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改邪鈔

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2008年2月21日 (木) 15:15時点におけるGoshin (トーク | 投稿記録)による版 (改邪鈔)

改邪鈔

   改邪鈔


(1)

一 今案の自義をもつて名帳と称して、祖師の一流をみだる事。

 曾祖師黒谷の聖人の御製作『選択集』(意 一一九〇)にのべらるるがごとく、「大小乗顕密の諸宗におのおの師資相承の血脈あるがごとく、いままた浄土の一宗において、おなじく師資相承の血脈あるべし」と[云々]。しかれば、血脈をたつる肝要は、往生浄土の他力の心行を獲得する時節を治定せしめて、かつは師資の礼をしらしめ、かつは仏恩を報尽せんがためなり。かの心行を獲得せんこと、念仏往生の願(第十八願)成就の「信心歓喜乃至一念」(大経・下)と等の文をもつて依憑とす。このほかいまだきかず。「曾祖師 [源空] 祖師 [親鸞] 両師御相伝の当教において、名帳と号してその人数をしるすをもつて往生浄土の指南とし、仏法伝持の支証とす」といふことは、これおそらくは祖師一流の魔障たるをや。ゆめゆめかの邪義をもつて法流の正義とす べからざるものなり。

もし「即得往生住不退転」(大経・下)等の経文をもつて平生業成の他力の心行獲得の時剋をききたがへて、「名帳勘録の時分にあたりて往生浄土の正業治定する」なんどばし、ききあやまれるにやあらん。ただ別の要ありて人数をしるさばそのかぎりあり。しからずして、念仏修行する行者の名字をしるさんからに、このとき往生浄土の位、あに治定すべけんや。この条、号するところ、「黒谷(源空)・本願寺(親鸞)両師御相承の一流なり」と[云々]。

展転の説なれば、もしひとのききあやまれるをや。ほぼ信用するにたらずといへども、こと実ならば付仏法の外道か。祖師の御悪名といひつべし。もつとも驚きおもひたまふところなり。いかに行者の名字をしるしつけたりといふとも、願力不思議の仏智を授くる善知識の実語を領解せずんば往生不可なり。たとひ名字をしるさずといふとも、宿善開発の機として他力往生の師説領納せば、平生をいはず臨終を論ぜず、定聚の位に住し滅度に至るべき条、経釈分明なり。このうへになにによりてか経釈をはなれて自由の妄説をさきとしてわたくしの自義骨張せんや。

おほよそ本願寺の聖人御門弟のうちにおいて二十余輩の流々の学者達、祖師の御口伝にあらざるところを禁制し、 自由の妄義を停廃あるべきものをや。なかんづくに、かの名帳と号する書において序題を書き、あまつさへ意解をのぶと[云々]。かの作者においてたれのともがらぞや。おほよそ師伝にあらざる謬説をもつて祖師一流の説と称する条、冥衆の照覧に違し、智者の謗難を招くものか。おそるべし、あやぶむべし。


(2)

一 絵系図と号して、おなじく自義をたつる条、謂なき事。

 それ聖道・浄土の二門について生死出過の要旨をたくはふること、経論章疏の明証ありといへども、自見すればかならずあやまるところあるによりて、師伝口業をもつて最とす。これによりて意業にをさめて出要をあきらむること、諸宗のならひ勿論なり。いまの真宗においては、もつぱら自力をすてて他力に帰するをもつて宗の極致とするうへに、三業のなかには口業をもつて他力のむねをのぶるとき、意業の憶念帰命の一念おこれば、身業礼拝のために、渇仰のあまり瞻仰のために、絵像・木像の本尊をあるいは彫刻しあるいは画図す。しかのみならず、仏法示誨の恩徳を恋慕し仰崇せんがために、三国伝来の祖師・先徳の尊像を図絵し安置すること、これまたつねのことなり。その ほかは祖師聖人(親鸞)の御遺訓として、たとひ念仏修行の号ありといふとも、「道俗男女の形体を面々各々図絵して所持せよ」といふ御掟、いまだきかざるところなり。

しかるにいま祖師・先徳のをしへにあらざる自義をもつて諸人の形体を安置の条、これ渇仰のためか、これ恋慕のためか、不審なきにあらざるものなり。本尊なほもつて『観経』所説の十三定善の第八の像観より出でたる丈六八尺随機現の形像をば、祖師あながち御庶幾御依用にあらず。天親論主の礼拝門の論文、すなはち「帰命尽十方無礙光如来」をもつて真宗の御本尊とあがめましましき。いはんやその余の人形において、あにかきあがめましますべしや。末学自己の義すみやかにこれを停止すべし。


(3)

