観経疏 序分義 (七祖)
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
序分義 観経序分義 巻第二
沙門善導集記
序分義
一経大科
【1】 これより以下は文につきて料簡するに、略して五門を作りて義を明かす。
- 一に「如是我聞」より下「五苦所逼云何見極楽世界」に至るこのかたは、その序分を明かす。
- 二に日観の初めの句の「仏告韋提汝及衆生」より下下品下生に至るこのかたは、正宗分を明かす。
- 三に「説是語時」より下「諸天発心」に至るこのかたは、まさしく得益分を明かす。
- 四に「阿難白仏」より下「韋提等歓喜」に至るこのかたは、流通分を明かす。この四義は仏王宮にまします一会の正説なり。
- 五に「阿難耆闍の大衆のために伝説する」よりはまたこれ一会なり。
- また三分あり。
- 一に「爾時世尊足歩虚空還耆闍崛山」よりこのかたは、その序分を明かす。
- 二に「阿難広為大衆説如上事」よりこのかたは、正宗分を明かす。
- 三に「一切大衆歓喜奉行」よりこのかたは、流通分を明かす。
しかるに化にはかならず由あり、ゆゑに先づ序を明かす。
由序すでに興りぬればまさしく所説を陳ぶ。
次に正宗を明かす。
ために説くことすでに周りて、所説をもつて末代に伝持せしめんと欲して、勝を歎じて学を勧む。
後に流通を明かす。
上来五義の不同ありといへども、略して序・正・流通の義を料簡しをはりぬ。
【2】 また前の序のなかにつきてまた分ちて二となす。
一には「如是我聞」より一句を名づけて証信序となす。
二には「一時」より下「云何見極楽世界」に至るこのかたは、まさしく発起序を明かす。
証信序
【3】 初めに証信といふはすなはち二義あり。
一にはいはく、「如是」の二字はすなはち総じて教主(釈尊)を標す。
能説の人なり。
二にはいはく、「我聞」の両字はすなはち別して阿難を指す。
能聴の人なり。
ゆゑに如是我聞といふ。
これすなはちならべて二の意を釈す。
定散両門なり。
「是」はすなはち定むる辞なり。
機、行ずればかならず益す。
これは如来の所説の言に錯謬なきことを明かす。
ゆゑに如是と名づく。
また「如」といふは衆生の意のごとし。
心の所楽に随ひて、仏すなはちこれを度したまふ。
機教相応するをまた称して「是」となす。
ゆゑに如是といふ。
また「如是」といふは、如来の所説は、漸を説くこと漸のごとく、頓を説くこと頓のごとく、相を説くこと相のごとく、空を説くこと空のごとく、人法を説くこと人法のごとく、天法を説くこと天法のごとく、小を説くこと小のごとく、大を説くこと大のごとく、凡を説くこと凡のごとく、聖を説くこと聖のごとく、因を説くこと因のごとく、果を説くこと果のごとく、苦を説くこと苦のごとく、楽を説くこと楽のごとく、遠を説くこと遠のごとく、近を説くこと近のごとく、同を説くこと同のごとく、別を説くこと別のごとく、浄を説くこと浄のごとく、穢を説くこと穢のごとく、一切諸法の千差万別なるを説きたまふに、如来の観知歴々了然なることを明かさんと欲す。
随心の起行、各益の不同、業果の法然たる、すべて錯失なきをまた称して是となす。
ゆゑに如是といふ。
「我聞」といふは、阿難はこれ仏の侍者にして、つねに仏後に随ひて多聞広識なり。 身座下に臨みてよく聴きよく持ちて、教旨親しく承くることを明かして、伝説の錯りなきことを表せんと欲す。 ゆゑに我聞といふ。
また「証信」といふは、阿難仏教を稟承して末代に伝持するに、衆生に対するがためのゆゑにかくのごとき観法、われ仏に従ひて聞くといふことを明かして、可信を証誠せんと欲す。 ゆゑに証信序と名づく。 これは阿難につきて解す。
発起序
【4】 二に発起序のなかにつきて細しく分ちて七となす。
- 初めに「一時仏在」より下「法王子而為上首」に至るこのかたは、化前序を明かす。
- 二に「王舎大城」より下「顔色和悦」に至るこのかたは、まさしく発起序の禁父の縁を明かす。
- 三に「時阿闍世」より下「不令復出」に至るこのかたは、禁母の縁を明かす。
- 四に「時韋提希被幽閉」より下「共為眷属」に至るこのかたは、厭苦の縁を明かす。
- 五に「唯願為我広説」より下「教我正受」に至るこのかたは、その欣浄の縁を明かす。
- 六に「爾時世尊即便微笑」より下「浄業正因」に至るこのかたは、散善顕行縁を明かす。
- 七に「仏告阿難等諦聴」より下「云何得見極楽国土」に至るこのかたは、まさしく定善示観縁を明かす。
上来七段の不同ありといへども、広く発起序を料簡しをはりぬ。
化前序
【5】 二に次に化前序を解せば、この序のなかにつきてすなはちその四あり。
初めに「一時」といふはまさしく起化の時を明かす。
仏まさに説法せんとするに、先づ時処に託したまふ。
ただ衆生の開悟かならず因縁によるをもつて、化主(釈尊)機に臨みて時処を待ちたまふ。
また「一時」といふは、あるいは日夜十二時、年月四時等に就く。
これみなこれ如来、機に応じて摂化したまふ時なり。
「処」といふは、かの所宜に随ひて如来説法したまふ。
あるいは山林処にましまし、あるいは王宮・聚落処にましまし、あるいは曠野・塚間処にましまし、あるいは多少人天処にましまし、あるいは声聞・菩薩処にましまし、あるいは八部・人・天王等の処にましまし、あるいは純凡もしは多と一二との処にましまし、あるいは純聖もしは多と一二との処にまします。
その時処に随ひて如来観知して増せず減ぜず、縁に随ひて法を授けておのおの所資を益す。
これすなはち洪鐘響くといへども、かならず扣くを待ちてまさに鳴る。
大聖(釈尊)の慈を垂れたまふこと、かならず請を待ちてまさに説くべし。
ゆゑに一時と名づく。
また「一時」とは、阿闍世まさしく逆を起す時、仏いづれの処にかまします。 この一時に当りて、如来独り二衆(声聞・菩薩)とかの耆闍にまします。 これすなはち下をもつて上を形す意なり。 ゆゑに一時といふ。 また「一時」といふは、仏、二衆と一時のうちにおいて、かの耆闍にましまして、すなはち阿闍世のこの悪逆を起す因縁を聞きたまふ。 これすなはち上をもつて下を形す意なり。 ゆゑに一時といふ。
二に「仏」といふは、これすなはち化主を標定す。 余仏に簡異して独り釈迦を顕す意なり。
三に「在王舎城」より以下は、まさしく如来遊化の処を明かす。
