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「十住毘婆沙論 (七祖)」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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{{Kaisetu|
 
{{Kaisetu|
 『十住毘婆沙論』は、『十地経』(『華厳経』の「十地品」)をはじめとする諸大乗経典から大乗菩薩道についての所説の要点をとりあげ、それを解説したもので、「易行品」はその第5巻第9品にあたる。
+
 上下2巻に分れているところから、『二巻鈔』とも称される。上巻は、仏教全体のなかでの浄土真実の教えの意義を、親鸞聖人独自の教相判釈によって示し、下巻は、とくに善導大師の『観経疏』の「三心釈」について、その内容が整理されている。<br>
 +
 本書の成立は、古写本の奥書によって、いちおう聖人晩年の撰述と考えられるが、その内容から、法然上人のもとでの研鑽期における覚書を後に整理されたものとする説もあり、確定しがたい。聖人自身の解釈や説明は少なく、ほとんど項目だけが列挙されているようにみえるが、構想そのものには、聖人の独自の発揮がある。<br>
 +
 上巻の教判は「二双四重」と呼ばれ、仏教を大乗・小乗、頓教・漸教、難行・易行、聖道・浄土、権教・実教等と分類した従来の説をうけながら、あらたに竪超・横超、竪出・横出という二双四重の対立概念で仏教を区分し、本願他力の教えこそ、「横超の一乗真実の教」である旨を示される。また、上巻の前半では教法が、後半ではその教法を受ける機が分類されている。
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<br>
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 下巻では、善導大師の「三心釈」を引いて、三心の真仮と、行業の真仮分別等が詳細に示されている。また「二河の譬喩」をめぐって、詳細な解釈が施されている。
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}}
  
 「易行品」の内容を見ると、まず不退の位に至る道について、難行道と易行道の2種があることを示し、根機の劣った者に対して信方便易行の法を説き与える。最初に恭敬心をもって善徳等の十方十仏の名を称えることを易行の法として示し、『宝月童子所問経』の文を引用してその明証とする。つぎに問答を設けて、阿弥陀等の百七仏、毘婆尸等の過去七仏、未来の弥勒仏、東方八仏、三世諸仏、諸大菩薩等を憶念称名することも同じく易行の法であると示して、一品の説述を終えている。
 
  
 本書には、阿弥陀仏のみならず、諸仏菩薩についてもその名を称えることが易行として示されている。しかしながら、諸仏菩薩に関してはただ称名不退を説くだけであるのに対し、阿弥陀仏についてはとくにその本願や往生の利益が示され、あわせて龍樹菩薩自身の自行化他が述べられている。このことから浄土真宗では、一品の主意を阿弥陀仏の易行にあると見て本書を重視し、所依の聖教の一としている。}}
 
 
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<div id="arc-disp-base">
 
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   十住毘婆沙論 巻第五
 
  
               聖者龍樹造 [[後秦]][[亀茲国]][[三蔵]]鳩摩羅什訳
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==難易二道==
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愚禿鈔 (上)
 
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===愚禿鈔 上===
;  易行品 第九
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【1】<br />
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【1】<br>
 問ひていはく、この[[阿惟越致の菩薩]]の[[初事]]は[[先]]に説くがごとし。阿惟越致地に至るには、もろもろの難行を行じ、久しくしてすなはち得べし。
+
 [[賢者]]の信を聞きて、   愚禿が心を顕す。<br />
あるいは声聞・辟支仏地に堕す。もししからばこれ大衰患なり。『[[助道法]]』のなかに説くがごとし。
+
賢者の信は、       内は賢にして外は愚なり。<br />
 +
愚禿が心は、       内は愚にして外は賢なり。
  
:「もし声聞地、および辟支仏地に堕するは、これを菩薩の死と名づく。すなはち一切の利を失す。
+
<span id="no2"></span>
:もし地獄に堕するも、かくのごとき畏れを生ぜず。
+
【2】<br>
:もし二乗地に堕すれば、すなはち大怖畏となす。
+
 [[聖道・浄土の教]]について、二教あり。
:地獄のなかに堕するも、仏に至ることを得。<span id="P--4"></span>
+
::一には大乗の教、      二には小乗の教なり。
:もし二乗地に堕すれば、[[畢竟じて]]仏道を[[遮す]]。
+
:仏みづから『経』(清浄毘尼方広経)のなかにおいて、かくのごとき事を解説したまふ。
+
:人の寿を貪るもの、首を斬らんとすればすなはち大きに畏るるがごとく、菩薩もまたかくのごとし。
+
:もし声聞地、および辟支仏地においては、大怖畏を生ずべし」と。
+
  
 このゆゑに、もし諸仏の所説に、易行道にして疾く阿惟越致地に至ることを得る方便あらば、願はくはためにこれを説きたまへと。
+
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 +
【3】<br>
 +
 大乗教について、二教あり。
 +
::一には[[頓教]]、        二には[[漸教]]なり。
  
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+
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【2】<br />
+
【4】<br>
 答へていはく、なんぢが所説のごときは、これ[[儜弱怯劣]]にして[[大心]]あることなし。これ[[丈夫志幹]]の言にあらず。なにをもつてのゆゑに。もし人願を発して阿耨多羅三藐三菩提を求めんと欲して、いまだ阿惟越致を得ずは、その中
+
 頓教について、また二教・二超あり。
間において身命を惜しまず、昼夜精進して[[頭燃を救ふ]]がごとくすべし。『[[助道]]』のなかに説くがごとし。
+
:二教とは、
 +
::一には難行聖道の[[実教]]なり。いはゆる[[仏心]][[真言]]・[[法華]]・[[華厳]]等の教なり。
 +
<span id="P--502"></span>
 +
::二には易行浄土本願真実の教、『大無量寿経』等なり。
 +
:二超とは、
 +
::一には竪超  [[即身是仏]][[即身成仏]]等の証果なり。
 +
::二には横超  選択本願・真実報土・即得往生なり。
  
:「菩薩いまだ阿惟越致地に至ることを得ずは、
+
<span id="no5"></span>
:つねに[[勤精進]]して、なほ頭燃を救ひ、<span id="P--5"></span>
+
【5】<br>
:[[重担を荷負する]]がごとくすべし。菩提を求むるためのゆゑに、
+
 漸教について、また二教・二出あり。
:つねに勤精進して、[[懈怠の心]]を生ぜざるべし。
+
:二教とは、
:声聞乗・辟支仏乗を求むるもののごときは、
+
::一には難行道聖道[[権教]]、[[法相]]等、[[歴劫修行]]の教なり。
:ただおのが利を成ぜんがためにするも、つねに勤精進すべし。
+
::二には易行道[[浄土の要門]]、『無量寿仏観経』の意、定散・三福・九品の教なり。
:いかにいはんや菩薩のみづから度し、またかれを度せんとするにおいてをや。
+
:二出とは、
:この二乗の人よりも、億倍して精進すべし」と。
+
::一には竪出  聖道、歴劫修行の証なり。
 +
::二には横出  浄土、胎宮・辺地・懈慢の往生なり。
  
 大乗を行ずるものには、仏かくのごとく説きたまへり。「願を発して仏道を求むるは三千大千世界を挙ぐるよりも重し」と。なんぢ、阿惟越致地はこの法はなはだ難し。久しくしてすなはち得べし。
+
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【6】<br>
 +
 小乗教について、二教あり。
 +
::一には縁覚教    一に[[麟喩独覚]]、二に[[部行独覚。]]
 +
::二には声聞教なり。 [[初果・預流向]]、第二果・一来向、第三果・不還<span id="P--503"></span>向、第四果・阿羅漢向、八輩なり。
  
もし易行道にして疾く阿惟越致地に至ることを得るありやといふは、これすなはち[[怯弱下劣の言]]なり。これ[[大人志幹の説]]にあらず。なんぢ、もしかならずこの方便を聞かんと欲せば、いままさにこれを説くべし。
+
<span id="no7"></span>
 +
【7】<br>
 +
 ただ阿弥陀如来の選択本願を除きて以外の、大小・権実・顕密の諸教は、みなこれ難行道、聖道門なり。また易行道、浄土門の教は、これを[[浄土回向発願自力方便の仮門]]といふなりと、知るべし。
  
