづくべからず」(散善義・意)とこそ説かれて候へ。善知識・同行にはしたしみちかづけとこそ説きおかれて候へ。

 悪をこのむひとにもちかづきなんどすることは、浄土にまゐりてのち、衆生利益にかへりてこそ、さやうの罪人にもしたがひちかづくことは候へ。それもわがはからひにはあらず、弥陀のちかひによりて御たすけにてこそ、おもふさまのふるまひも候はんずれ。当時はこの身どものやうにては、いかが候ふべかるらんとおぼえ候ふ。よくよく案ぜさせたまふべく候ふ。

 往生の金剛心のおこることは、仏の御はからひよりおこりて候へば、金剛心をとりて候はんひとは、よも師をそしり善知識をあなづりなんどすることは候はじとこそおぼえ候へ。この文をもつて鹿島・行方・南の荘、いづかたもこれにこころざしおはしまさんひとには、おなじ御こころによみきかせたまふべく候ふ。あなかしこ、あなかしこ。    建長四年二月二十四日



(3)

 この明教房ののぼられて候ふこと、まことにありがたきこととおぼえ候ふ。

明法御房の御往生のことをまのあたりきき候ふも、うれしく候ふ。ひとびとの御こころざしも、ありがたくおぼえ候ふ。かたがたこのひとびとののぼり、不思議のことに候ふ。この文をたれたれにもおなじこころによみきかせたまふべく候ふ。この文は奥郡におはします同朋の御中に、みなおなじく御覧候ふべし。あなかしこ、あなかしこ。

 としごろ念仏して往生ねがふしるしには、もとあしかりしわがこころをもおもひかへして、とも同朋にもねんごろにこころのおはしましあはばこそ、世をいとふしるしにても候はめとこそおぼえ候へ。よくよく御こころえ候ふべし。



(4)

 御文たびたびまゐらせ候ひき。御覧ぜずや候ひけん。なにごとよりも明法御房の往生の本意とげておはしまし候ふこそ、常陸国うちの、これにこころざしおはしますひとびとの御ために、めでたきことにて候へ。往生はともかくも凡夫のはからひにてすべきことにても候はず。めでたき智者もはからふべきことにも候はず。大小の聖人だにも、ともかくもはからはで、ただ願力にまかせてこそおはしますことにて候へ。ましておのおののやうにおはしますひとびとは、ただこのちかひありときき、南無阿弥陀仏にあひまゐらせたまふこそ、ありがたくめでたく候ふ御果報にては候ふなれ。とかくはからはせたまふこと、ゆめゆめ候ふべからず。さきにくだしまゐらせ候ひし『唯信鈔』・『自力他力』なんどのふみにて御覧候ふべし。それこそ、この世にとりてはよきひとびとにておはします。すでに往生をもしておはしますひとびとにて候へば、そのふみどもにかかれて候ふには、なにごともなにごともすぐべくも候はず。法然聖人の御をしへを、よくよく御こころえたるひとびとにておはしますに候ひき。さればこそ往生もめでたくしておはしまし候へ。

 おほかたは、としごろ念仏申しあひたまふひとびとのなかにも、ひとへにわがおもふさまなることをのみ申しあはれて候ふひとびとも候ひき。いまもさぞ候ふらんとおぼえ候ふ。

 明法房などの往生しておはしますも、もとは不可思議のひがことをおもひなんどしたるこころをもひるがへしなんどしてこそ候ひしか。われ往生すべければとて、すまじきことをもし、おもふまじきことをもおもひ、いふまじきことをもいひなどすることはあるべくも候はず。

 貪欲の煩悩にくるはされて欲もおこり、瞋恚の煩悩にくるはされてねたむべくもなき因果をやぶるこころもおこり、愚痴の煩悩にまどはされておもふまじきことなどもおこるにてこそ候へ。めでたき仏の御ちかひのあればとて、わざとすまじきことどもをもし、おもふまじきことどもをもおもひなどせんは、よくよくこの世のいとはしからず、身のわろきことをおもひしらぬにて候へば、念仏にこころざしもなく、仏の御ちかひにもこころざしのおはしまさぬにて候へば、念仏せさせたまふとも、その御こころざしにては順次の往生かたくや候ふべからん

 よくよくこのよしをひとびとにきかせまゐらせさせたまふべく候ふ。かやうにも申すべくも候はねども、なにとなくこの辺のことを御こころにかけあはせたまふひとびとにておはしましあひて候へば、かくも申し候ふなり。

 この世の念仏の義はやうやうにかはりあうて候ふめれば、とかく申すにおよばず候へども、故聖人(法然)の御をしへをよくよくうけたまはりておはしますひとびとは、いまももとのやうにかはらせたまふこと候はず。世かくれなきことなれば、きかせたまひあうて候ふらん。浄土宗の義、みなかはりておはしましあうて候ふひとびとも、聖人(法然)の御弟子にて候へども、やうやうに義をもいひかへなどして、身もまどひ、ひとをもまどはかしあうて候ふめり。あさましきことにて候ふなり。京にもおほくまどひあうて候ふめり。まして、ゐなかはさこそ候ふらめと、こころにくくも候はず。なにごとも申しつくしがたく候ふ。またまた申し候ふべし。




