「要門」の版間の差分
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− | 浄土に往生する肝要の法門。([[ | + | 浄土に往生する肝要の法門。([[観経疏 玄義分 (七祖)#P--297|玄義分 P.297]]、[[安楽集 (七祖)#P--246|安楽集 P.246]]) |
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:たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、[[菩提心]]を発し、[[もろもろの功徳]]を修して、至心発願してわが国に生ぜんと欲せん。寿終るときに臨んで、たとひ大衆と[[囲繞]]してその人の前に現ぜずは、正覚を取らじ。([[大経上#19gan|大経 P.18]]) | :たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、[[菩提心]]を発し、[[もろもろの功徳]]を修して、至心発願してわが国に生ぜんと欲せん。寿終るときに臨んで、たとひ大衆と[[囲繞]]してその人の前に現ぜずは、正覚を取らじ。([[大経上#19gan|大経 P.18]]) |
2024年7月12日 (金) 14:39時点における最新版
ようもん
浄土要門。
浄土に往生する肝要の法門。(玄義分 P.297、安楽集 P.246)
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
ようもん 要門
浄土に往生するための肝要な門の意。善導は「玄義分」に「その要門とはすなはちこの『観経』の定散二門これなり」(化身土巻引文・註 383) と述べ、定散二門(定散二善) のこととする。親鸞は、弘願に転じ入らせる法門のこととして用い、第十九願、およびこれを開説した『観経』顕説にもとづく自力諸行往生の法門のこととし、弘願に対する語とした。「化身土巻」には、
- 「これによりて方便の願を案ずるに、仮あり真あり、また行あり信あり。願とはすなはちこれ臨終現前の願なり。行とはすなはちこれ修諸功徳の善なり。信とはすなはちこれ至心・発願・欲生の心なり。この願の行信によりて、浄土の要門、方便権仮を顕開す」(註 392)
とある。(浄土真宗辞典)
要門、真門、弘願という言葉によって法義をあらわしたのは善導大師であった。親鸞聖人はこの言葉を自力と他力をあらわす教判の意味に使われている。親鸞聖人は第十九願を聖道門から浄土門へ入らしめる肝要の門と見られた。このため第十九願は、
- たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、菩提心を発し、もろもろの功徳を修して、至心発願してわが国に生ぜんと欲せん。寿終るときに臨んで、たとひ大衆と囲繞してその人の前に現ぜずは、正覚を取らじ。(大経 P.18)
と、聖道門の行体である自力の「菩提心を発 (発菩提心)」して「もろもろの功徳を修 (修諸功徳)」して浄土を欣慕させる願だとみられた。そして、この第十九願の法門を要門とされ『観経』には聖道門の行体が顕説 (顕著に説かれている教義) で説かれているとみられた。『観経』を「如来の異の方便、欣慕浄土の善根なり。これはこの経の意なり」(化巻 P.381)とされた所以である。
『観経』の大綱を示す『観経疏』玄義分には、
- しかも娑婆の化主(釈尊)はその請によるがゆゑにすなはち広く浄土の要門を開き、安楽の能人(阿弥陀仏)は別意の弘願を顕彰したまふ。(玄義分 P.300)
とあり『観経』は、韋提希 の要請(随他意)によって釈尊が要門の教義を説かれた経典であり、そこには阿弥陀仏 (安楽の能人)の「弘願」(随自意)が説かれているという示唆によって、御開山は『観経』に『無量寿経』の弘願の教法が隠彰 (隠微に彰わされる教義) という形で説かれているとみられた。
それは『観経』の流通分 (=経典の本意を後世に伝える方法を期する部分) に、
- なんぢ、よくこの語を持(たも)て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名(みな)を持(たも)てとなり。(観経 P.117)
とあり、「散善義」ではその意を、
- 「仏告阿難汝好持是語」より以下は、まさしく弥陀の名号を付属して、遐代に流通せしめたまふことを明かす。
- 上来定散両門の益を説くといへども、仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり。(散善義 P.500)
と、阿弥陀仏の本願に望めて「衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむる (衆生一向専称弥陀仏名)」とされていた。これらによって『観経』は定善十三観や廃悪修善の三観を説く経典ではなく、その本意は〔なんまんだぶ〕(=即是持無量寿仏名)を説く経典であると御開山は見られたのである。法然聖人の提唱された「選択本願念仏」の意を『無量寿経』の乃至十念の〔なんまんだぶ〕という、
- しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。(行巻 P.146)
と、されたのであった。