操作

二河の譬喩

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2019年10月19日 (土) 12:10時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版

にがのひゆ

 二河白道(にが-びゃくどう)貪瞋二河(とんじんーにが)譬喩ともいう。浄土往生を願う衆生が、信を得て浄土に至るまで譬喩によって表したもの。善導大師の「散善義」に説かれる。

ある人が西に向かって独り進んで行くと、無人の原野に忽然として水火の二河に出会う。火の河は南に、水の河は北に、河の幅はそれぞれわずかに百歩ほどであるが、深くて底なく、また南北に辺はない。ただ中間に一筋の白道があるばかりだが、幅四五寸で水火が常に押し寄せている。そこへ後方・南北より群賊悪獣が殺そうと迫ってくる。このように往くも還るも止まるも死を免れえない、ひとつとして死を免れえない。

しかし思い切って白道を進んで行こうと思った時、東の岸より「この道をたづねて行け」と勧める声(発遣)が、また西の岸より「直ちに来れ、我よく汝を護らん」と呼ぶ声(招喚)がする。東岸の群賊たちは危険だから戻れと誘うが顧みず、一心に疑いなく進むと西岸に到達し、諸難を離れ善友と相(まみ)えることができたという。

火の河は衆生の瞋憎、水の河は貪愛、無人の原野は真の善知識に遇わないことを、群賊は別解・別行・異学・異見の人、悪獣は衆生の六識・六根・五蘊・四大に喩える。また白道は浄土往生を願う清浄の信心、また本願力をあらわす。東岸の声は娑婆世界における釈尊の発遣の教法、西岸の声は浄土の阿弥陀仏の本願の招喚に喩える。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

人間の生死を超える究極の拠り所は念仏であることの譬喩として、曇鸞大師の『略論安楽浄土義』の「下輩の十念相続」や道綽禅師の『安楽集』「広施問答」に同類の譬喩がある。また『涅槃経』には渡河の譬喩がある。

『略論安楽浄土義』十念相続
『安楽集』「 第三大門」広施問答

善導大師は、このような両師の著述や『涅槃経』の教説を参照しつつ独自の信心守護の白道の譬喩を創作したのであろう。それは「玄義分」で、

仰ぎておもんみれば、釈迦はこの方より発遣し、弥陀はすなはちかの国より来迎したまふ。 かしこに喚ばひここに遣はす、あに去かざるべけんや。(玄義分 P.301)

とある「阿弥陀仏の大願業力に乗じ」る「弘願」を譬えたものであろう。

「喩えは一分」といわれるように、その全体を表するものではないから喩えを実体的に理解してはならない。また、二河譬は、古来から来迎図などのように絵画化され普及されてきた影響で、ともすれば求道の過程の譬えと誤解される場合がある。しかし善導大師が二河譬の冒頭で、

また一切の往生人等にまうさく、いまさらに行者のために一の譬喩を説きて、信心を守護して、もつて外邪異見の難を防がん。(散善義 P.466)

と「信心を守護して」と述されたように二河白道の譬喩は、行者の信心を守護する譬えである。それは、この譬喩が『観経』の回向発願の釈であることもあるが、御開山は『大経』の第十八願の欲生釈でこの譬喩を自釈されたことからも判る。

その信心の譬えとは、

言水火二河者 即喩衆生貪愛如水 瞋憎如火也。
〈水火の二河〉といふは、すなはち衆生の貪愛は水のごとし、瞋憎は火のごとしと喩ふ。
言中間白道四五寸者 即喩衆生貪瞋煩悩中 能生清浄願往生心也。
〈中間の白道四五寸〉といふは、すなはち衆生の貪瞋煩悩のなかに、よく清浄願往生の心を生ぜしむるに喩ふ。
乃由貪瞋強故 即喩如水火。善心微故 喩如白道。
いまし貪瞋強きによるがゆゑに、すなはち水火のごとしと喩ふ。善心、微なるがゆゑに、白道のごとしと喩ふ。 (散善義 P.468)

と、貪愛(水)と瞋憎(火)の煩悩渦巻く貪瞋二河中に、わずか四五寸ばかりの白道を歩む「清浄願往生の心」の欲生の信心であった。→「清浄願往生の心

御開山は、この発遣招喚の「二河の譬喩」を欲生釈で、

まことに知んぬ、二河の譬喩のなかに「白道四五寸」といふは、白道とは、白の言は黒に対するなり。白はすなはちこれ選択摂取の白業往相回向の浄業なり。黒はすなはちこれ無明煩悩の黒業、二乗・人・天の雑善なり。道の言は路に対せるなり。道はすなはちこれ本願一実の直道、大般涅槃、無上の大道なり。路はすなはちこれ二乗・三乗、万善諸行の小路なり。四五寸といふは衆生の四大五陰に喩ふるなり。
能生清浄願心」といふは、金剛の真心を獲得するなり。本願力の回向の大信心海なるがゆゑに、破壊すべからず。これを金剛のごとしと喩ふるなり。(信巻 P.244)