(5)

 善知識をおろかにおもひ、師をそしるものをば謗法のものと申すなり。おやをそしるものをば五逆のものと申すなり、同座せざれと候ふなり。されば北の郡に候ひし善証房は、おやをのり、善信(親鸞)をやうやうにそしり候ひしかば、ちかづきむつまじくおもひ候はで、ちかづけず候ひき。明法御房の往生のことをききながら、あとをおろかにせんひとびとは、その同朋にあらず候ふべし。無明の酒に酔ひたる人にいよいよ酔ひをすすめ、三毒をひさしく好みくらふひとにいよいよ毒をゆるして好めと申しあうて候ふらん、不便のことに候ふ。無明の酒に酔ひたることをかなしみ、三毒を好みくうて、いまだ毒も失せはてず、無明の酔ひもいまださめやらぬにおはしましあうて候ふぞかし。よくよく御こころえ候ふべし。




(6)

 笠間の念仏者の疑ひとはれたる事

 それ浄土真宗のこころは、往生の根機に他力あり、自力あり。このことすでに天竺(印度)の論家、浄土の祖師の仰せられたることなり。

 まづ自力と申すことは、行者のおのおのの縁にしたがひて余の仏号を称念し、余の善根を修行してわが身をたのみ、わがはからひのこころをもつて身・口・意のみだれごころをつくろひ、めでたうしなして浄土へ往生せんとおもふを自力と申すなり。また他力と申すことは、弥陀如来の御ちかひのなかに、選択摂取したまへる第十八の念仏往生の本願を信楽するを他力と申すなり。如来の御ちかひなれば、「他力には義なきを義とす」と、聖人(法然)の仰せごとにてありき。義といふことは、はからふことばなり。行者のはからひは自力なれば義といふなり。他力は本願を信楽して往生必定なるゆゑに、さらに義なしとなり。

 しかれば、わが身のわるければ、いかでか如来迎へたまはんとおもふべからず、凡夫はもとより煩悩具足したるゆゑに、わるきものとおもふべし。またわがこころよければ往生すべしとおもふべからず、自力の御はからひにては真実の報土へ生るべからざるなり。

 「行者のおのおのの自力の信にては、懈慢・辺地の往生、胎生・疑城の浄土までぞ往生せらるることにてあるべき」とぞ、うけたまはりたりし。第十八の本願成就のゆゑに阿弥陀如来とならせたまひて、不可思議の利益きはまりましまさぬ御かたちを、天親菩薩は尽十方無碍光如来とあらはしたまへり。このゆゑに、よきあしき人をきらはず、煩悩のこころをえらばず、へだてずして、往生はかならずするなりとしるべしとなり。しかれば恵心院の和尚(源信)は、『往生要集』(下)には、本願の念仏を信楽するありさまをあらはせるには、「行住座臥を簡ばず、時処諸縁をきらはず」(意)と仰せられたり。「真実の信心をえたる人は摂取のひかりにをさめとられまゐらせたり」(同・意)と、たしかにあらはせり。しかれば、「無明煩悩を具して安養浄土に往生すれば、かならずすなはち無上仏果にいたる」と、釈迦如来説きたまへり。

 しかるに、「五濁悪世のわれら、釈迦一仏のみことを信受せんことありがたかるべしとて、十方恒沙の諸仏、証人とならせたまふ」(散善義・意)と、善導和尚は釈したまへり。「釈迦・弥陀・十方の諸仏、みなおなじ御こころにて、本願念仏の衆生には、影の形に添へるがごとくしてはなれたまはず」(同・意) とあかせり。

しかれば、この信心の人を釈迦如来は、「わが親しき友なり」(大経・下意)とよろこびまします。この信心の人を真の仏弟子といへり。この人を正念に住する人とす。この人は、〔阿弥陀仏〕摂取して捨てたまはざれば、金剛心をえたる人と申すなり。この人を「上上人とも、好人とも、妙好人とも、最勝人とも、希有人とも申す」(散善義・意)なり。この人は正定聚の位に定まれるなりとしるべし。しかれば弥勒仏とひとしき人とのたまへり。これは真実信心をえたるゆゑにかならず真実の報土に往生するなりとしるべし。

 この信心をうることは、釈迦・弥陀・十方諸仏の御方便よりたまはりたるとしるべし。しかれば、「諸仏の御をしへをそしることなし、余の善根を行ずる人をそしることなし。この念仏する人をにくみそしる人をも、にくみそしることあるべからず。あはれみをなし、かなしむこころをもつべし」とこそ、聖人(法然)は仰せごとありしか。あなかしこ、あなかしこ。

 仏恩のふかきことは、懈慢・辺地に往生し、疑城・胎宮に往生するだにも、弥陀の御ちかひのなかに、第十九・第二十の願の御あはれみにてこそ、不可思議のたのしみにあふことにて候へ。仏恩のふかきこと、そのきはもなし。いかにいはんや、真実の報土へ往生して大涅槃のさとりをひらかんこと、仏恩よくよく御案ども候ふべし。これさらに性信坊・親鸞がはからひまうすにはあらず候ふ。ゆめゆめ。

