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顕浄土方便化身土文類 (末)

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2005年10月21日 (金) 14:49時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版 (後序)

化身土文類六(末)

内外両道の真偽決判

【81】 それもろもろの修多羅によつて、真偽を勘決して、外教邪偽の異執を教誡せば、

経文証

【82】 『涅槃経』(如来性品)にのたまはく、「仏に帰依せば、つひにまたその余のもろもろの天神に帰依せざれ」と。{略出}

【83】 『般舟三昧経』にのたまはく、「優婆夷、この三昧を聞きて学ばんと欲せんものは、{乃至}みづから仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事ふることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ」となり。{以上}

【84】 またのたまはく(同)、「優婆夷、三昧を学ばんと欲せば、{乃至}天を拝し神を祠祀することを得ざれ」となり。{略出}

【85】 『大乗大方等日蔵経』巻第八「魔王波旬星宿品」第八の二にのたまはく(大集経)、「〈そのときに佉盧虱、天衆に告げていはまく、《このもろもろの月等、おのおのあり。なんぢ四種の衆生を救済すべし。なにものをか四つとする。地上の人、諸竜・夜叉、乃至等を救く。かくのごときの類、みなことごとくこれを救けん。われもろもろの衆生を安楽するをもつてのゆゑに、星宿を布置す。おのおの分部乃至摸呼羅の時等あり。またみなつぶさに説かん。

その国土方面の処に随ひて、所作の事業、随順し増長せん》と。佉盧虱、大衆の前にして掌を合せて説きていはまく、《かくのごとき日月・年時、大小星宿を安置す。なにものをか名づけて六時ありとするや。正月・二月を暄暖時と名づく。三月・四月を種作時と名づく。五月・六月は求降雨時なり。七月・八月は物欲熟時なり。九月・十月は寒涼の時なり。十有一月、合して十二月は大雪の時なり。これ十二月を分つて六時とす。また大星宿その数八つあり。いはゆる歳星熒惑鎮星太白辰星・日・月・荷羅睺星なり。また小星宿二十八あり。いはゆる昴より胃に至るまでの諸宿これなり。われかくのごとき次第安置をなす、その法を説きをはんぬ。なんだち、みなすべからくまた見、また聞くべし。一切大衆、意においていかん。わが置くところの法、そのこと是なりやいなや。二十八宿および八大星の所行の諸業、なんぢ喜楽するやいなや。是とやせん、非とやせん。よろしくおのおの宣説すべし》と。

そのときに一切天人・仙人・阿修羅・竜および緊那羅等、みなことごとく掌を合せて、ことごとくこの言をなさく、《いま大仙のごときは、天人のあひだにおいてもつとも尊重とす。乃至諸竜および阿修羅、よく勝れたるものなけん。智慧・慈悲もつとも第一とす。無量劫において忘れず、一切衆生を憐愍するがゆゑに、福報を獲、誓願満ちをはりて功徳海のごとし。よく過去・現在・当来の一切諸事、天人のあひだを知るに、かくのごときの智慧のものあることなし。

かくのごときの法用、日夜・刹那および加羅時、大小星宿、月半月満年満の法用、さらに衆生よくこの法をなすことなけん。みなことごとく随喜しわれらを安楽にす。善いかな大徳、衆生を安穏す》と。このとき佉盧虱仙人、またこの言をなさく、《この十二月一年始終、かくのごとく方便す。大小星等、刹那の時法、みなすでに説きをはんぬ。またまた四天大王を須弥山の四方面所に安置す、おのおの一王を置く。このもろもろの方所にして、おのおの衆生を領す。北方の天王を毘沙門と名づく。これその界のうちに多く夜叉あり。

南方の天王を毘留荼倶と名づく。これその界のうちに多く鳩槃荼あり。西方の天王を毘留博叉と名づく。これその界のうちに多く諸竜あり。東方の天王を題頭隷と名づく。これその界のうちに乾闥婆多し。四方四維みなことごとく一切洲渚およびもろもろの城邑を擁護す。また鬼神を置いてこれを守護せしむ》と。そのときに佉盧虱仙人、諸天・竜・夜叉・阿修羅・緊那羅・摩睺羅伽、人・非人等、一切大衆において、みな《善いかな》と称して、歓喜無量なることをなす。このときに天・竜・夜叉・阿修羅等、日夜に佉盧虱を供養す。次にまたのちに無量世を過ぎて、また仙人あらん、伽力伽と名づく。世に出現して、またさらに別して、もろもろの星宿小大月の法、時節要略を説きおかん〉と。そのときに諸竜佉羅氐山聖人の住処にありて、光味仙人を尊重し恭敬せん、その竜力を尽してこれを供養せん」と。{以上抄出}

【86】 『日蔵経』巻第九「念仏三昧品」第十にのたまはく(大集経)、「そのときに波旬、この偈を説きをはるに、かの衆のなかにひとりの魔女あり、名づけて離暗とす。この魔女は、むかし過去においてもろもろの徳本を植ゑたりき。この説をなしていはまく、〈沙門瞿曇は名づけて福徳と称す。もし衆生ありて、仏の名を聞くことを得て一心に帰依せん、一切の諸魔、かの衆生において悪を加ふることあたはず。いかにいはんや仏を見たてまつり、親り法を聞かん人、種々に方便し慧解深広ならん。{乃至}たとひ千万億の一切魔軍、つひに須臾も害をなすことを得ることあたはず。如来いま涅槃道を開きたまへり。女、かしこに往きて仏に帰依せんと欲す〉と。すなはちその父のためにして偈を説きていはまく、{乃至}

〈三世の諸仏の法を修学して、
一切の苦の衆生を度脱せん。
よく諸法において自在を得、
当来に願はくはわれ還りて仏のごとくならん〉と。

 そのときに離暗、この偈を説きをはるに、父の王宮のうちの五百の魔女、姉妹眷属、一切みな菩提の心を発せしむ。このときに魔王、その宮のうちの五百の諸女みな仏に帰して菩提心を発せしむるを見るに、大きに瞋忿・怖畏・憂愁を益すと。{乃至}このときに五百のもろもろの魔女等、また波旬のためにして偈を説きていはまく、

〈もし衆生ありて仏に帰すれば、かの人、千億の魔に畏れず、
いかにいはんや生死の流れを度せんと欲ふ。無為涅槃の岸に到らん。
もしよく一香華をもつて、三宝仏法僧に持散することありて、
堅固勇猛の心を発さん。一切の衆魔、壊することあたはじ。{乃至}
われら過去の無量の悪、一切また滅して余あることなけん。
至誠専心に仏に帰したてまつりをはらば、さだめて阿耨菩提の果を得ん〉と。

 そのときに魔王、この偈を聞きをはりて、大きに瞋恚・怖畏を倍して、心を煎がし、憔悴・憂愁して、独り宮の内に坐す。このときに光味菩薩摩訶薩、仏の説法を聞きて、一切衆生ことごとく攀縁を離れ、四梵行を得しむと。{乃至}

〈浄く洗浴し、鮮潔の衣を着て、菜食長斎して、辛く臭きものを噉することなかるべし。寂静処にして道場を荘厳して正念結跏し、あるいは行じ、あるいは坐して、仏の身相を念じて乱心せしむることなかれ。さらに他縁し、その余のことを念ずることなかれ。あるいは一日夜、あるいは七日夜、余の業をなさざれ。至心念仏すれば、乃至、仏を見たてまつる。小念は小を見たてまつり、大念は大を見たてまつる。乃至、無量の念は、仏の色身無量無辺なるを見たてまつらん〉」と。{略抄}

【87】 『日蔵経』の巻第十「護塔品」第十三にのたまはく(大集経)、「ときに魔波旬、その眷属八十億衆と、前後に囲繞して仏所に往至せしむ。到りをはりて、接足して世尊を頂礼したてまつる。かくのごときの偈を説かく、{乃至}