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+
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【3】<br />
+
【8】<br>
 {{IO|仏法に無量の門あり。世間の道に難あり易あり。[[陸道の歩行]]はすなはち苦しく、[[水道の乗船]]はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。}}<span id="P--6"></span>{{IO|あるいは勤行精進のものあり、あるいは[[信方便易行]]をもつて疾く阿惟越致に至るものあり。}}
+
 『大経』に、選択に三種あり。
 +
:1法蔵菩薩
 +
::選択本願       選択浄土
 +
::選択摂生       選択証果
 +
:2[[世饒王仏]]
 +
::選択本願       選択浄土
 +
::選択讃嘆       選択[[証成]]
 +
:3釈迦如来
 +
::選択弥勒付属
  
==十方十仏章==
+
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 +
【9】<br>
 +
 『観経』に、選択に二種あり。
 +
:1釈迦如来<span id="P--504"></span>
 +
::選択功徳       選択摂取
 +
::選択讃嘆       選択護念
 +
::選択阿難付属
 +
:2韋提夫人
 +
::選択浄土       選択浄土の機
  
<span id="no4"></span>
+
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【4】<br />
+
【10】<br>
 偈に説くがごとし。
+
 『小経』に、勧信に二、証成に二、護念に二、讃嘆に二、難易に二あり。
:東方善徳仏、南栴檀徳仏、
+
:勧信に二とは、
:[[西無量明仏]]、北方相徳仏、
+
::一には釈迦の勧信なり、[[釈迦に二あり。]]
:東南無憂徳、西南宝施仏、
+
::二には諸仏の勧信なり、[[諸仏に二あり。]]
:西北華徳仏、東北[[三行仏]]
+
:証成に二とは、
:下方明徳仏、上方広衆徳、
+
::一には功徳証成、      二には往生証成なり。
:かくのごときもろもろの世尊、いま現に十方にまします。
+
:[[護念]]に二とは、
:{{IO|もし人疾く不退転地に至らんと欲せば、}}
+
::一には執持護念、      釈迦の護念なり。
:{{IO|[[恭敬心]]をもつて、[[執持]]して名号を称すべしと。}}
+
::二には発願護念、      諸仏の護念なり。
 +
:讃嘆に二とは、<span id="P--505"></span>
 +
::一には釈迦讃嘆に二あり。  二には諸仏讃嘆に二あり。
 +
:難易に二とは、
 +
::一には難は[[疑情]]なり。    二には易は信心なり。
 +
:[[執持]]に三あり。[[已今当]]なり。 [[発願]]に三あり。已今当なり。
  
<span id="no5"></span>
+
<span id="no11"></span>
【5】<br />
+
【11】<br>
{{IO|もし菩薩この身において阿惟越致地に至ることを得て、阿耨多羅三藐三菩提を成就せんと欲せば、まさにこの十方諸仏を念じ、その名号を称すべし。
+
 『法事讃』に三往生あり。
[[宝月童子所問経]]』の「阿惟越致品」のなかに説きたまふがごとし。}}<br />
+
::一には、難思議往生は、[『大経』の[[]]なり。]
「仏、宝月に告げたまはく、〈東方ここを去ること無量無辺不可思議恒河沙等の仏土を<span id="P--7"></span>過ぎて世界あり。無憂と名づく。その地平坦にして七宝をもつて合成し、[[紫磨金縷を]]もつてその界に交絡せり。宝樹羅列して、もつて荘厳となす。地獄・畜生・餓鬼・阿修羅道およびもろもろの[[難処]]あることなし。<br />
+
::二には、双樹林下往生は、[『観経』の宗なり。]
清浄にして穢れなく、[[沙礫]]・瓦石・山陵・[[堆阜]]・[[深坑]]・[[幽壑]]あることなし。天よりつねに華を雨らして、もつてその地に布けり。時に世に仏まします。号して善徳如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊といふ。<br />
+
::三には、難思往生は、[『弥陀経』の宗なり。]
大菩薩衆恭敬し[[囲繞]]す。身相の光色大金山を燃やすがごとく、[[大珍宝聚]]のごとし。もろもろの大衆のために広く正法を説きたまふ。[[初・中・後]]よく辞あり義あり。所説雑はらず。具足し、清浄にして、如実にして失せず。なにをか失せずといふ。<br />
+
<span id="no12"></span>
[[地・水・火・風]]を失せず、[[欲界・色界・無色界]]を失せず、[[色・受・想・行・識]]を失せざるなり。宝月、この仏成道よりこのかた六十億劫を過ぎたまへり。またその仏国は昼夜異なることなし。ただこの間の閻浮提の日月歳数をもつてかの[[劫寿]]を説く。その仏の光明つねに世界を照らしたまふ。
+
【12】<br>
 +
 『大経』(意)にのたまはく、「本願を証成したまふに、三身まします」
 +
と。
 +
::法身の証成 [『経』(大経・上)にのたまはく、
 +
::      「空中にして讃じてのたまはく、〈決定してかならず無上正覚を成じたまふべし〉」と。文]
 +
::報身の証成 [十方如来なり。]
 +
::[[化身]]の証成 [世饒王仏なり。]
  
一の説法において、無量無辺千万億阿僧祇の衆生をして無生法忍に住せしめ、この人数に倍して[[初忍・第二・第三忍]]に住することを得しめたまふ。宝月、そ<span id="P--8"></span>の仏の本願力のゆゑに、もし他方の衆生ありて、先仏の所においてもろもろの善根を種ゑんに、この仏ただ光明をもつて身に触れたまふに、すなはち無生法忍を得。宝月、もし善男子・善女人ありてこの仏の名を聞きてよく信受するものは、すなはち阿耨多羅三藐三菩提を退せず〉」と。
+
<span id="no13"></span>
 +
【13】<br>
 +
 仏土について二種あり。<span id="P--506"></span>
 +
::一には仏、         二には土なり。
  
[[余の九仏]]の事みなまたかくのごとし。いままさに諸仏の名号および国土の名号を解説すべし。「善徳」といふは、その徳淳善にしてただ安楽のみあり。諸天・竜神の福徳の、衆生を惑悩するがごときにはあらず。
+
<span id="no14"></span>
 +
【14】<br>
 +
 仏について四種あり。
 +
::一には法身、        二には報身、
 +
::三には応身、        四には[[化身]]なり。
  
「栴檀徳」といふは、南方ここを去ること無量無辺恒河沙等の仏土にして世界あり、歓喜と名づく。仏を栴檀徳と号す。いま現にましまして法を説きたまふ。
+
<span id="no15"></span>
たとへば[[栴檀]]の香ばしくして清涼なるがごとく、かの仏の名称遠く聞ゆること、香の流布するがごとし。衆生の三毒の
+
【15】<br>
火熱を滅除して清涼なることを得しむ。
+
 [[法身]]について二種あり。
 +
::一には法性法身、      二には方便法身なり。
  
「無量明仏」といふは、西方ここを去ること無量無辺恒河沙等の仏土にして世界あり、[[善]]と名づく。仏を無量明と号す。いま現にましまして法を説きたまふ。その仏の身光および智慧明照にして無量無辺なり。
+
<span id="no16"></span>
 +
【16】<br>
 +
 報身について三種あり。
 +
::一には弥陀、        二には釈迦、
 +
::三には十方なり。
  
「相徳仏」といふは、北方ここを去ること無量無辺恒河沙等の仏土にして世界あり、不可動と名づく。仏を相徳と名づく。いま現にま<span id="P--9"></span>しまして法を説きたまふ。その仏の福徳高顕なること、なほ[[幢相]]のごとし。
+
<span id="no17"></span>
 +
【17】<br>
 +
 応・化について三種あり。
 +
::一には弥陀、        二には釈迦、
 +
::三には十方なり。
  
「無憂徳」といふは、東南方ここを去ること無量無辺恒河沙等の仏土にして世界あり、月明と名づく。仏を無憂徳と号す。いま現にましまして法を説きたまふ。その仏の[[神徳]]もろもろの天・人をして憂愁あることなからしむ。
+
<span id="no18"></span>
 +
【18】<br>
 +
 土について四種あり。
 +
::一には法身の土、      二には報身の土、
 +
::三には応身の土、      四には化身の土なり。<span id="P--507"></span>
  