と自釈され、白道とは「本願一実の直道、大般涅槃、無上の大道なり」の本願力回向の「欲生心」であるとされ、能生清浄願心の真心(欲生の信心)であるとされた。それを『愚禿鈔』では、

能生清浄願往生心(のうしょう-しょうじょう-がんおうじょうしん)」といふは、無上の信心、金剛の真心を発起するなり、これは如来回向の信楽なり。(愚禿下P.537)

と、能生清浄願往生心を如来回向の「無上の信心」であるとされたのは欲生は信楽の義別であるという意をあらわそうとされたのであろう。御開山にとっては、至心・信楽・欲生の三心は信楽の本願力回向の「一心」であるからである。
煩悩具足の凡夫は「かの願力の道に乗じ(信巻 P.227) 」る以外に生死を度脱する道は無いのであり、善導大師は、その凡夫を済度する願力の道を譬えて二河白道の譬喩としてあらわされたのであった。『一念多念証文」ではその信後の歩みを、

凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり。
①かかるあさましきわれら、③願力の白道を一分二分やうやうづつあゆみゆけば、②無碍光仏のひかりの御こころにをさめとりたまふがゆゑに、④かならず安楽浄土へいたれば、⑥弥陀如来とおなじく、⑤かの正覚の華に化生して⑦大般涅槃のさとりをひらかしむるをむねとせしむべしとなり。これを「致使凡夫念即生」と申すなり。二河のたとへに、「一分二分ゆく」といふは、一年二年すぎゆくにたとへたるなり。諸仏出世の直説、如来成道の素懐は、凡夫は弥陀の本願を念ぜしめて即生するをむねとすべしとなり。 (一多 P.693) ①~⑦は倒置法の復元。

と、「欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまな」き我らではあるが、釈尊の発遣と阿弥陀仏の招喚の二尊の勅命信順するものは「無碍光仏のひかりの御こころにをさめとりたまふ」が故に、群賊にも惑わされず、水火二河に堕することもなく「願力の白道を一分二分やうやうづつあゆみゆ」きて西方仏国に往生するのである。それは浄土での「大般涅槃のさとり」であり、大乗の「無住処涅槃」の境界であった。

信順
回向発願心
『一念多念文意講讃』第二十二講
『教行証文類』における『観経疏』三心釈の分引#nigahi
三心料簡 白道の事
清浄願往生の心

参照WEB版浄土宗大辞典の「二河白道」の項目

二河白道の譬喩は、阿弥陀如来(尽十方無礙光如来)から「汝」として呼びかけられていた自己の発見でもあった。自(主体)から汝(客体)への転回である。
ノートをインクルード

  • 汝としての自己の発見。

汝一心 正念直来 我能護

 「また、西の岸の上に、人ありて喚(よ)ばうていはく、〈汝一心正念にして直ちに来れ、我能く護らん〉」[1] といふは、「西の岸の上に、人ありて喚ばうていはく」といふは、阿弥陀如来の誓願なり。

「汝」の言は行者なり[2]、これすなはち必定の菩薩と名づく。龍樹大士『十住毘婆沙論』(易行品 一六)にいはく、「即時入必定」となり。曇鸞菩薩の『論』(論註・上意)には、「入正定聚之数」といへり。善導和尚は、「希有人なり、最勝人なり、妙好人なり、好人なり、上上人なり、真仏弟子なり」といへり。→五種の嘉誉

「一心」の言は、真実の信心なり。

「正念」の言は、選択摂取の本願なり、また第一希有の行なり、金剛不壊の心なり。

「直」の言は、に対しに対するなり。また「直」の言は、方便仮門を捨てて如来大願の他力に帰するなり、諸仏出世の直説を顕さしめんと欲してなり。

「来」の言は、去に対し往に対するなり。また報土に還来せしめんと欲してなり。

「我」の言は、尽十方無礙光如来なり、不可思議光仏なり。

「能」の言は、不堪に対するなり、疑心の人なり。

「護」の言は、阿弥陀仏果成の正意を顕すなり、また摂取不捨を形(あらわ)すの貌(かおばせ)なり、すなはちこれ現生護念なり。(愚禿下 p.538)


  1. 『観経疏」では、「我能汝護(われよくなんぢを護らん)」なっているが、ここでは汝の語が略されている。「汝一心 正念直来(なんぢ一心正念にしてただちに来れ)」の「汝」を強調する為に後の汝の語を略されたのであろう。しかし先人は、この略された汝の所にはお前の名前をいれるのだよ、といわれていた。「なんぢ一心正念にしてただちに来れ。 われよく〔林遊〕を護らん。 すべて水火の難に堕することを畏れざれ」と読むのであろう。ありがたいこっちゃ
  2. 「汝の言は行者なり」。ここで「汝」とは下にある、「我の言は、尽十方無礙光如来なり、不可思議光仏なり」の「我」に対応する。主体は「我」である阿弥陀仏であり、その阿弥陀仏から「汝」と呼ばれている「我」の発見である。我→汝。→「他力