より出でたり
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御開山は願名を挙げるとき、真実の願と方便の願では使い分けておられた。 真実の行・信・証・還相の出願をされる場合は「出於(より出でたり)」とされおられた。
それに対して第十九願、第二十願の方便の願を挙げられる場合は、「既而有悲願」とされておられた。
真実の願を「出於」とされた場合は、阿弥陀仏から回向された躍動的な本願力回向の法(随自意)であることをあらわすためだったとされる。それに対して諸行往生(第十九願)や自力念仏(第二十願)の法は、自らが行じていく自力の法門であるから、阿弥陀仏から回向された法ではない。いわば不本意の願(随他意)であるから、阿弥陀仏から回向された法ではないということを示す為に「既而有悲願(すでにして悲願います)」とされたのであった。