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「其仏本願力…」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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 「その仏の本願力、名(みな)を聞きて往生せんと欲へば、みなことごとくかの国に到りて、おのづから不退転に致る」(行巻訓) ([[尊号真像銘文#P--645|尊号 P.645]])
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 「その仏の本願力、<kana>名(みな)</kana>を聞きて往生せんと<kana>欲(おも)</kana>へば、みなことごとくかの国に到りて、おのづから不退転に致る」(行巻訓) ([[尊号真像銘文#P--645|尊号 P.645]])
  
 
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いわゆる「'''聞名往生'''」を示す文であり、御開山は「行巻」の第十七願成就の、
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この「其仏本願力 聞名欲往生」の語について、法然聖人の『三部経大意』に面白い逸話(エピソード)があるので以下に示しておく。
 
この「其仏本願力 聞名欲往生」の語について、法然聖人の『三部経大意』に面白い逸話(エピソード)があるので以下に示しておく。
 
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:「其仏本願力、聞名欲往生、皆悉到彼国、自致不退転」{巻下} といふ文あり。<br />
 
:「其仏本願力、聞名欲往生、皆悉到彼国、自致不退転」{巻下} といふ文あり。<br />
 
:漢朝に玄通律師というものあり、小乗戒をたもつものなり。 遠行して野に宿したりけるに隣坊に人ありて此文を誦しき。玄通これをきゝて、一両遍誦してのちに、おもいいづることもなくしてわすれにき。 そのゝち玄通律師戒をやぶりて、そのつみによりて閻魔の庁にいたる。そのときに閻魔法王ののたまわく、なむぢ仏法流布のところにむまれたりき。所学の法あらば、すみやかにとくべしと高座においのぼせられしきときに、玄通高座にのぼりておもひまわすに、すべてこころにおぼゆることなし。 むかし野宿にてきゝし文ありき。これを誦してむとおもひいでて、「其仏本願力」と云ふ文を誦したりしかば、閻魔王たまのかぶりをかたぶけて、こはこれ西方極楽の弥陀如来の功徳をとく文なりといひて礼拝したまふと云々。願力不思議なること、この文にみえたり。<br />
 
:漢朝に玄通律師というものあり、小乗戒をたもつものなり。 遠行して野に宿したりけるに隣坊に人ありて此文を誦しき。玄通これをきゝて、一両遍誦してのちに、おもいいづることもなくしてわすれにき。 そのゝち玄通律師戒をやぶりて、そのつみによりて閻魔の庁にいたる。そのときに閻魔法王ののたまわく、なむぢ仏法流布のところにむまれたりき。所学の法あらば、すみやかにとくべしと高座においのぼせられしきときに、玄通高座にのぼりておもひまわすに、すべてこころにおぼゆることなし。 むかし野宿にてきゝし文ありき。これを誦してむとおもひいでて、「其仏本願力」と云ふ文を誦したりしかば、閻魔王たまのかぶりをかたぶけて、こはこれ西方極楽の弥陀如来の功徳をとく文なりといひて礼拝したまふと云々。願力不思議なること、この文にみえたり。<br />
:「仏語弥勒、其有得聞、彼仏名号、歓喜踊躍、乃至一念、'''当知、此人為得大利、則是具足無上功徳'''」<ref>仏、弥勒に語りたまはく、「それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなりと。」 ([[大経下#no47|大経 P.81]]) </ref>{巻下}といへり。弥勒菩薩にこの経を付属したまふには、乃至一念するをもちて大利无上の功徳とのたまへり。経の大意、この文にあきらかなるものか。  
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:「仏語弥勒、其有得聞、彼仏名号、歓喜踊躍、乃至一念、'''当知、此人為得大利、則是具足無上功徳'''」<ref>仏、弥勒に語りたまはく、「それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなりと。」 ([[大経下#no47|大経 P.81]]) </ref>{巻下}といへり。弥勒菩薩にこの経を付属したまふには、乃至一念するをもちて大利无上の功徳とのたまへり。経の大意、この文にあきらかなるものか。 [[三部経大意#mark-gentuu]]
という意から、古来から「破地獄の文」として短冊に記して浄土門の門徒の納棺に際して棺桶に納めたものであった。もちろん浄土真宗の宗義では現生に往生成仏の現証を得ているのであるが、ご法義を楽しみ遊戯する意で、「破地獄の文」の意を御恩報謝の意で捉えていたのであろう。死者に対する[[exc:倶会一処|倶会一処]]の世界を持つのもだけに開示される同悲の意であった。ありがたいことである。
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という意から、古来から「破地獄の文」として短冊に記して浄土門の門徒の納棺に際して棺桶に納めたものであった。もちろん浄土真宗の宗義では現生に往生成仏の[[現益]]を得ているのであるが、ご法義を楽しみ遊戯する意で、「破地獄の文」の意を御恩報謝の意で捉えていたのであろう。死者に対する「[[倶会一処]]」の世界を持つものだけに開示される同悲の意であった。ありがたいことである。
  