〈三世の諸仏の大慈悲、わが礼を受けたまへ、一切の殃を懺せしむ。
法・僧二宝もまたまたしかなり。至心帰依したてまつるに異あることなし。
願はくは、われ今日世の導師を供養し恭敬し尊重したてまつるところなり。
もろもろの悪は永く尽してまた生ぜじ。寿を尽すまで如来の法に帰依せん〉と。

 ときに魔波旬、この偈を説きをはりて、仏にまうしてまうさく、〈世尊、如来われおよびもろもろの衆生において、平等無二の心にしてつねに歓喜し、慈悲含忍せん〉と。仏ののたまはく、〈かくのごとし〉と。ときに魔波旬大きに歓喜を生じて、清浄の心を発す。重ねて仏前にして接足頂礼し、右に繞ること三匝して恭敬合掌して、却きて一面に住して、世尊を瞻仰したてまつるに、心に厭足なし」と。{以上抄出}

【88】 『大方等大集月蔵経』巻第五「諸悪鬼神得敬信品」第八の上にのたまはく(大集経)、「もろもろの仁者、かの邪見を遠離する因縁において、十種の功徳を獲ん。なんらをか十とする。

一つには心性柔善にして伴侶賢良ならん。

二つには業報乃至奪命あることを信じて、もろもろの悪を起さず。

三つには三宝を帰敬して天神を信ぜず。

四つには正見を得て歳次日月の吉凶を択ばず。

五つにはつねに人・天に生じてもろもろの悪道を離る。

六つには賢善の心あきらかなることを得、人讃誉せしむ。

七つには世俗を棄ててつねに聖道を求めん。

八つには断・常見を離れて因縁の法を信ず。

九つにはつねに正信・正行・正発心の人とともにあひ会まり遇はん。

十には善道に生ずることを得しむ。

この邪見を遠離する善根をもつて、阿耨多羅三藐三菩提に回向せん、この人すみやかに六波羅蜜を満ぜん、善浄仏土にして正覚を成らん。菩提を得をはりて、かの仏土にして、功徳・智慧・一切善根、衆生を荘厳せん。その国に来生して天神を信ぜず、悪道の畏れを離れて、かしこにして命終して還りて善道に生ぜん」と。{略抄}

【89】 『月蔵経』巻第六「諸悪鬼神得敬信品」第八の下にのたまはく(大集経)、 「仏の出世はなはだ難し。法・僧もまたまた難し。衆生の浄信難し。諸難を離るることまた難し。衆生を哀愍すること難し。知足第一に難し。正法を聞くことを得ること難し。よく修すること第一に難し。難きを知ることを得て平等なれば、世においてつねに楽を受く。この十平等処は、智者つねにすみやかに知らん。{乃至}

 そのときに世尊、かのもろもろの悪鬼神衆のなかにして法を説きたまふときに、〈かのもろもろの悪鬼神衆のなかにして、かの悪鬼神は、むかし仏法において決定の信をなせりしかども、かれ後の時において悪知識に近づきて心に他の過を見る。この因縁をもつて悪鬼神に生る〉」と。{略出}

【90】 『大方等大集経』巻第六「月蔵分」のなかに「諸天王護持品」第九にのたまはく(大集経)、「そのときに世尊、世間を示すがゆゑに、娑婆世界の主、大梵天王に問うてのたまはく、〈この四天下に、これたれかよく護持養育をなす〉と。

 ときに娑婆世界の主、大梵天王かくのごときの言をなさく、〈大徳婆伽婆兜率陀天王、無量百千の兜率陀天子とともに北鬱単越を護持し養育せしむ。

他化自在天王、無量百千の他化自在天子とともに東弗婆提を護持し養育せしむ。化楽天王、無量百千の化楽天子とともに南閻浮提を護持し養育せしむ。須夜摩天王、無量百千の須夜摩天子とともに西瞿陀尼を護持し養育せしむ。

 大徳婆伽婆、毘沙門天王、無量百千の諸夜叉衆とともに北鬱単越を護持し養育せしむ。提頭頼天王、無量百千の乾闥婆衆とともに東弗婆提を護持し養育せしむ。毘楼勒天王、無量百千の鳩槃荼衆とともに南閻浮提を護持し養育せしむ。毘楼博叉天王、無量百千の竜衆とともに西瞿陀尼を護持し養育せ しむ。

 大徳婆伽婆、天仙七宿・三曜・三天童女、北鬱単越を護持し養育せしむ。か天仙七宿は虚・危・室・壁・奎・婁・胃なり。三曜は鎮星・歳星・熒惑星なり。三天童女は鳩槃・弥那・迷沙なり。大徳婆伽婆、かの天仙七宿のなかに虚・危・室の三宿はこれ鎮星の土境なり、鳩槃はこれなり。壁・奎の二宿はこれ歳星の土境なり、弥那はこれ辰なり。婁・胃の二宿はこれ熒惑の土境な り、迷沙はこれ辰なり。大徳婆伽婆、かくのごとき天仙七宿・三曜・三天童女、北鬱単越を護持し養育せしむ。

 大徳婆伽婆、天仙七宿・三曜・三天童女、東弗婆提を護持し養育せしむ。かの天仙七宿は昴・畢・觜・参・井・鬼・柳なり。三曜は太白星・歳星・月なり。三天童女は毘利沙・弥偸那・羯迦迦なり。大徳婆伽婆、かの天仙七宿のなかに、昴・畢の二宿はこれ太白の土境なり、毘利沙はこれ辰なり。觜・参・井の三宿はこれ歳星の土境なり、弥偸那はこれ辰なり。鬼・柳の二宿はこれ月の土境なり、羯迦迦はこれ辰なり。大徳婆伽婆、かくのごとき天仙七宿・三曜・三天童女、東弗婆提を護持し養育せしむ。

 大徳婆伽婆、天仙七宿・三曜・三天童女、南閻浮提を護持し養育せしむ。かの天仙七宿は星・張・翼・軫・角・亢・氐なり。三曜は日・辰星・太白星なり。三天童女は訶・迦若・兜羅なり。大徳婆伽婆、かの天仙七宿のなかに、星・張・翼はこれ日の土境なり、訶はこれ辰なり。軫・角の二宿はこれ辰星の土境なり、迦若はこれ辰なり。亢・氐の二宿はこれ太白の土境なり。兜羅はこれ辰なり。大徳婆伽婆、かくのごとき天仙七宿・三曜・三天童女、南閻浮提を護持し養育せしむ。

 大徳婆伽婆、かの天仙七宿・三曜・三天童女、西瞿陀尼を護持し養育せしむ。かの天仙七宿は房・心・尾・箕・斗・牛・女なり。三曜は熒惑星・歳星・鎮星なり。三天童女は毘離支迦・檀婆・摩伽羅なり。大徳婆伽婆、かの天仙七宿のなかに、房・心の二宿はこれ熒惑の土境なり、毘利支迦はこれ辰なり。 尾・箕・斗の三宿はこれ歳星の土境なり、檀婆はこれ辰なり。牛・女の二宿はこれ鎮星の土境なり、摩伽羅はこれ辰なり。大徳婆伽婆、かくのごときの天仙七宿・三曜・三天童女、西瞿陀尼を護持し養育せしむ。

 大徳婆伽婆、この四天下に南閻浮提はもつとも殊勝なりとす。なにをもつてのゆゑに、閻浮提の人は勇健聡慧にして、梵行、仏に相応す。婆伽婆なかにおいて出世したまふ。このゆゑに四大天王、ここに倍増してこの閻浮提を護持し養育せしむ。十六の大国あり。いはく、鴦伽摩伽陀国・傍伽摩伽陀国・阿槃多国・支提国なり。この四つの大国は毘沙門天王、夜叉衆と囲繞して護持し養育せしむ。迦尸国・都薩羅国・婆蹉国・摩羅国、この四つの大国は、提頭頼天王、乾闥婆衆と囲繞して護持し養育せしむ。鳩羅婆国・毘時国・槃遮羅国・疎那国、この四つの大国は、毘楼勒叉天王、鳩槃荼衆と囲繞して護持し養育せしむ。阿湿婆国・蘇摩国・蘇羅国・甘満闍国、この四つの大国は毘楼博叉天王、もろもろの竜衆と囲繞して護持し養育せしむ。