「宝施仏」といふは、西南方ここを去ること無量無辺恒河沙等の仏土にして世界あり、衆相と名づく。仏を宝施と号す。いま現にましまして法を説きたまふ。その仏もろもろの無漏の[[根・力・覚・道]]等の宝をもつてつねに衆生に施す。
+
<span id="no19"></span>
 +
【19】<br>
 +
 報土について三種あり。
 +
::一には弥陀、        二には釈迦、
 +
::三には十方なり。
  
「華徳仏」といふは、西北方ここを去ること無量無辺恒河沙等の仏土にして世界あり、衆音と名づく。仏を華徳と号す。いま現にましまして法を説きたまふ。その仏の色身、なほ妙華のごとく、その徳無量なり。
+
<span id="no20"></span>
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【20】<br>
 +
 弥陀の化土について二種あり。
 +
::一には疑城胎宮、      二には懈慢辺地なり。
  
「三乗行仏」といふは、東北方ここを去ること無量無辺恒河沙等の仏土にして世界あり、安穏と名づく。仏を三乗行と号す。いま現にましまして法を説きたまふ。その仏つねに声聞の行、辟支仏の行、もろもろの菩薩の行を説きたまふ。ある人いはく、「上・中・下の精進を説くがゆゑに、号して三乗行となす」と。
+
<span id="no21"></span>
 +
【21】<br>
 +
 本願一乗は、[[頓極]]・[[頓速]]・円融・円満の教なれば、[[絶対不二]]の教、一実真如の道なりと、知るべし。専がなかの専なり、頓がなかの頓なり、真のなかの真なり、円のなかの円なり。一乗一実は大誓願海なり。<u>[[第一希有の行]]なり。</u>
  
「明徳仏」といふは、下方ここを去ること無量無辺恒河沙等の仏土にして世界あり、広大と名づく。仏<span id="P--10"></span>を明徳と号す。いま現にましまして法を説きたまふ。明とは身明・智慧明・宝樹光明に名づく。この三種の明つねに世間を照らす。
+
<span id="no22"></span>
 +
【22】<br>
 +
 金剛の真心は、無礙の信海なりと、知るべし。
  
「広衆徳」といふは、上方ここを去ること無量無辺恒河沙等の仏土にして世界あり、衆月と名づく。仏を広衆徳と号す。いま現にましまして法を説きたまふ。その仏の弟子福徳広大なるがゆゑに広衆徳と号す。
+
<span id="no23"></span>
 +
【23】<br>
 +
 『疏』[[観経疏 玄義分 (七祖)#P--298|(玄義分 二九八)]]にいはく、「われ菩薩蔵頓教と一乗海とによる」と。
  
いまこの十方の仏、善徳を初めとなし、広衆徳を後となす。もし人一心にその名号を称すれば、すなはち阿耨多羅三藐三菩提を退せざることを得。
+
<span id="no24"></span>
 +
【24】<br>
 +
 『讃』[[般舟讃 (七祖)#P--718|(般舟讃 七一八)]]にいはく、「『瓔珞経』のなかには漸教を説く。万劫、功を修して不退を証す。『観経』・『弥陀経』等の説は、すなはちこれ頓教菩提蔵となり」と。{文 }
  
<span id="no6"></span>
+
<span id="no25"></span>
【6】<br />
+
【25】<br>
 偈に説くがごとし。
+
 円頓とは、[円は円融・円満に名づく。頓は頓極・頓速に名づく。]
  
:もし人ありてこの諸仏の名を説くを聞くことを得れば、
+
<span id="no26"></span>
:すなはち無量の徳を得。宝月のために説きたまふがごとし。
+
【26】<br>
:われこの諸仏を礼したてまつる。いま現に十方にまします。
+
 二教対<span id="P--508"></span>
:それ名を称することあれば、すなはち不退転を得。
+
::本願一乗海は、頓極・頓速・円融・円満の教なりと、知るべし。
:東方に無憂界あり、その仏を善徳と号す。
+
::浄土の要門は、定散二善・方便仮門・三福九品の教なりと、知る
:[[色相金山のごとし]]。名の聞ゆること[[辺際]]なし。
+
::べし。
:もし人名を聞けば、すなはち不退転を得。<span id="P--11"></span>
+
::難易対        横竪対
:われいま合掌し礼したてまつる。願はくはことごとく憂悩を除きたまへ。
+
::頓漸対        [[超渉対]]
:南方に歓喜界あり、仏を栴檀徳と号す。
+
::真仮対      順逆対      純雑対
:面の浄きこと満月のごとし。光明量りあることなし。
+
::邪正対        勝劣対
:よくもろもろの衆生の三毒の熱悩を滅したまふ。
+
::親疎対        大小対
:名を聞くもの不退を得。このゆゑに[[稽首]]し礼したてまつる。
+
::多少対        重軽対
:{{IO|西方に善世界あり、仏を無量明と号す。}}
+
::[[通別対]]        [[径迂対]]
:{{IO|身光・智慧あきらかにして、照らすところ辺際なし。}}
+
::[[捷遅対]]        広狭対
:{{IO|その名を聞くことあれば、すなはち不退転を得。}}
+
::近遠対        [[了不了教対]]
:われいま稽首し礼したてまつる。願はくは生死の際を尽したまへ。
+
::大利小利対      [[無上有上対]]
:北方に[[無動界]]あり、仏を号して相徳となす。
+
::[[不回回向対]]      自説不説対
:身にもろもろの相好を具し、もつてみづから荘厳し、
+
::[[有願無願対]]     有誓無誓対<span id="P--509"></span>
:[[魔怨の衆]]を[[摧破]]し、よくもろもろの人天を化したまふ。
+
::選不選対       讃不讃対
:名を聞けば不退を得。このゆゑに稽首し礼したてまつる。
+
::証不証対       護不護対
:東南の月明界に、仏ましまして無憂と号す。
+
::[[因明直弁対]]      理尽非理尽対
:光明日月に喩へ、遇ふもの煩悩を滅す。<span id="P--12"></span>
+
::無間有間対      相続不続対
:つねに衆のために法を説き、もろもろの[[内外の苦]]を除きたまふ。
+
::退不退対       断不断対
:十方の仏称讃したまふ。このゆゑに[[稽首]]し礼したてまつる。
+
::[[因行果徳対]]      法滅不滅対
:西南に衆相界あり、仏を号して宝施となす。
+
::自力他力対      摂取不摂対
:つねにもろもろの[[法宝]]をもつて、広く一切に施したまふ。
+
::[[入定聚不入対]]     [[思不思議対]]
:諸天頭面をもつて礼して、[[宝冠足下にあり]]
+
::[[報化二土対]]
:われいま五体をもつて、宝施尊を帰命したてまつる。
+
:: 以上四十二対 [教法に就くと、知るべし。]
:西北に衆音界あり、仏を号して華徳となす。
+
:世界にもろもろの宝樹ありて、[[妙法音を演出す]]
+
:つねに[[七覚の華]]をもつて、衆生を荘厳す。
+
:[[白毫相]]月のごとし。われいま頭面をもつて礼したてまつる。
+
:東北の安穏界、諸宝をもつて合成するところなり。
+
:仏を三乗行と号す。無量の相をもつて身を厳りたまふ。
+
:智慧の光無量にして、よく無明の闇を破したまへば、
+
:衆生に憂悩なし。このゆゑに稽首し礼したてまつる。
+
:上方の衆月界、衆宝をもつて荘厳するところなり。<span id="P--13"></span>
+
:大徳の声聞衆、菩薩量りあることなし。
+
:諸聖のなかの獅子なり。号して広衆徳とのたまふ。
+
:諸魔の怖畏するところなり。このゆゑに稽首し礼したてまつる。
+
:下方に[[広世界]]あり、仏を号して明徳となす。
+
:身相妙にして、[[閻浮檀金山]]に超絶す。
+
:つねに智慧の日をもつて、もろもろの善根の華を開きたまふ。
+
:宝土はなはだ広大なり。われはるかに稽首し礼したてまつる。
+
:{{IO|過去無数劫に、仏ましまして[[海徳]]と号す。}}
+
:{{IO|このもろもろの現在の仏、みなかれに従ひて願を発せり。}}
+
:{{IO|寿命量りあることなし。光明照らして極まりなし。}}
+
:{{IO|国土はなはだ清浄なり。名を聞けばさだめて仏に作る。}}
+
:いま現に十方にましまして、十力を具足し成じたまふ。
+
:このゆゑに人天のなかの最尊を稽首し礼したてまつると。
+
  
