以下は、梯實圓和上著 聖典セミナー『教行信証』(信の巻)より(*)
文字の強調及び各聖典へのリンクは私において行った。
たまわりたる信心
本文
- それおもんみれば、信楽を獲得することは、如来選択の願心より発起す。真心を開闡することは、大聖(釈尊)矜哀の善巧より顕彰せり。 (信巻 P.209)
現代語訳
思えば、わたしが信楽を獲たことは、一切の衆生を救済しようと願い立たれた如来の選択本願の大悲心よりおこったことでした。そしてこの信心が、清浄真実の仏心であることは、大聖釈尊が哀れみをこめて説かれた巧みなみ教えによって明らかになったことでした。
信心について
信心のことを第十八願には「信楽」といわれています。信楽とはサンスクリットの「プラサーダ」[1]を中国語に翻訳したもので、信心とも浄信とも訳されています。ですから『無量寿経』の下巻のはじめに、本願が完成したことを告げる本願成就文では、「信心歓喜」と訳されていますし、異訳の『無量寿如来会』の成就文では「浄信」と訳されていました。ですから信心といっても、
信楽といっても浄信といっても意味に変わりはありません。もともと信(プラサーダ)とは、濁った心を「澄浄ならしめる」はたらきをもった心のことでした。仏陀の説かれた迷いとさとりについての正しい道理を正しく理解し、仏・法・僧の三宝の真実性を認めることによって成立する心であって、あらゆる善のよりどころとなる心であるといわれていました。
ところで、プラサーダを訳した中国語の「信」には、誠(まこと)という意味があります。親鸞聖人が字訓釈に信の字訓を挙げて、「信の言は、真なり、実なり、誠なり」といわれたのは、そのゆえです。ですから至心(真実心)と共通する意味を持っているのです。しかし同じ真実ですが、「信」の場合は、人偏に「言」という字が書いてあるように、とくにその言葉に「うそ・いつわり」がないことを信といい表しています。嘘も偽りもない、表裏のない「まこと」の言葉、これが信という言葉にこもっている意味です。人間の言葉には、嘘と偽りと裏切りがつきものですから、「信」とか「真」という言葉が文字どおりに適用できるのは、我執・煩悩を完全に浄化された如来のお言葉だけであるというのが親鸞聖人の領解でした。
プラサーダにも、仏陀の教えを素直に受け容れるという意味がありますが、嘘も偽りもない仏陀の言葉を聞いたとき、それを疑うことはまことに失礼なことです。まことの言葉は、疑いをまじえずに、仰せのとおりに聞き受けるべきですから、信には「疑いをまじえない」という意味が自ずから具わっています。そこで法然聖人や親鸞聖人は、この「無疑」という意味を信心の中心的な意味として用いられたのでした。
信はまた信順と熟語されるように、順(したがう)の意味があります。本願のみ言葉を疑いなく受け容れるということは、如来の仰せに順うことを表しています。また阿弥陀仏の「かならず救う」という仰せを疑いなく受け容れ、仰せに順うということは、如来の救いをたのみとしてまかせるという意味があるので、信心を「たのむ」という和語で表すようになりました。なおこの場合の「たのむ」は、漢字の「憑」*の和訓として用いられていたことが法然聖人や親鸞聖人の用語例から知ることができます。憑は信憑と熟字されるように、信には憑の意味があったからです。憑とは、「よりたのむ、よりかかる、まかせる」という意味を表していました。
ところで「行文類」の六字釈に、帰命の帰の字の意味を表すのに「よりたのむなり」「よりかかるなり」(『原典版聖典』二一一頁)という左訓が施されているのは、信心と帰命とを同義語としたうえで共通の訓として「たのむ」を挙げられたものです。『唯信抄文意』に、「唯信」を釈して、「本願他力をたのみて自力をはなれたる、これを唯信といふ」(『註釈版聖典』六九九頁)といわれているのは、信を「たのむ」と和訳されていた証拠です。なお帰命と信心の関係については、「行文類」の六字釈のところで述べましたから、参照してください。
さて信を無疑心といわれた場合、信の反対概念は明らかに疑とみなされています。しかし、もともと仏教では一般に「信」の反対概念は、心を汚し濁らせ、怠けさせるはたらきを意味する「不信」であって、かならずしも疑ではありません。「疑」の反対概念は「不疑」なのです。疑とは、正しい因果の道理を聞いても、ためらって受容できない心で、「猶予して(ためらって)決定しない心」のことです。その反対の「不疑」は、得失、邪正等を簡択する(明確に選び分け、決定する)はたらきをもつ勝慧(勝れた簡択力)であって、そのはたらきによって猶予不定の疑を断ち切っていくと見られていました。