 大徳婆伽婆、過去の天仙この四天下を護持し養育せしがゆゑに、またみなかくのごとき分布安置せしむ。後においてその国土、城邑・村落・塔寺・園林・樹下・塚間・山谷・曠野・河泉・陂泊、乃至海中宝洲・天祠に随ひて、かの卵生・胎生・湿生・化生において、もろもろの竜・夜叉・羅刹・餓鬼・毘舎遮富単那迦富単那等、かのなかに生じて、かのところに還住して、繋属するところなし、他の教を受けず。このゆゑに願はくは仏、この閻浮提の一切国土において、かのもろもろの鬼神、分布安置したまへ。護持のためのゆゑに、一切のもろもろの衆生を護らんがためのゆゑに。われらこの説において随喜せんと欲ふ〉と。

 仏ののたまはく、〈かくのごとし、大梵、なんぢが所説のごとし〉と。そのときに世尊、重ねてこの義を明かさんと欲しめして、偈を説きてのたまはく、

〈世間に示現するがゆゑに、導師、梵王に問はまく、
《この四天下において、たれか護持し養育せん》と。
かくのごとき天師梵、《諸天王を首として、兜率・他化天・化楽・須夜摩、
よくかくのごとき四天下を、護持し養育せしむ。
四王および眷属、またまたよく護持せしむ。二十八宿等、
および十二辰・十二天童女、四天下を護持せしむ》と。
その所生の処に随ひて、竜・鬼・羅刹等、他の教を受けずは、
かしこにおいて還つて護をなさしむ。天神等差別して、
願はくは仏分布せしめたまへ。
衆生を憐愍せんがゆゑに、正法の灯を熾然ならしむ〉と。

 そのときに仏、月蔵菩薩摩訶薩に告げてのたまはく、〈了知清浄士よ、この賢劫の初め人寿四万歳のとき、鳩留孫仏、世に出興したまひき。かの仏、無量阿僧祇億那由他百千の衆生のために生死に回して、正法輪を輪転せしむ。追うて悪道に回して、善道および解脱の果を安置せしむ。かの仏この四大天下をもつて、娑婆世界の主、大梵天王・他化自在天王・化楽天王・兜率陀天王・須夜摩天王等に付属せしむ。護持のゆゑに、養育のゆゑに、衆生を憐愍するがゆゑに、三宝の種をして断絶せざらしめんがゆゑに、熾然ならんがゆゑに、地の精気衆生の精気正法の精気、久しく住せしめ増長せんがゆゑに、もろもろの衆生をして三悪道を休息せしめんがゆゑに、三善道に趣向せんがゆゑに、四天下をもつて大梵およびもろもろの天王に付属せしむ。

 かくのごとき漸次に劫尽き、もろもろの天人尽き、一切の善業白法尽滅して、大悪もろもろの煩悩溺を増長せん。人寿三万歳のとき、拘那含牟尼仏、世に出興したまはん。かの仏この四大天下をもつて、娑婆世界の主、大梵天王・他化自在天王、乃至四大天王およびもろもろの眷属に付属したまふ。護持養育のゆゑに、乃至一切衆生をして三悪道を休息して三善道に趣向せしめんがゆゑに、この四天下をもつて大梵および諸天王に付属したまへり。

 かくのごとき次第に劫尽き、もろもろの天人尽き、白法また尽きて、大悪もろもろの煩悩溺を増長せん。人寿二万歳のとき、迦葉如来、世に出興したまふ。かの仏この四大天下をもつて、娑婆世界の主、大梵天王・他化自在天王・化楽天王・兜率陀天王・須夜摩天王・驕尸迦帝釈・四天王等、およびもろもろの眷属に付属したまへり。護持養育のゆゑに、乃至一切衆生をして三悪道を休息せしめ、三善道に趣向せしめんがゆゑに。かの迦葉仏、この四天下をもつて、大梵・四天王等に付属し、およびもろもろの天仙衆・七曜・十二天童女・二十八宿等に付したまへり。護持のゆゑに、養育のゆゑに。

 了知清浄士よ、かくのごとき次第に、いま劫濁・煩悩濁・衆生濁・大悪煩悩濁・闘諍悪世の時、人寿百歳に至りて、一切の白法尽き、一切の諸悪闇翳ならん。世間はたとへば海水の一味にして大鹹なるがごとし、大煩悩の味はひ世に遍満せん。集会の悪党、手に髑髏を執り、血をその掌に塗らん、ともにあひ殺害せん。かくのごときの悪の衆生のなかに、われいま菩提樹下に出世してはじめて正覚を成れり。提謂・波利もろもろの商人の食を受けて、かれらがためのゆゑに、この閻浮提をもつて天・竜・乾闥婆・鳩槃荼・夜叉等に分布せしむ。護持養育のゆゑに。

 これをもつて大集十方所有の仏土、一切無余の菩薩摩訶薩等、ことごとくここに来集せん。乃至この娑婆仏土において、そのところの百億の日月、百億の四天下、百億の四大海、百億の鉄囲山・大鉄囲山・百億の須弥山、百億の四阿修羅城、百億の四大天王、百億の三十三天、乃至百億の非想非非想処、かくのごときの数を略せり。娑婆仏土、われこのところにして仏事をなす。乃至娑婆仏土の所有のもろもろの梵天王およびもろもろの眷属、魔天王・他化自在天王・化楽天王・兜率陀天王・須夜摩天王・帝釈天王・四大天王・阿修羅王・竜王・夜叉王・羅刹王・乾闥婆王・緊那羅王・迦楼羅王・摩睺羅伽王・鳩槃荼王・餓鬼王・毘舎遮王・富単那王・迦富単那王等において、ことごとくまさに眷属としてここに大集せり。法を聞かんためのゆゑに。乃至ここに娑婆仏土の所有のもろもろの菩薩摩訶薩等およびもろもろの声聞、一切余なく、ことごとくここに来集せり。聞法のためのゆゑに。われいまこの所集の大衆のために、甚深の仏法を顕示せしむ。また世間を護らんがためのゆゑに、この閻浮提所集の鬼神をもつて分布安置す。護持養育すべし〉と。

 そのときに世尊、また娑婆世界の主、大梵天王に問うてのたまはく、〈過去の諸仏、この四大天下をもつて、かつてたれに付属して護持養育をなさしめたまふぞ〉と。ときに娑婆世界の主、大梵天王まうさく、〈過去の諸仏、この四天下をもつて、かつてわれおよび驕尸迦に付属したまへりき。護持することをなさしめたまふ。しかるにわれ失ありて、おのれが名および帝釈の名を彰さず。ただ諸余の天王および宿・曜・辰を称せしむ、護持養育すべし〉と。

そのときに娑婆世界の主、大梵天王および驕尸迦帝釈、仏足を頂礼してこの言をなさく、〈大徳婆伽婆、大徳修伽陀、われいま過を謝すべし。われ小児のごとくして愚痴無智にして、如来の前にしてみづから称名せざらんや。大徳婆伽婆、やや願はくは容恕したまへ。大徳修伽陀、やや願はくは容恕したまへ。諸来の大衆、また願はくは容恕したまへ。われ境界において言説教令す。自在のところを得て護持養育すべし。乃至、もろもろの衆生をして善道に趣かしめんがゆゑに。

われらむかし鳩留孫仏のみもとにして、すでに教勅を受けたまはりて、乃至、三宝の種をしてすでに熾然ならしむ。拘那含牟尼仏、迦葉仏の所にして、われ教勅を受けたまはりしこと、またかくのごとし。