すなはちその二あり。
一には王城・聚落に遊びたまふは、在俗の衆を化せんがためなり。
二には耆山等の処に遊びたまふは、出家の衆を化せんがためなり。
また在家といふは、五欲を貪求すること相続してこれ常なり。
たとひ清心を発せども、なほ水に画くがごとし。
ただおもんみれば縁に随ひてあまねく益し、大悲を捨てたまはざれども、道俗形殊なればともに住するに由なし。
これを境界住と名づく。
また出家といふは、身を亡じ命を捨て、欲を断じ真に帰す。 心金剛のごとく円鏡に等同なり。 仏地を悕求してすなはち弘く自他を益す。 もし囂塵を絶離するにあらずは、この徳、証すべきに由なし。 これを依止住と名づく。
四に「与大比丘衆」より下「而為上首」に至るこのかたは、仏の徒衆を明かす。
この衆のなかにつきてすなはち分ちて二となす。
一には声聞衆、二には菩薩衆なり。
声聞衆のなかにつきてすなはちその九あり。
初めに「与」といふは仏身、衆を兼ぬ。
ゆゑに名づけて与となす。
二には総大、三には相大、四には衆大、五には耆年大、六には数大、七には尊宿大、八には内有実徳大、九には果証大なり。
問ひていはく、一切の経の首めにみなこれらの声聞ありて、もつて猶置となせるはなんの所以かある。
答へていはく、これに別意あり。
いかなるか別意。 これらの声聞多くはこれ外道なり。 『賢愚経』(意)に説きたまふがごとし。 「優楼頻螺迦葉は、五百の弟子を領して邪法を修事す。 伽耶迦葉は、二百五十の弟子を領して邪法を修事す。 那提迦葉は、二百五十の弟子を領して邪法を修事す。 総じて一千あり。 みな仏化を受けて羅漢道を得たり。
その二百五十といふは、すなはちこれ舎利と目連との弟子なり。 ともに一処に領して邪法を修事す。 また仏化を受けてみな道果を得たり。 これらの四衆を合して一処となす。 ゆゑに千二百五十人あり」と。
問ひていはく、この衆のなかにまた外道にあらざるものあり。 なんがゆゑぞ総じて標する。
答へていはく、『経』(同・意)のなかに説きたまふがごとし。 「このもろもろの外道つねに世尊に随ひてあひ捨離せず」と。 しかるに結集の家、外徳を簡び取る。 ゆゑに異名あり。 これ外道なるものは多く、あらざるものは少なし。
また問ひていはく、いぶかし、これらの外道つねに仏後に随へるは、なんの意かあるや。
答へていはく、解するに二義あり。
一には仏につきて解す。
二には外道につきて解す。
仏につきて解すとは、このもろもろの外道邪風久しく扇ぐこと、これ一生のみにあらず。
真門に入るといへども、気習なほあり。
ゆゑに如来知覚して外化せしめざらしむ。
衆生の正見の根芽を損じ、悪業増長して、此世・後生に果実を収めざることを畏るればなり。
この因縁のために摂してみづから近づかしめて、外益を聴したまはず。
これすなはち仏につきて解しをはりぬ。
次に外道につきて解すとは、迦葉等の意、みづからただ曠劫より久しく生死に沈み六道に循還して、苦しみいふべからず。
愚痴・悪見にして邪風に封執し、明師に値はずして永く苦海に流る。
ただ宿縁をもつてたまたま慈尊(釈尊)に会ふことを得ることあり。
法沢わたくしなし。
わが曹、潤を蒙り、仏の恩徳を尋思するに、砕身の極惘然たり。 親しく霊儀に事へて、しばらくも替るに由なからしむることを致す。 これすなはち外道につきて解しをはりぬ。
また問ひていはく、これらの尊宿いかんが衆所知識と名づくる。
答へていはく、徳高きを尊といひ、耆年なるを宿といふ。 一切の凡聖かの内徳の、人に過ぎたることを知り、その外相の殊異なるを識る。 ゆゑに衆所知識と名づく。
上来九句の不同ありといへども、声聞衆を解しをはりぬ。
次に菩薩衆を解す。 この衆のなかにつきてすなはちその七あり。 一には相を標す。 二には数を標す。 三には位を標す。 四には果を標す。 五には徳を標す。 六には別して文殊の高徳の位を顕す。 七には総じて結す。
またこれらの菩薩無量の行願を具し、一切の功徳の法に安住す。
十方に遊歩して権方便を行じ、仏の法蔵に入りて彼岸を究竟す。
無量の世界において、化して等覚を成ず。
光明顕曜にしてあまねく十方を照らす。
無量の仏土六種に震動す。
縁に随ひて開示してすなはち法輪を転ず。
法鼓を扣き、法剣を執り、法雷を震ひ、法雨を雨らし、法施を演ぶ。
つねに法音をもつてもろもろの世間を覚せしむ。
邪網を掴裂し、諸見を消滅し、もろもろの塵労を散じ、もろもろの欲塹を壊り、清白を顕明し、仏法を光融し、正化を宣流す。
衆生を愍傷していまだかつて慢恣せず。
平等の法を得て無量百千三昧を具足す。
一念のあひだにおいて周遍せざるはなし。
群生を荷負してこれを愛すること子のごとし。
一切の善本みな彼岸に度す。
ことごとく諸仏の無量の功徳を獲て、智慧開朗なること思議すべからず。
七句の不同ありといへども、菩薩衆を解しをはりぬ。
上来二衆の不同ありといへども、広く化前序を明かしをはりぬ。
禁父縁
【6】 二に禁父の縁のなかにつきてすなはちその七あり。
一に「爾時王舎大城」より以下は、総じて起化の処を明かす。
これ往古の百姓、ただ城中に舎を造るにすなはち天火のために焼かる。
もしこれ王家の舎宅には、ことごとく火近づくことなし。
後の時に百姓ともに王に奏す。
「臣等宅を造ればしばしば天火のために焼かる、ただこれ王舎のみことごとく火近づくことなし。
なんの所以かあるといふことを知らず」と。
王、奏人に告げたまはく、「いまより以後なんぢら宅を造る時、〈ただわれいま王のために舎を造る〉といふべし」と。
奏人等おのおの王の勅を奉りて、帰還りて舎を造るにさらに焼かれず。
これによりて相伝して、ことさらに王舎と名づくることを明かす。
「大城」といふは、この城きはめて大にして、居民九億なり。
ゆゑに王舎大城といふ。
起化の処といふはすなはちその二あり。
一にはいはく、闍王悪を起してすなはち父母を禁ずる縁あり。
禁によりてすなはちこの娑婆を厭ひて、無憂の世界に託せんと願ず。
二にはすなはち如来(釈尊)請に赴き、光変じて台となりて霊儀を影現したまふに、夫人すなはち安楽に生ずることを求む。
また心を傾けて行を請ひ、仏は三福の因を開きたまふ。
正観はすなはちこれ定門なり。
さらに九章の益を顕す。
この因縁のためのゆゑに起化の処と名づく。