   建長七歳乙卯十月三日

                   愚禿親鸞八十三歳これを書く。





(7)

 四月七日の御文、五月二十六日たしかにたしかにみ候ひぬ。さては、仰せられたること、信の一念・行の一念ふたつなれども、信をはなれたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし。そのゆゑは、行と申すは、本願の名号をひとこゑとなへて往生すと申すことをききて、ひとこゑをもとなへ、もしは十念をもせんは行なり。この御ちかひをききて、疑ふこころのすこしもなきを信の一念と申せば、信と行とふたつときけども、行をひとこゑするとききて疑はねば、行をはなれたる信はなしとききて候ふ。また、信はなれたる行なしとおぼしめすべし。

 これみな弥陀の御ちかひと申すことをこころうべし。行と信とは御ちかひを申すなり。あなかしこ、あなかしこ。

 いのち候はば、かならずかならずのぼらせたまふべし。

   五月二十八日           (花押)

  覚信御房 御返事

 専信坊、京ちかくなられて候ふこそ、たのもしうおぼえ候へ。また、御こころざしの銭三百文、たしかにたしかにかしこまりてたまはりて候ふ。

 [「建長八歳丙辰五月二十八日親鸞聖人御返事」]




(8)

 この御文どものやう、くはしくみ候ふ。また、さては慈信が法文のやうゆゑに、常陸・下野の人々、念仏申させたまひ候ふことの、としごろうけたまはりたるやうには、みなかはりあうておはしますときこえ候ふ。かへすがへすこころうくあさましくおぼえ候ふ。としごろ往生を一定と仰せられ候ふ人々、慈信とおなじやうに、そらごとをみな候ひけるを、としごろふかくたのみまゐらせて候ひけること、かへすがへすあさましう候ふ。

 そのゆゑは、往生の信心と申すことは、一念も疑ふことの候はぬをこそ、往生一定とはおもひて候へ。光明寺の和尚(善導)の信のやうををしへさせたまひ候ふには、「まことの信を定められてのちには、弥陀のごとくの仏、釈迦のごとくの仏、そらにみちみちて、釈迦のをしへ、弥陀の本願はひがことなりと仰せらるとも、一念も疑あるべからず」とこそうけたまはりて候へば、そのやうをこそ、としごろ申して候ふに、慈信ほどのものの申すことに、常陸・下野の念仏者の、みな御こころどものうかれて、はては、さしもたしかなる証文を、ちからを尽して数あまた書きてまゐらせて候へば、それをみなすてあうておはしまし候ふときこえ候へば、ともかくも申すにおよばず候ふ。

 まづ慈信が申し候ふ法文のやう、名目をもきかず。いはんやならひたることも候はねば、慈信にひそかにをしふべきやうも候はず。また夜も昼も慈信一人に、人にはかくして法文をしへたること候はず。もしこのこと、慈信に申しながら、そらごとをも申しかくして、人にもしらせずしてをしへたること候はば、三宝を本として三界の諸天善神・四海竜神八部・閻魔王界の神祇冥道の罰を、親鸞が身にことごとくかぶり候ふべし。

 自今以後は、慈信におきては、子の義おもひきりて候ふなり。世間のことにも、不可思議のそらごと、申すかぎりなきことどもを、申しひろめて候へば、出世のみにあらず、世間のことにおきても、おそろしき申しごとども数かぎりなく候ふなり。なかにも、この法文のやうきき候ふに、こころもおよばぬ申しごとにて候ふ。つやつや親鸞が身には、ききもせず、ならはぬことにて候ふ。かへすがへすあさましう、こころうく候ふ。弥陀の本願をすてまゐらせて候ふことに、人々のつきて、親鸞をもそらごと申したるものになして候ふ。こころうく、うたてきことに候ふ

 おほかたは、『唯信抄』・『自力他力の文』・『後世物語の聞書』・『一念多念の証文』・『唯信鈔の文意』・『一念多念の文意』、これらを御覧じながら、慈信が法文によりて、おほくの念仏者達の、弥陀の本願をすてまゐらせあうて候ふらんこと、申すばかりなく候へば、かやうの御文ども、これよりのちには仰せらるべからず候ふ。

 また、『真宗の聞書』、性信房の書かせたまひたるは、すこしもこれに申して候ふやうにたがはず候へば、うれしう候ふ。『真宗の聞書』一帖はこれにとどめおきて候ふ。

 また哀愍房とかやの、いまだみもせず候ふ。また文一度もまゐらせたることもなし。くによりも文たびたることもなし。親鸞が文を得たると申し候ふなるは、おそろしきことなり。この『唯信鈔』かきたるやう、あさましう候へば、火にやき候ふべし。かへすがへすこころうく候ふ。この文を人々にもみせさせたまふべし。あなかしこ、あなかしこ。