三宝の種においてすでにねんごろにして熾然ならしむ。地の精気、衆生の精気、正法の味はひ醍醐の精気、久しく住して増長せしむるがゆゑに。またわがごときも、いま世尊の所にして、教勅を頂受し、おのれが境界において、言説教令す。自在のところを得て、一切闘諍・飢饉を休息せしめ、乃至三宝の種断絶せざらしむるがゆゑに、三種の精気久しく住して増長せしむるがゆゑに、悪行の衆生を遮障して行法の衆生を護養するがゆゑに、衆生をして三悪道を休息せしめ、三善道に趣向するがゆゑに、仏法をして久しく住せんことを得しめんがためのゆゑに、ねんごろに護持をなす〉と。

 仏ののたまはく、〈善いかな善いかな、妙丈夫、なんぢかくのごとくなるべし〉と。そのときに仏、百億の大梵天王に告げてのたまはく、〈所有の行法、法に住し法に順じて悪を厭捨せんものは、いまことごとくなんだちが手のうちに付属す。なんだち賢首、百億の四天下各々の境界において言説教令す。自在の処を得て、所有の衆生、弊悪・粗獷・悩害、他において慈愍あることなし。

後世の畏れを観ぜずして、刹利心および婆羅門・毘舎・首陀の心を触悩せん。乃至、畜生の心を触悩せん。かくのごとき殺生をなす因縁、乃至邪見をなす因縁、その所作に随ひて非時の風雨あらん。乃至、地の精気、衆生の精気、正法の精気、損減の因縁をなさしめば、なんぢ遮止して善法に住せしむべし。もし衆生ありて、善を得んと欲はんもの、法を得んと欲はんもの、生死の彼岸に度せんと欲はんもの、檀婆羅蜜を修行することあらんところのもの、乃至、般若波羅蜜を修行せんもの、所有の行法、法に住せん衆生、および行法のために事を営まんもの、かのもろもろの衆生、なんだちまさに護持養育すべし。もし衆生ありて、受持し読誦して、他のために演説し、種々に経論を解説せん。なんだちまさにかのもろもろの衆生と念持方便して堅固力を得べし。所聞に入りて忘れず、諸法の相を智信して生死を離れしめ、八聖道を修して三昧の根、相応せん。

もし衆生ありて、なんぢが境界において法に住せん。奢摩他・毘婆舎那、次第方便してもろもろの三昧と相応して、ねんごろに三種の菩提を修習せんと求めんもの、なんだちまさに遮護し摂受して、ねんごろに捨施をなして、乏少せしむることなかるべし。もし衆生ありて、その飲食・衣服・臥具を施し、病患の因縁に湯薬を施せんもの、なんだちまさにかの施主をして五利増長せしむべし。なんらをか五つとする。一つには寿増長せん、二つには財増長せん、三つには楽増長せん、四つには善行増長せん、五つには慧増長するなり。

なんだち長夜に利益安楽を得ん。この因縁をもつて、なんだちよく六波羅蜜を満てん。久しからずして一切種智を成ずることを得ん〉と。

 ときに娑婆世界の主大梵天王を首として、百億のもろもろの梵天王とともに、ことごとくこの言をなさく、〈かくのごとし、かくのごとし。大徳婆伽婆、われらおのおのにおのれが境界、弊悪・粗獷・悩害において、他において慈愍の心なく、後世の畏れを観ぜざらん。乃至、われまさに遮障し、かの施主のために五事を増長すべし〉と。仏ののたまはく、〈善いかな善いかな、なんぢかくのごとくなるべし〉と。そのときにまた一切の菩薩摩訶薩、一切の諸大声聞、一切の天・竜、乃至一切の人・非人等ありて、讃めてまうさく、〈善いかな善いかな、大雄猛士、なんだちかくのごとき法、久しく住することを得、もろもろの衆生をして悪道を離るることを得、すみやかに善道に趣かしめん〉と。

 そのときに、世尊、重ねてこの義を明かさんと欲しめして、偈を説きてのたまはく、

〈われ、月蔵に告げていはく、この賢劫の初めに入りて、
鳩留仏、梵等に四天下を付属したまふ。
諸悪を遮障するがゆゑに、正法の眼を熾然ならしむ。
もろもろの悪事を捨離し、行法のものを護持し、
三宝の種を断たず、三精気を増長し、もろもろの悪趣を休息し、
もろもろの善道に向かへしむ。
拘那含牟尼、また大梵王、他化・化楽天、乃至四天王に属したまふ。
次のちに迦葉仏、また梵天王、
化楽等の四天、帝釈・護世王、過去のもろもろの天仙に属したまふ。
もろもろの世間のためのゆゑに、もろもろの曜宿を安置して、
護持し養育せしめたまへり。
濁悪世に至りて、白法尽滅せんとき、われ独覚無上にして、
人民を安置し護らん。
いま大衆の前にして、しばしばわれを悩乱せん。
まさに説法を捨つべし。われを置つて護持せしめよ。
十方のもろもろの菩薩、一切ことごとく来集せん。
天王もまたこの娑婆仏国土に来らしめん。
われ大梵王に問はく、《たれか昔護持せしもの》と。
《帝釈・大梵天、余の天王を指示す》と。
ときに釈・梵王、過を導師に謝していはまく、
《われら王の処を所として、一切の悪を遮障し、三宝の種を熾然ならしめ、
三精気を増長せん。諸悪の朋を遮障して、善の朋党を護持せしむ》〉」と。{以上抄出}

【91】 『月蔵経』巻第七「諸魔得敬信品」第十にのたまはく(大集経)、「そのときにまた百億の諸魔あり。ともに同時に座よりして起ちて、合掌して仏に向かひたてまつりて、仏足を頂礼して仏にまうしてまうさく、〈世尊、われらまたまさに大勇猛を発して、仏の正法を護持し養育して、三宝の種を熾然ならしめて、久しく世間に住せしむ。いま地の精気、衆生の精気、法の精気、みなことごとく増長せしむべし。もし世尊、声聞弟子ありて、法に住し法に順じて、三業相応して修行せば、われらみなことごとく護持し養育して、一切の所須乏しきところなからしめん〉と。{乃至}

 〈この娑婆界にして、初め賢劫に入りしとき、拘楼孫如来、すでに四天を帝釈・梵天王に属せしめて、護持し養育せしむ。三宝の種を熾然ならしめ、三精気を増長せしめたまひき。拘那含牟尼、また四天下を、梵・釈・諸天王に属して、護持し養育せしむ。迦葉もまたかくのごとし、すでに四天下を梵・釈・護世王に属して、行法のひとを護持せしめき。過去の諸仙衆、および諸天仙、星辰もろもろの宿曜、また属し分布せしめき。われ五濁世に出でて、もろもろの魔の怨を降伏して、大集会をなして、仏の正法を顕現せしむ。{乃至}一切の諸天衆、ことごとくともに仏にまうしてまうさく、《われら王の処を所にして、みな正法を護持し、三宝の種を熾然ならしめ、三精気を増長せしめん。もろもろの病疫、飢饉および闘諍を息めしめん》〉」と。{乃至略出}

【92】 「提頭頼天王護持品」にのたまはく(大集経)、「仏ののたまはく、〈日天子月天子、なんぢわが法において護持し養育せば、なんぢ長寿にしてもろもろの衰患なからしめん〉と。そのときにまた百億の提頭頼天王、百億の毘楼勒叉天王、百億の毘楼博叉天王、百億の毘沙門天王あり。かれら同時に、および眷属と座よりして起ちて、衣服を整理し、合掌し敬礼して、かくのごときの言をなさく、〈大徳婆伽婆、われらおのおのおのれが天下にして、ねんごろに仏法を護持し養育することをなさん。三宝の種、熾然として久しく住し、三種の精気みなことごとく増長せしめん〉と。{乃至}〈われいままた上首毘沙門天王と同心に、この閻浮提と北方との諸仏の法を護持す〉」と。{以上略出}

