「三願的証」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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− | なお曇鸞大師の当面では[[第十一願]]は浄土の[[正定聚]]であるが、御開山は剋念願生する者(此土)と浄土に往生した者(彼土)との二類の[[正定聚]]があることを示された。 | + | なお曇鸞大師の当面では[[第十一願]]は浄土の[[正定聚]]であるが、御開山は剋念願生する者(此土)と浄土に往生した者(彼土)との二類の[[正定聚]]があることを示された。<br /> |
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また[[第二十二願]]は曇鸞大師の当面では、第二十二願力によって速やかに常倫諸地の行を超出(超出常倫 諸地之行)と速やかに一生補処に至ることをいふのだが、御開山は還相回向の願とみられた。 | また[[第二十二願]]は曇鸞大師の当面では、第二十二願力によって速やかに常倫諸地の行を超出(超出常倫 諸地之行)と速やかに一生補処に至ることをいふのだが、御開山は還相回向の願とみられた。 |
2022年10月7日 (金) 17:42時点における版
さんがん-てきしょう
- 『論註』で本願力(仏力)に拠って速やかに往生成仏することを三願によって証明された釈文。(行巻 P.193で引文)
さんがん-てきしょう
的取三願ともいう。曇鸞の『浄土論註』巻下(論註 P.155) に見える説。『浄土論』には、五念門の行を修めることによってすみやかに成仏するといわれているが、それは五念門によって浄土へ生まれ、浄土の菩薩として他を教化するから自利と利他とが完成するのによるとして、浄土往生によってすみやかに成仏する根拠を、阿弥陀仏の四十八願のうちの三願を取り出して証明したもの。
即ち第十八願によれば、念仏して往生するから迷いの世界に輪廻することがなく、第十一願によれば浄土の衆生は正定聚に住するから必ず滅度(さとり)に至り堕落することがない。
そして第二十二願によれば浄土の菩薩は一地より一地へと次第に進むことなく諸地の行を同時に修め、また利他の行を修める。このように、往生のためにも往生の後の生活においてもすべて阿弥陀仏の本願力によるのであるから、すみやかに往生成仏することになるという。これによって往生の因である五念門と、往生してからの果である五功徳門のうちの前の四門および第五門とがいずれも本願力によることを、順次に三願をもって証明したのである。(仏教学辞典)
さんがんてきしょう 三願的証
と説かれている理由について、曇鸞は『論註』覈求其本釈に
- 「しかるに
覈 に其の本 を求むるに、阿弥陀如来を増上縁となす」(七註 155)
と述べ、さらに
- 「おほよそこれかの浄土に生ずると、およびかの菩薩・人・天の所起の諸行とは、みな阿弥陀仏の本願力によるがゆゑなり。なにをもつてこれをいふとなれば、もし仏力にあらずは、四十八願すなはちこれ徒設ならん。いま
的 らかに三願を取りて、もつて義の意を証せん」(七註 155)
と述べている。そして第十八願力によって往生の因であるところの十念念仏が成就せしめられ、往生すれば第十一願力によって必ず滅度に至ることのできる正定聚に住せしめられ、さらにこの正定聚の菩薩は第二十二願力によって諸地の階位を超越して一生補処に至らしめられ、普賢の行 (
的は、あたる。要点をつく。たしか。あきらかという意。浄土往生の意義を三願の要点をあきらかにして証明するという意。(行巻 P.193で引文)
なお曇鸞大師の当面では第十一願は浄土の正定聚であるが、御開山は剋念願生する者(此土)と浄土に往生した者(彼土)との二類の正定聚があることを示された。
- 『論游』の訓
剋念願生 亦得往生則入正定聚。
- 剋念して生ぜんと願ずれば、また往生を得て、すなはち正定聚に入る。(論註 P.119)
- 御開山の訓
また第二十二願は曇鸞大師の当面では、第二十二願力によって速やかに常倫諸地の行を超出(超出常倫 諸地之行)と速やかに一生補処に至ることをいふのだが、御開山は還相回向の願とみられた。
- →五願開示