「来迎」の版間の差分
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− | + | :来迎は[[諸行往生]]にあり、自力の行者なるがゆゑに。[[臨終]]といふことは、諸行往生のひとにいふべし、いまだ真実の信心をえざるがゆゑなり。また[[十悪]]・[[五逆]]の罪人のはじめて[[善知識]]にあうて、すすめらるるときにいふことなり。真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の儀則をまたず。 | |
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− | + | といい、「信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の[[儀則]]をまたず」といわれたところに聖人の真面目があったのである。 | |
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+ | ところで、経・論・釈には、来迎がさまざまに説かれている。それについて鮮妙師の『宗要論題決択編』二(三二丁)には、一に臨終始来、二に平生常来迎、三に弥陀の招喚に名づく、四に臨終顕現に名づく、五に還来待迎の義という五種に分類されている。第一に臨終始来というのは、「十九諸行の益、六要云々」といっているように、[[第十九願]]や三輩段、或いは『観経』の九品段や『阿弥陀経』に説かれているもっとも一般的な来迎である。いずれも臨終にその行者の功績に応じて、さまざまな姿をとって初めて来現し、臨終のさわりを除き、浄土へ先導し、迎え取る普通の意味での来迎である。 | ||
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+ | 第二は平生常来迎で、「常来至此行人之所、六要云々」といわれているように、『観経』普観([[観経#P--107|一○七頁]])に、「無量寿仏の化身無数にして、観世音・大勢至とともに、{{DotUL|つねにこの行人の所に来至したまふ}}」と説かれているような意味の来迎である。ただし『観経』の顕の義からいえば[[定善]]観の利益として挙げられたものである。ただ[[隠彰]]の実義からいえば、念仏行者の[[現益]]である[[摂取不捨]]の利益をいわれたものということができる。 | ||
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+ | 第三に弥陀の[[招喚]]を来迎といわれたのは、「玄義分」序題門(「七祖篇」[[観経疏 玄義分 (七祖)#P--301|三〇一頁]])に「仰ぎておもんみれば、釈迦はこの方より発遣し、弥陀はすなはちかの国より来迎したまふ。かしこに喚ばひここに遣はす、あに去かざるべけんや」というのがその例である。ここでは明らかに釈尊の[[発遣]]に対して、弥陀の[[招喚]]のことを来迎といわれているからである。それは『観経』華座観初の住立空中尊の釈文と、二河譬の結文とに依っていた。華座観初には、苦悩を除く法を分別し解説する(分別解説、除苦悩法)といわれた釈尊の言葉に応じて阿弥陀仏が来現し、韋提希夫人が往生を得ることを証明された(応声即現、証得往生)。その住立空中尊の[[立撮即行]](立ちながら撮りて即ち行く)の有様を来迎といわれたものであったからである(「定善義」・「七祖篇」[[観経疏 定善義 (七祖)#P--423|四二三頁]])。それはまた | ||
+ | :仰ぎて釈迦[[発遣]]して指して西方に向かはしめたまふことを蒙り、また弥陀悲心をもつて[[招喚]]したまふによりて、いま二尊の意に信順して、水火の二河を顧みず、念々に遺るることなく、かの願力の道に乗じて、捨命以後かの国に生ずることを得て、仏とあひ見えて[[慶喜]]することなんぞ極まらんといふに喩ふ(「散善義」・「七祖篇」[[観経疏 散善義 (七祖)#P--469|四六九頁]])。 | ||
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+ | といわれた二河譬の結文と連なっていたことはいうまでもない。このように善導大師の上には、臨終来迎を強調する一面があると同時に、平生における阿弥陀仏の[[招喚]]を来迎という言葉で表される例があったのである。 | ||
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+ | 四に臨終顕現に名づくというのは、「鸞空師等の祥瑞、六要の前義」といわれているように、『高僧和讃』に、曇鸞大師や法然聖人の臨終に奇瑞が現れたという伝記によって祖徳を讃嘆されたものがそれである。これらは平生の[[摂取不捨]]の[[利益]]が臨終に[[顕現]]したものであって、自力の行者が願い求めているような臨終始来の来迎とは本質的にちがっているというのである。 | ||