【93】 『月蔵経』巻第八「忍辱品」第十六にのたまはく(大集経)、「仏ののたまはく、〈かくのごとし、かくのごとし。なんぢがいふところのごとし。もしおのれが苦を厭ひ楽を求むるを愛することあらん、まさに諸仏の正法を護持すべし。これよりまさに無量の福報を得べし。もし衆生ありて、わがために出家し、鬚髪を剃除して袈裟を被服せん。たとひ戒を持たざらん、かれらことごとくすでに涅槃の印のために印せらるるなり。

もしまた出家して戒を持たざらんもの、非法をもつてして悩乱をなし、罵辱毀呰せん、手をもつて刀杖打縛し、斫截することあらん。もし衣鉢を奪ひ、および種々の資生の具を奪はんもの、この人すなはち三世の諸仏の真実の報身を壊するなり。すなはち一切天人の眼目を排ふなり。この人、諸仏所有の正法三宝の種を隠没せんと欲ふがためのゆゑに、もろもろの天人をして利益を得ざらしむ。地獄に堕せんゆゑに、三悪道増長し盈満をなすなり〉」と。{以上}

 「そのときにまた一切の天・竜、乃至一切の迦富単那・人・非人等ありて、みなことごとく合掌してかくのごときの言をなさく、〈われら、仏の一切声聞弟子、乃至もしまた禁戒を持たざれども、鬚髪を剃除し袈裟を片に着んものにおいて、師長の想をなさん。護持養育してもろもろの所須を与へて乏少なからしめん。もし余の天・竜、乃至迦富単那等、その悩乱をなし、乃至悪心をして眼をもつてこれを視ば、われらことごとくともに、かの天・竜・富単那等所有の諸相欠減し醜陋ならしめん。かれをしてまたわれらとともに住し、ともに食を与ふることを得ざらしめん。またまた同処にして戯笑を得じ。かくのごとく擯罰せん〉」と。{以上}

【94】 またのたまはく(華厳経・十地品・晋訳)、「占相を離れて正見を修習せしめ、決定して深く罪福の因縁を信ずべし」と。{抄出}

【95】 『首楞厳経』にのたまはく、「かれらの諸魔、かのもろもろの鬼神、かれらの群邪、また徒衆ありて、おのおのみづからいはん。無上道をなりて、わが滅度ののち、末法のなかに、この魔民多からん、この鬼神多からん、この妖邪多からん。世間に熾盛にして、善知識となつてもろもろの衆生をして愛見の坑に落さしめん。菩提の路を失し、詃惑無識にして、おそらくは心を失せしめん。所過の処に、その家耗散して、愛見の魔となりて如来の種を失せん」と。{以上}

【96】 『灌頂経』にのたまはく、「三十六部の神王、万億恒沙の鬼神を眷属として、相を陰し番に代りて、三帰を受くるひとを護る」と。{以上}

【97】 『地蔵十輪経』にのたまはく、「つぶさにまさしく帰依して、一切の妄執吉凶を遠離せんものは、つひに邪神・外道に帰依せざれ」と。{以上}

【98】 またのたまはく(同)、「あるいは種々に、もしは少もしは多、吉凶の相を執じて、鬼神を祭りて、{乃至}極重の大罪悪業を生じ、無間罪に近づく。かくのごときの人、もしいまだかくのごときの大罪悪業を懺悔し除滅せずは、出家しておよび具戒を受けしめざらんも、もしは出家してあるいは具戒を受けしめんも、すなはち罪を得ん」と。{以上}

【99】 『集一切福徳三昧経』の中にのたまはく、「余乗に向かはざれ、余天を礼せざれ」と。{以上}

【100】 『本願薬師経』にのたまはく、「もし浄信の善男子・善女人等ありて、乃至尽形までに余天に事へざれ」と。

【101】 またのたまはく(同)、「また世間の邪魔・外道、妖孽の師の妄説を信じて、禍福すなはち生ぜん。おそらくはややもすれば心みづから正しからず、卜問して禍を覓め、種々の衆生を殺さん。神明に解奏し、もろもろの魍魎を呼ばうて、福祐を請乞し、延年を冀はんとするに、つひに得ることあたはず。愚痴迷惑して邪を信じ、倒見してつひに横死せしめ、地獄に入りて出期あることなけん。{乃至}八つには、横に毒薬・厭祷・呪咀し、起屍鬼等のために中害せらる」と。{以上抄出}

【102】 『菩薩戒経』にのたまはく、「出家の人の法は、国王に向かひて礼拝せず、父母に向かひて礼拝せず、六親に務へず、鬼神を礼せず」と。{以上}

【103】 『仏本行集経』[闍那崛多の訳]の第四十二巻「優婆斯那品」にのたまはく、「そのときにかの三迦葉兄弟にひとりの外甥螺髻梵志あり。その梵志を優婆斯那と名づく。{乃至}つねに二百五十の螺髻梵志、弟子とともに仙道を修学しき。

かれその迦葉三人を聞くに、もろもろの弟子、かの大沙門の辺に往詣して、阿舅鬚髪を剃除し、袈裟衣を着ると。見をはりて、舅に向かひて偈を説きていはく、〈舅等虚しく火を祀ること百年、またまた空しくかの苦行を修しき。今日同じくこの法を捨つること、なほ蛇の故き皮を脱ぐがごとくするをや〉と。

 そのときにかの舅迦葉三人、同じくともに偈をもつて、その外甥、優婆斯那に報じてかくのごときの言をなさく、〈われら昔、空しく火神を祀りて、またまたいたづらに苦行を修しき。われら今日この法を捨つること、まことに蛇の故き皮を脱ぐがごとくす〉」と。{抄出}

論文証

【104】 『起信論』にいはく、「あるいは衆生ありて善根力なければ、すなはち諸魔・外道・鬼神のために誑惑せらる。もしは座中にして形を現じて恐怖せしむ、あるいは端正の男女等の相を現ず。まさに唯心の境界を念ずべし、すなはち滅してつひに悩をなさず。あるいは天像・菩薩像を現じ、また如来像の相好具足せるをなして、もしは陀羅尼を説き、もしは布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧を説き、あるいは平等、空・無相・無願、無怨無親、無因無果、畢竟空寂、これ真の涅槃なりと説かん。あるいは人をして宿命過去のことを知らしめ、また未来のことを知る。他心智を得、弁才無碍ならしむ。よく衆生をして世間の名利のことに貪着せしむ。また人をしてしばしば瞋り、しばしば喜ばしめ、性無常の准ひならしむ

あるいは多く慈愛し、多く睡り、宿ること多く、多く病す、その心懈怠なり。あるいはにはかに精進を起して、後にはすなはち休廃す。不信を生じて疑多く、慮り多し。あるいはもとの勝行を捨てて、さらに雑業を修せしめ、もしは世事に着せしめ、種々に牽纏せらる。またよく人をしてもろもろの三昧の少分相似せるを得しむ。みなこれ外道の所得なり、真の三昧にあらず。あるいはまた人をして、もしは一日、もしは二日、もしは三日、乃至七日、定中に住して自然の香味飲食を得しむ。身心適悦して、飢ゑず渇かず。人をして愛着せしむ。あるいはまた人をして食に分斉なからしむ。たちまち多く、たちまち少なくして、顔色変異す。この義をもつてのゆゑに、行者つねに智慧をして観察して、この心をして邪網に堕せしむることなかるべし。まさにつとめて正念にして、取らず着せずして、すなはちよくこのもろもろの業障を遠離すべし。知るべし、外道の所有の三昧は、みな見愛我慢の心を離れず、世間の名利恭敬に貪着するがゆゑなり」と。{以上}