==百七仏章==
+
<span id="no27"></span>
 +
【27】<br>
 +
 真実浄信心は、[内因なり。] 摂取不捨は、[外縁なり。]
  
<span id="no7"></span>
+
<span id="no28"></span>
【7】<br />
+
【28】<br>
 {{IO|問ひていはく、ただこの十仏の名号を聞きて、[[執持]]して心に在けば、すなはち阿耨多羅三藐三菩提を退せざることを得。さらに余仏・余菩薩の名まし}}<span id="P--14"></span>{{IO|まして、阿惟越致に至ることを得となすや。}}
+
 本願を信受するは、[[前念命終]]なり。[「すなはち正定聚の数に入る」(論註・上意)と。文]
  
<span id="no8"></span>
+
即得往生は、[[後念即生]]なり。[「即の時必定に入る」(易行品 一六)と。文
【8】<br />
+
:::また「[[必定の菩薩]]と名づくるなり」(地相品・意)と。文]<span id="P--510"></span>
 {{IO|答へていはく、[[阿弥陀等の]]仏およびもろもろの大菩薩、名を称し一心に念ずれば、また不退転を得。また阿弥陀等の諸仏ましまして、また[[恭敬]]礼拝し、その名号を称すべし。}}
+
  
<span id="no9"></span>
+
<span id="no29"></span>
【9】<br />
+
【29】<br>
 {{IO|いままさにつぶさに説くべし。無量寿仏・世自在王仏}}・師子意仏・法意仏・梵相仏・世相仏・世妙仏・慈悲仏・世王仏・人王仏・月徳仏・宝徳仏・相徳仏・大相仏・珠蓋仏・師子鬘仏・破無明仏・智華仏・多摩羅跋栴檀香仏・持大功徳仏・雨七宝仏・超勇仏・離瞋恨仏・大荘厳仏・無相仏・宝蔵仏・徳頂仏・多伽羅香仏・栴檀香仏・蓮華香仏・荘厳道路仏・竜蓋仏・雨華仏・散華仏・華光明仏・日音声仏・蔽日月仏・琉璃蔵仏・梵音仏・浄明仏・金蔵仏・須弥頂仏・山王仏・音声自在仏・浄眼仏・月明仏・如須弥山仏・日月仏・得衆仏・[[華生仏]]・梵音説仏・世主仏・師子行仏・妙法意師子吼仏・珠宝蓋珊瑚色仏・破痴愛闇仏・水月仏・衆華仏・開智慧仏・持雑宝仏・菩提仏・華超出仏・真琉璃明仏・蔽日明仏・持大功徳仏・得正慧仏・勇健仏・離諂曲仏・除悪根栽仏・大香仏・[[道映仏]]・水光仏・海雲慧遊仏・徳頂華仏・華荘厳仏・日音声<span id="P--15"></span>仏・月勝仏・琉璃仏・梵声仏・光明仏・金蔵仏・山頂仏・山王仏・音王仏・竜勝仏・無染仏・浄面仏・月面仏・如須弥仏・栴檀香仏・威勢仏・燃灯仏・難勝仏・宝徳仏・喜音仏・光明仏・竜勝仏・離垢明仏・師子仏・王王仏・力勝仏・[[華歯仏]]・無畏明仏・香頂仏・普賢仏・普華仏・宝相仏なり。
+
 他力金剛心なりと、知るべし。
  
{{IO|[[この]]もろもろの仏世尊現に十方の清浄世界にまします。みな名を称し憶念すべし。}}
+
すなはち弥勒菩薩に同じ。[[自力金剛心]]なりと、知るべし。『大経』(下)には「次如弥勒」とのたまへり。文
  
==弥陀章==
+
<span id="no30"></span>
 +
【30】<br>
 +
 二機対
 +
::一乗円満の機は、他力なり。
 +
::[[漸教回心]]の機は、自力なり。
 +
::信疑対        賢愚対
 +
::[[善悪対]]        正邪対
 +
::是非対        実虚対
 +
::真偽対        浄穢対
 +
::好醜対        妙粗対
 +
::利鈍対        [[奢促対]]
 +
::[[希常対]]        強弱対
 +
::上上下下対      勝劣対
 +
::[[直入回心対]]      [[明闇対]]<span id="P--511"></span>
 +
:: [以上]十八対 二機に就くと、知るべし。
  
<span id="no10"></span>
+
<span id="no31"></span>
【10】<br />
+
【31】<br>
 {{IO|阿弥陀仏の本願はかくのごとし、「もし人われを念じ名を称してみづから帰すれば、すなはち[[必定]]に入りて阿耨多羅三藐三菩提を得」と。このゆゑにつねに憶念すべし。}}
+
 また二種の機について、また二種の性あり。
 +
:二機とは、
 +
::一には善機、        二には悪機なり。
 +
:二性とは、
 +
::一には善性、        二には悪性なり。
  
<span id="no11"></span>
+
<span id="no32"></span>
【11】<br />
+
【32】<br>
 {{IO|偈をもつて〔阿弥陀仏を〕称讃せん。}}
+
 また善機について二種あり。また[[傍正]]あり。
 +
::一には[[定機]]、二には[[散機]]なり。[『疏』(序分義 三八一)に「一切衆生の機に二種あり、一には定、二には散なり」といへり。文]
  