一 遁世のかたちをこととし、異形をこのみ、裳無衣を着し、黒袈裟をもちゐる、しかるべからざる事。

 それ出世の法においては五戒と称し、世法にありては五常となづくる仁・義・礼・智・信をまもりて、内心には他力の不思議をたもつべきよし、師資相承したてまつるところなり。しかるにいま風聞するところの異様の儀においては、 「世間法をばわすれて仏法の義ばかりをさきとすべし」と[云々]。これによりて世法を放呵するすがたとおぼしくて、裳無衣を着し黒袈裟をもちゐるか、はなはだしかるべからず。

『末法灯明記』(意)[伝教大師諱最澄製作]  には、「末法には袈裟変じて白くなるべし」とみえたり。しかれば、末世相応の袈裟は白色なるべし、黒袈裟においてはおほきにこれにそむけり。当世都鄙に流布して遁世者と号するは、多分、一遍房・他阿弥陀仏等の門人をいふか。かのともがらは、むねと後世者気色をさきとし、仏法者とみえて威儀をひとすがたあらはさんと定め、振舞ふか。わが大師聖人(親鸞)の御意は、かれにうしろあはせなり。つねの御持言には、「われはこれ賀古の教信沙弥 [この沙弥のやう、禅林の永観の『十因』にみえたり] の定なり」と[云々]。

しかれば、縡を専修念仏停廃のときの左遷の勅宣によせましまして、御位署には愚禿の字をのせらる。これすなはち僧にあらず俗にあらざる儀を表して、教信沙弥のごとくなるべしと[云々]。

これによりて、「たとひ牛盗人とはいはるとも、もしは善人、もしは後世者、もしは仏法者とみゆるやうに振舞ふべからず」と仰せあり。この条、かの裳無衣・黒袈裟をまなぶともがらの意巧に雲泥懸隔なるものをや。顕密の諸宗・大小 乗の教法になほ超過せる弥陀他力の宗旨を心底にたくはへて、外相にはその徳をかくしまします。大聖権化の救世観音の再誕、本願寺 [親鸞] の御門弟と号しながら、うしろあはせに振舞ひかへたる後世者気色の威儀をまなぶ条、いかでか祖師(親鸞)の冥慮にあひかなはんや。かへすがへす停止すべきものなり。


(4)

一 弟子と称して、同行等侶自専のあまり、放言・悪口すること、いはれなき事。

 光明寺の大師(善導)の御釈(散善義・意 四九九)には、「もし念仏するひとは、人中の好人なり、妙好人なり、最勝人なり、上人なり、上上人なり」とのたまへり。しかれば、そのむねにまかせて、祖師(親鸞)の仰せにも、「それがしはまつたく弟子一人ももたず。そのゆゑは、弥陀の本願をたもたしむるほかはなにごとををしへてか弟子と号せん。弥陀の本願は仏智他力の授けたまふところなり。しかれば、みなともの同行なり。わたくしの弟子にあらず」と[云々]。これによりてたがひに仰崇の礼儀をただしくし、昵近の芳好をなすべしとなり。その義なくして、あまつさへ悪口をはく条、ことごとく 祖師・先徳の御遺訓をそむくにあらずや、しるべし。


(5)

一 同行を勘発のとき、あるいは寒天に冷水を汲みかけ、あるいは炎旱艾灸をくはふるらのいはれなき事。

 むかし役の優婆塞の修験の道をもつぱらにせし山林斗藪の苦行、樹下石上の坐臥、これみな一機一縁の方便権者権門の難行なり。身をこの門に入るるともがらこそ、かくのごときの苦行をばもちゐげにはんべれ。さらに出離の要路にあらず、ひとへに魔界有縁の僻見なり。浄土の真宗においては、超世希有の正法、諸仏証誠の秘懐、他力即得の直道、凡愚横入の易行なり。しかるに末世不相応の難行をまじへて、当今相応の他力執持の易行をけがさんこと、総じては三世諸仏の冥応にそむき、別しては釈迦・弥陀二尊の矜哀を わすれたるに似たり。おそるべし、恥づべしならくのみ。


(6)

一 談議かくるとなづけて、同行、知識に矛盾のとき、あがむるところの本尊・聖教を奪ひ取りたてまつる、いはれなき事。

 右、祖師 [親鸞] 聖人御在世のむかし、ある御直弟御示誨のむねを領解したてまつらざるあまり、忿結して貴前をしりぞきてすなはち東関に下国のとき、ある常随の一人の御門弟、「この仁に授けらるるところの聖教の外題に聖人の御名をのせられたるあり、すみやかにめしかへさるべきをや」と[云々]。

ときに祖師の仰せにいはく、「本尊・聖教は衆生利益の方便なり、わたくしに凡夫自専すべきにあらず。いかでかたやすく世間の財宝なんどのやうにせめかへしたてまつるべきや。釈親鸞といふ自名のりたるを、〈法師にくければ袈裟さへ〉の風情に、いかなる山野にもすぐさぬ聖教をすてたてまつるべきにや。たとひしかりといふとも親鸞まつたくいたむところにあらず、すべからくよろこぶべきにたれり。そのゆゑはかの聖教をすてたてまつるところの有情蠢々の類にいたるまで、かれにすくはれたてまつりて苦海の沈没をまぬかるべし。ゆめゆめこの義あるべからざることなり」と仰せごとありけり。そのうへは、末学としていかでか新義を骨張せんや。よろしく停止すべし。


