ゆいしん-どくたつ。
浄土真宗の所依である『大経』には根本の願である「第十八願」に、至心・信楽。欲生我国といふ三心が誓われている。この三心(信)を「三心字訓釈」に、
- 「弥陀如来、三心を発したまふといへども、涅槃の真因はただ信心をもつてす」(信巻 P.229)
とあるように、阿弥陀如来の回向したまえる「至心」(智慧)と欲生(慈悲)を成一した「信楽」である信心が、涅槃の信因(成仏)であることを唯 信のみといふ独特の、涅槃の真因の法門に通達された、御開山の法門を、「唯信独達」といふ。その体は「この至心はすなはちこれ至徳の尊号をその体とせるなり」(信巻 P.232)といふ、南無阿弥陀仏であった。ともあれ近世の浄土真宗では、称名を重視する鎮西浄土宗との差別化をはかるため信心を強調してきたのだが、御開山は主著を『顕浄土真実教行証文類』と教行証の三法で顕されたのであって、(なんまんだぶと称える)「行」を抜きにした浄土真宗はありえないのであった。
ただ、なんまんだぶと称えることを念仏成仏の正因として領解することを、「信心正因」とも「唯信独達」ともいふのであった。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
- →信心正因
- →行信不離
- →三法
- →行信
- →三法立題
- →行信一念について
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