「一念往生」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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2024年8月10日 (土) 13:21時点における最新版
いちねんおうじょう
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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- 信の一念
- あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん。至心に回向したまへり。(大経 P.41)
- 行の一念
- それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。(大経 P.81)
いちねんおうじょう 一念往生
Ⅰ 信の一念に浄土往生が決定すること。『龍舒浄土文』には 「一念往生、 便ち弥勒に同じ」 (信巻引文 263) とある。→信の一念、→一念業成、→便同弥勒。
Ⅱ 一声の称名念仏に往生決定の業因が円満していること。
Ⅲ 一念義の教説のこと。浄土往生は信心ひとつで決定する、または一声の称名で決定するとして、その後の称名を軽視する教えをいう。『一多文意』には 「浄土真宗のならひには、念仏往生と申すなり、まつたく一念往生・多念往生と申すことなし」 (一多 P.694) とある。 →一念多念 (浄土真宗辞典)