   五月二十九日           親鸞

  性信房御返事

 なほなほよくよく念仏者達の信心は一定と候ひしことは、みな御そらごとどもにて候ひけり。これほどに第十八の願をすてまゐらせあうて候ふ人々の御ことばをたのみまゐらせて、としごろ候ひけるこそ、あさましう候ふ。この文をかくさるべきことならねば、よくよく人々にみせまうしたまふべし。

上-2


(9)

 仰せられたること、くはしくききて候ふ。なによりは、哀愍房とかやと申すなる人の、京より文を得たるとかやと申され候ふなる、かへすがへす不思議に候ふ。いまだかたちをもみず、文一度もたまはり候はず、これよりも申すこともなきに、京より文を得たると申すなる、あさましきことなり。

 また慈信房の法文のやう、名目をだにもきかず、しらぬことを、慈信一人に、夜親鸞がをしへたるなりと、人に慈信房申されて候ふとて、これにも常陸・下野の人々は、みな親鸞がそらごとを申したるよしを申しあはれて候へば、いまは父子の義はあるべからず候ふ。

 また母の尼にも不思議のそらごとをいひつけられたること、申すかぎりなきこと、あさましう候ふ。みぶの女房の、これへきたりて申すこと、慈信房がたうたる文とてもちてきたれる文、これにおきて候ふめり。

慈信房が文とてこれにあり。その文、つやつやいろはぬことゆゑにままははいひまどはされたるとかかれたること、ことにあさましきことなり。世にありけるを、ままははの尼のいひまどはせりといふこと、あさましきそらごとなり。またこの世にいかにしてありけりともしらぬことを、みぶの女房のもとへも文のあること、こころもおよばぬほどのそらごと、こころうきことなりとなげき候ふ。

 まことにかかるそらごとどもをいひて、六波羅の辺、鎌倉なんどに披露せられたること、こころうきことなり。これらほどのそらごとはこの世のことなれば、いかでもあるべし。それだにも、そらごとをいふこと、うたてきなり。いかにいはんや、往生極楽の大事をいひまどはして、常陸・下野の念仏者をまどはし、親にそらごとをいひつけたること、こころうきことなり。

 第十八の本願をば、しぼめるはなにたとへて、人ごとにみなすてまゐらせたりときこゆること、まことに謗法のとが、また五逆の罪を好みて人を損じまどはさるること、かなしきことなり。

 ことに破僧の罪と申す罪は、五逆のその一つなり。親鸞にそらごとを申しつけたるは、父を殺すなり、五逆のその一つなり。このことどもつたへきくこと、あさましさ申すかぎりなければ、いまは親といふことあるべからず、子とおもふことおもひきりたり。三宝・神明に申しきりをはりぬ。かなしきことなり。わが法門に似ずとて、常陸の念仏者みなまどはさんと好まるるときくこそ、こころうく候へ。親鸞がをしへにて、常陸の念仏申す人々を損ぜよと慈信房にをしへたると鎌倉まできこえんこと、あさまし、あさまし。

      同六月二十七日到来

   五月二十九日          (在判)

     建長八年六月二十七日これを註す。

    慈信房御返事

     嘉元三年七月二十七日これを書写しをはんぬ。


(10)

 また五説といふは、よろづの経を説かれ候ふに、五種にはすぎず候ふなり。

一には仏説、二には聖弟子の説、三には天仙の説、四には鬼神の説、五には変化の説といへり。この五つのなかに、仏説をもちゐてかみの四種をたのむべからず候ふ。この三部経は釈迦如来の自説にてましますとしるべしとなり。四土といふは、一には法身の土、二には報身の土、三には応身の土、四には化土なり。いまこの安楽浄土は報土なり。三身といふは、一には法身、二には報身、三には応身なり。いまこの弥陀如来は報身如来なり。

三宝といふは、一には仏宝、二には法宝、三には僧宝なり。いまこの浄土宗は仏宝なり。四乗といふ は、一には仏乗、二には菩薩乗、三には縁覚乗、四には声聞乗なり。いまこの浄土宗は菩薩乗なり。二教といふは、一には頓教、二には漸教なり。いまこの教は頓教なり。二蔵といふは、一には菩薩蔵、二には声聞蔵なり。いまこの教は菩薩蔵なり。二道といふは、一には難行道、二には易行道なり。いまこの浄土宗は易行道なり。二行といふは、一には正行、二には雑行なり。いまこの浄土宗は正行を本とするなり。二超といふは、一には竪超、二には横超なり。いまこの浄土宗は横超なり。竪超は聖道自力なり。二縁といふは、一には無縁、二には有縁なり。いまこの浄土は有縁の教なり。二住といふは、一には止住、二には不住なり。いまこの浄土の教は、法滅百歳まで住したまひて、有情を利益したまふとなり。不住は聖道諸善なり。諸善はみな竜宮へかくれいりたまひぬるなり。思・不思といふは、思議の法は聖道八万四千の諸善なり。不思といふは浄土の教は不可思議の教法なり。

 これらはかやうにしるしまうしたり。よくしれらんひとに尋ねまうしたまふべし。またくはしくはこの文にて申すべくも候はず。目もみえず候ふ。なにごともみなわすれて候ふうへに、ひとにあきらかに申すべき身にもあらず候ふ。 よくよく浄土の学生にとひまうしたまふべし。あなかしこ、あなかしこ。

