回して
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
回向発願心の白道釈に、
- 言人行道上直向西者 即喩廻諸行業 直向西方也。
- 「人、道の上を行きてただちに西に向かふ」といふは、すなはちもろもろの行業を回してただちに西方に向かふに喩ふ。(信巻P.226)
の「もろもろの行業を回して」の<回>が第二版では、回転、回捨の意で、自力をひるがえす、となっている。これはこれでよいのだが、釈尊の発遣と弥陀の招喚以前に捨自帰他(自力を捨てて他力に帰す)があるように誤解されやすい。譬喩であるから厳密に解釈することは返って譬喩の意図を誤解することにもなるのだが、文字に拘泥して本質を窺がえない者もいるのであろう。
なお『観経疏』での「回して」の用例では全て回向の意味であり[1]、三心釈の結文に、
とあることから、白道釈の、「もろもろの行業を回してただちに西方に向かふに喩ふ」(信巻P.226) の「回して」は善導大師の当面の意では定善、散善の、もろもろの行業を回向しての意味であろう。このように、『観経』の三心は、念仏のみならず定善、散善の回向とも組み合うので、法然聖人は『選択本願念仏集』「三心章」で、
- この三心は総じてこれをいへば、もろもろの行法に通ず。別してこれをいへば、往生の行にあり。いま通を挙げて別を摂す。意すなはちあまねし。(選択集 P.1249)
といわれていた。「通を挙げて別を摂す」とは定善・散善の願生心に通ずる三心を挙げて、しかも別して弘願の安心に収めるという意味で、仏願に順ずれば念仏の三心にあることをあらわそうとされた。
このように三心釈に二義をみられたのは、玄義分で、
- しかも娑婆の化主(釈尊)はその請によるがゆゑにすなはち広く浄土の「要門」を開き、安楽の能人(阿弥陀仏)は別意の「弘願」を顕彰したまふ。
- その要門とはすなはちこの『観経』の定散二門これなり。 「定」はすなはち慮りを息(や)めてもつて心を凝らす。「散」はすなはち悪を廃してもつて善を修す。この二行を回して往生を求願す。
- 弘願といふは『大経』に説きたまふがごとし。「一切善悪の凡夫生ずることを得るものは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁となさざるはなし」と。{中略}
- 仰ぎておもんみれば、釈迦はこの方より発遣し、弥陀はすなはちかの国より来迎したまふ。 かしこに喚ばひここに遣はす、あに去かざるべけんや。 (玄義分 P.300)
と『観経』には釈尊の説かれた「要門」と阿弥陀仏の「弘願」の二門があらわしてあるという指示からであった。
御開山は、欲生釈で、
と「招喚」とされておられるのは、「招喚」の語は白道釈からであろうが義は弘願の「一切善悪の凡夫生ずることを得るものは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁となさざるはなし」という『大経』の弘願にあるのであろう。
その意を、欲生釈で、
- ここをもつて本願の欲生心成就の文、『経』にのたまはく、「至心回向したまへり。かの国に生ぜんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住すと。ただ五逆と誹謗正法とをば除く」と。(信巻 P.241)
と、本願成就文の願力回向を引いて『観経』の回向発願の意を『大経』の阿弥陀仏の本願力回向に転換されたのであった。
それを『唯信鈔文意』では、
とされて、『観経』の三心は定散二機の心である方便の三心とされたのであった。『観経』の三心と『弘願』の三心の廃立である。
そして、白道釈を自釈し、
と、道と路に分判され、『愚禿鈔』下の回向発願心釈では、「回向発願心というは、二種あり」(愚禿下 P.531)と、自力と組み合った回向発願心と、本願の招喚に信順する如来から回向される回向発願心を区別されておられる。そして、第一釈の自力の回向発願心は「化巻」(化巻 P.387)で、第二釈の他力の回向発願心は「信巻」(信巻 P.221) で分引されておられた。同じく『愚禿鈔』下での「白道四五寸」でも、
と、「白とは、すなはちこれ六度万行、定散なり。これすなはち自力小善の路なり」の白路は自力少善の白路と示されておられる。
このように『観経』の回向発願心釈に二義を見られるのは、法然聖人の『三心料簡および御法語』に示された「白道事」(*) の解釈を忠実に受け継がれているということであろう。もちろん、御開山は『大経』の本願力回向の宗義に立たれたから「すなはちもろもろの行業を回して」の文は、註釈版の脚注にあるように「回転、回捨の意で、自力をひるがえす」の意で読まれたのであった。この意味で白道釈には欲生我国(我が国に生まれんと欲(おも)へ)という本願招喚の勅命に信順することであった。