二に「有一太子」より下「悪友之教」に至るこのかたは、まさしく闍王怳忽のあひだに悪人の誤るところを信受することを明かす。 「太子」といふはその位を彰す。 「阿闍世」といふはその名を顕す。 また「阿闍世」といふはすなはちこれ西国の正音なり。 この地の往翻には未生怨と名づけ、また折指と名づく。
問ひていはく、なんがゆゑぞ「未生怨」と名づけ、および「折指」と名づくるや。
答へていはく、これみな昔日の因縁を挙ぐ。 ゆゑにこの名あり。 因縁といふは、元本父の王、子息あることなし。 処々に神に求むれども、つひに得ることあたはず。 たちまちに相師ありて、王に奏してまうさく、「臣知れり。 山のなかに一の仙人あり。
久しからずして寿を捨て、命終しをはりて後かならずまさに王のために子となるべし」と。
王聞きて歓喜す。
「この人いづれの時にか捨命する」と。
相師、王に答ふ。
「さらに三年を経てはじめて命終すべし」と。
王いはく、「われいま年老いて国に継祀なし。
さらに三年を満つるまでなにによりてか待つべき」と。
王すなはち使ひを遣はして山に入らしめ、往きて仙人に請じていはしむ。
「大王子なく、闕けて紹継なし。
処々に神に求むるに、得ることあたはざるに困しむ。
すなはち相師ありて大仙を瞻見るに、久しからずして捨命して、王のために子となるべしと。
請ひ願はくは大仙、恩を垂れて早く赴きたまへ」と。
使人、教を受けて山に入り、仙人の所に到りて、つぶさに王請の因縁を説く。
仙人、使者に報へていはく、「われさらに三年を経てはじめて命終すべし。
王のすなはち赴けと勅するは、この事不可なり」と。
使ひ、仙の教を奉けて、還りて大王に報ずるに、つぶさに仙の意を述ぶ。
王いはく、「われはこれ一国の主なり。
あらゆる人物みなわれに帰属す。
いまことさらに礼をもつてあひ屈するに、すなはちわが意を承けざるや」と。
王さらに使者に勅す。
「なんぢ往きてかさねて請ぜよ。
請ぜんにもし得ずは、まさにすなはちこれを殺すべし。
すでに命終しをはりなば、わがために子とならざるべけんや」と。
使人、勅を受けて、仙人の所に至りて、つぶさに王の意をいふ。 仙人、使ひの説を聞くといへども、意にまた受けず。 使人、勅を奉けてすなはちこれを殺さんと欲す。
仙人いはく、「なんぢまさに王に語るべし。 〈わが命いまだ尽きざるに、王、心口をもつて人をしてわれを殺さしむ。 われもし王のために児とならば、また心口をもつて人をして王を殺さしめん〉」と。 仙人この語をいひをはりてすなはち死を受く。 すでに死しをはりて、すなはち王宮に託して生を受く。 その日の夜に当りて夫人すなはち有身すと覚ゆ。 王聞きて歓喜す。 天明けてすなはち相師を喚びて、もつて夫人を観しむ。 これ男なりやこれ女なりや。 相師観をはりて王に報へていはく、「この児は女にあらず。 この児、王において損あるべし」と。
王いはく、「わが国土はみなこれを捨属すべし。
たとひ損ずるところありとも、われまた畏れなし」と。
王この語を聞きて憂喜交はり懐く。
王、夫人にまうしてまうさく、「われ夫人とともにひそかにみづから平章せん。
相師、児われにおいて損あるべしといふ。
夫人これを生む日を待ちて、高楼の上にありて天井のなかに当りてこれを生み、人をして承け接らしむることなかれ。
落して地にあらんに、あに死せざるべけんや。
われまた憂ふることなく、声もまた露れじ」と。
夫人すなはち王の計を可とし、その生む時におよびてもつぱら前の法のごとくす。
生みをはりて地に堕つるに、命すなはち断えず、ただ手の小指を損ず。
よりてすなはち外人同じく唱へて「折指太子」といふ。
「未生怨」といふは、これ提婆達多悪妬の心を起すがゆゑにかの太子に対して昔日の悪縁を顕発するによる。
いかんが妬心して悪縁を起す。
提婆悪性にして、為人匈猛なり。
また出家すといへども、つねに仏の名聞・利養を妬む。
しかるに父の王はこれ仏の檀越なり。
一時のうちにおいて多く供養をもつて如来に奉上す。
いはく、金・銀・七宝・名衣・上服・百味の菓食等、一々色々みな五百車なり。
香・華・伎楽し、百千万の衆、讃歎囲繞して仏会に送向して、仏および僧に施す。
時に調達(提婆達多)見をはりて妬心さらに盛りなり。
すなはち舎利弗の所に向かひて身通を学せんと求む。
尊者語りていはく、「なんぢしばらく四念処を学せよ。
身通を学すべからず」と。
すでに請ずれども心を遂げず。
さらに余の尊者の辺に向かひて求む。
乃至五百の弟子等ことごとく人として教ふるものなし、みな四念処を学せしむ。
請ずること已むことを得ずして、つひに阿難の辺に向かひて学す。 阿難に語りていはく、「なんぢはこれわが弟なり。 われ通を学せんと欲す。 一々次第にわれに教へよ」と。
しかるに阿難初果を得たりといへども、いまだ他心を証せず。 阿兄のひそかに通を学して、仏の所において悪計を起さんと欲することを知らず。 阿難つひにすなはち喚びて静処に向かひて、次第にこれを教ふ。 跏趺正坐せしめて、先づ心をもつて身を挙ぐることを教ふ。 動くに似たりと想へ。 地を去ること一分・一寸すると想へ。 一尺・一丈すると想へ。 舎に至るに、空無礙の想をなし、ただちに過ぎて空中に上ると想へ。 また心を摂して下り、本の坐処に至ると想へ。 次に身をもつて心を挙げ、初めの時に地を去ること一分・一寸する等、また前の法のごとくせよ。 身をもつて心を挙げ、心をもつて身を挙ぐるに、また随ひてすでに至る。 空に上りをはりて、また身を摂取して下り、本の坐処に至れ。 次に身心合して挙ぐと想へ。 また前の法に同じく、一分・一寸する等、周りてまた始めよ。 次に身心一切の質礙色境のなかに入ると想ひ、不質礙の想をなせ。 次に一切の山河大地等の色、自身のなかに入るに、空のごとく無礙にして色相を見ずと想へ。 次に自身、あるいは大にして虚空に遍満して坐臥自在なり、あるいは坐し、あるいは臥して、手をもつて日月を捉り動かすと想へ。 あるいは小身となりて微塵のなかに入るに、一切みな無礙の想をなせと。 阿難かくのごとく次第に教へをはりぬ。
時に調達(提婆達多)すでに法を受得しをはりて、すなはち別して静処に向かひて七日七夜一心専注して、すなはち身通を得たり。一切自在にしてみな成就することを得たり。
すでに通を得をはりてすなはち太子の殿の前に向かひて、空中にありて大神変を現ず。