釈文証

【105】 『弁正論』[法琳の撰]にいはく、「十喩・九箴篇、答す、李道士、十異九迷。

 外の一異にいはく、〈太上老君は、玄妙玉女に託して、左腋を割きて生れたり。釈迦牟尼は、胎を摩耶夫人に寄せて、右脇を開きて出でたり〉と。{乃至}

 内の一喩にいはく、〈老君は常に逆ひ、牧女に託して左より出づ。世尊は化に順ひて、聖母によりて右より出でたまふ〉と。

 開士のいはく、〈慮景裕・戴詵・韋処玄等が解五千文、および梁の元帝、周弘政等が考義類を案ずるにいはく、太上に四つあり、いはく三皇および尭・舜これなり。いふこころは、上古にこの大徳の君あり、万民の上に臨めり。ゆゑに太上といふなり。郭荘がいはく、《ときにこれを賢とするところのものを君とす。、世に称せられざるものを臣とす》と。老子、帝にあらず、皇にあらず、四種の限りにあらず。いづれの典拠ありてか、たやすく太上と称するや。 道家が『玄妙』および『中台』・『朱韜玉扎』等の経、ならびに『出塞記』を検ふるにいはく、老はこれ李母が生めるところ、玄妙玉女ありといはず。すでに正説にあらず。もつとも仮の謬談なり。『仙人玉録』にいはく、《仙人は妻なし、玉女は夫なし。女形を受けたりといへども、つひに産せず》と。もしこの瑞あらば、まことに嘉とすべしといふ。いづれぞせん、『史記』にも文なし、『周書』に載せず。虚を求めて実を責めば、矯盲のものの言を信ずるならくのみと。『』にいはく、《官を退きて位なきものは左遷す》と。『論語』にいはく、《左衽は礼にあらざるなり》と。もし左をもつて右に勝るとせんは、道士行道するに、なんぞ左に旋らずして右に還つて転るや。国の詔書にみないはく、《右のごとし》と。ならびに天の常に順ふなり。〉と。{乃至}

 外の四異にいはく、〈老君は文王の日、隆周の宗師たり。釈迦は荘王のとき罽賓の教主たり〉と。

 内の四喩にいはく、〈[[伯陽]]は職小臣に処り、かたじけなく蔵吏に充れり。 文王の日にあらず、また隆周の師にあらず。牟尼は、位、太子に居して、身、特尊を証したまへり。昭王の盛年に当れり、閻浮の教主たり〉と。{乃至}

 外の六異にいはく、〈老君は世に降して、始め周文の日より孔丘の時に訖れり。釈迦ははじめて浄飯の家に下生して、わが荘王の世に当れり〉と。

 内の六喩にいはく、〈迦葉桓王丁卯の歳に生れて、景王壬午の年に終る。孔丘の時に訖ふといへども、姫昌の世に出でず。調御昭王甲寅の年に誕じて、穆王壬申の歳に終る。これ浄飯のたり。もと荘王の前に出でたまへり〉と。

 開士のいはく、〈孔子周に至りて、を見て礼を問ふ。ここに『史記』につぶさに顕る。文王の師たること、すなはち典証なし。周の末に出でたり、そのこと尋ぬべし。周の初めにありしごときは史文に載せず〉と。{乃至}

 外の七異にいはく、〈老君はじめて周の代に生れて、晩に流沙に適く。始終を測らず、方所を知ることなし。釈迦は西国(印度)に生じて、かの提河に終りぬ。弟子胸を搥ち、群胡大きに叫ぶ〉と。

 内の七喩にいはく、〈老子は頼郷に生れて、槐里に葬らる。秦佚の弔に詳らかにす。責め遁天の形にあり。瞿曇はかの王宮に出でて、この鵠樹に隠れたまふ。漢明の世に伝はりて、ひそかに蘭台の書にまします〉と。

 開士のいはく、〈『荘子』の内篇にいはく、《老死して秦佚弔ふ。ここに三たび号んで出づ。弟子怪しんで問ふ、“夫子の徒にあらざるか”と。秦佚いはく、“向にわれ入りて少きものを見るに、これを哭す、その父を哭するがごとく、老者これを哭す、その子を哭するがごとし。古はこれを遁天の形といふ。 始めはおもへらく、その人なりと、しかるにいま非なり”》と。遁は隠なり、天は免縛なり、形は身なり。いふこころは、始め老子をもつて免縛形の仙とす、いますなはち非なり。ああ、その諂曲して人の情を取る。ゆゑに死を免れず。 わが友にあらず〉と。{乃至}

 内の十喩、答す、外の十異。

 外は生より左右異なる一。内は生より勝劣あり。

 内に喩していはく、〈左衽はすなはち戎狄の尊むところ、右命は中華の尚むところとす。ゆゑに『春秋』にいはく、《冢卿は命なし、介卿はこれあり、また左にあらざるや》と。『史記』にいはく、《藺相如は功大きにして、位廉頗が右にあり、これを恥づ》と。またいはく、《張儀相、秦を右にして魏を左にす。犀首相、韓を右にして魏を左にす》と。けだしいはく、便りならざるなり。『礼』にいはく、《左道乱群をばこれを殺す》と。あに右は優りて左は劣れるにあらずや。皇甫謐が『高士伝』にいはく、《老子は楚の相人、渦水の陰に家とす。常樅子に師事す。常子疾あるに及んで、李耳往きて疾を問ふ》と。 ここに嵆康のいはく、《李耳、涓子に従つて九仙の術を学ぶ》と。太史公等が衆書を検ふるに、老子、左腋を剖いて生るといはず。すでにまさしく出でたることなし、承信すべからざること明らけし。あきらかに知んぬ、を揮ひを操るは、けだし文武の先、五気・三光は、まことに陰陽の首めなり。ここをもつて釈門には右に転ずること、また人用を扶く。張陵の左道、まことに天の常に逆ふ。いかんとなれば、釈迦、無縁の慈を起して、有機の召に応ず、その迹を語るなり。{乃至}

 それ釈氏は、天上天下に介然として、その尊に居す。三界六道、卓爾としてその妙を推す〉と。{乃至}

 外論にいはく、〈老君、範となす、ただ孝、ただ忠、世を救ひ人を度す、慈を極め愛を極む。ここをもつて声教永く伝へ、百王改まらず、玄風長く被らしめて万古差ふことなし。このゆゑに国を治め家を治むるに、常然たり楷式たり。 釈教は義を棄て親を棄て、仁ならず孝ならず。闍王(阿闍世)父を殺せる、翻じてなしと説く。調達(提婆達多)兄を射て罪を得ることを聞くことなし。 これをもつて凡を導く、さらに悪を長すことをなす。これをもつて世に範とする、なんぞよく善を生ぜんや。これ逆順の異、十なり〉と。

 内喩にいはく、〈義はすなはち道徳の卑しうするところ、礼は忠信の薄きより生ず。瑣仁、匹婦を譏り、大孝は不匱を存す。しかうして凶に対うて歌ひ笑ふ、中夏の容に乖ふ。喪に臨んで盆を拓く、華俗の訓にあらず。[原壌、母死して棺に騎りて歌ふ。孔子、祭を助けて譏らず。子桑死するとき子貢弔ふ、四子あひ視て笑ふ。荘子、妻死す、盆を拓きて歌ふなり。]ゆゑにこれを教ふるに孝をもつてす、天下の人父たるを敬するゆゑなり。これを教ふるに忠をもつてす、天下の人君たるを敬するなり。化、万国に周し、すなはち明辟の至れるなり。仁、四海に形す、まことに聖王の巨孝なり。仏経にのたまはく、《識体六趣に輪廻す、父母にあらざるなし。生死三界に変易す、たれか怨親を弁へん》と。またのたまはく、《無明慧眼を覆ふ、生死のなかに来往す。往来して所作す、さらにたがひに父子たり。怨親しばしば知識たり、知識しばしば怨親たり》と。ここをもつて沙門、俗を捨てて真に趣く。庶類天属に均しうす。栄を遺てて道に即く。 含気己親に等しとす。[あまねく正しき心を行じて、あまねく親しき志を等しくす。]また道は清虚を尚ぶ、なんぢは恩愛を重くす。法は平等を貴ぶ、なんぢは怨親を簡ふ。あに惑ひにあらずや。勢競親を遺る文史事を明かす、斉桓楚穆これその流なり。もつて聖を訾らんと欲ふ、あに謬れるにあらずや。なんぢが道の劣、十なり〉と。{乃至}