:{{IO|[[無量光明慧]]あり、身は[[真金山]]のごとし。}}
+
<span id="no33"></span>
:{{IO|われいま身口意をもつて、合掌し[[稽首]]し礼したてまつる。}}
+
【33】<br>
:金色の妙光明、あまねくもろもろの世界に流れて、
+
 また傍正ありとは、
:[[物]]に随ひてその色を増す。このゆゑに稽首し礼したてまつる。
+
::一には菩薩、[大小]]   二には縁覚、
:もし人命終の時に、かの国に生ずることを得れば、
+
::三には声聞・[[辟支]]等、[浄土の傍機なり。]
:すなはち無量の徳を具す。このゆゑにわれ帰命したてまつる。<span id="P--16"></span>
+
::四には天、         五には人等なり。[浄土の正機なり。]
:{{IO|人よくこの仏の無量力威徳を念ずれば、}}
+
:{{IO|即時に必定に入る。このゆゑにわれつねに念じたてまつる。}}
+
:かの国の人命終して、たとひもろもろの苦を受くべきも、
+
:悪地獄に堕せず。このゆゑに帰命し礼したてまつる。
+
:もし人かの国に生ずれば、つひに[[三趣]]および阿修羅に堕せず。
+
:われいま帰命し礼したてまつる。
+
:人天の身相同じくして、なほ[[金山]]の頂のごとし。
+
:[[諸勝の所帰の処]]なり。このゆゑに頭面をもつて礼したてまつる。
+
:それかの国に生ずることあれば、[[天眼耳通]]を具して、
+
:十方にあまねく[[無礙]]なり。聖中の尊を稽首したてまつる。
+
:その国のもろもろの衆生は、[[神変・心通・宿命智|神変および心通]]、
+
:[[神変・心通・宿命智|また宿命智]]を具す。このゆゑに帰命し礼したてまつる。
+
:かの国土に生ずれば、[[我なく我所なし]]。
+
:[[彼此の心]]を生ぜず。このゆゑに稽首し礼したてまつる。
+
:三界の獄を超出して、目は[[蓮華葉]]のごとし。<span id="P--17"></span>
+
:声聞衆無量なり。このゆゑに稽首し礼したてまつる。
+
:かの国のもろもろの衆生、その性みな柔和にして、
+
:自然に十善を行ず。衆聖の王(阿弥陀仏)を稽首したてまつる。
+
:善より[[浄明]]を生ずること、無量無辺数にして、
+
:[[二足]]のなかの第一なり。このゆゑにわれ帰命したてまつる。
+
:{{IO|もし人仏に作らんと願じて、心に阿弥陀を念ずれば、}}
+
:{{IO|時に応じてために身を現したまふ。このゆゑにわれ、}}
+
:{{IO|かの仏の本願力を帰命したてまつる。十方のもろもろの菩薩、}}
+
:{{IO|来りて供養し法を聴く。このゆゑにわれ稽首したてまつる。}}
+
:かの土のもろもろの菩薩は、もろもろの相好を具足し、
+
:もつてみづから身を荘厳す。われいま帰命し礼したてまつる。
+
:かのもろもろの大菩薩、[[日々三時]]に、
+
:十方の仏を供養したてまつる。このゆゑに稽首し礼したてまつる。
+
:{{IO|もし人善根を種うるも、疑へばすなはち華開けず。}}
+
:{{IO|信心清浄なれば、華開けてすなはち仏を見たてまつる。}}<span id="P--18"></span>
+
:{{IO|十方現在の仏、種々の因縁をもつて、}}
+
:{{IO|かの仏の功徳を歎じたまふ。われいま帰命し礼したてまつる。}}
+
:その土はなはだ[[厳飾]]にして、かの[[もろもろの天宮に殊なり]]、
+
:功徳はなはだ深厚なり。このゆゑに仏足を礼したてまつる。
+
:仏足の[[千輻輪]]は、柔軟にして蓮華の色あり。
+
:見るものみな歓喜す。頭面をもつて仏足を礼したてまつる。
+
:眉間の[[白毫]]の光は、なほ清浄なる月のごとし。
+
:面の光色を増益す。頭面をもつて仏足を礼したてまつる。
+
:本仏道を求むる時、もろもろの奇妙の事を行じたまふ。
+
:諸経の所説のごとし。頭面をもつて[[稽首]]し礼したてまつる。
+
:かの仏の言説したまふところ、もろもろの罪根を破除す。
+
:美言にして益するところ多し。われいま稽首し礼したてまつる。
+
:この美言の説をもつて、もろもろの[[着楽の病]]を救ひたまふ。
+
:すでに度しいまなほ度したまふ。このゆゑに稽首し礼したてまつる。
+
:人天のなかの最尊なり。諸天頭面をもつて礼し、<span id="P--19"></span>
+
:七宝の冠足を摩づ。このゆゑにわれ帰命したてまつる。
+
:一切の[[賢聖衆]]、およびもろもろの人天衆、
+
:ことごとくみなともに帰命す。このゆゑにわれもまた礼したてまつる。
+
:{{IO|かの[[八道の船]]に乗じて、よく[[難度海]]を度したまふ。}}
+
:{{IO|みづから度しまたかれを度したまふ。われ[[自在者]]を礼したてまつる。}}
+
:{{IO|諸仏無量劫に、その功徳を讃揚せんに、}}
+
:{{IO|なほ尽すことあたはず。[[清浄人]]を帰命したてまつる。}}
+
:{{IO|われいままたかくのごとく、無量の徳を称讃す。}}
+
:{{IO|この福の因縁をもつて、願はくは仏つねにわれを念じたまへ。}}
+
:わが今・先世における福徳、もしは大小、
+
:願はくはわれ仏の所において、心つねに清浄なることを得ん。
+
:この福の因縁をもつて、獲るところの上妙の徳、
+
:願はくはもろもろの衆生の類も、みなまたことごとくまさに得べしと。
+
  
==過去八仏章==
+
<span id="no34"></span>
 +
【34】<br>
 +
 また善性について五種あり。
 +
::一には善性、        二には正性、<span id="P--512"></span>
 +
::三には実性、        四には是性、
 +
::五には真性なり。
  
<span id="no12"></span>
+
<span id="no35"></span>
【12】<br />
+
【35】<br>
 また[[毘婆尸仏・尸棄仏・毘首婆伏仏・拘楼珊提仏・迦那迦牟尼仏・迦葉仏・釈迦牟尼仏]]および未来世の弥勒仏を念ずべし。みな憶念し礼拝すべし。偈<span id="P--20"></span>をもつて称讃せん。
+
 また悪機について七種あり。
 +
::一には十悪、        二には[[四重]]
 +
::三には[[破見]]、        四には破戒、
 +
::五には五逆、        六には謗法、
 +
::七には闡提なり。
  
:[[毘婆尸世尊]]、無憂道樹の下にして、
+
<span id="no36"></span>
:[[一切智]]を成就して、微妙のもろもろの功徳あり。
+
【36】<br>
:まさしく世間を観じ、その心解脱を得たまふ。
+
 また悪性について五種あり。
:われいま五体をもつて、無上尊を帰命したてまつる。
+
::一には悪性、        二には邪性、
:[[尸棄仏世尊]]、分陀利道場樹の下にましまして坐し、
+
::三には虚性、        四には非性、
:菩提を成就したまふ。
+
::五には偽性なり。
:身色比あることなし。燃ゆる[[紫金山]]のごとし。
+
:われいまみづから三界の無上尊を帰命したてまつる。
+
:[[毘首婆世尊]]、娑羅樹の下に坐し、
+
:自然に一切の妙智慧に通達することを得たまふ。
+
:もろもろの人天のなかにおいて、第一にして比あることなし。
+
:このゆゑにわれ一切最勝尊を帰命したてまつる。
+
:[[迦求村大仏]]は、阿耨多羅三藐三菩提を、
+
:尸利沙樹の下に得たまひて、<span id="P--21"></span>
+
:大智慧を成就し、永く生死を脱したまふ。
+
:われいま第一無比尊を帰命し礼したてまつる。
+
:[[迦那含牟尼]]、大聖無上尊、
+
:優曇鉢樹の下にして、仏道を成就し得て、
+
:一切法は無量にして辺あることなしと通達したまふ。
+
:このゆゑにわれ第一無上尊を帰命したてまつる。
+
:[[迦葉仏世尊]]、眼は双蓮華のごとし。
+
:弱拘楼陀樹の下において仏道を成ず。
+
:三界に畏るるところなし。行歩すること象王のごとし。
+
:われいまみづから無極尊を帰命し[[稽首]]したてまつる。
+
:釈迦牟尼仏、阿輸陀樹の下にして、
+
:[[魔の怨敵]]を[[降伏]]し、[[無上道]]を成就したまふ。
+
:面貌満月のごとく、清浄にして[[瑕塵]]なし。
+
:われいま勇猛第一尊を稽首し礼したてまつる。
+
:[[当来]]の弥勒仏、那伽樹の下に坐して、<span id="P--22"></span>
+
:広大の心を成就し、自然に仏道を得たまはん。
+
:功徳はなはだ堅牢にして、よく勝るるものあることなからん。
+
:このゆゑにわれみづから無比妙法王に帰したてまつると。
+
  
==東方八仏章==
+
<span id="no37"></span>
 +
【37】<br>
 +
 光明寺の和尚(善導)のいはく[[観経疏 玄義分 (七祖)#P--297|(玄義分 二九七)]]、「道俗[[時衆]]等、おのおの無上の心を発せども、生死はなはだ厭ひがたく、仏法また欣ひがたし。ともに金剛の志を発して、横に[[四流]]を超断せよ。弥陀界に[[観]]入して、帰依し合掌し礼したてまつ[[れ]]。[[相応一念]]の後、果、涅槃を得んひ<span id="P--513"></span>
 +
と」といへり。{文 }
  
<span id="no13"></span>
+
<span id="no38"></span>
【13】<br />
+
【38】<br>
 また徳勝仏・普明仏・勝敵仏・王相仏・相王仏・無量功徳明自在王仏・薬王無閡仏・宝遊行仏・宝華仏・安住仏・山王仏まします。また憶念し[[恭敬]]し礼拝すべし。偈をもつて称讃せん。
+
 『浄土論』[[浄土論 (七祖)#P==29(二九)]]にいはく、
  
