三願転入
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
三願転入 (梯實圓和上 真宗要論)
従来述べた六三法門は宗祖の宗教体験に裏付けられていた。即ち29才迄の20年間にわたる比叡山の修行は此の土で悟りを完成しようとする(此土入聖)聖道門の修行であった。しかし宗祖は何時の頃か常行三昧堂の堂僧として不断念仏の修行に励まれていたと云われているから、菩提心を起こし戒律を保ち念仏・誦経(小経・法華経・般若経等)・持呪等の修行の功徳によって浄土を願生する、第十九願的な浄土願生者であったと考えられる。
やがて29才にして法然聖人に出会い、専修念仏の法門を聞かれるが、『恵信尼文書』によれば「百日間降るにも照るにもいかなる大事にもまいりにありしに」と云われているから専修念仏に心が定まるのに約百日間の聞法の期間が有ったと見なければならない。
そしてやがて『教行信証』の後序に云われるように「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」に至ったのである。即ち建仁元年29才のある時点に於て一切の自力を捨てて第十八願の法門に転入されたのである。この法然聖人を尋ねてから本願に転入するまでの期間はおそらく第二十願的な自力念仏の位であったと考えられる。
このようにして聖道門から第十九願の要門へ、更に第二十願の真門へと進み、最後に第十八願(弘願)に転入された訳で、そのことを宗祖は自ら『化身土巻』に有名な三願転入の表白をして顕わされている。
- ここをもつて愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る。善本徳本の真門に回入して、ひとへに難思往生の心を発しき。しかるに、いまことに方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり。すみやかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲す。果遂の誓(第二十願)、まことに由あるかな。ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。いよいよこれを喜愛し、ことにこれを頂戴するなり。 (化巻 P.413)
と云われたものがそれである。ここに「万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る」と云われたのは要門を捨てたことを云われ。「善本徳本の真門に回入してひとへに難思往生の心を発しき」と云われたのは第二十願に入ったことを云われ。更に「しかるに今ことに方便の真門を出でて選択の願海に転入せり、速かに難思往生の心を離れて難思議往生を遂げむと欲す」と云われたものは真門を離れ第十八願に転入されたことを顕わす。
尚ここで注意しておかねばならないのは宗祖が三願転入された事実は29才の時点であったが、その事実を真仮三願の体系として顕わされたのは恐らく『教行信証』述作の頃をあまり遠く隔てないであろう。
三願転入云々ということで、古い記事をサルベージしてみた。
かえるを題材にして、本願の生因三願に対する衆生の姿勢を喩えた話である。
かえるの聴聞
最近は小生の住んでいる越前の田舎でも蛙が少なくなりました。結婚当初家内が蛙の鳴き声がうるさくて眠れないと言ったほど沢山蛙がいたのですが……。家の爺さんは昔自分が聞いた聴聞をよく小生にしてくれるのですが以下の三願 転入のおたとえは蛙の話です。
- 手をついて、あたまの下がらん、かえるかな (第一九願)
- 水にいて、雨を求める、かえるかな (第二〇願)
- 釣瓶(つるべ)にて、汲み上げられたる、かえるかな (第一八願)
小生はいわゆる三願転入派ではありませんが先達は面白いおたとえで御法義を 伝える為に苦労なされたのですね。
子どもの頃に小さな池の中にいる蛙が外に出ようとしているので、棒切れで蛙を上に乗せて池の外に出してやろうとするのですが、乗ったかと思うとピョンと飛び降りてしまいます。何回やっても棒切れに乗ったかと思うとピョンと飛び出すので業を煮やしてバケツで蛙を汲み出したことがありました。でも翌日になるとまたちゃんと池の中に戻って外へ出ようと跳ねていました。
- 三恒河沙の諸仏の
- 出世のみもとにありしとき
- 大菩提心おこせども
- 自力かなわで流転せり
ガンジス河の砂の数ほどの仏様が南無阿弥陀仏とお示しにも関わらず逃げてき たのがお前の歴史だよと宗祖はお示しです。「いずれにも ゆくべき道の 絶えたれば 口割りたもう 南無阿弥陀仏」ですと 自力無効を教示された善知識がおられます。 浄土真宗は阿弥陀様の本願他力回向のご宗旨でありました。
四十八願中、十方の衆生と呼びかけられる願に三願ある。いわゆる、第十八、第十九、第二十の願である。 (大経 P.18)
この三願に対する領解が、かえるの聴聞の喩えである。第十九願は聖道門から浄土門に入ったが、聖道門の行業(発菩提心 修諸功徳)をもって浄土を欣う者への願であり、手をついて阿弥陀如来の本願に帰依しているのだが、自力の頭が下がらないという誡めである。
第二十願は、名号の功徳性に着目し、聖道門の行を捨て、なんまんだぶを称えながらも名号を自己の修する行と勘違いしている者への願である。法の中にいながら法を求める様相を、水にいて雨を求める蛙に喩えている。
浄土真宗は、本願力回向のご法義であるから、全分他力(利他力)である。「本当に疑いなく私の国に生まれるとおもって、たとえ十声でも、なんまんだぶという私の名をを称えよ」というのが第十八願である。このなんまんだぶは、如来が本願に選択摂取して下さった行であるから、わたしが称えるのではなく本願の行がわたしに来ているということである。行も信も如来の側で成就して、こちら側ではなにもすることがない、まるで釣瓶で汲み上げられたかえるのようだと喩えるのである。我に手のなし南無阿弥陀仏である。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ
御開山は「正像末和讃」で、
(17)
- 三恒河沙の諸仏の
- 出世のみもとにありしとき
- 大菩提心おこせども
- 自力かなはで流転せり
とガンジス河の砂の3倍ほどの諸仏におあいして大菩提心を発(おこ)したけれども、自力であったらから流転してきたとされる。御開山にとっての時間軸は現在の生だけでなく過去世界も含んでいるのであろう。