 〈二皇統べて化して、[『須弥四域経』にいはく、《応声菩薩を伏羲とす、吉祥菩薩を女媧とす》と。]淳風の初めに居り、三聖、言を立てて、[『空寂所問経』にいはく、《迦葉を老子とす、儒童を孔子とす、光浄を顔回とす》と。]已澆の末を興す。 玄虚沖一の旨その談を盛りにす。詩書礼楽の文、その教を隆くす。謙をあきらかにし質を守る、すなはち聖に登るの階梯なり。三畏・五常は人・天の由漸とす。けだし冥に仏理に符ふ、正弁極談にあらずや。なほ道を瘖聾に訪ふに、方を麾ひて遠邇を窮むることなし。を兎馬に問ふ、済るを知りて浅深を測らず。これによりて談ずるに、殷周の世は釈教のよろしく行すべきところにあらざるなり。なほ炎威耀を赫かす、童子目を正しくして視ることあたはず。迅雷ふるひ撃つ、懦夫耳を張りて聴くことあたはず。ここをもつて河池涌き浮ぶ、昭王、を誕ずることを懼る。雲霓色を変じ、穆后、聖を亡はんことを欣ぶ。[『周書異記』にいはく、《昭王二十四年四月八日、江河泉水ことごとく泛張せり。穆王五十三年二月十五日、暴風起りて樹木折れ、天陰り、雲黒し、白虹の怪あり》と。]あによく葱河を越えて化を稟け、雪嶺を踰えて誠を効さんや。『浄名』にいはく、〈これ盲者の過ちにして日月の咎にあらず〉と。たまたまその鑿竅の弁を窮めんと欲ふ、おそらくは吾子混沌の性を傷む。なんぢの知るところにあらず。その盲、一なり〉と。

 内には像塔を建造す、指の二。 〈漢明より以下、斉・梁に訖るまで、王・公・守牧清信の士・女、および比丘・比丘尼等、冥に至聖を感じ、国に神光を覩るもの、おほよそ二百余人。迹を万山に見、耀を滬涜に浮べ、清台のもとに満月の容を覩、雍門の外に相輪の影を観るがごときに至りては、南平は瑞像に応を獲、文宣は夢を聖牙に感ず。 蕭后一たび鋳て剋成し、宋皇四たび摸して就らず。その例、はなはだ衆し、つぶさに陳ぶべからず。あになんぢが無目をもつてかの有霊を斥はんや。しかるに徳として備はらざるものなし、これをいひて涅槃とす。道として通ぜざるものなし、これを名づけて菩提とす。智として周からざるものなし、これを称して仏陀とす。この漢語をもつてかの梵言を訳す、すなはち彼此の仏、昭然として信ずべきなり。なにをもつてかこれを明かすとならば、それ仏陀は漢には大覚といふ、菩提をば漢には大道といふ、涅槃は漢には無為といふなり。しかるに吾子終日に菩提の地を踏んで、大道はすなはち菩提の異号なることを知らず。形を大覚の境に稟けて、いまだ大覚は、すなはち仏陀の訳名なることを閑はず。ゆゑに荘周いはく、《また大覚あれば、後にその大夢を知るなり》と。 郭が『注』にいはく、《覚は聖人なり。いふこころは、患へ懐にあるはみな夢なり》と。『注』にいはく、《夫子子游と、いまだいふことを忘れて神解することあたはず、ゆゑに大覚にあらざるなり》と。君子のいはく、《孔丘の談ここにまた尽きぬ》と。涅槃寂照、識として識るべからず、智として知るべからず、すなはち言語断えて心行滅す。ゆゑに言を忘るるなり。法身はすなはち三点・四徳の成ずるところ、蕭然として無累なり。ゆゑに解脱と称す。これその神解として患息するなり。夫子、聖なりといへども、はるかにもつて功を仏に推れり。いかんとなれば、劉向が『古旧二録』を案ずるにいはく、《仏経中夏に流はりて一百五十年ののち、老子まさに五千文を説けり》と。しかるに周と老と、ならびに仏経の所説を見る。言教往々たり、験へつべし〉と。{乃至}

 『正法念経』にのたまはく、〈人戒を持たざれば、諸天減少し、阿修羅盛りなり。善竜力なし、悪竜力あり。悪竜力あれば、すなはち霜雹を降して非時の暴風疾雨ありて、五穀登らず、疾疫競ひ起り、人民飢饉す、たがひにあひ残害す。もし人戒を持てば、多く諸天威光を増足す。修羅減少し、悪竜力なし、善竜力あり。善竜力あれば、風雨時に順じ、四気和暢なり。甘雨降りて稔穀豊かなり、人民安楽にして兵戈息す。疾疫行ぜざるなり〉と。{乃至}

 君子いはく、〈道士大霄が『隠書』・『無上真書』等にいはく、《無上大道君の治は五十五重無極大羅天のうち、玉京の上、七宝の台、金床玉机にあり。 仙童・玉女の侍衛するところ、三十三天三界の外に住す》と。『神泉五岳図』を案ずるにいはく、《大道天尊は、太玄都、玉光州、金真の郡、天保の県、元明の郷、定志の里を治す。災及ばざるところなり》と。『霊書経』にいはく、《大羅はこれ五億五万五千五百五十五重天の上天なり》と。『五岳図』にいはく、《都とはみやこなり。太上大道、道のなかの道、神明君最、静を守りて大玄の都に居り》と。『諸天内音』にいはく、《天、諸仙と楼都の鼓を鳴らす。玉京に朝晏して、もつて道君を楽しましむ》〉と。

 道士の上ぐるところの経の目を案ずるに、みないはく、〈宋人陸修静によりて一千二百二十八巻を列ねたり〉と。もと雑書、諸子の名なし。しかるに道士いま列ぬるに、すなはち二千四十巻あり。そのなかに多く『漢書芸文志』の目を取りて、みだりに八百八十四巻を註して道の経論とす。{乃至}

 陶朱を案ずれば、すなはち范蠡なり。親り越の王勾践に事へて、君臣ことごとく呉に囚はれて、屎を嘗め尿を飲んで、またもつてはなはだし。また范蠡の子は、斉に戮さる。父すでに変化の術あらば、なんぞもつて変化してこれを免るることあたはざらん。『造立天地の記』を案ずるに称すらく、〈老子幽王の皇后の腹のなかに託生す〉と。すなはちこれ幽王の子なり。また〈身、柱史たり〉と。またこれ幽王の臣なり。『化胡経』にいはく、〈老子漢にありては東方朔とす〉と。もしあきらかにしからば、知んぬ、幽王犬戎のために殺さる。 あに君父を愛して神符を与へて、君父をして死せざらしめざるべけんや。{乃至}

 陸修静が目録を指す、すでに正本なし。なんぞ謬りのはなはだしきをや。しかるに修静、目をなすこと、すでにこれ大偽なり。いま『玄都録』またこれ偽中の偽なり」と。{乃至}