(7)

一 本尊ならびに聖教の外題のしたに、願主の名字をさしおきて、知識と号 するやからの名字をのせおく、しかるべからざる事。

 この条、おなじく前段の篇目にあひおなじきものか。大師聖人(親鸞)の御自筆をもつて諸人に書き与へわたしまします聖教をみたてまつるに、みな願主の名をあそばされたり。いまの新義のごとくならば、もつとも聖人の御名をのせらるべきか。しかるにその義なきうへは、これまた非義たるべし。これを案ずるに、知識の所存に同行あひそむかんとき、「わが名字をのせたれば」とて、せめかへさんのはかりごとか。世間の財宝を沙汰するに似たり。もつとも停止すべし。


(8)

一 わが同行ひとの同行と簡別して、これを相論する、いはれなき事。

 曾祖師 [源空] 聖人の「七箇条の御起請文」にいはく、「諍論のところにはもろもろの煩悩おこる。智者これを遠離すること百由旬、いはんや一向念仏の行人においてをや」と[云々]。しかれば、ただ是非を糺明し邪正を問答する、なほもつてかくのごとく厳制におよぶ。いはんや人倫をもつて、もし世財に類する所存ありて相論せしむるか。いまだそのこころをえず。祖師聖人 (親鸞)御在世に、ある御直弟のなかにつねにこの沙汰ありけり。そのとき仰せにいはく、「世間の妻子眷属もあひしたがふべき宿縁あるほどは、別離せんとすれども捨離するにあたはず。宿縁尽きぬるときはしたひむつれんとすれどもかなはず。いはんや出世の同行等侶においては、凡夫の力をもつて親しむべきにもあらず、はなるべきにもあらず。あひともなへといふとも、縁尽きぬれば疎遠になる。親しまじとすれども、縁尽きざるほどはあひともなふにたれり。これみな過去の因縁によることなれば、今生一世のことにあらず。かつはまた宿善のある機は正法をのぶる善知識に親しむべきによりて、まねかざれどもひとを迷はすまじき法灯にはかならずむつぶべきいはれなり。宿善なき機は、まねかざれどもおのづから悪知識にちかづきて善知識にはとほざかるべきいはれなれば、むつびらるるもとほざかるも、かつは知識の瑕瑾もあらはれしられぬべし。所化の運否、宿善の有無も、もつとも能・所ともに恥づべきものをや」。しかるにこのことわりにくらきがいたすゆゑか、一旦の我執をさきとして宿縁の有無をわすれ、わが同行ひとの同行と相論すること、愚鈍のいたり、仏祖の照覧をはばからざる条、至極つたなきものか、いかん、しるべし。


(9)

一 念仏する同行、知識にあひしたがはずんば、その罰をかうぶるべきよし

の起請文を書かしめて、数箇条の篇目をたてて連署と号する、いはれなき事。 まづ数箇条のうち、知識をはなるべからざるよしの事。祖師聖人(親鸞)御在世のむかし、よりよりかくのごときの義をいたすひとありけり。御制のかぎりにあらざる条、過去の宿縁にまかせられてその御沙汰なきよし、先段にのせをはりぬ。また子細、かの段に違すべからず。

 つぎに、本尊・聖教を奪ひ取りたてまつらんとき、惜しみたてまつるべからざるよしの事。またもつて同前、さきに違すべからず。

 つぎに、堂を造らんとき、義をいふべからざるよしの事。おほよそ造像起塔等は、弥陀の本願にあらざる所行なり。これによりて一向専修の行人、これを企つべきにあらず。されば祖師聖人御在世のむかし、ねんごろに一流面授口決したてまつる御門弟達、堂舎を営作するひとなかりき。ただ道場をばすこし人屋に差別あらせて、小棟をあげて造るべきよしまで御諷諫ありけり。中古よりこのかた、御遺訓にとほざかるひとびとの世となりて造寺土木の企てにおよぶ条、仰せに違するいたり、なげきおもふところなり。しかれば、造 寺のとき、義をいふべからざるよしの怠状、もとよりあるべからざる題目たるうへは、これにちなんだる誓文、ともにもつてしかるべからず。

 すべてこと数箇条におよぶといへども、違変すべからざる儀において厳重の起請文を同行に書かしむること、かつは祖師(親鸞)の遺訓にそむき、かつは宿縁の有無をしらず、無法の沙汰に似たり。詮ずるところ、聖人(親鸞)御相伝の正義を存ぜんともがら、これらの今案に混じてみだりに邪義に迷ふべからず。つつしむべし、おそるべし。


