「三願転入」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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と述べ、ここでは特に[[第二十願]]を「[[果遂の誓]]」と呼んで、[[真実]]へと導かんとする阿弥陀仏の[[方便]]のはたらきを[[讃嘆]]している。これによって方便の教えを捨てて、弘願真実の教えに帰入すべきことが明らかにされる。(浄土真宗辞典) | と述べ、ここでは特に[[第二十願]]を「[[果遂の誓]]」と呼んで、[[真実]]へと導かんとする阿弥陀仏の[[方便]]のはたらきを[[讃嘆]]している。これによって方便の教えを捨てて、弘願真実の教えに帰入すべきことが明らかにされる。(浄土真宗辞典) | ||
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2020年10月18日 (日) 15:56時点における版
さんがんてんにゅう 三願転入
三願とは阿弥陀仏の四十八願の中、 第十九・二十・十八の三願のことで、第十九願 (自力諸行往生=要門)・第二十願 (自力念仏往生=真門) の方便の教えを経て、第十八願 (他力念仏往生=弘願) の真実の教えへと導かれていった親鸞の求道の課程のこと。親鸞は「化身土巻」に
- 「ここをもつて愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る。善本徳本の真門に回入して、ひとへに難思往生の心を発しき。しかるに、いまことに方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり。すみやかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲す。果遂の誓(第二十願)、まことに由あるかな。」
と述べ、ここでは特に第二十願を「果遂の誓」と呼んで、真実へと導かんとする阿弥陀仏の方便のはたらきを讃嘆している。これによって方便の教えを捨てて、弘願真実の教えに帰入すべきことが明らかにされる。(浄土真宗辞典)
- 是以 愚禿釈鸞 仰論主解義 依宗師勧化 久出万行諸善之仮門 永離双樹林下之往生。
- 回入善本徳本真門 偏発難思往生之心。
- 然今 特出方便真門 転入選択願海。速離難思往生心 欲遂難思議往生。果遂之誓良有由哉。