まっぽう
正・像・末の三時の一。像法のあと、一万年つづくという。教(仏の教法)のみあって行(実践)と証のない仏教衰微の時代。なお末法を過ぎて教法もなくなる時代を法滅という。道綽禅師は、今時末法という自覚に立って、末法に生きる凡夫の救いを説くのが他力浄土の教であると規定された。以来浄土の教法は、末法には滅亡していく自力聖道の教に対して末法相応の教として確立されていった。→三時、正法、像法。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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『大経』には、
- 当来の世に経道滅尽せんに、われ慈悲をもつて哀愍して、特にこの経を留めて止住すること百歳せん。(大経 P.82)
とあり、法然聖人は「特留章」で、この経を留めるとは仏法が滅する法滅の後にも念仏を留めることであるとされた。(選択集 P.1224)
『西方指南抄』「法然聖人御説法事」
- 釈尊の遺法に三時の差別あり、正法・像法・末法也。その正法一千年のあひだ、教行証の三ともに具足せり、教のごとく行ずるにしたがふて証えたり。像法一千年のあひだは、教行はあれども証なし。教にしたがふて行ずといゑども、悉地をうることなし。末法万年のあひだは、教のみあて行証なし。(西方指南抄#P--916)
末法の年限については諸説あるが、正法五百年(あるいは千年)、像法千年、末法一万年説が一般的である。
- →三時
- →正像末
- →元仁元年
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