「選択本願」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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それは、称名念仏を選び取る主体が自己ではなく、阿弥陀仏が本願に[[正定業]]('''正'''しく往生の決'''定'''する行'''業''')として選び定められてあったからである。「順彼仏願故 (かの仏願に順ずるが故に)」の文に主体の大転換がされたからであった。念仏を称えるから救われるのではない、念仏を称える者を[[済度]]するという本願があるから救われるのであった。「順彼仏願故の文たましいに染み心に留むるのみ」[[hwiki:法然教学の研究#h_esin|(*)]] とされておられる所以である。この阿弥陀仏が往生の行として[[第十八願]]に称名念仏を選んであった意を二十三年後(1198)に浄土教の教義として述べられたのが『選択本願念仏集』であった。このように、[[選択本願]]という用語は、[[第十八願]]に誓われている「[[乃至十念]]」の称名念仏(なんまんだぶ)が阿弥陀仏の選択であることを特長づける言葉であった。<br /> | それは、称名念仏を選び取る主体が自己ではなく、阿弥陀仏が本願に[[正定業]]('''正'''しく往生の決'''定'''する行'''業''')として選び定められてあったからである。「順彼仏願故 (かの仏願に順ずるが故に)」の文に主体の大転換がされたからであった。念仏を称えるから救われるのではない、念仏を称える者を[[済度]]するという本願があるから救われるのであった。「順彼仏願故の文たましいに染み心に留むるのみ」[[hwiki:法然教学の研究#h_esin|(*)]] とされておられる所以である。この阿弥陀仏が往生の行として[[第十八願]]に称名念仏を選んであった意を二十三年後(1198)に浄土教の教義として述べられたのが『選択本願念仏集』であった。このように、[[選択本願]]という用語は、[[第十八願]]に誓われている「[[乃至十念]]」の称名念仏(なんまんだぶ)が阿弥陀仏の選択であることを特長づける言葉であった。<br /> | ||
− | + | この意を継承された御開山は「教文類」で、 | |
− | :つつしんで[[浄土真宗]]を案ずるに、二種の回向あり。一つには[[往相]]、二つには[[還相]]なり。往相の回向について真実の教行信証あり。([[教巻#P--135|教巻 P.135]]) | + | :つつしんで'''[[浄土真宗]]'''を案ずるに、二種の回向あり。一つには[[往相]]、二つには[[還相]]なり。往相の回向について真実の教行信証あり。([[教巻#P--135|教巻 P.135]]) |
+ | とされ『浄土文類聚鈔』では、 | ||
+ | :しかるに'''[[本願力の回向]]'''に二種の相あり。一つには[[往相]]、二つには[[還相]]なり。[[往相]]について[[大行]]あり、また[[浄信]]あり。([[浄文#P--478|浄文 P.478]]) | ||
と、『浄土論』『論註』の「[[本願力]]」という語の示唆によって、往相と還相の本願力による二回向の教(おしえ)・'''行'''(おこない)・信(まこと)・証(あかし)の'''[[行業]]'''としてあらわして下さったのであった。 | と、『浄土論』『論註』の「[[本願力]]」という語の示唆によって、往相と還相の本願力による二回向の教(おしえ)・'''行'''(おこない)・信(まこと)・証(あかし)の'''[[行業]]'''としてあらわして下さったのであった。 | ||
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2020年1月29日 (水) 04:06時点における版
せんじゃくほんがん
阿弥陀仏が
Ⅰ 選択本願(第十八願)の行。名号が(乃至十念)の称名となって顕れていることを示す。 (行巻 P.170)
Ⅱ →選択本願念仏集
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
- 選択本願
阿弥陀仏の四十八願の根本である第十八願において、衆生往生の行が選択されたという意。また、その第十八願を指して選択本願という。法然は『選択集』「本願章」において、称名念仏と諸行を「勝劣の義」「難易の義」(選択集 P.1207)によって論じ、選択の意義を述べている。 そして、衆生が修めるべき浄土往生の行について、難劣である諸行が選び捨てられ、勝易二徳をそなえた行である称名念仏が選び取られたのが第十八願であるとする。 さらに
- 弥陀如来、法蔵比丘の昔平等の慈悲に催されて、あまねく一切を摂せんがために、造像起塔等の諸行をもつて往生の本願となしたまはず。ただ称名念仏一行をもつてその本願となしたまへり。(選択集 P.1209)
と述べ、いかなる者も修めることのできる称名念仏を浄土往生の行として誓う阿弥陀仏の選択の願心は、一切衆生を平等に救おうとする大慈悲心のほかならないことを明らかにしている。このように法然は念仏往生を誓った第十八願は平等の慈悲がまさしく具現したものであるとうけとめ、これを「本願の王」(選択集 P.1228)とも呼んでいる。(浄土真宗辞典)
法然聖人が四十三歳(1175)の時に善導大師の『観経疏』「散善義」の、
一心専念弥陀名号 行住坐臥 不問時節久近 念念不捨者 是名正定之業 順彼仏願故 。- 一心にもつぱら弥陀の名号を念じて、行住坐臥時節の久近を問はず念々に捨てざるもの、これを正定の業と名づく。かの仏の願に順ずるがゆゑに。(信巻で引文 P.221)
の一文によって回心されたことは有名である。→法然聖人の回心
それは、称名念仏を選び取る主体が自己ではなく、阿弥陀仏が本願に正定業(正しく往生の決定する行業)として選び定められてあったからである。「順彼仏願故 (かの仏願に順ずるが故に)」の文に主体の大転換がされたからであった。念仏を称えるから救われるのではない、念仏を称える者を済度するという本願があるから救われるのであった。「順彼仏願故の文たましいに染み心に留むるのみ」(*) とされておられる所以である。この阿弥陀仏が往生の行として第十八願に称名念仏を選んであった意を二十三年後(1198)に浄土教の教義として述べられたのが『選択本願念仏集』であった。このように、選択本願という用語は、第十八願に誓われている「乃至十念」の称名念仏(なんまんだぶ)が阿弥陀仏の選択であることを特長づける言葉であった。
この意を継承された御開山は「教文類」で、
とされ『浄土文類聚鈔』では、
と、『浄土論』『論註』の「本願力」という語の示唆によって、往相と還相の本願力による二回向の教(おしえ)・行(おこない)・信(まこと)・証(あかし)の行業としてあらわして下さったのであった。