起行門
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きぎょう-もん (相続門 そうぞくもん)
「安心門」に対する語。起行とは、浄土真宗において安心(信心)に基づく実践行をいう。起行は善導大師の『往生礼讃』に、安心・起行・作業とある起行の意から宗教的実践を起行門という(往生礼讃 P.655)。
きぎょう 起行
実践すること。善導が示した
- 「また天親の『浄土論』にいふがごとし」(七註 655)
といい五念門を示すが、『浄土論』では礼拝・讃嘆・作願・
具体的には、
の五念門、または、
の五正行を指し、浄土真宗の宗教的実践をいう。特に往生を決定的にするはたらきの称名を正定業とする。しかし起行門は、安心の上での浄土真宗の儀礼として仏徳讃歎の行業を示す。
善導大師は、五正行の中の称名を正定業とし、称名を助ける前三後一の助業として浄土教の宗教儀礼を確立された。
法然聖人は『選択本願念仏集』で「廃立」「助正」「傍正」の三義を建て(廃助傍の三義)、選択念仏の安心門と起行門の区別を明確にされ、あくまで選択本願の廃立の立場に立たれながら、
- 念仏を助成せんがためにこの諸行を説くとは、これにまた二の意あり。一には同類の善根をもつて念仏を助成す。二には異類の善根をもつて念仏を助成す。 (選択本願念仏集 P.1218)
と、同類の善根(同類の助業)と異類の善根(異類の助業)の助成を示して下さった。 『和語灯録』では、
- 又いはく、現世をすぐへき様は、念仏の申されん様にすぐべし。念仏のさまたげになりぬべくは、なになりともよろづをいとひすてて、これをとどむべし。
- いはく、ひじりで申されずば、め(女)をまうけて申べし。妻をまうけて申されずば、ひじりにて申すべし。住所にて申されずば、流行して申すべし。流行して申されずば、家に居て申すべし。自力の衣食にて申されずば、他人にたすけられて申べし。他人にたすけられて申されずば、自力の衣食にて申べし。一人して申されずば、同朋とともに申べし。共行して申されずは、一人籠居て申すべし。衣食住の三は、念仏の助業也。これすなはち自身安穏にして念仏往生をとげんがためには、何事もみな念仏の助業也。 (和語灯録-諸人伝説の詞)
と異類(五正行以外の行業)の助業(衣食住等)も念仏を荘厳する助業とされたのであった。なお、「安心門」と「起行門」は、その論理構造のあらわし方が違うことに留意すること。特に三願転入などを論ずる輩は、安心門と起行門を混乱し、安心門で論ずべきことを起行門の上で語るから自力に堕するので注意が必要である。御開山の示された、誓願一仏乗の本願力回向のはたらきを信知するご法義である浄土真宗は真仮の 廃立を旨とする安心門の法義であるからである。
これを先人は「安心は廃立にあり、行化(起行)はさもあらばあれ」といわれたものである。