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易行道

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

いぎょうどうから転送)

いぎょうどう

 阿弥陀仏の本願力によって浄土往生してさとりをひらく他力の道。→難行道(なんぎょうどう)。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

龍樹菩薩は『十住毘婆沙論』で、

 仏法に無量の門あり。世間の道に難あり易あり。陸道の歩行はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便易行をもつて疾(と)く阿惟越致に至るものあり。(十住毘婆沙論 P.5)(行巻 P.151)

と、信方便易行の仏道があることを示されていた。
これを自らの足でさとりを目指す陸道の歩行の「難行道」と船に乗ってさとりを目指す水道の乗船の「易行道」といふ。
御開山は{乃至}して、

〈もし人疾く不退転地に至らんと欲はば、恭敬の心をもつて執持して名号を称すべし〉。もし菩薩、この身において阿惟越致地に至ることを得、阿耨多羅三藐三菩提を成らんと欲(おも)はば、まさにこの十方諸仏を念ずべし。名号を称すること『宝月童子所問経』の「阿惟越致品」のなかに説くがごとしと。

と、名号を称することを不退転に至ると信じる信方便易行の仏道だとされた。

◆ 参照読み込み (transclusion) トーク:難行道

十住毘婆沙論』の「易行品」の最初に、

至阿惟越致地者 行難行 乃可得 或声聞辟支仏地 若爾者是大衰患

阿惟越致地に至るには、もろもろの難行を行じ、久しくしてすなはち得べし。 あるいは声聞辟支仏地に堕す。もししからばこれ大衰患なり。(十住毘婆沙論 P.3)

とある。これを(しょ)()()の難といふ。
難行による漸々精進の菩薩の菩薩行は成じ難く、その完成には遠大な久しい時間を要し、その精進に耐えられずして二乗に堕することになる。これは、まさしく菩薩の死であって大衰患である。これを難行道に諸久堕の難ありいわれる。
そして、次下の偈に、

もし声聞地、および辟支仏地に堕するは、
これを菩薩の死と名づく。すなはち一切の利を失す。
もし地獄に堕するも、かくのごとき(おそ)れを生ぜず。
もし二乗地に堕すれば、すなはち大怖畏となす。
地獄のなかに堕するも、仏に至ることを得。
もし二乗地に堕すれば、畢竟じて仏道を遮す。(十住毘婆沙論 P.3)

と、「諸久堕の難」によって二乗に堕したものは、決して二度と大乗に帰入しないので「菩薩の死」といふのであった。
このように、二乗地に堕する可能性をもった阿惟越致地を目指す菩薩道は、まさしく難行道である。 →乞眼の因縁
そこで、二乗へ堕する可能性のない道であるとして信方便易行易行道が説かれたのであろう。
曇鸞大師は、この易行道を、

「易行道」とは、いはく、ただ信仏の因縁をもつて浄土に生ぜんと願ずれば、仏願力に乗じて、すなはちかの清浄の土に往生を得、仏力住持して、すなはち大乗正定の聚に入る。正定はすなはちこれ阿毘跋致なり。たとへば水路に船に乗ずればすなはち楽しきがごとし。この『無量寿経優婆提舎』(浄土論)は、けだし上衍の極致、不退の風航なるものなり。(浄土論註P.47)、(行巻 P.155)

と、阿弥陀仏の浄土教に、はじめて「易行道」を仏願力に乗ずる「他力」という名目を導入されたのは曇鸞大師であった。

菩薩の修める「六波羅蜜」の最初は布施である。
乞眼の因縁」には、舎利弗はその前生において六十劫の間、菩薩行を修めたが、ある乞人から眼を乞われて、みずからの一眼をえぐり取り与えたところ、乞人がこれを地に捨てたので、世の人を導くことを断念し、大乗菩薩道から退転したという。 →トーク:乞眼の因縁

難行道
難易二道