二双四重
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
にそう-しじゅう
二双四重 にそう-しじゅう
仏教全体の中での浄土真宗の法義の位置づけをあきらかにした親鸞の教相判釈のこと。
「信巻」( P.246、 P.254)、「化身土巻」(P.394)、『愚禿鈔』(P.501)などに示されている。
横 (他力)・竪 (自力)、超 (頓教)・出 (漸教)を組み合わせて用いることにより、釈尊一代の仏教を横超・横出・竪超・竪出の4種に分類していることから、このように呼ばれる。
- ①「 横超」。他力浄土門の中の頓教。阿弥陀仏の本願力によって往生と同時に仏のさとりを開く弘願他力の教法。
- ② 「横出」。他力浄土門の中の漸教。他力によりながらもなお自力心が残っていて方便化土に往生する要門、真門の教法。
- ③ 「竪超」。自力聖道門の中の頓教。一念頓悟(段階を経ずただちにさとりを開く)、即身成仏を説く華厳・天台・真言・禅の教法。
- ④ 「竪出」。自力聖道門の中の漸教。自力による長時の修行によって漸次にさとりを開こうとする小乗や法相宗などの教法。
これらの分類は従来の教相判釈に用いられた大乗・小乗、頓教・漸教、難行・易行、聖道・浄土、権教・実教等の概念をうけつつ、択瑛の「弁横竪二出」を参考にしたものとされる。(浄土真宗辞典)
横超という語は「玄義分」の偈文に「共発金剛志 横超断四流(ともに金剛の志を発して、横に四流を超断すべし)」(玄義分 P.297) (信巻 P.244で引文) とある。
この「横超」の語については『西方指南抄』下本「浄土宗大意」に法然聖人の指示がある。
- 総じてこれをいへば、五説の中には仏説也、四土の中には報土也、三身の中には二身也、三宝の中には仏宝也、四乗の中には仏乗なり、二教の中には頓教也、二歳(載)の中には菩薩蔵也、二行の中には正行なり、二超の中には横超也。二縁の中には有縁の行なり、二住の中には止住也、思不思の中には不思議なり。 (西方指南抄)
との「二超の中には横超也」のもうひとつの超とは竪超であると御開山は受け取られたのであった。御消息で「二超といふは、一には竪超、二には横超なり。いまこの浄土宗は横超なり。竪超は聖道自力なり。」とあるとおりである。
この「浄土宗大意」の記述は項目を列挙しただけであり、その詳細な解説を問う関東の門弟に対して『御消息』(消息 P.756)で詳述され「いまこの浄土宗は横超なり。竪超は聖道自力なり」とされている[1]。
また御開山は「信巻」横超釈で、
と、二双四重の教判の「横超」とは阿弥陀仏の本願力回向の「往相の一心を発起」して「生死」 (生・老・病・死) を超越する「誓願一仏乗」の浄土で仏と成る真実の宗であるとされた。
一部の布教使や僧侶は『大無量寿経』は第十八願を説く経ではなく、
- 横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり。
の文を断章取意(文章の一部を取り出し、自分の都合のよいように解釈すること)して『大無量寿経』は、「願成就一実円満の真教、真宗これなり」とあるところから、本願成就を説く経であると骨頂する者が居る。そもそも本願があるから成就といふことが云えるのだが、「仏願の生起本末」の因(生起)と果(本末)を混乱しているのであろう。