   閏三月三日            親鸞


(11)

 信心をえたるひとは、かならず正定聚の位に住するがゆゑに等正覚の位と申すなり。『大無量寿経』には、摂取不捨の利益に定まるものを正定聚となづけ、『無量寿如来会』には等正覚と説きたまへり。その名こそかはりたれども、正定聚・等正覚は、ひとつこころ、ひとつ位なり。等正覚と申す位は、補処の弥勒とおなじ位なり。弥勒とおなじく、このたび無上覚にいたるべきゆゑに、弥勒におなじと説きたまへり。

 さて『大経』(下)には、「次如弥勒」とは申すなり。弥勒はすでに仏にちかくましませば、弥勒仏と諸宗のならひは申すなり。しかれば弥勒におなじ位なれば、正定聚の人は如来とひとしとも申すなり。浄土の真実信心の人は、この身こそあさましき不浄造悪の身なれども、心はすでに如来とひとしければ、如来とひとしと申すこともあるべしとしらせたまへ。弥勒はすでに無上覚にその心定まりてあるべきにならせたまふによりて、三会のあかつきと申すなり。 浄土真実のひともこのこころをこころうべきなり。

 光明寺の和尚(善導)の『般舟讃』には、「信心のひとは、その心すでにつねに浄土に居す」(意)と釈したまへり。「居す」といふは、浄土に、信心のひとのこころつねにゐたり、といふこころなり。これは弥勒とおなじといふことを申すなり。これは等正覚を弥勒とおなじと申すによりて、信心のひとは如来とひとしと申すこころなり。

   正嘉元年丁巳十月十日       親鸞

   性信御房


(12)

 これは『経』の文なり。『華厳経』にのたまはく、「信心歓喜者与諸如来等」といふは、「信心よろこぶひとはもろもろの如来とひとし」といふなり。「もろもろの如来とひとし」といふは、信心をえてことによろこぶひとは、釈尊のみことには、「見敬得大慶則我善親友」(大経・下)と説きたまへり。また弥陀の 第十七の願には、「十方世界 無量諸仏 不悉咨嗟 称我名者 不取正覚」(大経・上)と誓ひたまへり。願成就の文(同・下)には、「よろづの仏にほめられ、 よろこびたまふ」(意)とみえたり。

 すこしも疑ふべきにあらず。これは「如来とひとし」といふ文どもをあらはししるすなり。

   正嘉元年丁巳十月十日       親鸞

   真仏御房


(13)

畏まりて申し候ふ。
『大無量寿経』(下)に「信心歓喜」と候ふ。『華厳経』を引きて『浄土和讃』(九四)にも、「信心よろこぶそのひとを如来とひとしとときたまふ大信心は仏性なり仏性すなはち如来なり」と仰せられて候ふに、専修の人のなかに、ある人こころえちがへて候ふやらん、信心よろこぶ人を如来とひとしと同行達ののたまふは自力なり、真言にかたよりたりと申し候ふなるは、人のうへを知るべきに候はねども申し候ふ。
また、「真実信心うるひとは すなはち定聚のかずにいる 不退のくらゐにいりぬれば かならず滅度をさとらしむ」(同・五九)と候ふ。
「滅度をさとらしむ」と候ふは、この度この身の終り候はんとき、真実信心の行者の心、報土にいたり候ひなば、寿命無量をとして、光明無量の徳用はなれたまはざれば、如来の心光に一味なり。
このゆゑ、「大信心は仏性なり、仏性はすなはち如来なり」と仰せられて候ふやらん。
これは十一・二・三の御誓とこころえられ候ふ。罪悪のわれらがためにおこしたまへる大悲の御誓の目出たくあはれにましますうれしさ、こころもおよばれず、ことばもたえて申しつくしがたきこと、かぎりなく候ふ。
無始曠劫よりこのかた、過去遠々に恒沙の諸仏の出世の所にて大菩提心おこすといへども、自力かなはず、二尊の御方便にもよほされまゐらせて、雑行雑修・自力疑心のおもひなし。
無碍光如来の摂取不捨の御あはれみのゆゑに、疑心なくよろこびまゐらせて、一念までの往生定まりて、誓願不思議とこころえ候ひなんには、聞き見候ふにあかぬ浄土の聖教も、知識にあひまゐらせんとおもはんことも、摂取不捨も、信も、念仏も、人のためとおぼえられ候ふ。
 いま師主の御教のゆゑ、心をぬきて御こころむきをうかがひ候ふによりて、願意をさとり、直道をもとめえて、まさしき真実報土にいたり候はんこと、この度一念聞名にいたるまで、うれしさ御恩のいたり、そのうへ『弥陀経義集』におろおろあきらかにおぼえられ候ふ。
しかるに世間のそうそうにまぎれて、一時もしくは二時、三時おこたるといへども、昼夜にわすれず、御あはれみをよろこぶ業力ばかりにて、行住座臥に時所の不浄をもきらはず、一向に金剛の信心ばかりにて、仏恩のふかさ、師主の恩徳のうれしさ、報謝のためにただ御名をとなふるばかりにて、日の所作とせず
このやうひがざまにか候ふらん。一期の大事、ただこれにすぎたるはなし。
しかるべくは、よくよくこまかに仰せを蒙り候はんとて、わづかにおもふばかりを記して申しあげ候ふ。
 さては、京にひさしく候ひしに、そうそうにのみ候ひて、こころしづかにおぼえず候ひしことのなげかれ候ひて、わざといかにしてもまかりのぼりて、こころしづかに、せめては五日、御所に候はばやとねがひ候ふなり。
噫、かうまで申し候ふも御恩のちからなり。

