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− | 各宗の教学で種々に分類解釈されるが、浄土真宗では、<ruby><rb>権仮</rb><rp>(</rp><rt>ごんけ</rt><rp>)</rp></ruby>方便と<ruby><rb>善巧</rb><rp>(</rp><rt>ぜんぎょう</rt><rp>)</rp></ruby>ほうべんとの二種類が用いられる。 | + | 各宗の教学で種々に分類解釈されるが、浄土真宗では、<kana>権仮(ごんけ)</kana>方便と<kana>善巧(ぜんぎょう)</kana>方便との二種類が用いられる。 |
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− | :②善巧方便。仏・菩薩が<ruby><rb>衆生</rb><rp>(</rp><rt>しゅじょう</rt><rp>)</rp></ruby>をさとりに導くために、衆生の素質や能力に応じて巧みに<ruby><rb>教化</rb><rp>(</rp><rt>きょうけ</rt><rp>)</rp></ruby>する大悲の具現としての手段、方法。→[[補註15]]。
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| + | #[[四善根・三賢|四善根位・三賢位]]のこと。 ([[往生要集下巻 (七祖)#P--1123|要集 P.1123]]) |
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2023年7月12日 (水) 16:12時点における最新版
ほうべん
梵語ウパーヤ(upāya)の漢訳。近づく、到達するの意で、巧みな方法を用いて衆生を導くこと。
各宗の教学で種々に分類解釈されるが、浄土真宗では、権仮方便と善巧方便との二種類が用いられる。
- 権仮方便。真実の法に入らしめるために仮に設けた法門のこと。方便の願、方便の行信、方便仮身土というようなものがこれに相当する。この方便は、一度真実に入ったならば不要となり廃されるため暫用還廃(暫く用いて還りて廃す)の法といわれる。
- 善巧方便。仏・菩薩が衆生をさとりに導くために、衆生の素質や能力に応じて巧みに教化する大悲の具現としての手段、方法。→補註15。(高僧 P.597)
- 四善根位・三賢位のこと。 (要集 P.1123)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
ほうべん 方便
梵語ウパーヤ (upāya) の意訳。近づく、到達するの意。巧みな方法を用いて衆生を導くこと、真実の法に導くための仮のてだてとしての教え、巧みな教化方法、差別の事象を知って衆生を利益する智慧など種々の意味がある。『論註』には
- 「かの仏国はすなはちこれ畢竟成仏の道路、無上の方便なり」 (証巻引文 註 327)
とある。浄土真宗では、善巧方便と権化方便との2種類の意があるとされる。→善巧方便、→権化方便、→補註15。
- →善巧方便
- →権仮方便
- →トーク:方便
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15 方便・隠顕
方便とは、仏が衆生を救済するときに用いられるたくみな方法(てだて)をいう。その中に真実と権仮とがある。真実の方便とは、仏の本意にかなって用いられる教化の方法で、随自意の法門をいう。それは、大智を全うじた大悲が巧みな方法便宜をもって衆生を済度されるというので、善巧方便ともいう。阿弥陀仏を方便法身というときの方便がそれである。
権仮方便とは、未熟な機は直ちに仏の随自意真実の法門を受けとれないから、その機に応じて、仮に暫く誘引のために用いられる程度の低い教えをいう。機が熟すれば真実の法門に入らしめて、権仮の法門は還って廃せられる。このように暫く用いるが、後には還って廃するような随他意の法門を権仮方便という。「方便化身土」といわれるときの方便がそれである。
親鸞聖人は四十八願の中で、往生の因を誓われた第十八願、第十九願、第二十願のうち第十八願のみが真実願であり、第十九願、第二十願は方便願であるとされた。第十八願は、他力回向の行信によって、真実報土の果を得しめられる真実願であり、第十九願は、自力諸行によって往生を願うものを、臨終に来迎して方便化土に往生せしめることを誓われたものであり、第二十願は、自力念仏によって往生を願うものを、方便化土に往生せしめることを誓われた方便願であるといわれるのである。そしてこの三願は、聖道門の機を浄土門に誘うために第十九願が、自力諸行の機を念仏の法門に導き、さらにその自力心を捨てしめて第十八願の他力念仏往生の法門に引き入れるために第二十願が誓われたとされている。
阿弥陀仏の第十九願に応じて説かれた釈尊の教えが『観経』であり、第二十願に応じて説かれた教えが『小経』である。『観経』に説かれた教えは、定善・散善といういろいろな善根によって阿弥陀仏の浄土に往生するというものであり、『小経』に説かれた教えは、一心不乱の自力称名念仏によって往生するというものである。第十九願・第二十願の教えが、第十八願の教えに引き入れようとするものであるのと同じく、『観経』、『小経』を説かれた釈尊の本意は、他力念仏の教えを説くことにある。したがって表面に説かれた教えは、前に述べたようなものであるが、その底を流れる釈尊の真意が、部分的に表面にあらわれている。『観経』に、「なんぢよくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり」(117) とあり、『小経』に「難信の法」(128) とあるのがその例である。このように表面に説かれた自力の教えを「顕説」といい、底に流れる他力の教えを「隠彰」という。これによって『観経』、『小経』には、隠顕の両意があるといわれる。こうして浄土三部経は、顕説からいえば真実教と方便教の違いがあるが、隠彰の実義からいえば三経ともに第十八願の真実の法門が説かれていることがわかる。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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- →トーク:方便ノート:方便参照