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即便往生

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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そくべんおうじょう すなわちおうじょう

 経文の上でいえば即と便は分けず「すなはち」と読むが、親鸞聖人は、「即便」という文字によって、他力の往生を即往生、自力による往生を便往生とした。(観経 P.108)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

「化身土巻」に、

二種の往生とは、一つには即往生、二つには便往生なり。便往生とはすなはちこれ胎生辺地双樹林下の往生なり。即往生とはすなはちこれ報土化生なり。(化巻 P.393)

とあり『愚禿鈔』に、

また「即往生」とは、これすなはち難思議往生、真の報土なり。「便往生」とは、すなはちこれ諸機各別の業因果成の土なり、胎宮辺地懈慢界双樹林下往生なり、また難思往生なりと、知るべし。 (愚禿下 P.541)

とある。

西山派では「即便往生」と「当得往生」の二種の往生を説く。

我々が平生において観門により弘願の謂れ(願行具足の弥陀覚体)に目覚め弥陀の絶対的救済能力を領解(三心領解)し証得する姿を即便往生(仏の立場)とする。(證空辞典) →jds:行門・観門・弘願門

『竹林鈔』には、

即便往生者 、一たひ他力の信心発(おこ) りぬれは、凡夫の三業は則ち仏の三業と「不相離故、忽成往生業、永不招輪回果 (あひ離れざるが故に、たちまちに往生の業成じて、永く輪回の果を招かざる)」。是を経には「説発三種心即便往生 (三種の心を発して即便往生すと説けり」。(竹林鈔)

とある。

◆ 参照読み込み (transclusion) 当得往生

とうとく-おうじょう

 浄土宗西山派善恵房証空が依用した名目。証空は『観経』の即便往生当得往生の語により二種の往生があることを説いた。即便往生とは平生に直ちに往生を証得することであり、当得往生とは臨終に至って、実際に肉体を捨てて極楽に至ることをいう。

『観経』上品
仏告阿難及韋提希 上品上生者 若有衆生願生彼国者 発三種心即便往生
仏、阿難および韋提希に告げたまはく、上品上生といふは、もし衆生ありてかの国に生ぜんと願ずるものは、三種の心を発して即便往生す。
何等為三。一者至誠心 二者深心 三者廻向発願心。
なんらをか三つとする。一つには至誠心、二つには深心、三つには回向発願心なり。
具三心者 必生彼国。復有三種衆生当得往生
三心を具するものは、かならずかの国に生ず。また三種の衆生ありて、まさに往生を得べし
何等為三。一者 慈心不殺 具諸戒行。二者 読誦大乗方等経典。三者 修行六念。
なんらをか三つとする。一つには慈心にして殺さず、もろもろの戒行を具す。二つには大乗の方等経典を読誦す。三つには六念を修行す。
廻向発願 願生彼国。具此功徳 一日乃至七日 即得往生。
回向発願してかの国に生ぜんと願ず。この功徳を具すること、一日乃至七日してすなはち往生を得。(観経 P.108)

参照WEB版浄土宗大辞典の「即便往生・当得往生」の項目