身上より火を出し、身下より水を出す。
あるいは左辺に水を出し、右辺に火を出す。
あるいは大身を現じ、あるいは小身を現ず。
あるいは空中に坐臥し、意に随ひて自在なり。
太子見をはりて左右に問ひていはく、「これはこれ何人ぞ」と。
左右、太子に答へてまうさく、「これはこれ尊者提婆なり」と。
太子聞きをはりて心大きに歓喜す。
つひにすなはち手を挙げて喚びていはく、「尊者なんぞ下り来らざる」と。
提婆すでに喚ぶを見をはりてすなはち化して嬰児となり、ただちに太子の膝の上に向かふ。
太子すなはち抱きて、口を嗚ひてこれを弄び、また口のなかに唾はく。
嬰児つひにこれを咽む。
須臾に還りて本身に復す。
太子すでに提婆の種々の神変を見てうたた敬重を加ふ。
すでに太子の心敬重せるを見をはりて、すなはち父の王の供養の因縁を説く。
「色別に五百乗の車に載せ、仏の所に向かひて仏および僧にたてまつる」と。
太子聞きをはりてすなはち尊者に語る。
「弟子またよく色おのおの五百車を備へ具へて、尊者を供養し、および衆僧に施すこと、かれのごとくならざるべけんや」と。
提婆いはく、「太子、この意大きに善し」と。
これより以後大きに供養を得、心うたた高慢なり。
たとへば杖をもつて悪狗の鼻を打つに、うたた狗の悪を増すがごとし。
これまたかくのごとし。
太子いま利養の杖をもつて提婆が貪心の狗の鼻を打つに、うたた悪を加すこと盛りなり。
これによりて僧を破し、仏法の戒を改めて、教戒不同なり。
仏あまねく凡聖大衆のために法を説きたまふ時を待ちて、すなはち会中に来りて仏に従ひ、徒衆ならびにもろもろの法蔵ことごとくわれに付嘱したまへと索む。 「世尊は年まさに老邁したまへり。 よろしく静内につきてみづから将養したまふべし」と。 一切の大衆、提婆がこの語を聞きて、愕爾としてたがひにあひ看てはなはだ驚怪を生ず。 その時世尊、すなはち大衆に対して提婆に語りてのたまはく、「舎利・目連等のすなはち大法将なるすら、われなほ仏法をもつて付嘱せず、いはんやなんぢ痴人唾を食らへるものをや」と。
時に提婆、仏の、衆に対して毀辱したまふを聞き、なほ毒箭の心に入るがごとし、さらに痴狂の意を発す。
この因縁によりてすなはち太子の所に向かひてともに悪計を論ず。
太子すでに尊者を見て、敬心をもつて承問していはく、「尊者、今日顔色憔悴せること、往昔に同じからず」と。
提婆答へていはく、「われいま憔悴することはまさしく太子のためなり」と。
太子敬ひて問はく、「尊者、わがためになんの意かあるや」と。
提婆すなはち答へていはく、「太子知るやいなや。
世尊年老いて堪任するところなし。
まさにこれを除きてわれみづから仏と作るべし。
父の王年老いたり。
またこれを除きて太子みづから正位に坐すべし。
新王と新仏と治化せんに、あに楽しからざらんや」と。
太子これを聞きてきはめて大きに瞋怒して、「この説をなすことなかれ」といふ。
またいはく、「太子瞋ることなかれ。
父の王、太子においてまつたく恩徳なし。
はじめて太子を生ぜんと欲せし時、父の王すなはち夫人をして百尺の楼の上にありて天井のなかに当りて生ぜしめて、すなはち地に堕して死せしめんと望む。
まさしく太子の福力をもつてのゆゑに命根断えず、ただ小指を損ず。
もし信ぜずは、みづから小指を看たまへ。
もつて験となすに足れり」と。
太子すでにこの語を聞きて、さらにかさねて審めていはく、「実にしかりやいなや」と。 提婆答へていはく、「これもし不実ならば、われことさらに来りて漫語をなすべけんや」と。 この語によりをはりてつひにすなはち提婆が悪見の計を信用す。 ゆゑに「随順調達悪友之教」といふ。
三に「収執父王」より下「一不得往」に至るこのかたは、まさしく父の王子のために幽禁せらるることを明かす。
これ闍世、提婆の悪計を取りて、たちまちに父子の情を捨つることを明かす。
ただ罔極の恩を失するのみにあらず、逆の響きこれによりて路に満てり。
たちまちに王の身を掩ふを「収」といひ、すでに得て捨てざるを「執」といふ。
ゆゑに収執と名づく。
「父」といふは別して親の極を顕す。
「王」とはその位を彰す。
「頻婆」とはその名を彰す。
「幽閉七重室内」といふは、所為すでに重し、事また軽きにあらず。
浅く人間に禁ずべからず、まつたく守護なければなり。
ただ王の宮閤は理として外人を絶つとも、ただ群臣あればすなはち久しきよりこのかた承奉せるをもつて、もし厳制せずはおそらくは情通あらん。
ゆゑに内外をして交はりを絶たしめて、閉ぢて七重のうちに在く。
四に「国大夫人」より下「密以上王」に至るこのかたは、まさしく夫人密かに王に食をたてまつることを明かす。 「国大夫人」といふは、これ最大なることを明かす。 「夫人」といふはその位を標す。 「韋提」といふはその名を彰す。 「恭敬大王」といふは、これ夫人すでに王の身禁ぜらるるを見るに、門戸きはめて難くして、音信通ぜず、おそらくは王の身命を絶つことを。 つひにすなはち香湯滲浴して身をして清浄ならしめて、すなはち酥蜜を取りて先づその身に塗り、後に乾麨を取りてはじめて酥蜜の上に安き、すなはち浄衣を着てこれを覆ひて、外衣の上にありてはじめて瓔珞を着ること、常の服法のごとくにして、外人をして怪しまざらしむ。 また瓔珞を取りて孔の一頭蝋をもつてこれを塞ぎ、一頭の孔のなかに蒲桃の漿を盛りて、満てをはりてまた塞ぐに、ただこれ瓔珞なり。 ことごとくみなかくのごとくす。 荘厳することすでに竟りて、やうやく歩みて宮に入りて、王とあひ見ゆることを明かす。
問ひていはく、諸臣は勅を奉けて王に見ゆることを許さず。 いぶかし、夫人は門家制せずしてほしいままに入ることを得しむるは、なんの意かあるや。
答へていはく、諸臣は身異なりて、またこれ外人なり。 情通あることを恐れて、厳しく重制を加へしむることを致す。 また夫人は身これ女人にして、心に異計なし。 王と宿縁業重くして、久しく近づきて夫妻なり。 別体同心にして、人をして外慮なからしむることを致す。 ここをもつて入りて、王とあひ見ゆることを得しむ。
五に「爾時大王食麨」より下「授我八戒」に至るこのかたは、まさしく父の王、禁によりて法を請ずることを明かす。 これ夫人すでに王に見えをはりて、すなはち身上の酥を刮り取りて、麨団をもつて王に授与す。 王得てすなはち食す。 麨を食することすでに竟りて、すなはち宮内において夫人浄水を求め得て、王に与へて口を漱がしむ。 口を浄めをはりて虚しく時を引くべからず。 朝心寄るところなし。