(10)

一 優婆塞・優婆夷の形体たりながら出家のごとく、しひて法名をもちゐる、いはれなき事。

 本願の文に、すでに「十方衆生」のことばあり。宗家(善導)の御釈(玄義分 二九七)に、また「道俗時衆」と等あり。釈尊四部の遺弟に、道の二種は比丘・比丘尼、俗の二種は優婆塞・優婆夷なれば、俗の二種も仏弟子のがはに入れる条、勿論なり。なかんづくに、不思議の仏智をたもつ道俗の四種、通途の凡体においては、しばらくさしおく。仏願力の不思議をもつて無善造悪の 凡夫を摂取不捨したまふときは、道の二種はいみじく、俗の二種が往生の位不足なるべきにあらず。その進道の階次をいふとき、ただおなじ座席なり。しかるうへは、かならずしも俗の二種をしりぞけて、道の二種をすすましむべきにあらざるところに、女形・俗形たりながら法名をもちゐる条、本形としてはの往生浄土器ものにきらはれたるに似たり。ただ男女・善悪の凡夫をはたらかさぬ本形にて、本願の不思議をもつて生るべからざるものを生れさせたればこそ、超世の願ともなづけ、横超の直道ともきこえはんべれ。この一段、ことに曾祖師 [源空] ならびに祖師 [親鸞] 以来、伝授相承の眼目たり。あへて聊爾に処すべからざるものなり。


(11)

一 二季の彼岸をもつて念仏修行の時節と定むる、いはれなき事。

 それ浄土の一門について、光明寺の和尚(善導)の御釈(礼讃)をうかがふに、安心・起行・作業の三つありとみえたり。そのうち起行・作業の篇をば、なほ方便の方とさしおいて、往生浄土の正因は安心をもつて定得すべきよしを釈成せらるる条、顕然なり。しかるにわが大師聖人(親鸞)、このゆゑを もつて他力の安心をさきとしまします。それについて三経の安心あり。そのなかに『大経』をもつて真実とせらる。『大経』のなかには第十八の願をもつて本とす。十八の願にとりては、また願成就をもつて至極とす。「信心歓喜乃至一念」(大経・下)をもつて他力の安心とおぼしめさるるゆゑなり。この一念を他力より発得しぬるのちは、生死の苦海をうしろになして涅槃の彼岸にいたりぬる条、勿論なり。この機のうへは、他力の安心よりもよほされて仏恩報謝の起行・作業はせらるべきによりて、行住坐臥を論ぜず、長時不退に到彼岸の謂あり。このうへは、あながち中陽院の衆聖、衆生の善悪を決断する到彼岸の時節をかぎりて、安心・起行等の正業をはげますべきにあらざるか。

かの中陽院の断悪修善の決断は、仏法疎遠の衆生を済度せしめんがための集会なり。いまの他力の行者においては、あとを娑婆にとほざかり、心を浄域にすましむるうへは、なにによりてかこの決判におよぶべきや。しかるに二季の時正をえりすぐりてその念仏往生の時分と定めて起行をはげますともがら、祖師(親鸞)の御一流にそむけり。いかでか当教の門葉と号せんや、しるべし。

(12)

一 道場と号してをならべをへだてたるところにて、各別各別に会場をしむる事。

 おほよそ真宗の本尊は、尽十方無礙光如来なり。かの本尊所居の浄土は、究竟如虚空の土なり。ここをもつて祖師(親鸞)の『教行証』には、「仏はこれ不可思議光仏、土はまた無量光明土なり」(真仏土巻)とのたまへる、これなり。されば天親論主は、「勝過三界道」(浄土論 二九)と判じたまへり。しかれども聖道門の此土の得道といふ教相にかはらんために、他土の往生といふ廃立をしばらく定むるばかりなり。和会するときは、此土他土一異|此土・他土一異凡聖不二なるべし。これによりて念仏修行の道場とて、あながち局分すべきにあらざるか。

 しかれども、廃立の初門にかへりて、いくたびも為凡をさきとして、道場となづけてこれをかまへ、本尊を安置したてまつるにてこそあれ、これは行者集会のためなり。一道場に来集せんたぐひ、遠近ことなれば、来臨の便宜不同ならんとき、一所をしめてもことのわづらひありぬべからんには、あまたところにも道場をかまふべし。しからざらんにおいては、町のうち、さかひのあひだに、面々各々にこれをかまへてなんの要かあらん。あやまつてことしげ くなりなば、その失ありぬべきものか。

そのゆゑは、「同一念仏無別道故」(論註・下 一二〇)なれば、同行はたがひに四海のうちみな兄弟のむつびをなすべきに、かくのごとく簡別隔略せば、おのおの確執のもとゐ、我慢の先相たるべきをや。この段、祖師の御門弟と号するともがらのなかに、当時さかんなりと[云々]。祖師聖人御在世のむかし、かつてかくのごとくはなはだしき御沙汰なしと、まのあたり承りしことなり。ただ、ことにより便宜にしたがひてわづらひなきを、本とすべし。いま謳歌の説においては、もつとも停止すべし。


