難易二道
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
なんい-にどう
なんい-にどう 難易二道
難行道と易行道のこと。浄土教における教判の一。龍樹は「易行品」において不退の位に到る方法について、難行と易行の二種の道があることを示した。「易行品」には
- 仏法に無量の門あり。世間の道に難あり易あり。陸道の歩行はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便易行をもつて疾く阿惟越致に至るものあり。(行巻引文 P.151)
とある。 難行とは勤行精進のことで、さまざまな修行を長い間重ねて不退に至ることをいう。易行とは信方便易行のことで、阿弥陀仏をはじめとする諸仏の名を称えることによって不退に至ることをいうが、「易行品」には阿弥陀仏について、特にその本願や利益が詳説されていることから、龍樹の本意は阿弥陀仏の易行を説くことにあったといえる。これをうけて曇鸞は『論註』に、難行道の難たる理由について「ただこれ自力にして他力の持つなし」(行巻引文 P.155) と述べ、他力によらないからであるといい、易行道については
- 「ただ信仏の因縁をもつて浄土に生ぜんと願ず。仏願力に乗じてすなはちかの清浄の土に往生を得しむ。仏力住持してすなはち大乗正定の聚に入る」(行巻引文 P.155)
と述べ、信仏の因縁によって浄土に往生することとしている。これを考えあわせると、難行道は自力の法門、易行道は他力の法門(乗仏願力・仏力住持)ということになり、曇鸞が難行道・易行道の内実を自力・他力という言葉であらわそうとしたことが知られる。
また道綽は、難行道・易行道を聖道・浄土の名目(聖浄二門)で示している。
龍樹の難易二道説は、教相それ自体をただちに判釈したものではないが、浄土教理解の基本的な枠組みを示すものとして重要な意義を有している。(浄土真宗辞典)
◆ 参照読み込み (transclusion) トーク:難行道
『十住毘婆沙論』の「易行品」の最初に、
至阿惟越致地者 行諸難行 久乃可得 或堕声聞辟支仏地 若爾者是大衰患
- 阿惟越致地に至るには、もろもろの難行を行じ、久しくしてすなはち得べし。 あるいは声聞・辟支仏地に堕す。もししからばこれ大衰患なり。(十住毘婆沙論 P.3)
とある。これを
難行による漸々精進の菩薩の菩薩行は成じ難く、その完成には遠大な久しい時間を要し、その精進に耐えられずして二乗に堕することになる。これは、まさしく菩薩の死であって大衰患である。これを難行道に諸久堕の難ありいわれる。
そして、次下の偈に、
- もし声聞地、および辟支仏地に堕するは、
- これを菩薩の死と名づく。すなはち一切の利を失す。
- もし地獄に堕するも、かくのごとき
畏 れを生ぜず。 - もし二乗地に堕すれば、すなはち大怖畏となす。
- 地獄のなかに堕するも、仏に至ることを得。
- もし二乗地に堕すれば、畢竟じて仏道を遮す。(十住毘婆沙論 P.3)
と、「諸久堕の難」によって二乗に堕したものは、決して二度と大乗に帰入しないので「菩薩の死」といふのであった。
このように、二乗地に堕する可能性をもった阿惟越致地を目指す菩薩道は、まさしく難行道である。 →乞眼の因縁
そこで、二乗へ堕する可能性のない道であるとして信方便易行の易行道が説かれたのであろう。
曇鸞大師は、この易行道を、
と、阿弥陀仏の浄土教に、はじめて「易行道」を仏願力に乗ずる「他力」という名目を導入されたのは曇鸞大師であった。
菩薩の修める「六波羅蜜」の最初は布施である。
「乞眼の因縁」には、舎利弗はその前生において六十劫の間、菩薩行を修めたが、ある乞人から眼を乞われて、みずからの一眼をえぐり取り与えたところ、乞人がこれを地に捨てたので、世の人を導くことを断念し、大乗菩薩道から退転したという。 →トーク:乞眼の因縁