ここをもつて虔恭合掌して、面を回らして耆闍に向かひ、敬を如来に致して加護を請求することを明かす。 これ身業の敬を明かす、また通じて意業あり。 「而作是言」以下は、まさしく口業の請を明かす、また通じて意業あり。 「大目連是吾親友」といふはその二意あり。 ただ目連俗にありてはこれ王の別親なり。 すでに出家を得てすなはちこれ門師なり。 宮閤に往来することすべて障礙なし。 しかるに俗にありては親となし、出家しては友と名づく。 ゆゑに親友と名づく。
「願興慈悲授我八戒」といふは、これ父の王、法を敬ふ情深くして、人を重んずることおのれに過ぎたることを明かす。 もしいまだ幽難に逢はずは、仏僧を奉請するに難しとなすに足らず。 いますでに囚はれて屈を致すに由なし。 ここをもつてただ目連を請じて八戒を受く。
問ひていはく、父の王はるかに敬ふには、先づ世尊を礼し、その受戒に及びてすなはち目連を請ずるは、なんの意かあるや。
答へていはく、凡聖の極尊、仏に過ぎたるはなし。 心を傾けて願を発すにはすなはち先づ大師(釈尊)を礼す。 戒はこれ小縁なり。 ここをもつてただ目連の来りて授くることを請ず。 しかるに王の意は貴ぶこと得戒に存ず。 すなはちこれ義あまねし。 なんぞ労しく迂げて世尊を屈せんや。
問ひていはく、如来の戒法すなはちあること無量なるに、父の王ただ八戒のみを請じて余を請ぜずや。
答へていはく、余戒はやや寛くして時節長遠なり。
おそらくは中間に失念して生死に流転することを。
その八戒とは余の仏経に説きたまふがごとし。
在家の人、出家の戒を持つ。
この戒の持心極細極急なり。
なんの意ぞしかるとなれば、ただ時節やや促まりて、ただ一日一夜を限りて作法してすなはち捨つ。
いかんがこの戒の用心と行との細なることを知る。
戒文のなかにつぶさに顕していふがごとし。
「仏子、今旦より明旦に至るまで一日一夜、諸仏の殺生したまはざるがごとくよく持つやいなや」と。
答へていはく、「よく持つ」と。
第二にまたいはく、「仏子、今旦より明旦に至るまで一日一夜、諸仏の、偸盗せず、婬を行ぜず、妄語せず、飲酒せず、脂粉を身に塗ることを得ず、歌舞唱伎しおよび往きて観聴することを得ず、高広の大床に上ることを得たまはざるがごとくすべし」と。
この上の八はこれ戒にして斎にあらず。
中を過ぎて食することを得ず、この一はこれ斎にして戒にあらず。
これらの諸戒みな諸仏を引きて証となす。
なにをもつてのゆゑに。
ただ仏と仏とのみ正習ともに尽したまへり。
仏を除きて以還は悪習等なほあり。
このゆゑに引きて証となさず。
ここをもつて知ることを得。
この戒の用心と起行ときはめてこれ細急なり。
またこの戒には、仏八種の勝法ありと説きたまへり。
もし人一日一夜つぶさに持ちて犯さざれば、所得の功徳、人・天・二乗の境界に超過せり。
経に広く説きたまふがごとし。
この益あるがゆゑに、父の王をして日々にこれを受けしむることを致す。
六に「時大目連」より下「為王説法」に至るこのかたは、その父の王請によりて聖法を蒙ることを得ることを明かす。
これ目連、他心智を得てはるかに父の王の請意を知りて、すなはち神通を発して弾指のあひだのごとくに王の所に到ることを明かす。
またおそらくは人神通の相を識らざらん。
ゆゑに快鷹を引きて喩へとなす。
しかるに目連の通力は、一念のあひだに四天下を繞ること百千の匝なり。
あに鷹と類をなすことを得んや。
かくのごとき比校はすなはち衆多あり。
つぶさに引くべからず。
『賢愚経』につぶさに説きたまふがごとし。
「日日如是授王八戒」といふは、これ父の王命を延べて、目連しばしば来りて戒を受けしむることを致すことを明かす。
問ひていはく、八戒すでに勝れたりといふは、一たび受くるにすなはち足りぬ。 なんぞ日々にこれを受くるを須ゐん。
答へていはく、山は高きを厭はず、海は深きを厭はず、刀は利きを厭はず、日は明きを厭はず、人は善を厭はず、罪は除こるを厭はず、賢は徳を厭はず、仏は聖を厭はず。 しかるに王の意はすでに囚禁せられて、さらに進止を蒙らず。 念々のうちに人の喚び殺すことを畏る。 これがために昼夜に心を傾け、仰ぎて八戒を憑む。 善を積むことますます高きことを望欲して来業を資せんと擬す。
「世尊亦遣富楼那為王説法」といふは、これ世尊慈悲の意重くして、王の身を愍念したまふに、たちまちに囚労に遇ひて、おそらくは憂悴を生ずることを。 しかるに富楼那は聖弟子のなかにおいてもつともよく説法し、よく方便ありて人の心を開発す。 この因縁のために、如来発遣して王のために法を説きて、もつて憂悩を除かしめたまふことを明かす。
七に「如是時間」より下「顔色和悦」に至るこのかたは、まさしく父の王、食と聞法とによりて多日死せざることを明かす。 これまさしく夫人多時に食をたてまつりて、もつて飢渇を除き、二聖(目連・富楼那)また戒法をもつてうちに資けてよく王の意を開く。 食はよく命を延べ、戒法は神を養ひて、苦を失し憂ひを亡じて、顔容和悦ならしむることを致すことを明かす。 上来七句の不同ありといへども、広く禁父の縁を明かしをはりぬ。
禁母縁
【7】 三に禁母の縁のなかにつきてすなはちその八あり。
一には「時阿闍世」より下「由存在耶」に至るこのかたは、まさしく父の音信を問ふことを明かす。 これ闍王、父を禁ずること日数すでに多し。 人の交はりすべて絶え、水食通ぜずして二七有余なり。 命終るべし。 この念をなしをはりて、すなはち宮門に致りて守門のものに問ひて、「父の王いまなほ存在せりや」といふことを明かす。
問ひていはく、もし人一餐の飯を食して、限り七日に至りぬればすなはち死す。 父の王三七を経たるをもつて計るに、命断ゆべきこと疑なし。 闍王なにをもつてかただちに問ひて、「門家、父の王いま死しをはれりや」といはずして、いかんぞ疑を致して「なほ存在せりや」と問へるは、なんの意かあるや。
答へていはく、これはこれ闍王意密の問なり。 ただおもんみれば万基の主なれば、挙動随宜なるべからず。 父の王すでにこれ天性情親し、いひて「死せりや」と問ふべきことなし。 おそらくは失、当時にありて、もつて譏過を成ずることを。 ただおもんみれば内心に死を標して、口に「ありや」と問へるは、永き悪逆の声を息めんと欲するがためなり。
