念声是一
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
ねんしょう-ぜいち
第十八願の「乃至十念」を善導大師は「下至十声」と称されたから、「念」と「声」とは同一であるということ。『選択集』に示される解釈。(一代記 P.1232)
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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法然聖人は『選択本願念仏集』で、
- 問ひていはく、『経』(大経)には「十念」といふ、〔善導の〕釈には「十声」といふ。念・声の義いかん。
- 答へていはく、念・声は是一なり。なにをもつてか知ることを得る。『観経』の下品下生にのたまはく、「声をして絶えざらしめて、十念を具足して、〈南無阿弥陀仏〉と称せば、仏の名を称するがゆゑに、念々のうちにおいて八十億劫の生死の罪を除く」と。
- いまこの文によるに、声はこれ念なり、念はすなはちこれ声なり。その意明らけし。{中略} ゆゑに知りぬ、念はすなはちこれ唱なりと。(選択本集P.1212)
と、『大経』の乃至十念と『観経』の「声をして絶えざらしめて、十念を具足」を会合して、念と声は同じ(念声是一)であるとされた。『大経』の第十八願の「欲生我国 乃至十念[1]」には直接には乃至十念を「称名」と指示する文がなかったから『観経』下品下生の「至心令声不絶 具足十念 称南無阿弥陀仏[2]」と会合されたからである。ただ四十八願に重ねて誓う「重誓偈」には、
- われ仏道を成るに至りて、名声十方に超えん。
- 究竟して聞ゆるところなくは、誓ひて正覚を成らじ。(大経 P.24)
と、「名声」とあり、異訳の『平等覚経』には、
- 仏言はく。若(なんじ)起ちて更に袈裟を被て西に向ひて拝し、日の没する処に当りて無量清浄仏の為に礼を作し、頭面を以て地に著け、南無無量清浄平等覚と言へと。(平等覚経)
とあり、同じく異訳の『大阿弥陀経』にも、
- 仏の言く、若(なん)じ起ちて更た袈裟を被て西に向て拝し、まさに日の所没の処に当りて、阿弥陀仏の爲に礼を作し、頭脳を以て地に著け、南無阿弥陀三耶三仏檀と言え。(大阿弥陀経)
と、阿難が名号を口に称えて、阿弥陀仏の浄土を目の当たりに拝見したという記述はある。しかし所依の『無量寿経』(大経)には、第十八願の乃至十念を称名とする直接の記述は無い。法然聖人は善導大師の『観経疏』の「一心専念弥陀名号」の語によって回心されたことは有名であり、浄土に往生することの意義を示された。→法然聖人の回心
いわゆる
この意を御開山は『唯信鈔文意』で、『往生礼讃』を引き、
と「称我名号 下至十声」の文を引かれ「念をはなれたる声なし、声をはなれたる念なし」と念声是一の意を示しておられた。信心を強調された蓮如さんは、念声是一を問われ、
- おもひ内にあればいろ外にあらはるるとあり。されば信をえたる体はすなはち南無阿弥陀仏なり とこころうれば、口も心もひとつなり。 (一代記 P.1232)
と答えられ、心と口の表裏一体化とされておられた。
しかし、御開山は第十八願の「乃至十念」を『観経』ではなく、『大経』の第十七願から顕された。『観経』の説相には真仮があるからである。
また、明恵高弁は『摧邪輪莊嚴記』で、法然聖人の「念声是一釈」に対して、
- 此義甚不可也。念者是心所 声者是色 心色既異何為一体乎。
- この義はなはだ不可なり。念はこれ心所、声はこれ色、心色すでに異なり、何ぞ一体と為すや。(*)
と論難していた。これに対して、第十八願の乃至十念の十念を第十七願の諸仏の教位において称名であるとされたのであった。→称
その称名の顕現相を『浄土論』の、
- かの如来の名を称するに、かの如来の光明智相のごとく、かの名義のごとく、如実に修行して相応せんと欲するがゆゑなり。(浄土論 P.33)
の文を釈した『論註』「讃嘆門」の、
の「如実修行相応」である「無礙光如来の名を称するなり」に拠られていた。そして、
と、されて「第十七願の「ことごとく咨嗟してわが名を称せずは、正覚を取らじ(不悉咨嗟 称我名者 不取正覚)」に称名の根拠をみておられた。第十七願」は、十方世界の無量の諸仏にわが名を称揚されようという願であるのだが、この諸仏の「咨嗟称」は衆生に〔なんまんだぶ〕を称える教と法と行を告げしめる願であるとみられたのであった。それを「選択称名の願」とされ、阿弥陀仏の第十八願の乃至十念が第十七願の諸仏の教位によってあらわされているとされたのであった。