(13)

一 祖師聖人(親鸞)の御門弟と号するともがらのなかに、世・出世の二法について「得分せよ」といふ名目を行住坐臥につかふ、こころえがたき事。

 それ「得分」といふ畳字は、世俗よりおこれり。出世の法のなかに経論章疏をみるに、いまだこれなし。しかれども、をりにより時にしたがひてものをいはんときは、このことば出来せざるべきにあらず。謳歌のごとくんば、「造次顛沛、このことばをもつて規模とす」と[云々]。「七箇条の御起請文」(意)には、「念仏修行の道俗男女、卑劣のことばをもつてなまじひに法門をのべ ば、智者にわらはれ、愚人を迷はすべし」と[云々]。かの先言をもつていまを案ずるに、すこぶるこのたぐひか。もつとも智者にわらはれぬべし。かくのごときのことば、もつとも頑魯なり。荒涼に義にもあたらぬ畳字をつかふべからず。すべからくこれを停止すべし。


(14)

一 なまらざる音声をもつて、わざと片国のなまれる声をまなんで念仏する、いはれなき事。

 それ五音七声は、人々生得のひびきなり。弥陀浄国の水・鳥・樹林のさえずる音、みな宮・商・角・徴・羽にかたどれり。これによりて曾祖師聖人(源空)のわが朝に応を垂れましまして、真宗を弘興のはじめ、声、仏事をなすいはれあればとて、かの浄土の依報のしらべをまなんで、迦陵頻伽のごとくなる能声をえらんで念仏を修せしめて、万人のききをよろこばしめ、随喜せしめたまひけり。それよりこのかた、わが朝に一念多念の声明あひわかれて、いまにかたのごとく余塵をのこさる。祖師聖人(親鸞)の御時は、さかりに多念声明の法灯、倶阿弥陀仏の余流充満のころにて、御坊中の禅襟達も少々 これをもてあそばれけり。祖師の御意巧としては、まつたく念仏のこわびき、いかやうに節はかせを定むべしといふ仰せなし。ただ弥陀願力の不思議、凡夫往生の他力の一途ばかりを、自行化他の御つとめとしましましき。音声の御沙汰さらにこれなし。しかれども、とき世の風儀、多念の声明をもつて、ひとおほくこれをもてあそぶについて、御坊中のひとびと、御同宿達もかの声明にこころを寄するについて、いささかこれを稽古せらるるひとびとありけり。そのとき東国より上洛の道俗等、御坊中逗留のほど、耳にふれけるか。まつたく聖人の仰せとして、音曲を定めて称名せよといふ御沙汰なし。されば節はかせの御沙汰なきうへは、なまれるをまねび、なまらざるをもまなぶべき御沙汰におよばざるものなり。しかるにいま生得になまらざる声をもつて、生得になまれる坂東声をわざとまねびて字声をゆがむる条、音曲をもつて往生の得否を定められたるに似たり。詮ずるところ、ただおのれが声の生得なるにまかせて、田舎の声は力なくなまりて念仏し、王城の声はなまらざるおのれなりの声をもつて念仏すべきなり。声、仏事をなすいはれもかくのごとくの結縁分なり。音曲さらに報土往生の真因にあらず。ただ他力の一心をもつて 往生の時節を定めまします条、口伝といひ御釈といひ顕然なり、しるべし。


(15)

一 一向専修の名言をさきとして、仏智の不思議をもつて報土往生を遂ぐるいはれをば、その沙汰におよばざる、いはれなき事。

 それ本願の三信心といふは、至心・信楽・欲生これなり。まさしく願成就したまふには、「聞其名号 信心歓喜 乃至一念」(大経・下)と等説けり。この文について、凡夫往生の得否は乃至一念発起の時分なり。このとき願力をもつて往生決得すといふは、すなはち摂取不捨のときなり。もし『観経義』(散善義・意)によらば「安心定得」といへる御釈、これなり。また『小経』によらば「一心不乱」と説ける、これなり。しかれば、祖師聖人(親鸞)御相承弘通の一流の肝要、これにあり。ここをしらざるをもつて他門とし、これをしれるをもつて御門弟のしるしとす。そのほか、かならずしも外相において、一向専修行者のしるしをあらはすべきゆゑなし。しかるをいま風聞の説のごとくんば、「三経一論について文証をたづねあきらむるにおよばず、ただ自由の妄義をたてて信心の沙汰をさしおきて、起行の篇をもつて、〈まづ雑 行をさしおきて正行を修すべし〉とすすむ」と[云々]。これをもつて一流の至要とするにや。この条、総じては真宗の廃立にそむき、別しては祖師の御遺訓に違せり。正行五種のうちに、第四の称名をもつて正定業とすぐりとり、余の四種をば助業といへり。正定業たる称名念仏をもつて往生浄土の正因とはからひつのるすら、なほもつて凡夫自力の企てなれば、報土往生かなふべからずと[云々]。そのゆゑは願力の不思議をしらざるによりてなり。当教の肝要、凡夫のはからひをやめて、ただ摂取不捨の大益を仰ぐものなり。起行をもつて一向専修の名言をたつといふとも、他力の安心決得せずんば、祖師の御己証を相続するにあらざるべし。宿善もし開発の機ならば、いかなる卑劣のともがらも願力の信心をたくはへつべし、しるべし。


