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菩薩

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2024年7月2日 (火) 11:37時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

ぼさつ

 梵語ボーディサットヴァ(bodhisattva)の音写。菩提薩埵(ぼだいさった)ともいい、覚有情(かくうじょう)道衆生(どうしゅじょう)道心衆生(どうしんしゅじょう)などと漢訳する。 さとりを求める者。

大乗仏教では自ら菩提を求め(上求菩提(じょうぐぼだい))、一切衆生(しゅじょう)利益(りやく)しよう(下化衆生(げけしゅじょう))とする者のことをいい、利他的意義を強調するようになった。菩薩が仏果(仏のさとり)に至るまでの階梯については、一般に『瓔珞経(ようらくきょう)』の五十二位説が用いられる。

十信(じっしん)十住(じゅうじゅう)十行(じゅうぎょう)十回向(じゅうえこう)十地(じゅうじ)等覚(とうがく)妙覚(みょうがく)の五十二段階である。

十信位を外凡(げぼん)、十住・十行・十回向を内凡(ないぼん)三賢(さんげん)、十地を十聖(じっしょう)といい、また十住を習種性(しゅうしゅしょう)、十行を性種性(しょうしゅしょう)、十回向を道種性(どうしゅしょう)、十地を聖種性(しょうしゅしょう)、等覚を等覚性、妙覚を妙覚性の六種性とする。→補註16

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

ぼさつ 菩薩 

 梵語ボーディサットヴァ (bodhi sattva) の音訳である菩提薩埵の略。覚有情・道衆生・道心衆生などと意訳する。初期には「さとりに定まった有情」の意で成仏以前の釈尊を指す言葉であったが、大乗仏教では出家在家、男女を問わず「さとりをもとめて修行する者」の意として用いられた。そして、自らさとりを求める(上求菩提)とともに一切衆生をも利益しようとする(下化衆生)利他的意義が強調されるようになり、衆生教化しつつある普賢観音文殊などの大菩薩の存在も説かれるようになる。このような大乗の菩薩は、願と行とをそなえ、自らさとりを完成する(自利)と同時に深い慈悲に根ざして一切衆生を救済しよう(利他)とする存在であるが、その願はそれぞれの菩薩によって異なる。それを象徴的に示したのが、普賢の行、観音の慈悲、文殊の智慧などである。さらに、菩薩は仏道を歩む修行者(従因向果の菩薩)という向上的な意味とともに、すでに仏となったものが衆生救済のために菩薩のすがたをとる(従果向因の菩薩)という向下的な意味をあわせもつようになる。『大経』に説かれる法蔵菩薩についても、その発願・修行の結果、阿弥陀仏となったと説かれているが、久遠実成の阿弥陀仏が、衆生救済のために因位の菩薩のすがたを示したものとする見方もある。なお、菩薩が仏果に至るまでの階梯については、一般に『瓔珞経』に説かれる十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚の五十二位説が用いられる。このうち、十信を外凡、十住・十行・十回向を内凡あるいは三賢、十地を十聖といい、また十住を習種性、十行を性種性、十回向を道種性、十地を聖種性、等覚を等覚性、妙覚を妙覚性の六種性とする。このほか、『梵網経』における十発趣・十長養・十金剛・十地の四十位説、『華厳経』における十住・十行・十回向・十地・仏地の四十一位説などがある。(浄土真宗辞典)

上求菩提・下化衆生
願作仏心
度衆生心
六種性
補註16
七祖-補註11

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