【106】 またいはく(弁正論)、「『大経』のなかに説かく、〈道に九十六種あり、ただ仏の一道これ正道なり、その余の九十五種においてはみなこれ外道なり〉と。朕、外道を捨ててもつて如来に事ふ。もし公卿ありて、よくこの誓に入らんものは、おのおの菩提の心を発すべし。老子・周公・孔子等、これ如来の弟子として化をなすといへども、すでに邪なり。ただこれ世間の善なり、凡を隔てて聖となすことあたはず。公卿・百官、侯王・宗室、よろしく偽を反し真に就き、邪を捨て正に入るべし。ゆゑに経教、『成実論』に説きていはく、〈もし外道に事へて心重く、仏法は心軽し、すなはちこれ邪見なり。もし心一等なる、これ無記にして善悪に当らず。仏に事へて心強くして老子に心少なくは、すなはちこれ清信なり。清といふは、清はこれ表裏ともに浄く、垢穢惑累みな尽す、信はこれ正を信じて邪ならざるがゆゑに、清信の仏弟子といふ。その余等しくみな邪見なり、清信と称することを得ざるなり〉と。{乃至}

 老子の邪風を捨てて法の真教に入流せよとなり」と。{以上抄出}

【107】 光明寺の和尚(善導)のいはく(法事讃・下)、「上方の諸仏恒沙のごとし。還りて舌相を舒べたまふことは、娑婆の十悪・五逆多く疑謗し、邪を信じ、鬼に事へ、神魔を餧かしめて、みだりに想ひて恩を求めて福あらんと謂へば、災障禍横にうたたいよいよ多し。連年に病の床枕に臥す。聾ひ盲ひ脚折れ、手攣き撅る、神明に承事してこの報を得るもののためなり。いかんぞ捨てて弥陀を念ぜざらん」と。{以上}

【108】 天台の『法界次第』にいはく、「一つには仏に帰依す。『経』(涅槃経)にのたまはく、〈仏に帰依せんもの、つひにまたその余のもろもろの外天神に帰依せざれ〉と。またのたまはく、〈仏に帰依せんもの、つひに悪趣に堕ちず〉といへり。二つには法に帰依す。いはく、〈大聖の所説、もしは教もしは理、帰依し修習せよ〉となり。三つには僧に帰依す。いはく、〈心、家を出でたる三乗正行の伴に帰するがゆゑに〉と。『経』(同)にのたまはく、〈永くまた更つて、その余のもろもろの外道に帰依せざるなり〉」と。{以上}

【109】 慈雲大師のいはく(楽邦文類)、「しかるに祭祀の法は、天竺(印度)に韋陀、支那(中国)には祀典といへり。すでにいまだ世を逃れず、真を論ずれば俗を誘ふる権方なり」と。[文]

【110】 高麗の観法師のいはく(天台四教儀)、「餓鬼道、梵語には闍黎多。この道また諸趣に遍す。福徳あるものは山林塚廟神となる。福徳なきものは、不浄所に居し、飲食を得ず、つねに鞭打を受く。河を填ぎ海を塞ぎて、苦を受くること無量なり。諂誑の心意なり。下品の五逆・十悪を作りて、この道の身を感 ず」と。{以上}

【111】 神智法師釈していはく(天台四教儀集解)、「餓鬼道はつねに飢ゑたるを餓といふ、鬼とは帰なり。『尸子』にいはく、古は死人を名づけて帰人とす。またいはく、人神を鬼といひ、地神を祇といふ。{乃至}形あるいは人に似たり、あるいは獣等のごとし。心正直ならざれば、名づけて諂誑とす」と。

【112】 大智律師のいはく(盂蘭盆経疏新記)、「神はいはく鬼神なり。すべて四趣、天・修・鬼・獄に収む」と。

【113】 度律師のいはく(観経扶新論)、「魔はすなはち悪道の所収なり」と。

【114】 『止観』(摩訶止観)の魔事境にいはく、「二つに魔の発相を明かさば、管属に通じて、みな称して魔とす。細しく枝異を尋ぬれば、三種を出でず。一つには慢悵鬼、二つには時媚鬼、三つには魔羅鬼なり。三種の発相、各々不同なり」と。

【115】 源信、『止観』によりていはく(往生要集・中)、「魔は煩悩によりて菩提を妨ぐるなり。鬼は病悪を起し命根を奪ふ」(意)と。{以上}

外典

【116】 『論語』にいはく、「季路問はく、〈鬼神に事へんか〉と。子のいはく、〈事ふることあたはず。人いづくんぞよく鬼神に事へんや〉」と。{以上抄出}

後序

開宗の縁由

【117】 ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛んなり。しかるに諸寺の釈門、教に昏くして真仮の門戸を知らず、洛都の儒林、行に迷ひて邪正の道路を弁ふることなし。
ここをもつて興福寺の学徒、太上天皇後鳥羽院と号す、諱尊成]今上土御門院と号す、諱為仁]聖暦、承元丁卯の歳仲春上旬の候に奏達す。主上臣下、法に背き義に違し、忿りを成し怨みを結ぶ。これによりて、真宗興隆の大祖源空法師ならびに門徒数輩、罪科を考へず、猥りがはしく死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて遠流に処す。予はその一つなり。
しかればすでに僧にあらず俗にあらず。このゆゑに禿の字をもつて姓とす。空師(源空)ならびに弟子等、諸方の辺州に坐して五年の居諸を経たりき。皇帝[佐渡院、諱守成]聖代、建暦辛未の歳子月の中旬第七日に、勅免を蒙りて入洛して以後、空(源空)、洛陽の東山の西の麓、鳥部野の北の辺、大谷に居たまひき。同じき二年壬申寅月の下旬第五日午時に入滅したまふ。奇瑞称計すべからず。別伝に見えたり。

聖人の入宗と稟教

【118】 しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。
元久乙丑の歳恩恕を蒙りて『選択』を書しき。
同じき年の初夏中旬第四日に、「選択本願念仏集」の内題の字、ならびに「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」と「釈綽空」の字と、空の真筆をもつて、これを書かしめたまひき。
同じき日、空の真影申し預かりて、図画したてまつる。
同じき二年閏七月下旬第九日、真影の銘は、真筆をもつて「南無阿弥陀仏」と「若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚 彼仏今現在成仏 当知本誓重願不虚 衆生称念必得往生」(礼讃)の真文とを書かしめたまふ。
また夢の告げによりて、綽空の字を改めて、同じき日、御筆をもつて名の字を書かしめたまひをはんぬ。本師聖人(源空)今年は七旬三の御歳なり。
 『選択本願念仏集』は、禅定博陸[月輪殿兼実、法名円照]の教命によりて撰集せしめるところなり。
真宗の簡要、念仏の奥義、これに摂在せり。見るもの諭り易し。
まことにこれ希有最勝の華文、無上甚深の宝典なり。年を渉り日を渉りて、その教誨を蒙るの人、千万なりといへども、親といひ疎といひ、この見写を獲るの徒、はなはだもつて難し。
しかるにすでに製作を書写し、真影を図画せり。これ専念正業の徳なり、これ決定往生の徴なり。
よりて悲喜の涙を抑へて由来の縁を註す。

本典撰述の本意

 慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。深く如来の矜哀を知りて、まことに師教の恩厚を仰ぐ。慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。これによりて、真宗の詮を鈔し、浄土の要を摭ふ。ただ仏恩の深きことを念うて、人倫の嘲りを恥ぢず。もしこの書を見聞せんもの、信順を因とし、疑謗を縁として、信楽を願力に彰し、妙果を安養に顕さんと。

『安楽集』の文

【119】 『安楽集』にいはく(上)、「真言を採り集めて、往益を助修せしむ。いかんとなれば、前に生れんものは後を導き、後に生れんひとは前を訪へ、連続無窮にして、願はくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽さんがためのゆゑなり」と。{以上}

  【120】 しかれば末代の道俗、仰いで信敬すべきなり、知るべし。

『華厳経』の文

【121】 『華厳経』(入法界品・唐訳)の偈にのたまふがごとし。「もし菩薩、種々の行を修行するを見て、善・不善の心を起すことありとも、菩薩みな摂取せん」と。{以上}



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