 
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2024年2月19日 (月) 08:45時点における最新版

ごぶつほんがんりき…

 「その仏の本願力、(みな)を聞きて往生せんと(おも)へば、みなことごとくかの国に到りて、おのづから不退転に致る」(行巻訓) (尊号 P.645)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

『大経』「往覲偈」には、

其仏本願力(ごぶつ-ほんがんりき) 聞名欲往生(もんみょう-よくおうじょう)
その仏の本願力、名を聞きて往生せんと欲(おも)へば、
皆悉到彼国(かいしつ-とうひこく) 自致不退転(じち-ふたいてん)
みなことごとくかの国に到りて、おのづから不退転に致る。(大経 P.46)

と、阿弥陀仏の(みな)を聞いて往生し不退転に住する文がある。
いわゆる「聞名往生」を示す文であり、御開山は「行巻」の第十七願成就の、

十方恒沙の諸仏如来、みなともに無量寿仏の威神功徳不可思議なるを讃嘆したまふ (行巻 P.142)

の文を助顕する文で、

其仏本願力 聞名欲往生
その仏の本願力、名を聞きて往生せんと欲へば、
皆悉到彼国 自致不退転
みなことごとくかの国に到りて、おのづから不退転に致る。(行巻 P.142)

と引文され「信巻」では第十八願成就文の、

あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向せしめたまへり。 かの国に生ぜんと願ぜば、すなはち往生を得、不退転に住せん。(信巻 P.250)

の聞名の意を示して、

又言 其仏本願力 聞名欲往生
また、その仏の本願の力、名を聞きて往生せんと欲はん、とのたまへり。(信巻 P.250)

と引文されておられた。いわゆる可聞可称のなんまんだぶを示すために行信両巻に示されたのであった。また『尊号真像銘文』では、

 「其仏本願力」といふは、弥陀の本願力と申すなり。「聞名欲往生」といふは、「」といふは如来のちかひの御なを信ずと申すなり、「欲往生」といふは安楽浄刹に生れんとおもへとなり。「皆悉到彼国」といふは、御ちかひのみなを信じて生れんとおもふ人は、みなもれずかの浄土に到ると申す御ことなり。
自致不退転」といふは、「自」はおのづからといふ、おのづからといふは衆生のはからひにあらず、しからしめて不退の位にいたらしむとなり、自然といふことばなり。「致」といふはいたるといふ、むねとすといふ、如来の本願のみなを信ずる人は、自然不退の位にいたらしむるをむねとすべしとおもへとなり。「不退」といふは仏にかならず成るべき身と定まる位なり。これすなはち正定聚の位にいたるをむねとすべしと説きたまへる御のりなり。 (尊号 P.645)

と解釈されておられた。この文はよほど御開山には関心があった語であったのであろう。御開山は「聞」の人であったからである。


この「其仏本願力 聞名欲往生」の語について、法然聖人の『三部経大意』に面白い逸話(エピソード)があるので以下に示しておく。


「其仏本願力、聞名欲往生、皆悉到彼国、自致不退転」{巻下} といふ文あり。
漢朝に玄通律師というものあり、小乗戒をたもつものなり。 遠行して野に宿したりけるに隣坊に人ありて此文を誦しき。玄通これをきゝて、一両遍誦してのちに、おもいいづることもなくしてわすれにき。 そのゝち玄通律師戒をやぶりて、そのつみによりて閻魔の庁にいたる。そのときに閻魔法王ののたまわく、なむぢ仏法流布のところにむまれたりき。所学の法あらば、すみやかにとくべしと高座においのぼせられしきときに、玄通高座にのぼりておもひまわすに、すべてこころにおぼゆることなし。 むかし野宿にてきゝし文ありき。これを誦してむとおもひいでて、「其仏本願力」と云ふ文を誦したりしかば、閻魔王たまのかぶりをかたぶけて、こはこれ西方極楽の弥陀如来の功徳をとく文なりといひて礼拝したまふと云々。願力不思議なること、この文にみえたり。
「仏語弥勒、其有得聞、彼仏名号、歓喜踊躍、乃至一念、当知、此人為得大利、則是具足無上功徳[1]{巻下}といへり。弥勒菩薩にこの経を付属したまふには、乃至一念するをもちて大利无上の功徳とのたまへり。経の大意、この文にあきらかなるものか。 三部経大意#mark-gentuu

という意から、古来から「破地獄の文」として短冊に記して浄土門の門徒の納棺に際して棺桶に納めたものであった。もちろん浄土真宗の宗義では現生に往生成仏の現益を得ているのであるが、ご法義を楽しみ遊戯する意で、「破地獄の文」の意を御恩報謝の意で捉えていたのであろう。死者に対する「倶会一処」の世界を持つものだけに開示される同悲の意であった。ありがたいことである。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ


  1. 仏、弥勒に語りたまはく、「それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなりと。」 (大経 P.81)