(16)

一 当流の門人と号するともがら、祖師(親鸞)・先徳〔の〕報恩謝徳の集会のみぎりにありて、往生浄土の信心においてはその沙汰におよばず、没後葬礼をもつて本とすべきやうに衆議評定する、いはれなき事。

 右、聖道門について密教所談の「父母所生身速証大覚位」(菩提心論)と等 いへるほかは、浄刹に往詣するも苦域に堕在するも、心の一法なり。まつたく五蘊所成の肉身をもつて、凡夫速疾に浄刹の台にのぼるとは談ぜず。他宗の性相に異する自宗の廃立、これをもつてとす。しかるに往生の信心の沙汰をば手がけもせずして、没後葬礼の助成扶持の一段を当流の肝要とするやうに談合するによりて、祖師の御己証もあらはれず、道俗男女、往生浄土のみちをもしらず、ただ世間浅近の無常講とかやのやうに諸人おもひなすこと、こころうきことなり。かつは本師聖人(親鸞)の仰せにいはく、「某 [親鸞] 閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたふべし」と[云々]。これすなはちこの肉身を軽んじて仏法の信心を本とすべきよしをあらはしましますゆゑなり。これをもつておもふに、いよいよ喪葬を一大事とすべきにあらず。もつとも停止すべし。


(17)

一 おなじく祖師(親鸞)の御門流と号するやから、因果撥無といふことを持言とすること、いはれなき事。

 それ三経のなかにこの名言をもとむるに、『観経』に「深信因果」の文あり、もしこれをおもへるか。おほよそ祖師聖人御相承の一義は、三経ともに差別 なしといへども、『観無量寿経』は機の真実をあらはして、所説の法は定散をおもてとせり。機の真実といふは、五障の女人・悪人を本として、韋提を対機としたまへり。『大無量寿経』は深位の権機をもつて同聞衆として、所説の法は凡夫出要の不思議をあらはせり。大師聖人(親鸞)の御相承はもつぱら『大経』にあり。『観経』所説の「深信因果」のことばをとらんこと、あながち甘心すべからず。たとひかの『経』(観経)の名目をとるといふとも、義理参差せばいよいよいはれなかるべし。

そのゆゑは、かの『経』(同)の「深信因果」は、三福業の随一なり。かの三福の業はまた人天有漏の業なり。なかんづくに、深信因果の道理によらば、あに凡夫往生の望みをとげんや。まづ十悪において、「上品に犯するものは地獄道に堕し、中品に犯するものは餓鬼道に堕し、下品に犯するものは畜生道におもむく」といへり。これ大乗の性相の定むるところなり。もしいまの凡夫所犯の現因によりて当来の果を感ずべくんば、三悪道に堕在すべし。人中・天上の果報なほもつて五戒・十善まつたからずは、いかでか望みをかけんや。いかにいはんや、出過三界の無漏無生の報国・報土に生るる道理あるべからず。

しかりといへども、弥陀超世の大願、十悪・五逆・ 四重・謗法の機のためなれば、かの願力の強盛なるに、よこさまに超截せられたてまつりて、三途の苦因をながくたちて猛火洞燃の業果をとどめられたてまつること、おほきに因果の道理にそむけり。もし深信因果の機たるべくんば、植うるところの悪因のひかんところは悪果なるべければ、たとひ弥陀の本願を信ずといふとも、その願力はいたづらごとにて、念仏の衆生、三途に堕在すべきをや。もししかりといはば、弥陀五劫思惟の本願も、釈尊無虚妄の金言も、諸仏誠諦の証誠も、いたづらごとなるべきにや。おほよそ他力の一門においては、釈尊一代の説教にいまだその例なき通途の性相をはなれたる言語道断の不思議なりといふは、凡夫の報土に生るるといふをもつてなり。もし因果相順の理にまかせば、釈迦・弥陀・諸仏の御ほねをりたる他力の別途むなしくなりぬべし。そのゆゑは、たすけましまさんとする十方衆生たる凡夫、因果相順の理に封ぜられて、別願所成の報土に凡夫生るべからざるゆゑなり。いま報土得生の機にあたへまします仏智の一念は、すなはち仏因なり。かの仏因にひかれてうるところの定聚の位、滅度に至るといふは、すなはち仏果なり。この仏因仏果においては、他力より成ずれば、さらに凡夫のちからにてみだすべきに あらず、また撥無すべきにあらず。しかれば、なにによりてか「因果撥無の機あるべし」といふことをいはんや。もつともこの名言、他力の宗旨をもつぱらにせらるる当流にそむけり。かつてうかがひしらざるゆゑか。はやく停止すべし。