二に「時守門人白言」より下「不可禁制」に至るこのかたは、まさしく門家事をもつてつぶさに答ふることを明かす。 これ闍世前に「父の王ありや」と問へば、いま次に門家奉答することを明かす。 「白言大王国大夫人」といふ以下は、まさしく夫人密かに王に食をたてまつるに、王すでに食を得。 食よく命を延べて、多日を経といへども父の命なほ存ず。 これすなはち夫人の意にして、この門家の過にはあらずといふことを明かす。
問ひていはく、夫人食をたてまつるに、身の上に麨を塗りて衣の下に密かに覆ふ。 出入往還するに、人の見ることを得ることなし。 なんがゆゑぞ門家つぶさに夫人食をたてまつる事を顕す。 答へていはく、一切の私密久しく行ずべからず。 たとひ巧みに牢く蔵せども、事還りて彰露る。 父の王すでに禁ぜられて宮内にあり、夫人日々に往還す。 もし密かに麨を持ちて食せしめずは、王の命活くること得るに由なし。 いま「密」といふは、門家に望めて夫人の意を述ぶるなり。 夫人密して外人知らずと謂へども、その門家ことごとくもつてこれを覚らざらんや。 いますでに事窮まりて、あひ隠すに由なし。 ここをもつて一一つぶさに王に向かひて説く。
「沙門目連」といふ以下は、まさしく二聖(目連・富楼那)空に騰りて来去し、門路によらず。 日々に往還して王のために法を説く。 大王まさに知るべし。 夫人の進食先に王の教を奉けず、ゆゑにあへて遮約せず。 二聖空に乗ず、これまた門制によらずといふことを明かす。
三に「時阿闍世聞此語」より下「欲害其母」に至るこのかたは、まさしく世王の瞋怒を明かす。 これ闍王すでに門家の分疏を聞きをはりて、すなはち夫人において心に悪怒を起し、口に悪辞を陳ぶることを明かす。 また三業の逆と三業の悪とを起す。 父母を罵りて賊となすを口業の逆と名づく。 沙門を罵るを口業の悪と名づく。 剣を執りて母を殺さんとするを身業の逆と名づく。 身口の所為、心をもつて主となすを、すなはち意業の逆と名づく。 また前方便を悪となし、後の正行を逆となす。
「我母是賊」といふ以下は、まさしく口に悪辞を出すことを明かす。
いかんぞ母を罵りて、「賊なり、賊の伴なればなり」となす。
ただ闍王の元の心怨を父に致し、早く終らざることを恨むに、母すなはち和してために糧を進むるがゆゑに死せざらしむ。
このゆゑに罵りて、「わが母はこれ賊なり、賊の伴なればなり」といふ。
「沙門悪人」といふ以下は、これ闍世、母の食を進むることを瞋り、また沙門、王のために来去することを聞きて、さらに瞋心を発さしむることを致すことを明かす。
「ゆゑになんの呪術ありてか悪王をして多日に死せざらしむ」といふ。
「即執利剣」といふ以下は、これ世王の瞋り盛りにして、逆母に及ぶことを明かす。
なんぞそれ痛ましきかな。
頭を撮りて剣を擬す。
身命たちまちに須臾にあり。
慈母合掌して身を曲げ頭を低れ、児の手に就く。
夫人その時熱き汗あまねく流れて、心神悶絶す。
ああ哀れなるかな、怳忽のあひだにこの苦難に逢へること。
四に「時有一臣名曰月光」より下「却行而退」に至るこのかたは、まさしく二臣(月光・耆婆)切諫して聴さざることを明かす。
これ二臣はすなはちこれ国の輔相、立政の綱紀なり。
万国に名を揚げ、八方昉習することを得んと望む。
たちまちに闍王の勃逆を起して、剣を執りてその母を殺さんと欲するを見て、この悪事を見るに忍びず。
つひに耆婆と顔を犯して諫を設くることを明かす。
「時」といふは、闍王母を殺さんと欲する時に当れり。
「有一大臣」といふはその位を彰す。
「月光」といふはその名を彰す。
「聡明多智」といふはその徳を彰す。
「及与耆婆」といふは、耆婆はまたこれ父の王の子にして、奈女の児なり。
たちまちに家兄の母において逆を起すを見て、つひに月光と同じく諫む。
「為王作礼」といふは、おほよそ大人を諮諫せんと欲する法は、かならずすべからく拝を設けて、もつて身敬を表すべし。
いまこの二臣(月光・耆婆)もまたしかなり。
先づ身敬を設けて王の心を覚動し、手を斂め躬を曲げてまさに本意を陳ぶ。
また「白言大王」といふは、これ月光まさしく辞を陳べんと欲して、闍王、心を開き聴攬することを得んと望むことを明かす。
この因縁のためのゆゑに、先づ「白」を須ゐる。
「臣聞毘陀論経説」といふは、これ広く古今の書史、歴帝の文記を引くことを明かす。
古人いはく、「いふこと典に関らざるは君子の慚づるところなり」と。
いますでに諫事軽からず、あに虚言をもつて妄説すべけんや。
「劫初以来」といふはその時を彰す。
「有諸悪王」といふは、これ総じて非礼暴逆の人を標することを明かす。
「貪国位故」といふは、これ非意に父の坐処を貪奪するところを明かす。
「殺害其父」といふは、これすでに父において悪を起すことは久しく留むべからず。
ゆゑにすべからく命を断ずべしといふことを明かす。
「一万八千」といふは、これ王いま父を殺すことは、かれと類同することを明かす。 「未曾聞有無道害母」といふは、これ古より今に至るまで、父を害して位を取ることは史籍やや談ずるも、国を貪じて母を殺すことはすべて記せる処なきことを明かす。 もし劫初以来を論ぜば、悪王国を貪ぜしに、ただその父を殺して慈母に加へず。 これすなはち古の今に異なるを引く。 大王いま国を貪じて父を殺す。 父はすなはち位の貪ずべきことあり。 古に類同せしむべし。 母はすなはち位の求むべきなし。 横に逆害を加ふ。 ここをもつて今をもつて昔に異す。 「王いまこの殺母をなさば、刹利種を汚さん」といふ。 「刹利」といふは、すなはちこれ四姓の高元、王者の種なり、代代相承す。 あに凡砕に同じからんや。 「臣不忍聞」といふは、王、悪を起して宗親を損辱するを見ば、悪声流布せん。 わが性望恥慚するに地なし。 「是旃陀羅」といふはすなはちこれ四姓の下流なり。 これすなはち性、匈悪を懐きて仁義を閑はず。 人の皮を着たりといへども、行ひ禽獣に同じ。 王は上族に居して、押して万基に臨む主なり。 いますでに悪を起して恩に加ふ、かの下流となんぞ異ならんや。 「不宜住此」といふはすなはち二義あり。 一には王いま悪を造りて風礼を存ぜず。 京邑神州、あに旃陀羅をして主たらしめんや。 これすなはち宮城を擯出する意なり。 二には王国にありといへどもわが宗親を損ぜば、遠く他方に擯して永く無聞の地に絶たんにはしかず。 ゆゑに不宜住此といふ。