もっとも、信という概念に、疑わないという意味を持たせる釈もあります。たとえば、浄影寺慧遠大師の『大乗義章』に、信を定義して、「三宝等において、浄心不疑なるを信と名づく」(『大正蔵』四四、四九二頁)[1]といっているのがそれです。さらに善導大師は『往生礼讃』の深心釈に「二には深心。すなはちこれ真実の信心なり」(『註釈版聖典』七祖篇六五四頁)といい、その法の深信の釈のなかに「さだめて往生を得と信知して、すなはち一念に至るまで疑心あることなし。ゆゑに深心と名づく」といい、深心、すなわち信心の反対を疑心と見られています。それを承けて、法然聖人は、『往生大要紗』に「うたがひをのぞくを信とは申すべきなり」(『和語灯録』一、『真聖全』四、五八六頁)(*)といわれました。とりわけその『選択集』「三心章」(*)には、先に述べたように生死に迷うか、涅槃をさとるかは、本願を信ずるか、疑うかによって決まるといわれるように、信の反対語は疑であるといわれていました。
親鸞聖人は、その法然聖人の釈を承けて、『一念多念文意』には、「信心は如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり」(『註釈版聖典』六七八頁)と定義し、「信文類」では「疑蓋間雑あることなし。ゆゑに信楽と名づく」(『註釈版聖典」二三五頁)といわれています。要するに信心とは、阿弥陀如来の本願のみ言葉を、疑いを雑えないで聞き受けていることをいうので、それをまた信楽ともいうのです。
ところで、その信の反対概念である本願疑惑とは、「自力のはからい」のことであるというのが親鸞聖人の特徴です。自力のはからいとは、人間の分別的な知性をもって、無分別智を本体としている如来の本願を計り知ろうとすることです。人間の知性は、生死、善悪、賢愚、持戒破戒、老少、男女というように、あらゆる事柄を二元的、対立的に分別して理解していく分別知を特徴としています。それも自己中心的に分別して名前をつけ、あらゆる物事を言葉に対応する実体があるように思い込んで執着していきます。それを虚妄分別と呼んでいます。一方、仏陀のさとりの特徴は、生死を超え、善悪を超え、あらゆる対立を超えて、万物を一如とみていく無分別智にあります。
その無分別智によって確認された万物一如の領域を人びとに知らせて、目覚めさせるために、あえて二元的対立的な言葉を用いて、人びとに呼びかけられているのが、阿弥陀仏の本願の言葉であり、それを一言で表しているのが南無阿弥陀仏という名号でした。それは、言葉を超えた領域を知らせる言葉なのです。そのような言葉を紡ぎ出していく智慧を、無分別後得智とも権智とも呼んでいます。それはまさに、迷える衆生を喚び覚まそうとしてはたらく大悲の智慧というべきものでした。
そのような大悲の智慧の言葉が告げる世界は、人間の分別的な知性が捉えている対立と差別の世界とはまったく違って、老少、善悪、賢愚を選ばず包み込み、万人を分け隔てなく救っていくという平等無礙の世界です。そういう救いの世界を告げ知らせて、虚妄分別を超えさせようとする本願の言葉は、本来人間の知性を超えています。それゆえ私たちが、自己の持つ知性によって量り知ろうとした途端に、もっとも大切な平等無礙の救いの領域が、私たちの前から消えてしまいます。自力のはからいが、真実の如来も浄土も無礙の救いも、すべてを覆い隠してしまうのです。そのような自力のはからいを「本願を疑う心」というのです。それゆえ私たちは、本願を聞くときには、私の考えをまじえずに、ひたすら如来の仰せを仰せのままに聞き受ける以外に、如来の救いに遇わせていただく道はないのです。本願の言葉を仰せのとおりに受け容れたとき、その受け容れた本願の言葉が、いままで想像もできなかった、如来を中心とした新しい救いの世界を知らせてくれるのです。
信心の淵源
「別序」のはじめに、「信楽を獲得することは、如来選択の願心より発起す。真心を開闡することは、大聖(釈尊)矜哀の善巧より顕彰せり」といわれるのは、これから顕そうとする信心は、弥陀・釈迦二尊の巧みなおはからいによって私のうえに実現した本願力回向の信心であることを、まず第一に明らかにされた文章です。
まず「信楽を獲得する」といわれた信楽とは、本願を聞いて疑いなく受け入れる心ですが、そのような信楽が私の心におこってきたことを、ここでは獲得といわれています。「獲」も「得」も、どちらもいままで無かったものが有るようになったことですが、ただ、親鸞聖人は、八十六歳のときに著された『尊号真像銘文』(広銘文、『註釈版聖典』六四八頁)や、同じくその年の十二月に顕智上人の質問に応答された『獲得名号自然法爾御書』(『影印・高田古典』巻三、二頁)には、「獲」と「得」とを使い分けて、因位の時に「うる」ことを「獲」といい、果の位において「うる」ことを「得」というように因と果に使い分けをされていますが、それ以前はそれほど厳格な使い分けはなされていません。ですから、いままでなかった信心があるようになったということを、信楽を獲得するといわれているとみるべきでしょう。