:無勝世界のなかに、仏ましまして徳勝と号す。
+
「世尊、われ一心に、尽十方無礙光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず。われ[[修多羅]]の真実功徳相によりて、[[願偈総持を説きて]]、仏教と相応せり」と。{文 }
:われいまおよび[[法宝]][[僧宝]]を[[稽首]]し礼したてまつる。
+
:随意喜世界に、仏ましまして普明と号す。
+
:われいまみづからおよび法宝・僧宝を帰命したてまつる。
+
:普賢世界のなかに、仏ましまして勝敵と号す。
+
:われいまおよび法宝・僧宝を帰命し礼したてまつる。
+
:善浄集世界あり、仏を王幢相と号す。
+
:われいまおよび法宝・僧宝を稽首し礼したてまつる。
+
:離垢集世界の無量功徳明、<span id="P--23"></span>
+
:十方に自在なり。このゆゑに稽首し礼したてまつる。
+
:不誑世界のなかの無礙薬王仏、
+
:われいま頭面をもつておよび法宝・僧宝を礼したてまつる。
+
:[[今集世界]]のなかの仏を宝遊行と号す。
+
:われいま頭面をもつておよび法宝・僧宝を礼したてまつる。
+
:美音界の宝華安立山王仏、
+
:われいま頭面をもつておよび法宝・僧宝を礼したてまつる。
+
:いまこのもろもろの如来、住して東方界にまします。
+
:われ恭敬の心をもつて[[称揚]]し帰命し礼したてまつる。
+
:ただ願はくはもろもろの如来、深く加するに[[慈愍]]をもつてし、
+
:身を現じてわが前にましまして、みな目をして見ることを得しめたまへと。
+
  
==三世諸仏章==
+
<span id="no39"></span>
 +
【39】<br>
 +
 『仏説無量寿経』(下)にのたまはく、[康僧鎧三蔵訳]
  
<span id="no14"></span>
+
「〈わが滅度の後をもつて、また疑惑を生ずることを得ることなかれ。[[当来の世に経道滅尽せんに、]]われ慈悲哀愍をもつて、[[特に此の経を留めて止住すること百歳せん。]]それ衆生ありて、この経に値ふもの、意の所願に随ひてみな[[得度]]すべし〉と。仏、弥勒に語りたまはく、〈如来の興世、値ひがたく見たてまつりがたし。諸仏の経道、得がたく聞きがたし。菩薩の勝法、諸波羅蜜、聞くを得ることまた難し。善知識に遇ひ、法を聞き、よく行ずること、これまた難しとす。もしこの経を聞きて信楽し受持すること、難のなかの難、この難に過ぎたるはなけん。このゆゑにわが法かくのごとくなしき、かくのごとく説き、かくのごとく教ふ。まさに信順して法のごとく修行すべし〉」と。{文 }<span id="P--514"></span>
【14】<br />
+
 また次に過去・未来・現在の諸仏、ことごとく総じて念じ恭敬し礼拝すべし。偈をもつて称讃せん。
+
  
:過去世の諸仏、もろもろの[[魔怨]]を[[降伏]]し、
+
<span id="no40"></span>
:大智慧力をもつて、広く衆生を利す。<span id="P--24"></span>
+
【40】<br>
:かの時のもろもろの衆生、心を尽してみな供養し、
+
 『無量寿如来会』(下)にのたまはく、[菩提流志三蔵訳]
:[[恭敬]]して[[称揚]]す。このゆゑに頭面をもつて礼したてまつる。
+
:現在十方界の[[不可計]]の諸仏、
+
:その数恒沙に過ぐ。無量にして辺あることなし。
+
:もろもろの衆生を[[慈愍]]し、つねに[[妙法輪を転じたまへり]]。
+
:このゆゑにわれ恭敬し、帰命し[[稽首]]し礼したてまつる。
+
:未来世の諸仏、[[身色金山のごとく]]、
+
:光明量りあることなし。衆相みづから荘厳す。
+
:出世して衆生を度し、まさに涅槃に入りたまふべし。
+
:かくのごときもろもろの世尊、われいま頭面をもつて礼したてまつると。
+
  
==諸大乗菩薩章==
+
「[[如来の勝智、遍虚空の所説の義言は、ただ仏のみの悟なり。]]このゆゑに博く[[諸智土]]を聞きて、わが教、如実の言を信ずべし」と。{文 }
  
<span id="no15"></span>
+
<span id="no41"></span>
【15】<br />
+
【41】<br>
 またもろもろの大菩薩を憶念すべし。善意菩薩・善眼菩薩・聞月菩薩・尸毘王菩薩・一切勝菩薩・知大地菩薩・大薬菩薩・鳩舎菩薩・阿離念弥菩薩・頂生王菩薩・喜見菩薩・鬱多羅菩薩・薩和檀菩薩・長寿王菩薩・羼提菩薩・
+
 『無量清浄平等覚経』(二)にのたまはく、[帛延三蔵訳]
韋藍菩薩・睒菩薩・月蓋菩薩・明首菩薩・法首菩薩・[[成利菩薩]]・弥勒菩薩なり。
+
  
また金剛蔵菩薩・金剛首菩薩・無垢蔵菩薩・無垢称菩薩・除疑菩薩・無垢徳菩<span id="P--25"></span>薩・網明菩薩・無量明菩薩・大明菩薩・無尽意菩薩・意王菩薩・無辺意菩薩・日音菩薩・月音菩薩・美音菩薩・美音声菩薩・大音声菩薩・堅精進菩薩・常堅菩薩・堅発菩薩・[[荘厳王菩薩]]・常悲菩薩・常不軽菩薩・法上菩薩・法意菩薩・法喜菩薩・法首菩薩・法積菩薩・発精進菩薩・智慧菩薩・浄威徳菩薩・那羅延菩薩・善思惟菩薩・法思惟菩薩・跋陀波羅菩薩・法益菩薩・高徳菩薩・
+
「速疾に超えてすなはち、安楽国の世界に到るべし。無量光明土に至りて、無
師子遊行菩薩・喜根菩薩・上宝月菩薩・不虚徳菩薩・竜徳菩薩・文殊師利菩薩・妙音菩薩・雲音菩薩・勝意菩薩・照明菩薩・勇衆菩薩・勝衆菩薩・威儀菩薩・師子意菩薩・上意菩薩・益意菩薩・[[増意菩薩]]・宝明菩薩・慧頂菩薩・楽説頂菩薩・有徳菩薩・観世自在王菩薩・陀羅尼自在王菩薩・大自在王菩薩・無憂徳菩薩・不虚見菩薩・離悪道菩薩・一切勇健菩薩・破闇菩薩・功徳宝菩薩・華威徳菩薩・金瓔珞明徳菩薩・離諸陰蓋菩薩・心無閡菩薩・一切行浄菩薩・等見菩薩・不等見菩薩・三昧遊戯菩薩・法自在菩薩・法相菩薩・明荘厳菩薩・大荘厳菩薩・宝頂菩薩・宝印手菩薩・常挙手菩薩・常下手菩薩・常惨菩薩・常喜菩薩・喜王菩薩・得弁才音声菩薩・虚空雷音菩薩・持宝炬菩薩・勇施菩薩・帝網菩薩・馬光菩薩・空無閡菩薩・宝勝菩薩・天王菩薩・破魔菩薩・電<span id="P--26"></span>徳菩薩・自在菩薩・頂相菩薩・出過菩薩・師子吼菩薩・雲蔭菩薩・能勝菩薩・山相幢王菩薩・香象菩薩・大香象菩薩・白香象菩薩・常精進菩薩・不休息菩薩・妙生菩薩・華荘厳菩薩・観世音菩薩・得大勢菩薩・水王菩薩・山王菩薩・帝網菩薩・宝施菩薩・破魔菩薩・荘厳国土菩薩・金髻菩薩・珠髻菩薩、かくのごとき等のもろもろの大菩薩まします。
+
数の仏に供養したてまつれ」と。{文 }
 +
 
 +
<span id="no42"></span>
 +
【42】<br>
 +
 『[[諸仏]]阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』(下)にのたまはく、[支謙三蔵訳]
 +
 
 +
「われ[[般泥洹]]して去きて後、経道留止せんこと千歳せん。千歳の後、経道断絶せん。われみな慈哀して、ことにこの経法を留めて止住せんこと百歳せん。百歳のうちに竟らん。いまし休止し断絶せん。心の所願にありてみな道を得べし」と。{略出}
 +
 