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+ | 五に還来待迎の義というのは、『唯信鈔文意』に引用された『五会法事讃』の引文の「来迎」に対する親鸞聖人の独自の来迎観を表すものをいう。すなわち「観音勢至自来迎」を釈して、 | ||
+ | :「来迎」といふは、「来」は浄土へきたらしむといふ、これすなはち若不生者のちかひをあらはす御のりなり。穢土をすてて真実報土にきたらしむとなり、すなはち他力をあらはす御ことなり。 | ||
+ | :また「来」はかへるといふ、かへるといふは、願海に入りぬるによりてかならず大涅槃にいたるを法性のみやこへかへると申すなり。法性のみやこといふは、法身と申す如来のさとりを自然にひらくときを、みやこへかへるといふなり。これを真如実相を証すとも申す、無為法身ともいふ、滅度に至るともいふ、法性の常楽を証すとも申すなり。 | ||
+ | :このさとりをうれば、すなはち大慈大悲きはまりて生死海にかへり入りてよろづの有情をたすくるを普賢の徳に帰せしむと申す。この利益におもむくを「来」といふ、これを法性のみやこへかへると申すなり。「迎」といふは{{DotUL|むかへたまふといふ、まつといふこころなり}}。([[唯文#P--702|七○二頁]])。 | ||
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+ | といわれたものや、すぐ後に示される「聞名念我総迎来」の「迎来の釈」([[唯文#P--705|七〇五頁]]) がそれである。そこでは臨終来迎とは全く関係なく、願力自然のはたらきによって、衆生を往生させ、真如の都に帰らしめ、さらに[[還相]]して[[摂化]]に趣くことまでも含めた救済活動のすべてを来迎とも迎来ともいうと釈されていたことをいうのである。 | ||
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+ | ところで鮮妙師はこの五種の来迎を挙げて、「此の如く五種ありと云へども、臨終始来を以て当位とす」といっている。蓋し妥当な見解であろう。なお『唯信紗文意』の来迎釈は、来迎という言葉に寄せて聖人独自の本願力回向の躍動的なはたらきを表す言葉として転用された釈例であった。聖人は来迎よりは、むしろ「[[自然]](おのづからしからしむ)」として展開される釈であった。 | ||
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2018年12月12日 (水) 20:55時点における最新版
『顕浄土方便化身土文類講讃』(梯實圓著)から、第十九願における来迎についての抜き書き。
(二) 来迎について
この修諸功徳の行と、至心発願欲生の信によって得しめられる利益として誓われているのが「寿終のときに臨んで、たとひ大衆と囲繞してその人の前に現ぜずは、正覚を取らじ」といわれた臨終来迎である。従来この願の最大の特徴は臨終来迎を誓われた所にあり、また浄土教の最大の魅力は、臨終を光り輝く聖衆の来迎によって荘厳され、浄土へ送り届けられることであると考えていたのであった。『往生要集』欣求浄土の十楽の第一聖衆来迎楽(「七祖篇」八五五頁)はその典型的なものである。そしてその来迎を確実にするための臨終行儀も厳格に規定されていたのであった。それが別時念仏の臨終行儀(「七祖篇」一〇四四頁)であった。その常識を見事に転換されたのが親鸞聖人の第十九願観だったわけである。すなわち第十九願は、未熟の機を第十八願へ誘引するために諸行往生を誓った、権仮方便の願であり、臨終来迎は諸行往生の行者の期待に応じた方便の利益にすぎないと断言されたのであった。すなわち阿弥陀仏の本意にかなった真実信心の行人は、信の一念に摂取不捨の利益に預かり、摂取の心光に護り続けられているから、現生においてすでに往生し成仏することに決定した正定聚の位に入れしめられている。それゆえ臨終を待ち、来迎を願い求めることはない。したがって臨終の善し悪しは全く往生に関わらないと言い切られたことによって*、新しい浄土教が誕生していったのであった。それは法然聖人でさえいいきられなかったことであった。『親鸞聖人御消息』第一条(七三五頁)に、
- 来迎は諸行往生にあり、自力の行者なるがゆゑに。臨終といふことは、諸行往生のひとにいふべし、いまだ真実の信心をえざるがゆゑなり。また十悪・五逆の罪人のはじめて善知識にあうて、すすめらるるときにいふことなり。真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の儀則をまたず。