ところで、真実の信心は、如来の願心に根ざしておこるものであって、決して人間の心から出たものではないというのが親鸞聖人の領解でした。自分の知性による判断(自力のはからい)をまったくまじえることなく、本願の仰せをそのまま受け容れるような信心は、如来から与えられた心であって、その本体は仏心であるような心です。そのことを「如来選択の願心より発起」せしめられた信であり、「大聖矜哀の善巧より顕彰せ」る真心であるといわれるのです。
この場合の「如来」とは阿弥陀仏を指しており、「大聖」とは釈尊を指していると『六要鈔』にいわれているように、弥陀・釈迦二尊のおはからいによって恵まれた信心だったのです。
とりわけ、信心を獲ることは如来選択の願心より発起した事柄であるということを詳しく述べられるのが、「信文類」の中核をなす三一問答(三心一心の問答)(*)
の法義釈です。
「選択の願心」というのは、阿弥陀仏が、念仏の一行(その行体は本願の名号)を、生きとし生けるすべてのものの往生の行として選び取らねばならなかったお心のことです。とりわけ法蔵菩薩が、五劫ものあいだ思惟を重ねなければ救いの方法すら見出せなかったほどの、深い罪業にまつわられた愚悪の凡夫を、救おうと願いたたれた大悲心を指していました。具体的には、一切の自力の行は、難行であって、しかも劣行であるとして選び捨て、最勝の仏徳を名号に込めて、愚かで力なき私がいただけるよう、勝易具足の念仏一行を決定往生の行とし選び取って与えてくださった、大悲の願心が選択の願心であり、その仏心を聞いて感動し、念仏往生の本願を疑いなく受け容れている心が信楽なのです。だから「信楽は選択の願心より発起す」るといわれるのです。
『歎異抄』後序には、親鸞聖人の述懐として、
- 「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」 (『註釈版聖典』八五三頁)
という言葉が挙げられていますが、それこそ如来選択の願心に感応し、疑いなく聞き受けておられる信楽のすがたです。それはまた「たすけんとおぼしめしたちける本願」が、私の心に響きこんでいるすがたというべきですから、親鸞聖人はそれを「選択回向の直心」といい、本願力回向の信心といわれるのです。
次に「真心を開闡することは、大聖矜哀の善巧より顕彰せり」といわれる「大聖」とは、釈尊を指しています。「真心」というのは真実の信心ということで、信心は、私たちのうえに起こっている事実に違いありませんが、その本体(信体)は、真実なる仏心であるということを表すために、信心を真心ともいわれるのです。『高僧和讃』に、
- 真心徹到するひとは 金剛心なりければ
- 三品の懺悔するひとと ひとしと宗師はのたまへり (『註釈版聖典』五九一頁)
といわれています。「真心徹到する」という「徹」とは貫き通るということであり、「到」は至るという意味です。金剛のように堅固な如来の真実心が、私の頑なな迷いの心を貫き通って到り届いているすがたが信楽なのです。その信心の体は真心であり、それが私のうえにあるありさまは、疑いなく受け容れている信楽ですから、真心は信体、信楽はその信相といいならわしているのです。
そのような信心の道理を広く開き示して、私たちに知らせてくださるのは、釈尊の巧みな教説ですから、「真心を開闡することは、大聖矜哀の善巧より顕彰せり」といわれるのです。「矜哀」には「おほきにあはれむ」という左訓が施されているように、釈尊が真実を見失って迷い苦しむ一切の衆生を広く哀れみたまうて、巧みな言葉をもって、私たちを導いてくださっているのが『無量寿経』であり、広くいえば「浄土三部経」なのです。それを「大聖矜哀の善巧」といわれるのです。
「顕彰せり」という、「顕」も「彰」も「あらわす」という意味です。なお親鸞聖人は「顕」と「彰」を使い分けをして、法義を展開されることがありますが、いまはさまざまな意味を含みながらも、釈尊は巧みな方法を講じて私たちに阿弥陀仏の本願の信心のもつ深い内容を顕し示してくださったと讃仰された文章です。
こうして、弥陀・釈迦二尊の御はからいによって、真実信心が恵み与えられたことを讃仰されるのですが、そこに自ずから「信文類」は、そのような本願の信心のもつ深い内容を明らかにするものであるということが言明されています。その意味で、「信文類」撰述の対内的な理由を示されたものともいえましょう。
- ↑ プラサーダ(Prasada)とは、サンスクリット語で、仏陀の教えを聞くことによって、心が清らかに澄みわたることをいう。浄土真宗では、「信」は澄浄の義とされ、阿弥陀如来の本願を疑いなく受け容れることをいう。
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