(18)

一 本願寺の聖人(親鸞)の御門弟と号するひとびとのなかに、知識をあがむるをもつて弥陀如来に擬し、知識所居の当体をもつて別願真実の報土とすといふ、いはれなき事。

 それ自宗の正依経たる三経所説の廃立においては、ことしげきによりてしばらくさしおく。八宗の高祖とあがめたてまつる龍樹菩薩の所造『十住毘婆沙論』のごときんば、「菩薩、阿毘跋致を求むるに、二種の道あり。一つには難行道、二つには易行道。その難行といふは多途あり。ほぼ五三をあげて義のこころを示さん」といへり。「易行道といふは、ただ信仏の因縁をもつて浄土に生れんと願ずれば、仏力住持してすなはち大乗正定の聚に入れたまふ」といへり。曾祖師黒谷の先徳(源空)、これをうけて「難行道といふは聖道門なり、易行道といふは浄土門なり」(選択集 一一八九)とのたまへり。これすなはち聖 道・浄土の二門を混乱せずして、浄土の一門を立せんがためなり。

しかるに聖道門のなかに大小乗・権実の不同ありといへども、大乗所談の極理とおぼしきには己身の弥陀・唯心の浄土と談ずるか。この所談においては、のためにしてのためにあらず。かるがゆゑに浄土の教門はもつぱら凡夫引入のためなるがゆゑに、己身の観法もおよばず唯心の自説もかなはず、ただ隣の宝をかぞふるに似たり。これによりて、すでに別して浄土の一門を立てて、凡夫引入のみちを立せり。龍樹菩薩の所判あにあやまりあるべけんや。真宗の門においてはいくたびも廃立をさきとせり。「廃」といふは、捨なりと釈す。聖道門の此土の入聖得果・己身の弥陀・唯心の浄土等の凡夫不堪の自力の修道を捨てよとなり。

「立」といふは、すなはち、弥陀他力の信をもつて凡夫の信とし、弥陀他力の行をもつて凡夫の行とし、弥陀他力の作業をもつて凡夫報土に往生する正業として、この穢界を捨ててかの浄刹に往生せよとしつらひたまふをもつて真宗とす。しかるに風聞の邪義のごとくんば、廃立の一途をすてて、此土・他土をわけず浄・穢を分別せず、此土をもつて浄土と称し、凡形の知識をもつてかたじけなく三十二相の仏体と定むらんこと、浄土の一門においてかかる所談 あるべしともおぼえず。下根・愚鈍の短慮おほよそ迷惑するところなり。己身の弥陀・唯心の浄土と談ずる聖道の宗義に差別せるところいづくぞや、もつとも荒涼といひつべし。ほのかにきく、かくのごとくの所談の言語をまじふるを夜中の法門と号すと[云々]。

またきく、祖師(親鸞)の御解釈『教行証』にのせらるるところの顕彰隠密の義といふも、隠密の名言はすなはちこの一途を顕露にすべからざるを隠密と釈したまへりと[云々]。これもつてのほかの僻韻か。かの顕彰隠密の名言は、わたくしなき御釈なり。それはかくのごとくこばみたる邪義にあらず。子細多重あり。ことしげきによりて、いまの要須にあらざるあひだ、これを略す。善知識において、本尊のおもひをなすべき条、渇仰のいたりにおいてはその理しかるべしといへども、それは仏智を次第相承しまします願力の信心、仏智よりもよほされて仏智に帰属するところの一味なるを仰崇の分にてこそあれ、仏身・仏智を本体とおかずして、ただちに凡形の知識をおさへて、如来の色相と眼見せよとすすむらんこと、聖教の施設をはなれ祖師の口伝にそむけり。本尊をはなれていづくのほどより知識は出現せるぞや。荒涼なり髣髴なり

ただ実語を伝へて口授し、仏智をあらはして決得せしむる恩徳は、 生身の如来にもあひかはらず。木像ものいはず経典口なければ、伝へきかしむるところの恩徳を耳にたくはへん行者は、謝徳のおもひをもつぱらにして、如来の代官と仰いであがむべきにてこそあれ、その知識のほかは別の仏なしといふこと、智者にわらはれ愚者を迷はすべき謂これにあり。あさましあさまし。


(19)

