「大行」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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2018年1月25日 (木) 20:00時点における版
だいぎょう
→補註10 (行巻 P.141, 浄文 P.478, 名号 P.731)
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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補 註 |
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阿弥陀仏 |
往生・真実証・浄土 |
機・衆生 |
具縛の凡愚・屠沽の下類 |
業・宿業 |
正定聚 |
信の一念・聞 |
真実教 |
旃陀羅 |
大行・真実行 |
大信・真実信 |
他力・本願力回向 |
同朋・同行 |
女人・根欠・五障三従 |
方便・隠顕 |
菩薩 |
本願 |
→七祖 補註へ |
10 大行・真実行
大行とは、第十七願に誓われた諸仏
行とは、一般に教・行・証という場合の行は、梵語のチャリヤー(caryā)の漢訳で、菩提、涅槃に至るための行為を意味する。『
このように大行とは、真如にかない、無量の徳をもち、
「行巻」の
その名義である光明智相とは、衆生の無明(むみょう)を破り、往生成仏の志願を満たす
「無碍光如来の名を称するなり」(141) と行体を指して称名を大行であるといわれているが、称えたはたらきによって行となるのではなく、称えられている名号に大行としての徳をもち、この名義にかなって称えているから称名また大行といわれる徳があると、
もともと、信心、称名といっても名号の活動相のほかになく、衆生は、称えているまま能称を忘れて無碍光如来の名義を聞き、本願招喚(しょうかん)の
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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- ↑ 物事の根本的な意味。意義