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「本願成就文」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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:阿難、また問ひたてまつる、「その仏、成道したまひしよりこのかた、いくばくの時を経たまへりとやせん」と。 仏のたまはく、「成仏よりこのかた、おほよそ'''十劫'''を歴たまへり。([[大経上#弥陀果徳]])
 
:阿難、また問ひたてまつる、「その仏、成道したまひしよりこのかた、いくばくの時を経たまへりとやせん」と。 仏のたまはく、「成仏よりこのかた、おほよそ'''十劫'''を歴たまへり。([[大経上#弥陀果徳]])
 
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と、十劫の昔に法蔵菩薩は阿弥陀仏に成られたとある。いわゆる法蔵菩薩の四十八願の「設我得仏……不取正覚」が成就したといふのである。
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と、[[十劫]]の昔に[[法蔵菩薩]]は[[阿弥陀仏]]に成られたとある。いわゆる法蔵菩薩の四十八願の「設我得仏……不取正覚」が十劫の昔に成就したといふのである。<br />
しかして、御開山は、林遊の上に本願が成就する意を「本願成就文」とされたのである。それが「あらゆる衆生」の内の林遊であった。
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しかして、御開山は、林遊の上に本願が成就する[[時剋]]の一念(信心の開け発おこった最初の時)を「本願成就」とされたのである。それが「あらゆる衆生」の内の林遊であった。<br />
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「本願成就文」とは、林遊の上に、[[可聞可称]]のなんまんだぶを聞いて、阿弥陀如来の本願が成就した時をあらわす経文であった。本願成就とは林遊の上に本願(第十八願:わが国に生ぜんと欲ひて、[[乃至十念]]せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ)が[[信一念]]として成就したことを示す文であった。ありがたいこっちゃなあ。
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とあるように本願成就文には至心回向したまふ「欲生心成就」の意味もあった。いわゆる「欲生とは信楽の持つ意味を別に開いた」義別であった。これを[[願往生心]]とも[[願作仏心]]ともいふ。
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「本願成就文」とは、林遊の上に、[[可聞可称]]のなんまんだぶを称え聞いて、阿弥陀如来の本願が成就した[[時剋]]をあらわす経文であった。本願成就とは林遊の上に本願(第十八願:わが国に生ぜんと欲ひて、[[乃至十念]]せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ)が[[信一念]]として成就したことを示す文であった。ありがたいこっちゃなあ。
  
 
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2024年7月4日 (木) 16:08時点における版

ほんがん-じょうじゅもん

 阿弥陀如来の「第十八願」が林遊(衆生の中の一人である自号名)の上に成就していることを、釈尊が衆生に告げられる文であるから「本願成就文」と呼ぶ。[1]
『大経』には、

仏、阿難に告げたまはく、「法蔵菩薩、いますでに成仏して、現に西方にまします。ここを去ること十万億刹なり。その仏の世界をば名づけて安楽といふ」と。
阿難、また問ひたてまつる、「その仏、成道したまひしよりこのかた、いくばくの時を経たまへりとやせん」と。 仏のたまはく、「成仏よりこのかた、おほよそ十劫を歴たまへり。(大経上#弥陀果徳)

と、十劫の昔に法蔵菩薩阿弥陀仏に成られたとある。いわゆる法蔵菩薩の四十八願の「設我得仏……不取正覚」が十劫の昔に成就したといふのである。
しかして、御開山は、林遊の上に本願が成就する時剋の一念(信心の開け発おこった最初の時)を「本願成就」とされたのである。それが「あらゆる衆生」の内の林遊であった。
本願成就文には、

あらゆる衆生、その名号をきて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向したまへり。かの国に生ぜんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん。(信巻 P.250)

とあり、三心釈の欲生心釈には、

 ここをもつて本願の欲生心成就の文、『経』にのたまはく、
至心回向したまへり。かの国に生ぜんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住すと。ただ五逆と誹謗正法とをば除く」と。(信巻 P.241)

とあるように本願成就文には至心回向したまふ「欲生心成就」の意味もあった。いわゆる「欲生とは信楽の持つ意味を別に開いた」義別であった。これを願往生心とも願作仏心ともいふ。

「本願成就文」とは、林遊の上に、可聞可称のなんまんだぶを称え聞いて、阿弥陀如来の本願が成就した時剋をあらわす経文であった。本願成就とは林遊の上に本願(第十八願:わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ)が信一念として成就したことを示す文であった。ありがたいこっちゃなあ。

