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「平生業成」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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:元亨四歳(1324年) 甲子正月六日これを書きしるして釈[[了源]]に授与しをはりぬ。そもそも、このふみをしるすおこりは、日ごろ『[[浄土文類集]]』といふ書あり。これ当流の先達の書きのべられたるものなり。平生業成の義・不来迎のおもむき、ほぼかの書にみえたり。([[真要鈔#P--995|真要鈔 P.995]])
 
:元亨四歳(1324年) 甲子正月六日これを書きしるして釈[[了源]]に授与しをはりぬ。そもそも、このふみをしるすおこりは、日ごろ『[[浄土文類集]]』といふ書あり。これ当流の先達の書きのべられたるものなり。平生業成の義・不来迎のおもむき、ほぼかの書にみえたり。([[真要鈔#P--995|真要鈔 P.995]])
 
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とあるところから、「平生業成」は『[[浄土文類集]]』にあった語であろう。
  
 
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2024年9月17日 (火) 18:00時点における最新版

へいぜい-ごうじょう

 臨終を待つまでもなく、平生に他力の信心をえたそのときに浄土に生れることが確定すること。 → 業事成弁(ごうじじょうべん)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

平生(日常、つね日頃)に浄土往生の業因(果を生じる因となる行業)が成就して、必ず浄土に生れ得ることが決定することをいう。
親鸞聖人には平生業成の義(現生正定聚)はあるが直接の「平生業成」の用語例はないことに留意。
平生業成といふ語を本願寺で初めて使われたのは存覚上人の『真要鈔』だといわれる。

親鸞聖人の一流においては、平生業成の義にして臨終往生ののぞみを本とせず、不来迎の談にして来迎の義を執せず。ただし平生業成といふは、平生に仏法にあふ機にとりてのことなり。もし臨終に法にあはば、その機は臨終に往生すべし。平生をいはず、臨終をいはず、ただ信心を うるとき往生すなはち定まるとなり。これを即得往生といふ。(真要鈔 P.962)

この『真要鈔』の末尾には存如上人の註記として、

元亨四歳(1324年) 甲子正月六日これを書きしるして釈了源に授与しをはりぬ。そもそも、このふみをしるすおこりは、日ごろ『浄土文類集』といふ書あり。これ当流の先達の書きのべられたるものなり。平生業成の義・不来迎のおもむき、ほぼかの書にみえたり。(真要鈔 P.995)

とあるところから、「平生業成」は『浄土文類集』にあった語であろう。

平生業成

臨終業成に対する語。第十八願の法においては、臨終に往生が決定するのではなく、平生に決定するということ。『真要鈔』には、

親鸞聖人の一流においては、平生業成の義にして臨終往生ののぞみを本とせず、不来迎の談にして来迎の義を執せず。ただし平生業成といふは、平生に仏法にあふ機にとりてのことなり。もし臨終に法にあはば、その機は臨終に往生すべし。平生をいはず、臨終をいはず、ただ信心を うるとき往生すなはち定まるとなり。これを即得往生といふ。(真要鈔 P.961)

とあり、『御文章』1帖目2通には、

さればこの信をえたる位を、経には「即得往生住不退転(そくとくおうじょう-じゅふたいてん)」と説き、釈には「一念発起入正定之聚」ともいへり。これすなはち不来迎の談平生業成の義なり。(御文章 P.1085)

等とある。また臨終業成説に対して、安心論題に「平生業成」が設けられている。(浄土真宗辞典)→安心論題/平生業生

 臨終業成(臨終に往生の業が成就すること)に対する言葉。死ぬるまで称名の功徳を積むことによって臨終の一念に往生の業事がはじめて完成するというのが臨終業成説である。生涯の相続した称名の功徳の積み重ねによって臨終に仏や聖衆の来迎を得る。その時に浄土往生の業事・業因が完成するというのが臨終業成説である。したがって来迎を確実なものとするために功徳を積み臨終の一念まで念仏をし続ける必要がある。
これに対し平生(正きている日常、つね日頃)に浄土往生が決定することを「平生業成」といふ。業成とは『論註』に十念念仏を

『経』に「十念」とのたまへるは、業事成弁を明かすのみ。かならずしも頭数を知ることを須(もち)ゐず。「蟪蛄は春秋を識(し)らず」といふがごとし。この虫あに朱陽の節を知らんや。知るものこれをいふのみ。十念業成とは、これまた神に通ずるものこれをいふのみ。ただ念を積み相続して他事を縁ぜざればすなはち罷(や)みぬ。(論註 P.98)(信巻 P.301)