    進上 聖人(親鸞)の御所へ   蓮位御坊申させたまへ

      十月十日             慶信上(花押)  

追つて申しあげ候ふ。
 念仏申し候ふ人々のなかに、南無阿弥陀仏ととなへ候ふひまには、無碍光如来ととなへまゐらせ候ふ人も候ふ。
これをききて、ある人の申し候ふなる、南無阿弥陀仏ととなへてのうへに、帰命尽十方無碍光如来ととなへまゐらせ候ふことは、おそれあることにてこそあれ、いまめがはしくと申し候ふなる、このやういかが候ふべき。


 南無阿弥陀仏をとなへてのうへに無碍光仏と申さんはあしきことなりと候ふなるこそ、きはまれる御ひがことときこえ候へ。帰命は南無なり、無碍光仏は光明なり、智慧なり、この智慧はすなはち阿弥陀仏なり。阿弥陀仏の御かたちをしらせたまはねば、その御かたちをたしかにたしかにしらせまゐらせんとて、世親菩薩(天親)御ちからを尽してあらはしたまへるなり。このほかのことは、少々文字をなほしてまゐらせ候ふなり。

この御文のやう、くはしく申しあげて候ふ。すべてこの御文のやう、たがはず候ふと仰せ候ふなり。
ただし、「一念するに往生定まりて誓願不思議とこころえ候ふ」と仰せ候ふをぞ、よきやうには候へども、一念にとど
まるところあしく候ふとて、御文のそばに御自筆をもつて、あしく候ふよしを入れさせおはしまして候ふ。
蓮位にかく入れよと仰せをかぶりて候へども、御自筆はつよき証拠におぼしめされ候ひぬとおぼえ候ふあひだ、をりふし御咳病にて御わづらひにわたらせたまひ候へども、申して候ふなり。
 またのぼりて候ひし人々、くにに論じまうすとて、あるいは弥勒とひとしと申し候ふ人々候ふよしを申し候ひしかば、しるし仰せられて候ふ文の候ふ。しるしてまゐらせ候ふなり。御覧あるべく候ふ。
また弥勒とひとしと候ふは、弥勒は等覚の分なり、これは因位の分なり、これは十四・十五の月の円満したまふが、すでに八日・九日の月のいまだ円満したまはぬほどを申し候ふなり。
これは自力修行のやうなり。われらは信心決定の凡夫、位〔は〕正定聚の位なり。これは因位なり、これ等覚の分なり。:かれは自力なり、これは他力なり。自他のかはりこそ候へども、因位の位はひとしといふなり。
また弥勒の妙覚のさとりはおそく、われらが滅度にいたることは疾く候はんずるなり。かれは五十六億七千万歳のあかつきを期し、これはちくまくをへだつるほどなり。かれは漸・頓のなかの頓、これは頓のなかの頓なり。
滅度といふは妙覚なり。曇鸞の『註』(論註・下)にいはく、「樹あり、好堅樹といふ。この木、地の底に百年わだかまりゐて、生ふるとき一日に百丈生ひ候ふ」(意)なるぞ。
この木、地の底に百年候ふは、われらが娑婆世界に候ひて、正定聚の位に住する分なり、一日に百丈生ひ候ふなるは、滅度にいたる分なり、これにたとへて候ふなり。
これは他力のやうなり。松の生長するは、としごとに寸をすぎず。これはおそし、自力修行のやうなり。
 また如来とひとしといふは、煩悩成就の凡夫、仏の心光に照らされまゐらせて信心歓喜す。信心歓喜するゆゑに正定聚の数に住す。信心といふは智なり。この智は、他力の光明に摂取せられまゐらせぬるゆゑにうるところの智なり。仏の光明も智なり。かるがゆゑに、おなじといふなり。おなじといふは、信心をひとしといふなり。歓喜地といふは、信心を歓喜するなり。わが信心を歓喜するゆゑにおなじといふなり。
くはしく御自筆にしるされて候ふを、書き写してまゐらせ候ふ。
 また南無阿弥陀仏と申し、また無碍光如来ととなへ候ふ御不審も、くはしく自筆に御消息のそばにあそばして候ふなり。かるがゆゑに、それよりの御文をまゐらせ候ふ。あるいは阿弥陀といひ、あるいは無碍光と申し、御名異なりといへども心は一つなり。阿弥陀といふは梵語なり、これには無量寿ともいふ、無碍光とも申し候ふ。梵・漢異なりといへども、心おなじく候ふなり。
 そもそも覚信坊のこと、ことにあはれにおぼえ、またたふとくもおぼえ候ふ。そのゆゑは、信心たがはずしてをはられて候ふ。また、たびたび信心存知のやう、いかやうにかとたびたび申し候ひしかば、当時まではたがふべくも候はず。
いよいよ信心のやうはつよく存ずるよし候ひき。のぼりのぼり候ひしに、くにをたちて、ひといちと申ししとき、病みいだして候ひしかども、同行たちは帰れなんど申し候ひしかども、「死するほどのことならば、帰るとも死し、とどまるとも死し候はんず。また病はやみ候はば、帰るともやみ、とどまるともやみ候はんず。おなじくは、みもとにてこそをはり候はば、をはり候はめと存じてまゐりて候ふなり」と、御ものがたり候ひしなり。
この御信心まことにめでたくおぼえ候ふ。善導和尚の釈(散善義)の二河の譬喩におもひあはせられて、よにめでたく存じ、うらやましく候ふなり。
をはりのとき、南無阿弥陀仏、南無無碍光如来、南無不可思議光如来ととなへられて、手をくみてしづかにをはられて候ひしなり。
またおくれさきだつためしは、あはれになげかしくおぼしめされ候ふとも、さきだちて滅度にいたり候ひぬれば、かならず最初引接のちかひをおこして、結縁・眷属・朋友をみちびくことにて候ふなれば、しかるべくおなじ法文の門に入りて候へば、蓮位もたのもしくおぼえ候ふ。また、親となり、子となるも、先世のちぎりと申し候へば、たのもしくおぼしめさるべく候ふなり。
このあはれさたふとさ、申しつくしがたく候へばとどめ候ひぬ。いかにしてか、みづからこのことを申し候ふべきや、くはしくはなほなほ申し候ふべく候ふ。この文のやうを御まへにてあしくもや候ふとて、よみあげて候へば、「これにすぐべくも候はず、めでたく候ふ」と仰せをかぶりて候ふなり。
ことに覚信坊のところに、御涙をながさせたまひて候ふなり。よにあはれにおもはせたまひて候ふなり。