Jyoujyumon.jpg

阿弥陀如来の第十八願

原文:
設我得仏(せつが-とくぶつ) 十方衆生(じっぽう-しゅじょう) 至心信楽(ししん-しんぎょう) 欲生我国(よくしょう-がこく) 乃至十念(ないし-じゅうねん)若不生者(にゃくふ-しょうじゃ) 不取正覚(ふしゅ-しょうがく)唯除五逆(ゆいじょ-ごぎゃく )誹謗正法(ひほう-しょうぼう)
読下し:
たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲(おも)ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。 ただ五逆と誹謗正法とをば除く。 (大経 P.18)

が成就していることを、釈尊が衆生に告げられる文であるから「本願成就文」と呼ぶ。

第十八願成就文は、第十七願成就文、

原文:
十方恒沙諸仏如来(じっぽうごうじゃ-しょぶつにょらい)皆共讃歎(かいぐさんだん)無量寿仏威神功徳不可思議(むりょうじゅぶつ-いじんくどく-ふかしぎ)
読下し:
十方恒沙の諸仏如来は、みなともに無量寿仏の威神功徳の不可思議なるを讃歎したまふ。(大経 P.41)

の諸仏讃嘆(名号讃嘆)を享(う)けた「あらゆる衆生、その名号を聞きて(諸有衆生 聞其名号)」に望めて、

原文:
諸有衆生(しゅう-しゅじょう)聞其名号(もんご-みょうごう)信心歓喜(しんじん-かんぎ)乃至一念(ないし-いちねん)至心回向(ししん-えこう)願生彼国(がんしょう-ひこく)即得往生(そくとく-おうじょう)住不退転(じゅう-ふたいてん)唯除五逆(ゆいじょ-ごぎゃく )誹謗正法(ひほう-しょうぼう)

とあり、この成就文を通常の漢文として読めば『論註』のように、

読下し:
諸有の衆生、其の名号を聞きて、信心歓喜して、(すなわ)ち一念に至るまで、心を至し回向して、彼の国に生ぜんと願ずれば、即ち往生を得、不退転に住す。唯(ただ)五逆誹謗正法とを除く。(論註 P.92)

と読むべきであろう。法然聖人はこの乃至一念 (すなわち一念に至るまで) を行の一念 (一声のなんまんだぶ) とみておられた。ところで御開山は、

御開山の読下し:
あらゆる衆生、その名号をきて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向したまへり。かの国に生ぜんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん。(信巻 P.250)

至心に回向したまへりと訓じられて、衆生から仏への回向ではなく、仏から衆生への回向であると読まれた。それは本願力回向宗義をこの経文に読みとられたからであった。 阿弥陀仏より回向された信心の智慧によって成就文の経文を読み取られたのである。
御開山は『無量寿経』の異訳である『無量寿如来会』の成就文、

他方仏国所有衆生 聞無量寿如来名号 能発一念浄信歓喜。
他方仏国の所有の衆生、無量寿如来の名号を聞きて、よく一念の浄信を発して歓喜せん。(信巻 P.236)

浄信の語によって一念は信の一念であるとみられたのであった。

法然聖人が示された、なんまんだぶは「たとひ別に回向を用ゐざれども自然に往生の業となる」(選択集 P.1197) という教示により、衆生の側からの不回向とは阿弥陀如来からの回向であるとされたのである。法然聖人が浄土宗の所依の三経一論として挙げられながら言及されなかった『浄土論』『浄土論註』の本願力回向の語の示唆によって、法然聖人の深意を展開された本願力回向浄土真宗法義であった。まさに善導・法然の教学を包み込む、あらゆる衆生を仏陀のさとりの世界へ趣(おもむ)かせる誓願一仏乗本願力回向の仏法であったのである。そして、それが、なんまんだぶを「」とする、あらゆる衆生をさとりに趣かせる「選択本願は浄土真宗なり、定散二善は方便仮門なり。浄土真宗は大乗のなかの至極なり」(御消息 P.735) という大乗仏教の本源であった。

第十八願
成就
成就文
行信
浄土真宗の特長
信の一念
至心に回向したまへり
乃至一念
本願成就文の文意
一切衆生悉有仏性
Jyoujyumon.jpg

  1. 第十八願には「欲生我国 (我が国に生ぜんとおもえ)」と我が国とあり、第十八願成就文には「願生彼国 (かの国に生れんと願ずれば)」と、かの国とある。