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「可聞可称」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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2020年1月11日 (土) 06:40時点における版

かもん-かしょう

 聞くことができて称えることができるという意。

御開山は、『大経』往覲偈の文(大経 P.46)を『尊号真像銘文』で、

其仏本願力(ごぶつ-ほんがんりき) 聞名欲往生(もんみょう-よくおうじょう) 皆悉到彼国(かいしつ-とうひこく) 自致不退転(じち-ふたいてん)
「其仏本願力」といふは、弥陀の本願力と申すなり。「聞名欲往生」といふは、「聞」といふは如来のちかひの御なを信ずと申すなり、「欲往生」といふは安楽浄刹に生れんとおもへとなり。(尊号 P.645)

とされておられた。また「行巻」(行巻 P.142)、「信巻」(信巻 P.250) でも引文されておられる。

其仏本願力…

法然聖人は、なんまんだぶと、称えて聞える可聞可称の「声につきて往生の思いをなすべし」といわれていた。御開山が六字釈で「ここをもつて帰命本願招喚の勅命なり」(行巻 P.170)とされた所以である。

ただ心の善悪をもかへりみず、罪の軽重をもわきまへず、心に往生せんとおもひて、口に南無阿弥陀仏ととなへば、こゑについて决定往生のおもひをなすべし。その决定によりて、すなはち往生の業はさだまる也。 かく心えつればやすき也。往生は不定におもへばやがて不定なり、一定とおもへばやがて一定する事なり。 →(『和語灯録』-「往生大要鈔」)

「隠/顕」