といい、「信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の儀則をまたず」といわれたところに聖人の真面目があったのである。
ところで、経・論・釈には、来迎がさまざまに説かれている。それについて鮮妙師の『宗要論題決択編』二(三二丁)には、一に臨終始来、二に平生常来迎、三に弥陀の招喚に名づく、四に臨終顕現に名づく、五に還来待迎の義という五種に分類されている。第一に臨終始来というのは、「十九諸行の益、六要云々」といっているように、第十九願や三輩段、或いは『観経』の九品段や『阿弥陀経』に説かれているもっとも一般的な来迎である。いずれも臨終にその行者の功績に応じて、さまざまな姿をとって初めて来現し、臨終のさわりを除き、浄土へ先導し、迎え取る普通の意味での来迎である。
第二は平生常来迎で、「常来至此行人之所、六要云々」といわれているように、『観経』普観(一○七頁)に、「無量寿仏の化身無数にして、観世音・大勢至とともに、つねにこの行人の所に来至したまふ」と説かれているような意味の来迎である。ただし『観経』の顕の義からいえば定善観の利益として挙げられたものである。ただ隠彰の実義からいえば、念仏行者の現益である摂取不捨の利益をいわれたものということができる。
第三に弥陀の招喚を来迎といわれたのは、「玄義分」序題門(「七祖篇」三〇一頁)に「仰ぎておもんみれば、釈迦はこの方より発遣し、弥陀はすなはちかの国より来迎したまふ。かしこに喚ばひここに遣はす、あに去かざるべけんや」というのがその例である。ここでは明らかに釈尊の発遣に対して、弥陀の招喚のことを来迎といわれているからである。それは『観経』華座観初の住立空中尊の釈文と、二河譬の結文とに依っていた。華座観初には、苦悩を除く法を分別し解説する(分別解説、除苦悩法)といわれた釈尊の言葉に応じて阿弥陀仏が来現し、韋提希夫人が往生を得ることを証明された(応声即現、証得往生)。その住立空中尊の立撮即行(立ちながら撮りて即ち行く)の有様を来迎といわれたものであったからである(「定善義」・「七祖篇」四二三頁)。それはまた
- 仰ぎて釈迦発遣して指して西方に向かはしめたまふことを蒙り、また弥陀悲心をもつて招喚したまふによりて、いま二尊の意に信順して、水火の二河を顧みず、念々に遺るることなく、かの願力の道に乗じて、捨命以後かの国に生ずることを得て、仏とあひ見えて慶喜することなんぞ極まらんといふに喩ふ(「散善義」・「七祖篇」四六九頁)。
といわれた二河譬の結文と連なっていたことはいうまでもない。このように善導大師の上には、臨終来迎を強調する一面があると同時に、平生における阿弥陀仏の招喚を来迎という言葉で表される例があったのである。
四に臨終顕現に名づくというのは、「鸞空師等の祥瑞、六要の前義」といわれているように、『高僧和讃』に、曇鸞大師や法然聖人の臨終に奇瑞が現れたという伝記によって祖徳を讃嘆されたものがそれである。これらは平生の摂取不捨の利益が臨終に顕現したものであって、自力の行者が願い求めているような臨終始来の来迎とは本質的にちがっているというのである。
五に還来待迎の義というのは、『唯信鈔文意』に引用された『五会法事讃』の引文の「来迎」に対する親鸞聖人の独自の来迎観を表すものをいう。すなわち「観音勢至自来迎」を釈して、
- 「来迎」といふは、「来」は浄土へきたらしむといふ、これすなはち若不生者のちかひをあらはす御のりなり。穢土をすてて真実報土にきたらしむとなり、すなはち他力をあらはす御ことなり。
- また「来」はかへるといふ、かへるといふは、願海に入りぬるによりてかならず大涅槃にいたるを法性のみやこへかへると申すなり。法性のみやこといふは、法身と申す如来のさとりを自然にひらくときを、みやこへかへるといふなり。これを真如実相を証すとも申す、無為法身ともいふ、滅度に至るともいふ、法性の常楽を証すとも申すなり。
- このさとりをうれば、すなはち大慈大悲きはまりて生死海にかへり入りてよろづの有情をたすくるを普賢の徳に帰せしむと申す。この利益におもむくを「来」といふ、これを法性のみやこへかへると申すなり。「迎」といふはむかへたまふといふ、まつといふこころなり。(七○二頁)。
といわれたものや、すぐ後に示される「聞名念我総迎来」の「迎来の釈」(七〇五頁) がそれである。そこでは臨終来迎とは全く関係なく、願力自然のはたらきによって、衆生を往生させ、真如の都に帰らしめ、さらに還相して摂化に趣くことまでも含めた救済活動のすべてを来迎とも迎来ともいうと釈されていたことをいうのである。
ところで鮮妙師はこの五種の来迎を挙げて、「此の如く五種ありと云へども、臨終始来を以て当位とす」といっている。蓋し妥当な見解であろう。なお『唯信紗文意』の来迎釈は、来迎という言葉に寄せて聖人独自の本願力回向の躍動的なはたらきを表す言葉として転用された釈例であった。聖人は来迎よりは、むしろ「自然(おのづからしからしむ)」として展開される釈であった。