      十月二十九日         蓮位

     慶信御坊へ


(14)

 自然法爾の事

 「自然」といふは、「自」はおのづからといふ、行者のはからひにあらず、「然」といふは、しからしむといふことばなり。しからしむといふは、行者のはからひにあらず、如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。「法爾」といふは、この如来の御ちかひなるがゆゑに、しからしむるを法爾といふなり。法爾はこの御ちかひなりけるゆゑに、およそ行者のはからひのなきをもつて、この法の徳のゆゑにしからしむといふなり。すべて、ひとのはじめてはからはざるなり。このゆゑに、義なきを義とすとしるべしとなり。

 「自然」といふは、もとよりしからしむるといふことばなり。弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏[1]とたのませたま ひて迎へんと、はからはせたまひたるによりて、行者のよからんとも、あしからんともおもはぬを、自然とは申すぞとききて候ふ。ちかひのやうは、無上仏にならしめんと誓ひたまへるなり。

 無上仏と申すは、かたちもなくまします。かたちもましまさぬゆゑに、自然とは申すなり。かたちましますとしめすときには、無上涅槃とは申さず。かたちもましまさぬやうをしらせんとて、はじめて弥陀仏と申すとぞ、ききならひて候ふ。弥陀仏は自然のやうをしらせんなり。この道理をこころえつるのちには、この自然のことはつねに沙汰すべきにはあらざるなり。つねに自然を沙汰せば、義なきを義とすといふことは、なほ義のあるになるべし。これは仏智の不思議にてあるなるべし。

   正嘉二年十二月十四日                     愚禿親鸞八十六歳


(15)  閏十月一日の御文、たしかにみ候ふ。かくねむばうの御こと、かたがたあはれに存じ候ふ。親鸞はさきだちまゐらせ候はんずらんと、まちまゐらせてこ そ候ひつるに、さきだたせたまひ候ふこと、申すばかりなく候ふ。かくしんばうふるとしごろは、かならずかならずさきだちてまたせたまひ候ふらん。かならずかならずまゐりあふべく候へば、申すにおよばす候ふ。かくねんばうの仰せられて候ふやう、すこしも愚老にかはらずおはしまし候へば、かならずかならず一つところへまゐりあふべく候ふ。明年の十月のころまでも生きて候はば、この世の面謁疑なく候ふべし。入道殿の御こころも、すこしもかはらせたまはず候へば、さきだちまゐらせても、まちまゐらせ候ふべし。

人々の御こころざし、たしかにたしかにたまはりて候ふ。なにごともなにごとも、いのち候ふらんほどは申すべく候ふ、また仰せをかぶるべく候ふ。この御文みまゐらせ候ふこそ、ことにあはれに候へ。なかなか申し候ふもおろかなるやうに候ふ。またまた、追つて申し候ふべく候ふ。

あなかしこ、あなかしこ。

   閏十月二十九日          親鸞(花押)

  高田の入道殿御返事


(16)

 なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふら んことこそ、あはれに候へ。ただし生死無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。まづ善信(親鸞)が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定のひとは、疑なければ正定聚に住することにて候ふなり。さればこそ愚痴無智の人も、をはりもめでたく候へ。如来の御はからひにて往生するよし、ひとびとに申され候ひける、すこしもたがはず候ふなり。としごろおのおのに申し候ひしこと、たがはずこそ候へ、かまへて学生沙汰せさせたまひ候はで、往生をとげさせたまひ候ふべし。

 故法然聖人は、「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と候ひしことを、たしかにうけたまはり候ひしうへに、ものもおぼえぬあさましきひとびとのまゐりたるを御覧じては、「往生必定すべし」とて、笑ませたまひしをみまゐらせ候ひき。文沙汰して、さかさかしきひとのまゐりたるをば、「往生はいかがあらんずらん」と、たしかにうけたまはりき。いまにいたるまでおもひあはせられ候ふなり。ひとびとにすかされさせたまはで、御信心たぢろかせたまはずして、おのおの御往生候ふべきなり。ただし、ひとにすかされさせたまひ候はずとも、信心の定まらぬ人は正定聚に住したま はずして、うかれたまひたる人なり。

 乗信房にかやうに申し候ふやうを、ひとびとにも申され候ふべし。あなかしこ、あなかしこ。

  文応元年十一月十三日        善信[八十八歳]

  乗信御房


(17)

 さては、念仏のあひだのことによりて、ところせきやうにうけたまはり候ふ。かへすがへすこころぐるしく候ふ。詮ずるところ、そのところの縁ぞ尽きさせたまひ候ふらん。念仏をさへらるなんど申さんことに、ともかくもなげきおぼしめすべからず候ふ。念仏とどめんひとこそ、いかにもなり候はめ、申したまふひとは、なにかくるしく候ふべき。余のひとびとを縁として、念仏をひろめんと、はからひあはせたまふこと、ゆめゆめあるべからず候ふ。そのところに念仏のひろまり候はんことも、仏天の御はからひにて候ふべし。

 慈信坊がやうやうに申し候ふなるによりて、ひとびとも御こころどものやうやうにならせたまひ候ふよし、うけたまはり候ふ。かへすがへす不便のことに候ふ。ともかくも仏天の御はからひにまかせまゐらせさせたまふべし。

 そのところの縁尽きておはしまし候はば、いづれのところにてもうつらせたまひ候うておはしますやうに御はからひ候ふべし。慈信坊が申し候ふことをたのみおぼしめして、これよりは余の人を強縁として念仏ひろめよと申すこと、ゆめゆめ申したること候はず。きはまれるひがことにて候ふ。この世のならひにて念仏 をさまたげんことは、かねて仏の説きおかせたまひて候へば、おどろきおぼしめすべからず。やうやうに慈信坊が申すことを、これより申し候ふと御こころえ候ふ、ゆめゆめあるべからず候ふ。法門のやうも、あらぬさまに申しなして候ふなり。御耳にききいれらるべからず候ふ。きはまれるひがことどものきこ え候ふ。あさましく候ふ。

 入信坊なんども不便におぼえ候ふ。鎌倉に長居して候ふらん、不便に候ふ。当時、それもわづらふべくてぞ、さても候ふらん、ちからおよばず候ふ。 奥郡のひとびとの、慈信坊にすかされて、信心みなうかれあうておはしまし候ふなること、かへすがへすあはれにかなしうおぼえ候ふ。これもひとびとをすかしまうしたるやうにきこえ候ふこと、かへすがへすあさましくおぼえ候 ふ。それも日ごろひとびとの信の定まらず候ひけることのあらはれてきこえ候ふ。かへすがへす不便に候ひけり。

 慈信坊が申すことによりて、ひとびとの日ごろの信のたぢろきあうておはしまし候ふも、詮ずるところは、ひとびとの信心のまことならぬことのあらはれて候ふ。よきことにて候ふ。それをひとびとは、これより申したるやうにおぼしめしあうて候ふこそ、あさましく候へ。

 日ごろやうやうの御ふみどもを、かきもちておはしましあうて候ふ甲斐もなくおぼえ候ふ。『唯信鈔』、やうやうの御ふみどもは、いまは詮なくなりて候ふとおぼえ候ふ。よくよくかきもたせたまひて候ふ法門は、みな詮なくなりて候ふなり。慈信坊にみなしたがひて、めでたき御ふみどもはすてさせたまひあう て候ふときこえ候ふこそ、詮なくあはれにおぼえ候へ。よくよく『唯信鈔』・『後世物語』なんどを御覧あるべく候ふ。年ごろ信ありと仰せられあうて候ひけるひとびとは、みなそらごとにて候ひけりときこえ候ふ。あさましく候ふ、あさましく候ふ。なにごともなにごとも、またまた申し候ふべし。

  正月九日       親鸞

  真浄御坊




親鸞聖人御消息_(下)

  1. 顕智本には南無阿弥陀となって仏が無い(校異294)。このことから宗祖は南無阿弥陀(なんまんだ)と称えておられたという説がある。