「時二大臣説此語」といふ以下は、これ二臣(月光・耆婆)の直諫切にして、語きはめて粗くして、広く古今を引きて、王の心開悟することを得んと望むことを明かす。 「以手按剣」といふは、臣みづから手中の剣を按ずるなり。
問ひていはく、諫辞粗悪にして顔を犯すことを避けず、君臣の義すでに乖けり。 なにをもつてか身を回らしてただちに去らずして、すなはち却行而退すといふや。
答へていはく、粗言王に逆ふといへども、害母の心を息むることを望む。 またおそらくは瞋毒いまだ除こらず、繋けたる剣おのれを危ふくすることを。 ここをもつて剣を按じてみづから防ぎて、却行して退く。
五に「時阿闍世驚怖」より下「汝不為我耶」に至るこのかたは、まさしく世王怖れを生ずることを明かす。 これ闍世すでに二臣の諫辞粗切なるを見、また剣を按じて去るを覩て、臣われを背きてかの父の王に向かひてさらに異計を生ずることを恐れ、情地をして安からざらしむることを致すことを明かす。 ゆゑに「惶懼」と称す。 かれすでにわれを捨つ、たれがためにすといふことを知らず。 心疑ひて決せず。 つひにすなはち口に問ひてこれを審らかにす。 ゆゑに「耆婆汝不為我」といふ。 「耆婆」といふはこれ王の弟なり。 古人いはく、「家に衰禍あるときは、親にあらざれば救はず」と。 なんぢすでにこれわが弟なれば、あに月光に同ぜんや。
六に「耆婆白言」より下「慎莫害母」に至るこのかたは、二臣(月光・耆婆)かさねて諫むることを明かす。 これ耆婆実をもつて大王に答ふることを明かす。 「もしわれらを得て相となさんと欲せば、願はくは母を害することなかれ」となり。 ここに直諫すること竟りぬ。
七に「王聞此語」より下「止不害母」に至るこのかたは、まさしく闍王諫を受けて母の残命を放すことを明かす。 これ世王すでに耆婆が諫を得をはりて、心に悔恨を生じ、前の所造を愧ぢて、すなはち二臣に向かひて哀れみを求め命を乞ふ。 よりてすなはち母を放して死の難を脱れしめ、手中の剣本の匣に還帰することを明かす。
八に「勅語内官」より下「不令復出」に至るこのかたは、その世王の余瞋母を禁ずることを明かす。
これ世王、臣の諫を受けて母を放すといへども、なほ余瞋ありてほかにあらしめず。
内官に勅語し深宮に閉置して、さらに出して父の王とあひ見えしむることなきことを明かす。
上来八句の不同ありといへども、広く禁母の縁を明かしをはりぬ。
厭苦縁
【8】 四に厭苦の縁のなかにつきてすなはちその四あり。
一には「時韋提希」より下「憔悴」に至るこのかたは、まさしく夫人子のために幽禁せらるることを明かす。 これ夫人死の難を勉るといへども、さらに深宮に閉ぢ在かれて、守当きはめて牢くして出づることを得るに由なし。 ただ念々に憂ひを懐くことのみありて、自然に憔悴することを明かす。 傷歎していはく、「禍なるかな今日の苦、闍王喚びて利刃の中間に結ぎ、また深宮に置く難に遇値ふ」と。
問ひていはく、夫人すでに死を勉れて宮に入ることを得。 よろしく訝楽すべし、なにによりてかかへりてさらに愁憂するや。
答へていはく、すなはち三義の不同あり。
一には夫人すでにみづから閉ぢられて、さらに人の食を進めて王に与ふるなし。
王またわが難にあるを聞きてうたたさらに愁憂せん。
いますでに食なくして憂ひを加へば、王の身命さだめて久しからざるべきことを明かす。
二には夫人すでに囚難を被る、いづれの時にかさらに如来(釈尊)の面およびもろもろの弟子を見たてまつらんといふことを明かす。
三には夫人教を奉けて禁ぜられて深宮にあり。
内官守当して水泄すら通ぜず。
旦夕のあひだ、ただ死路のみを愁ふることを明かす。
この三義ありて身心を切逼す。
憔悴することなきことを得んや。
二に「遥向耆闍崛山」より下「未挙頭頃」に至るこのかたは、まさしく夫人禁によりて仏を請じ、意に陳ぶるところあることを明かす。 これ夫人すでに囚禁にありて、自身仏辺に到ることを得るに由なし。 ただ単心のみありて、面を耆闍に向かへ、はるかに世尊を礼したてまつりて、「願はくは仏の慈悲、弟子が愁憂の意を表知したまへ」といふことを明かす。
「如来在昔之時」といふ以下は、これに二義あり。
一には父の王いまだ禁ぜられざる時は、あるいは王およびわが身親しく仏辺に到るべし、あるいは如来およびもろもろの弟子親しく王の請を受くべし。
しかるにわれおよび王の身ともに囚禁にありて、因縁断絶し、彼此情乖けることを明かす。
二には父の王、禁にありてよりこのかた、しばしば世尊、阿難を遣はして来りてわれを慰問せしめたまふことを蒙ることを明かす。
いかんが慰問する。
父の王の囚禁せらるるを見るをもつて、仏、夫人の憂悩することを恐れたまふ。
この因縁をもつてのゆゑに慰問せしめたまふ。
「世尊威重無由得見」といふは、これ夫人うちにみづから卑謙して、仏弟子に帰尊す。
「穢質の女身、福因尠薄なり。
仏徳は威高し、軽しく触るるに由なし。
願はくは目連等を遣はしてわれとあひ見えしめたまへ」といふことを明かす。
問ひていはく、如来はすなはちこれ化主なり。 時宜を失はざるべし。 夫人なにをもつてか三たび致請を加へずして、すなはち目連等を喚ぶはなんの意かあるや。
答へていはく、仏徳は尊厳なり。 小縁をもつてあへてたやすく請ぜず。 ただ阿難を見て、語を伝へて、往きて世尊にまうさしめんと欲す。 仏わが意を知りたまはば、また阿難をして仏の語を伝へて、われに指授せしめたまはん。 この義をもつてのゆゑに阿難を見んと願ふ。
「作是語已」といふは総じて前の意を説きをはるなり。 「悲泣雨涙」といふは、これ夫人みづからただ罪重し。 仏の加哀を請ずるに、敬を致す情深くして悲涙目に満てり。 ただ霊儀を渇仰するをもつて、またますますはるかに礼し、頂を叩きて跱し、しばらくいまだ挙げざることを明かす。
三に「爾時世尊」より下「天華持用供養」に至るこのかたは、まさしく世尊みづから来りて請に赴くことを明かす。
これ世尊耆闍にましますといへども、すでに夫人の心念の意を知ることを明かす。
「勅大目連等従空而来」といふは、これ夫人の請に応ずることを明かす。
「仏従耆山没」といふは、これ夫人宮内の禁約きはめて難し。
