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「本願力の回向」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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2024年7月25日 (木) 08:50時点における最新版

ほんがんりきのえこう

 →補註12(他力・本願力回向) (浄文 P.478, 二種 P.721)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

法然聖人の教学のキーワードは「選択本願念仏」であり、その選択本願を『浄土論』『浄土論註』の本願力回向の義に拠って「本願力回向」であるというのが親鸞聖人の「本願力回向」(=利他力)という浄土真宗の教義概念である。 曇鸞大師は『論註』において不虚作住持功徳を解釈する中で、 本願力の意義を明らかにしている。

◆ 参照読み込み (transclusion) トーク:不虚作住持功徳

ふこさ-じゅうじ-くどく 不虚作住持功徳

 二十九種荘厳の中、仏荘厳の第八。すべてのものを仏道から退転させることのない阿弥陀仏の真実なるはたらきのこと。曇鸞大師は『論註』において、

不虚作住持功徳成就とは、けだしこれ阿弥陀如来の本願力なり」 (行巻引文・註 198)、
「いふところの不虚作住持は、もと法蔵菩薩四十八願と、今日阿弥陀如来自在神力とによる。願もつて力を成ず、力もつて願に就(つ)く。願徒然ならず、力虚設ならず。力願あひ符(かな)うて、畢竟じて差(たが)はず。ゆゑに成就といふ」(行巻引文・註 198)

などと述べて、阿弥陀仏の本願力は、願いとその願いにもとづくはたらきとが一致したところに成就されていることを明かしている。(浄土真宗辞典)

「成就」とは「願もつて力をず、力もつて願に()く」と、願と力用(はたらき)が一体しての成就を本願力成就といふ。

論註』には『浄土論』の、

なんとなれば荘厳(しょうごん)不虚作(ふこさ)住持(じゅうじ)功徳成就(くどくじようじゅ)とは、に「観仏本願力 遇無空過者 能令速満足 功徳大宝海」といへるがゆゑなり。 (浄土論 P.37

の「不虚作住持功徳成就」を釈して、

 「不虚作住持功徳成就」とは、けだしこれ阿弥陀如来本願力なり。
いままさに略して虚作の相の住持することあたはざるを示して、もつてかの不虚作住持の義を顕すべし。

{中略 虚作の二例を引く}

いふところの「不虚作住持」とは、本(もと)法蔵菩薩四十八願と、今日の阿弥陀如来自在神力とによるなり。願もつて力を成(じょう)ず、力もつて願に就(つ)く。願徒然ならず、力虚設ならず。力・願あひ符(かな)ひて畢竟じて差(たが)はざるがゆゑに「成就」といふ。(論註 P.131)

とあり、行巻 P.197真巻 P.361でこの文を引文されておられた。
それは『浄土論』の、

観仏本願力(かんぶつ-ほんがんりき) 遇無空過者(ぐうむ-くうかしゃ) 能令速満足(のうりょう-そくまんぞく) 功徳大宝海(くどく-だいほうかい)
(仏の本願力を観ずるに、遇(もうお)ひて空しく過ぐるものなし。よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ)」

という阿弥陀如来の本願力成就を示す文であった。 御開山は本願力に出遇(あ)って、空過(むなしく過ぎる)の人生が仏果を得る功徳の人生に転換されたことを慶ばれて、
(13)

本願力にあひぬれば
 むなしくすぐるひとぞなき
 功徳の宝海みちみちて
 煩悩の濁水へだてなし (高僧 P.580)

と和讃されておられた。

観仏本願力…
成就

御開山は「教巻」で、

つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。 (教巻 P.135)

と、浄土真宗という宗義であらわし、『浄土文類聚鈔』では、

しかるに本願力の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。 (浄文 P.478)

と、本願力回向という法義二種回向を示しておられた。浄土真宗とは本願力回向の宗旨であった。 御開山は、菩提心釈で竪超竪出横超横出の「二双四重」を用いられ、

横超とは、これすなはち願力回向の信楽、これを願作仏心といふ。願作仏心すなはちこれ横の大菩提心なり。これを横超の金剛心と名づくるなり。(信巻 P.246)

と、願力回向の信楽を願作仏心とされ、横の大菩提心とされておられた。

「証巻」を総決して、

還相の利益は利他の正意を顕すなり。ここをもつて論主(天親)は広大無碍の一心を宣布して、あまねく雑染堪忍群萌を開化す。宗師(曇鸞)は大悲往還の回向を顕示して、ねんごろに他利利他の深義を弘宣したまへり。仰いで奉持すべし、ことに頂戴すべしと。 (証巻 P.335)

と、還相利他の正意であるとされ、他利利他の深義感佩されておられる。

二種回向
往相
還相
往相回向
還相回向
願作仏心
度衆生心
他利利他の深義
常倫に…現前し
他力
他利利他の深義
上求菩提・下化衆生

◆ 参照読み込み (transclusion) 補註12

Dharma wheel

補  註

阿弥陀仏
往生・真実証・浄土
機・衆生
具縛の凡愚・屠沽の下類
業・宿業
正定聚
信の一念・聞
真実教
旃陀羅
大行・真実行
大信・真実信
他力・本願力回向
同朋・同行
女人・根欠・五障三従
方便・隠顕
菩薩
本願
→七祖 補註へ

12 他力・本願力回向

他力とは、阿弥陀仏の本願力回向のはたらきをいう。本願力とは、因位(いんに)の本願のとおりに完成された力用(りきゆう)のことである。 その本願とは、十方(じっぽう)衆生をして阿弥陀仏の救いを信ぜしめ、その名号を称えしめて、浄土に往生せしめようという願いであったから、本願力とは、衆生をして信行(しんぎょう)せしめ往生成仏せしめているはたらきをいうのである。このように、衆生に南無阿弥陀仏を与えて救うことを、親鸞聖人本願力回向といわれたのである。

回向とは「回転して趣向すること」であるが、これに自身の善根(ぜんごん)を転じて菩提(ぼだい)(さとり)に向かう菩提回向(自利)と、他の衆生に施して与えて救っていく衆生回向(利他)と、真如(しんにょ)にかなっていく実際回向とがある。

いま本願力回向とは、本願に誓われたように、阿弥陀仏が自身の成就された仏徳のすべてを南無阿弥陀仏におさめて衆生に与えたもう利他回向のことである。『一多(いった)証文(しょうもん)』に、「回向は、本願の名号をもつて十方の衆生にあたへたまふ()のりなり」(678) といわれたごとくである。

親鸞聖人は「教巻(きょうかん)」の初めに、本願力回向の相に、往相(おうそう)還相(げんそう)の二種のあることを示された。往相とは、衆生が浄土に往生していく因果のすがたであって、教を与え行信の因を与え証果を与えていくことである。還相とは、証果を開いたものが大悲をおこして菩薩(ぼさつ)のすがたとなって、十方の衆生を救うためにこの世に還り来るすがたであるが、それもまた阿弥陀仏の第二十二願によって与えられたすがたである。


出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。