一 凡夫自力の心行をおさへて仏智証得の行体といふ、いはれなき事。

 三経のなかに、『観経』の至誠・深心等の三心をば、凡夫のおこすところの自力の三心ぞと定め、『大経』所説の至心・信楽・欲生等の三信をば、他力よりさづけらるるところの仏智とわけられたり。しかるに、「方便より真実へ伝ひ、凡夫発起の三心より如来利他の信心に通入するぞ」とをしへおきまします祖師  [親鸞] 聖人の御釈を拝見せざるにや。ちかごろこのむねをそむいて自由の妄説をなして、しかも祖師の御末弟と称する、この条ことにもつて驚きおぼゆるところなり。まづ能化・所化をたて、自力・他力を対判して、自力をすてて他力に帰し、能化の説をうけて所化は信心を定得するこそ、今師(親鸞)御相承の口伝にはあひかなひはんべれ。いまきこゆる邪義のごとくは、「煩悩 成就の凡夫の妄心をおさへて金剛心といひ、行者の三業所修の念仏をもつて一向一心の行者とす」と[云々]。

この条、つやつや自力・他力のさかひをしらずして、ひとをも迷はし、われも迷ふものか。そのゆゑはまづ、「金剛心成就」といふ、金剛はこれたとへなり、凡夫の迷心において金剛に類同すべき謂なし。凡情はきはめて不成なり。されば大師(善導)の御釈(序分義 三四〇)には、「たとひ清心を発すといへども、水に画せるがごとし」と[云々]。不成の義、これをもつてしるべし。しかれば、凡夫不成の迷情に令諸衆生の仏智満入して不成の迷心を他力より成就して、願入弥陀界の往生の正業成ずるときを、「能発一念喜愛心」(正信偈)とも、「不断煩悩得涅槃」(同)とも、「入正定聚之数」とも、「住不退転」とも、聖人釈しましませり。これすなはち「即得往生」の時分なり。この娑婆生死の五蘊所成の肉身いまだやぶれずといへども、生死流転の本源をつなぐ自力の迷情、共発金剛心の一念にやぶれて、知識伝持の仏語に帰属するをこそ、「自力をすてて他力に帰する」ともなづけ、また「即得往生」ともならひはんべれ。まつたくわが我執をもつて随分に是非をおもひかたむるを他力に帰すとはならはず。これを金剛心ともいはざると ころなり。三経一論、五祖の釈以下、当流 [親鸞] 聖人自証をあらはしまします御製作『教行信証』等にみえざるところなり。しかれば、なにをもつてかほしいままに自由の妄説をのべて、みだりに祖師一流の口伝と称するや。自失誤他のとが、仏祖の知見にそむくものか。おそるべし、あやぶむべし。


(20)

一 至極末弟の建立の草堂を称して本所とし、諸国こぞりて崇敬の聖人(親鸞)の御本廟本願寺をば参詣すべからずと諸人に障礙せしむる、冥加なき企ての事。

 それ慢心は聖道の諸教にきらはれ、「仏道をさまたぐる魔」と、これをのべたり。わが真宗の高祖光明寺の大師(善導)釈してのたまはく(礼讃 六七五)、「驕慢懈怠難以信此法」とて、「驕慢と弊と懈怠とは、もつてこの法を信ずることかたし」とみえたれば、驕慢の自心をもつて仏智をはからんと擬する不覚鈍機の器としては、さらに仏智無上の他力をきき得べからざれば、祖師(親鸞)の御本所をば蔑如し、自建立のわたくしの在所をば本所と自称するほどの冥加を存ぜず、利益をおもはざるやから、大驕慢の妄情をもつて は、まことにいかでか仏智無上の他力を受持せんや。「難以信斯法」の御釈、いよいよおもひあはせられて厳重なるものか、しるべし。

改邪鈔

本にいはく

 [右この抄は、祖師本願寺聖人 親鸞、先師大網如信法師に面授口決せるの正旨、報土
  得生の最要なり。余、壮年の往日、かたじけなくも三代 黒谷・本願寺・大網 伝持の
  血脈を従ひ受けて以降、とこしなへに蓄ふるところの二尊興説の目足なり。遠く
  宿生の値遇を測り、つらつら当来の開悟を憶ふに、仏恩の高大なることあたかも
  迷盧八万の巓に超え、師徳の深広なることほとんど蒼溟三千の底に過ぎたり。ここに近くか
  つて祖師御門葉の輩と号するなかに、師伝にあらざるの今案の自義を構へ、謬りて権化
  の清流を黷し、ほしいままに当教と称してみづから失し他を誤らすと云々。はなはだ
  しかるべからず。禁遏せざるべからず。これによりて、かの邪幢を砕きてその正灯を挑
  げんがためにこれを録す。名づけて『改邪鈔』といふのみ。]
建武丁丑第四の暦季商下旬二十五日、を染めをはりぬ。図らざるに曾祖聖人
 源空)遷化の聖日にあひ当れり。ここに知りぬ、師資相承の直語に違はざることを。
 尊むべし、喜ぶべし。]

                           [釈宗昭六十八]