仏もし身を現じて来赴したまはば、おそらくは闍世知聞してさらに留難を生ずることを。
この因縁をもつてのゆゑに、すべからくここに没してかしこに出でたまふべきことを明かす。
「時韋提礼已挙頭」といふは、これ夫人敬を致す時を明かす。
「見仏世尊」といふは、これ世尊宮中にすでに出でて、夫人をして頭を挙げてすなはち見しむることを致すことを明かす。
「釈迦牟尼仏」といふは余仏に簡異す。
ただ諸仏は名通じ、身相異ならず。
いまことさらに釈迦を標定して疑なからしむ。
「身紫金色」といふはその相を顕し定む。
「坐百宝華」といふは余座に簡異す。
「目連侍左」等といふは、これさらに余の衆なくして、ただ二僧(目連・阿難)のみあることを明かす。
「釈梵護世」といふは、これ天王衆等、仏世尊隠れて王宮に顕れたまふを見るに、「かならず希奇の法を説きたまはん、われら天・人、韋提によるがゆゑに未聞の益を聴くことを得ん」と。
おのおの本念に乗じてあまねく空に住臨して、天耳はるかに餐して、華を雨らして供養することを明かす。 また「釈」といふは、すなはちこれ天帝なり。 「梵」といふは、すなはちこれ色界の梵王等なり。 「護世」といふは、すなはちこれ四天王なり。 「諸天」といふは、すなはちこれ色・欲界等の天衆なり。 すでに天王の仏辺に来り向かへるを見て、かのもろもろの天衆また王に従ひて来りて、法を聞きて供養す。
四に「時韋提希見世尊」より下「与提婆共為眷属」に至るこのかたは、まさしく夫人頭を挙げて仏を見たてまつり、口言に傷歎し、怨結の情深きことを明かす。 「自絶瓔珞」といふは、これ夫人身の荘りの瓔珞なほ愛していまだ除かず、たちまちに如来を見たてまつりて羞ぢ慚ぢてみづから絶つことを明かす。
問ひていはく、いかんぞみづから絶つや。
答へていはく、夫人はすなはちこれ貴のなかの貴、尊のなかの尊なり。 身の四威儀に多くの人供給し、着たるところの衣服みな傍人を使ふ。 いますでに仏を見たてまつりて恥ぢ愧づる情深くして、鉤帯によらず、たちまちにみづから掣き却く。 ゆゑに自絶といふ。
「挙身投地」といふは、これ夫人内心感結して怨苦堪へがたし。 ここをもつて坐より身を踊らして立し、立せるより身を踊らして地に投ぐることを明かす。 これすなはち歎恨処深くして、さらに礼拝の威儀を事とせず。 「号泣向仏」といふは、これ夫人仏前に婉転し、悶絶号哭することを明かす。 「白仏」といふ以下は、これ夫人婉転涕哭することやや久しくして、少しき惺めてはじめて身の威儀を正しくして、合掌して仏にまうすことを明かす。
「われ一生よりこのかた、いまだかつてその大罪を造らず。
いぶかし、宿業の因縁、なんの殃咎ありてかこの児とともに母子たる」と。
これ夫人すでにみづから障深くして宿因を識らず。
いま児に害を被る。
これ横に来れりと謂ひて、「願はくは仏の慈悲、われに径路を示したまへ」といふことを明かす。
「世尊復有何等因縁」といふ以下は、これ夫人仏に向かひて陳訴す。
「われはこれ凡夫なり。
罪惑尽きざれば、この悪報あり。
この事甘心す。
世尊は曠劫に道を行じて、正習ともに亡じたまへり。
衆智朗然として果円かなるを仏と号けたてまつる。
いぶかし、なんの因縁ありてかすなはち提婆とともに眷属となりたまふ」といふことを明かす。
この意に二あり。
一には夫人怨を子に致すことを明かす。
たちまちに父母において狂れて逆心を起せばなり。
二にはまた恨むらくは提婆、わが闍世を教へてこの悪計を造らしむ。
もし提婆によらずは、わが児つひにこの意なからんといふことを明かす。
この因縁のためのゆゑにこの問を致す。
また夫人、仏に問ひて「与提婆眷属」といふはすなはちその二あり。
一には在家の眷属、二には出家の眷属なり。
在家といふは、仏の伯叔にその四人あり。
仏はすなはちこれ白浄王(浄飯王)の児、金毘は白飯王の児、提婆は斛飯王の児、釈魔男はこれ甘露飯王の児なり。
これを在家の外眷属と名づく。
出家の眷属といふは、仏のために弟子となる、ゆゑに内眷属と名づく。
上来四句の不同ありといへども、広く厭苦の縁を明かしをはりぬ。
欣浄縁
【9】 五に欣浄の縁のなかにつきて、すなはちその八あり。
一に「唯願世尊為我広説」より下「濁悪世也」に至るこのかたは、まさしく夫人通じて所求を請じ、別して苦界を標することを明かす。
これ夫人自身の苦に遇ひて、世の非常を覚るに、六道同じくしかなり。
安心の地あることなし。
ここに仏、浄土の無生なるを説きたまふを聞きて、穢身を捨ててかの無為の楽を証せんと願ずることを明かす。
二に「此濁悪処」より下「不見悪人」に至るこのかたは、まさしく夫人所厭の境を挙出することを明かす。
これ閻浮はすべて悪にして、いまだ一処として貪ずべきことあらず。
ただ幻惑の愚夫なるをもつて、この長苦を飲むといふことを明かす。
「此濁悪処」といふはまさしく苦界を明かす。
また器世間を明かす。
またこれ衆生の依報の処なり。
また衆生の所依の処と名づく。
「地獄」等といふ以下は、三品の悪果もつとも重ければなり。
「盈満」といふは、この三の苦聚はただ独り閻浮を指すのみにあらず、娑婆もまたみなあまねくあり。
ゆゑに盈満といふ。
「多不善聚」といふは、これ三界・六道不同にして種類恒沙なるは、心の差別に随ふことを明かす。
経にのたまはく、「業よく識を荘り、世々処々におのおの趣きて、縁に随ひて果報を受け、対面すれどもあひ知らず」と。
「願我未来」といふ以下は、これ夫人
軽爾としてすなはち階ふべからず。 苦悩の娑婆、輒然として離るることを得るに由なし。 金剛の志を発すにあらざるよりは、永く生死の元を絶たんや。 もし親しく慈尊(釈尊)に従はずは、なんぞよくこの長歎を勉れん。
真心徹到して苦の娑婆を厭ひ、楽の無為を欣ひて永く常楽に帰することを明かす。 ただ無為の境、しかして「願我未来不聞悪声悪人」とは、これ闍王・調達(提婆達多)がごとき、父を殺し僧を破するもの、および悪声等、願はくはまた聞かず、見ざらんといふことを明かす。 ただ闍王はすでにこれ親生の子なるも、上父母において殺心を起す。 いかにいはんや疎き人にしてあひ害せざらんや。 このゆゑに夫人親疎を簡ばず、総じてみなたちまちに捨つ。
三に「今向世尊」より下「懺悔」に至るこのかたは、まさしく夫人浄土の妙処は善にあらずは生ぜず、おそらくは[[余