仏説観無量寿経
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
ぶっせつかんむりょうじゅきょう
『無量寿仏観経』ともいい、略して『観経』とも称される。この経は釈尊在世当時、王舎城におこった事件を契機として説かれたもので、その事情は序分に示されている。悪友の提婆達多にそそのかされた阿闍世が、父頻婆娑羅を幽閉し、その王のために食物を運んだ王妃の韋提希夫人をも宮殿の奥に閉じこめた。 夫人は遙かに耆闍崛山におられる釈尊を心に念じ、仏弟子を遣わして説法してくださるよう求め、これに応じて釈尊みずから王宮の夫人の前に現れたもうた。そこで夫人は、この濁悪の世を厭い、苦悩なき世界を求め、特に阿弥陀仏の極楽浄土を選んで、そこに往生するための観法を説かれるように請うた。
こうして、正宗分にはまず定善観法十三観を説かれる。定善観法というのは精神を統一して浄土と仏・聖衆を観想することである。これらのうち第七の華座観(阿弥陀仏の蓮華台の座を観ずること)を説かれる前に、「苦悩を除く法を説こう」という釈尊の声に応じて阿弥陀仏が空中に住立される。この定善観の中心は第九の真身観(阿弥陀仏の相好を観ずること)である。
さらに、釈尊はみずから精神を統一しない散心のままで修する善である散善三福を、九品に分けて説かれる。三福とは世・戒・行の三であり、上品には行福(大乗の善)、中品の上生と中生には戒福(小乗の善)、中品下生には世福(世間の善)を説き、下品には三福を修し得ない悪人のために念仏の法を説かれるのである。
ところが、流通分にいたって、念仏一行を阿難に付属されたので、釈尊の本意は上来説かれてきた定散二善の法を廃して、他力念仏の一行を勧められているとして、親鸞聖人はこの経には隠顕があるとみられた。