 +
<span id="no43"></span>
 +
【43】<br>
 +
 元照律師『阿弥陀経の義疏』にいはく、[大智律師なり]
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「〈[[勢至章]]〉にいはく、〈十方の如来、衆生を憐念したまふこと、母の子を憶ふがごとし〉と。『大論』(大智度論)にいはく、〈たとへば魚母のもし子を念は<span id="P--515"></span>ざれば、子すなはち壊爛する等のごとし〉と。阿耨多羅、ここには無上と翻ず、三藐は正等といふ、三菩提は正覚といふ。すなはち[[仏果]]の号なり。
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[[薄地の凡夫]]、業惑に[[纏縛]]せられて五道に流転せること百千万劫なり。たちまちに浄土を聞きて、志願して生を求む。一日名を称すればすなはちかの国に超ゆ。
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諸仏護念してただちに菩提に趣かしむ。謂ふべし、万劫にも逢ひがたし。千生に一たび誓に遇へり。今日より未来を終尽すとも、在処にして讃揚し、多方にして勧誘せん。所感の身土・所化の機縁、阿弥陀と等しくして異あることなけん。この心極まりなし、ただ仏、証知したまへ。このゆゑに下に三たび信を勧む。わが語を信ずるものは、教を信ずといふなり。[[わが十方諸仏を信ぜざるがごとしと、あに虚妄なるをや]]」と。{略出}
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  [[建長七年]]乙卯八月二十七日これを書く。
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                         [愚禿親鸞八十三歳]
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みな憶念し[[恭敬]]し礼拝して阿惟越致地を求むべし。
 
 
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2012年12月23日 (日) 00:42時点における版

 上下2巻に分れているところから、『二巻鈔』とも称される。上巻は、仏教全体のなかでの浄土真実の教えの意義を、親鸞聖人独自の教相判釈によって示し、下巻は、とくに善導大師の『観経疏』の「三心釈」について、その内容が整理されている。
 本書の成立は、古写本の奥書によって、いちおう聖人晩年の撰述と考えられるが、その内容から、法然上人のもとでの研鑽期における覚書を後に整理されたものとする説もあり、確定しがたい。聖人自身の解釈や説明は少なく、ほとんど項目だけが列挙されているようにみえるが、構想そのものには、聖人の独自の発揮がある。
 上巻の教判は「二双四重」と呼ばれ、仏教を大乗・小乗、頓教・漸教、難行・易行、聖道・浄土、権教・実教等と分類した従来の説をうけながら、あらたに竪超・横超、竪出・横出という二双四重の対立概念で仏教を区分し、本願他力の教えこそ、「横超の一乗真実の教」である旨を示される。また、上巻の前半では教法が、後半ではその教法を受ける機が分類されている。
 下巻では、善導大師の「三心釈」を引いて、三心の真仮と、行業の真仮分別等が詳細に示されている。また「二河の譬喩」をめぐって、詳細な解釈が施されている。


愚禿鈔 (上)

愚禿鈔 上

【1】
 賢者の信を聞きて、   愚禿が心を顕す。
賢者の信は、       内は賢にして外は愚なり。
愚禿が心は、       内は愚にして外は賢なり。

【2】
 聖道・浄土の教について、二教あり。

一には大乗の教、      二には小乗の教なり。

【3】
 大乗教について、二教あり。

一には頓教、        二には漸教なり。

【4】
 頓教について、また二教・二超あり。

二教とは、
一には難行聖道の実教なり。いはゆる仏心真言法華華厳等の教なり。

二には易行浄土本願真実の教、『大無量寿経』等なり。
二超とは、
一には竪超  即身是仏即身成仏等の証果なり。
二には横超  選択本願・真実報土・即得往生なり。

【5】
 漸教について、また二教・二出あり。

二教とは、
一には難行道聖道権教法相等、歴劫修行の教なり。
二には易行道浄土の要門、『無量寿仏観経』の意、定散・三福・九品の教なり。
二出とは、
一には竪出  聖道、歴劫修行の証なり。
二には横出  浄土、胎宮・辺地・懈慢の往生なり。

【6】
 小乗教について、二教あり。

一には縁覚教    一に麟喩独覚、二に部行独覚。
二には声聞教なり。 初果・預流向、第二果・一来向、第三果・不還向、第四果・阿羅漢向、八輩なり。

【7】
 ただ阿弥陀如来の選択本願を除きて以外の、大小・権実・顕密の諸教は、みなこれ難行道、聖道門なり。また易行道、浄土門の教は、これを浄土回向発願自力方便の仮門といふなりと、知るべし。

【8】
 『大経』に、選択に三種あり。

1法蔵菩薩
選択本願       選択浄土
選択摂生       選択証果
2世饒王仏
選択本願       選択浄土
選択讃嘆       選択証成
3釈迦如来
選択弥勒付属

【9】
 『観経』に、選択に二種あり。

1釈迦如来
選択功徳       選択摂取
選択讃嘆       選択護念
選択阿難付属
2韋提夫人
選択浄土       選択浄土の機

【10】
 『小経』に、勧信に二、証成に二、護念に二、讃嘆に二、難易に二あり。

勧信に二とは、
一には釈迦の勧信なり、釈迦に二あり。
二には諸仏の勧信なり、諸仏に二あり。
証成に二とは、
一には功徳証成、      二には往生証成なり。
護念に二とは、
一には執持護念、      釈迦の護念なり。
二には発願護念、      諸仏の護念なり。
讃嘆に二とは、
一には釈迦讃嘆に二あり。  二には諸仏讃嘆に二あり。
難易に二とは、
一には難は疑情なり。    二には易は信心なり。
執持に三あり。已今当なり。 発願に三あり。已今当なり。

【11】
 『法事讃』に三往生あり。

一には、難思議往生は、[『大経』のなり。]
二には、双樹林下往生は、[『観経』の宗なり。]
三には、難思往生は、[『弥陀経』の宗なり。]

【12】
 『大経』(意)にのたまはく、「本願を証成したまふに、三身まします」 と。

法身の証成 [『経』(大経・上)にのたまはく、
      「空中にして讃じてのたまはく、〈決定してかならず無上正覚を成じたまふべし〉」と。文]
報身の証成 [十方如来なり。]
化身の証成 [世饒王仏なり。]

【13】
 仏土について二種あり。

一には仏、         二には土なり。

【14】
 仏について四種あり。

一には法身、        二には報身、
三には応身、        四には化身なり。

【15】
 法身について二種あり。

一には法性法身、      二には方便法身なり。

【16】
 報身について三種あり。

一には弥陀、        二には釈迦、
三には十方なり。

【17】
 応・化について三種あり。

一には弥陀、        二には釈迦、
三には十方なり。

【18】
 土について四種あり。

一には法身の土、      二には報身の土、
三には応身の土、      四には化身の土なり。

【19】
 報土について三種あり。

一には弥陀、        二には釈迦、
三には十方なり。

【20】
 弥陀の化土について二種あり。

一には疑城胎宮、      二には懈慢辺地なり。

【21】
 本願一乗は、頓極頓速・円融・円満の教なれば、絶対不二の教、一実真如の道なりと、知るべし。専がなかの専なり、頓がなかの頓なり、真のなかの真なり、円のなかの円なり。一乗一実は大誓願海なり。第一希有の行なり。

【22】
 金剛の真心は、無礙の信海なりと、知るべし。

【23】
 『疏』(玄義分 二九八)にいはく、「われ菩薩蔵頓教と一乗海とによる」と。

【24】
 『讃』(般舟讃 七一八)にいはく、「『瓔珞経』のなかには漸教を説く。万劫、功を修して不退を証す。『観経』・『弥陀経』等の説は、すなはちこれ頓教菩提蔵となり」と。{文 }

【25】
 円頓とは、[円は円融・円満に名づく。頓は頓極・頓速に名づく。]