とされた業事成弁(業成)から業成といふ。
法然聖人は『法然上人行状絵図』では、

往生の業成就は、臨終平生にわたるべし。本願の文簡別せざるゆへなり。(法然上人伝全集 114P)

といわれ『念仏往生要義抄』で、

「問ていはく、最後の念仏と、平生の念仏といつれかすぐれたるや。」

の問いに、

「答ていはく、たたをなじ事也。そのゆへは、平生の念仏、臨終の念仏とてなんのかはりめかあらん。平生の念仏の死ぬれは、臨終の念仏となり、臨終の念仏ののぶれは、平生の念仏となる也」(『和語灯録』「念仏往生要義抄」)

と、答えられ、往生決定する時を平生と臨終を分けるような考え方を否定されておられた。また次下に、

問ていはく、摂取の益をかうふる事は、平生か臨終か、いかむ。
答ていはく、平生の時なり。そのゆへは、往生の心まことにて、わか身をうたがふ事なくて、来迎をまつ人は、この三心具足の念仏申す人なり。この三心具足しぬれば、かならず極楽にうまるといふ事は、『観経』の説なり。かかる心さしある人を、阿弥陀仏は八万四千の光明をはなちててらし給ふ也。平生の時てらしはじめて、最後まて捨給はぬなり。かるかゆへに不捨の誓約と申す也。

と、『観経』に説かれる「念仏衆生摂取不捨」を平生の時であるとされておられた。『西方指南鈔』下本「禅勝房との十一箇条問答」には、

十声・一声の釈は、念仏を信するやうなり。かるがゆへに、信おば一念に生るととり、行おば一形をはげむべしと、すすめたまへる釈也。また大意は一発心已後の釈を本とすべし。(*)

と、「信おば一念に生るととり」と、されているから、往生の決定する時は「信疑決判」の平生であると言わねばならない。

法然聖人は、善導大師の『観経疏』「就行立信釈」の「順彼仏願故」の文によって回心されたことは有名である。自らが選択する行業ではなく、仏の本願によって選択されていた行が、口称のなんまんだぶであった。(*)
『選択本願念仏集』には、

たとひ別に回向を用ゐざれども自然に往生の業となる。(選択本願念仏集P.1196)

と、本願に衆生の往生行として選択されている念仏であるから、衆生の側からは回向する必要がないので、なんまんだぶを不回向であるとされていた。
この法然聖人の「不回向」の意を正確に受容し、不回向とは、実は阿弥陀如来の本願力回向であると『浄土論」『浄土論註』の本願力回向の語に依って法然聖人の真意を考究し顕していかれたのが親鸞聖人であった。そして、法然聖人の「摂取の益をかうぶる事」は、「平生の時」であるというお示しによって、『観経』の「念仏衆生摂取不捨」の文意を領解していかれたのである。この「摂取不捨」であるから、阿弥陀如来の名号を聞信する平生の一念に、浄土往生は決定するというのが御開山の「現生正定聚説」である。
この意を『御消息』では、

来迎は諸行往生にあり、自力の行者なるがゆゑに。臨終といふことは、諸行往生のひとにいふべし、いまだ真実の信心をえざるがゆゑなり。また十悪・五逆の罪人のはじめて善知識にあうて、すすめらるるときにいふことなり。真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の儀則をまたず。 (御消息 P.735)

と「信心の定まるとき往生また定まるなり」とされたのであった。「真実信心の行人(なんまんだぶを称える人)」は、もうすでに阿弥陀仏の「摂取の心光」に摂取されているのであるからいまさら来迎を論ずる必要はないのであった。

なお、浄土宗西山派では、現生の「即便往生」と命終の「当得往生」の二種の往生を説く。この「即便往生」を顕意上人(1239-1304)の『竹林鈔』に「平生より業成するを云即便往生也(即便往生と云いふなり)。臨終に観音の蓮台に移るを名当得往生(当得往生と名づくなり)」とある。→竹林鈔
存覚上人は、『常楽台主老衲一期記』第十九段に依れば西山義を学んだこともあり西山派で使われていた「平生業成」の語を「現生正定聚」をあらわす名目として使われたのであろう。

(82)

十方微塵世界
 念仏の衆生をみそなはし
 摂取してすてざれば
 阿弥陀となづけたてまつる (浄土 P.571)
摂取不捨
業事成弁
信疑決判
正定聚
安心論題/平生業生
参照WEB版浄土宗大辞典の「業成」の項目