「補註10」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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− | 大行とは、[[第十七願]]に誓われた諸仏<kana>[[讃嘆]](さんだん)</kana>の<kana>[[名号]](みょうごう)</kana> | + | 大行とは、[[第十七願]]に誓われた諸仏<kana>[[讃嘆]](さんだん)</kana>の<kana>[[名号]](みょうごう)</kana>をいう。大行の大には[[大多勝|大、多、勝]]の三義がある。すなわち広大、多量、最勝の意味で、行の<kana>[[徳用]](とくゆう)</kana>を表している。「<kana>行巻(ぎょうかん)</kana>」に大行と名づけられる理由を明かして、「[[もろもろの善法を|もろもろの<kana>善法(ぜんぽう)</kana>を]]摂し、もろもろの[[徳本]]を具せり」( [[行巻#P--141|141]]) といわれたのは無量の徳で多の義にあたり、「極速円満す」は勝れた<kana>用徳(ゆうとく)</kana>で勝の義、「<kana>真如(しんにょ)</kana>一実の功徳宝海なり」は広大無辺な[[真如]]にかなう<kana>[[性徳]](しょうとく)</kana>で、大の義にあたるといえよう。 |
行とは、一般に教・行・証という場合の行は、梵語のチャリヤー(caryā)の漢訳で、[[菩提]]、[[涅槃]]に至るための行為を意味する。『<kana>唯信鈔(ゆいしんしょう)</kana><kana>文意(もんい)</kana>』には「行」の字に<kana>[[左訓]](さくん)</kana>して「おこなふとまうすなり」といわれている。 | 行とは、一般に教・行・証という場合の行は、梵語のチャリヤー(caryā)の漢訳で、[[菩提]]、[[涅槃]]に至るための行為を意味する。『<kana>唯信鈔(ゆいしんしょう)</kana><kana>文意(もんい)</kana>』には「行」の字に<kana>[[左訓]](さくん)</kana>して「おこなふとまうすなり」といわれている。 |
2018年7月30日 (月) 12:10時点における最新版
補 註 |
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阿弥陀仏 |
往生・真実証・浄土 |
機・衆生 |
具縛の凡愚・屠沽の下類 |
業・宿業 |
正定聚 |
信の一念・聞 |
真実教 |
旃陀羅 |
大行・真実行 |
大信・真実信 |
他力・本願力回向 |
同朋・同行 |
女人・根欠・五障三従 |
方便・隠顕 |
菩薩 |
本願 |
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10 大行・真実行
大行とは、第十七願に誓われた諸仏
行とは、一般に教・行・証という場合の行は、梵語のチャリヤー(caryā)の漢訳で、菩提、涅槃に至るための行為を意味する。『
このように大行とは、真如にかない、無量の徳をもち、
「行巻」の
その名義である光明智相とは、衆生の無明(むみょう)を破り、往生成仏の志願を満たす
「無碍光如来の名を称するなり」(141) と行体を指して称名を大行であるといわれているが、称えたはたらきによって行となるのではなく、称えられている名号に大行としての徳をもち、この名義にかなって称えているから称名また大行といわれる徳があると、
もともと、信心、称名といっても名号の活動相のほかになく、衆生は、称えているまま能称を忘れて無碍光如来の名義を聞き、本願招喚(しょうかん)の
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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- ↑ 物事の根本的な意味。意義