【26】
 二教対

本願一乗海は、頓極・頓速・円融・円満の教なりと、知るべし。
浄土の要門は、定散二善・方便仮門・三福九品の教なりと、知る
べし。
難易対        横竪対
頓漸対        超渉対
真仮対      順逆対      純雑対
邪正対        勝劣対
親疎対        大小対
多少対        重軽対
通別対        径迂対
捷遅対        広狭対
近遠対        了不了教対
大利小利対      無上有上対
不回回向対      自説不説対
有願無願対     有誓無誓対
選不選対       讃不讃対
証不証対       護不護対
因明直弁対      理尽非理尽対
無間有間対      相続不続対
退不退対       断不断対
因行果徳対      法滅不滅対
自力他力対      摂取不摂対
入定聚不入対     思不思議対
報化二土対
 以上四十二対 [教法に就くと、知るべし。]

【27】
 真実浄信心は、[内因なり。] 摂取不捨は、[外縁なり。]

【28】
 本願を信受するは、前念命終なり。[「すなはち正定聚の数に入る」(論註・上意)と。文]

即得往生は、後念即生なり。[「即の時必定に入る」(易行品 一六)と。文

また「必定の菩薩と名づくるなり」(地相品・意)と。文]

【29】
 他力金剛心なりと、知るべし。

すなはち弥勒菩薩に同じ。自力金剛心なりと、知るべし。『大経』(下)には「次如弥勒」とのたまへり。文

【30】
 二機対

一乗円満の機は、他力なり。
漸教回心の機は、自力なり。
信疑対        賢愚対
善悪対        正邪対
是非対        実虚対
真偽対        浄穢対
好醜対        妙粗対
利鈍対        奢促対
希常対        強弱対
上上下下対      勝劣対
直入回心対      明闇対
 [以上]十八対 二機に就くと、知るべし。

【31】
 また二種の機について、また二種の性あり。

二機とは、
一には善機、        二には悪機なり。
二性とは、
一には善性、        二には悪性なり。

【32】
 また善機について二種あり。また傍正あり。

一には定機、二には散機なり。[『疏』(序分義 三八一)に「一切衆生の機に二種あり、一には定、二には散なり」といへり。文]

【33】
 また傍正ありとは、

一には菩薩、[大小]]   二には縁覚、
三には声聞・辟支等、[浄土の傍機なり。]
四には天、         五には人等なり。[浄土の正機なり。]

【34】
 また善性について五種あり。

一には善性、        二には正性、
三には実性、        四には是性、
五には真性なり。

【35】
 また悪機について七種あり。

一には十悪、        二には四重
三には破見、        四には破戒、
五には五逆、        六には謗法、
七には闡提なり。

【36】
 また悪性について五種あり。

一には悪性、        二には邪性、
三には虚性、        四には非性、
五には偽性なり。

【37】
 光明寺の和尚(善導)のいはく(玄義分 二九七)、「道俗時衆等、おのおの無上の心を発せども、生死はなはだ厭ひがたく、仏法また欣ひがたし。ともに金剛の志を発して、横に四流を超断せよ。弥陀界に入して、帰依し合掌し礼したてまつ相応一念の後、果、涅槃を得んひ と」といへり。{文 }

【38】
 『浄土論』浄土論 (七祖)#P==29(二九)にいはく、

「世尊、われ一心に、尽十方無礙光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず。われ修多羅の真実功徳相によりて、願偈総持を説きて、仏教と相応せり」と。{文 }

【39】
 『仏説無量寿経』(下)にのたまはく、[康僧鎧三蔵訳]

「〈わが滅度の後をもつて、また疑惑を生ずることを得ることなかれ。当来の世に経道滅尽せんに、われ慈悲哀愍をもつて、特に此の経を留めて止住すること百歳せん。それ衆生ありて、この経に値ふもの、意の所願に随ひてみな得度すべし〉と。仏、弥勒に語りたまはく、〈如来の興世、値ひがたく見たてまつりがたし。諸仏の経道、得がたく聞きがたし。菩薩の勝法、諸波羅蜜、聞くを得ることまた難し。善知識に遇ひ、法を聞き、よく行ずること、これまた難しとす。もしこの経を聞きて信楽し受持すること、難のなかの難、この難に過ぎたるはなけん。このゆゑにわが法かくのごとくなしき、かくのごとく説き、かくのごとく教ふ。まさに信順して法のごとく修行すべし〉」と。{文 }

【40】
 『無量寿如来会』(下)にのたまはく、[菩提流志三蔵訳]

如来の勝智、遍虚空の所説の義言は、ただ仏のみの悟なり。このゆゑに博く諸智土を聞きて、わが教、如実の言を信ずべし」と。{文 }

【41】
 『無量清浄平等覚経』(二)にのたまはく、[帛延三蔵訳]

「速疾に超えてすなはち、安楽国の世界に到るべし。無量光明土に至りて、無 数の仏に供養したてまつれ」と。{文 }

【42】
 『諸仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』(下)にのたまはく、[支謙三蔵訳]

「われ般泥洹して去きて後、経道留止せんこと千歳せん。千歳の後、経道断絶せん。われみな慈哀して、ことにこの経法を留めて止住せんこと百歳せん。百歳のうちに竟らん。いまし休止し断絶せん。心の所願にありてみな道を得べし」と。{略出}

【43】
 元照律師『阿弥陀経の義疏』にいはく、[大智律師なり]

「〈勢至章〉にいはく、〈十方の如来、衆生を憐念したまふこと、母の子を憶ふがごとし〉と。『大論』(大智度論)にいはく、〈たとへば魚母のもし子を念はざれば、子すなはち壊爛する等のごとし〉と。阿耨多羅、ここには無上と翻ず、三藐は正等といふ、三菩提は正覚といふ。すなはち仏果の号なり。

薄地の凡夫、業惑に纏縛せられて五道に流転せること百千万劫なり。たちまちに浄土を聞きて、志願して生を求む。一日名を称すればすなはちかの国に超ゆ。

諸仏護念してただちに菩提に趣かしむ。謂ふべし、万劫にも逢ひがたし。千生に一たび誓に遇へり。今日より未来を終尽すとも、在処にして讃揚し、多方にして勧誘せん。所感の身土・所化の機縁、阿弥陀と等しくして異あることなけん。この心極まりなし、ただ仏、証知したまへ。このゆゑに下に三たび信を勧む。わが語を信ずるものは、教を信ずといふなり。わが十方諸仏を信ぜざるがごとしと、あに虚妄なるをや」と。{略出}


本にいはく

  建長七年乙卯八月二十七日これを書く。

                         [愚禿親鸞八十三歳]


愚禿鈔 下

   愚禿鈔 下


【44】
賢者の信を聞きて、  愚禿が心を顕す。
賢者の信は、       内は賢にして外は愚なり。
愚禿が心は、       内は愚にして外は賢なり。

【45】
 唐朝の光明寺の和尚(善導)の『観経義』(散善義)にいはく、「まづ上品上生の位のなかについて、{乃至} 一には〈仏告阿難〉より以下は、すなはちならべて二の意を標す。一には告命を明かす。

二にはその位を弁定することを明かす。これすなはち大乗の上善を修学する凡夫人なり。

三には〈若有衆生〉より下〈即便往生〉に至るまでこのかたは、まさしく総じて有生の類を挙ぐることを明かす。すなはちそれに四あり。一には能信の人を明かす。二には往生を求願することを明かす。三には発心の多少を明かす。四には得生の益を明かす。四には〈何等為三〉より下〈必生彼国〉に至るまでこのかたは、まさしく三心を弁定してもつて正因となすことを明かす。すなはち二あり。

一には世尊、機に随ひて益を顕すこと、意密にして知りがたし。仏みづから問ひてみづから徴したまふにあらざれば、解を得るに由なきことを明かす。二には如来、還りてみづから前の三心の数を答へたまふことを明かす。

 『経』(観経)にのたまはく、〈一には至誠心〉。至とは真なり、誠とは実なり。一切衆生、身口意業に修するところの解行かならず真実心のうちになしたまへるを須ゐんことを明かさんと欲ふ。外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐ければなり貪瞋・邪偽・奸詐百端にして悪性侵めがたし、事、蛇蝎に同じ。三業を起すといへども、名づけて雑毒の善となす、また虚仮の行と名づく、真実の業と名づけざるなり。もしかくのごとき安心・起行をなすは、たとひ身心を苦励して日夜十二時、急に走め急になすこと、頭燃を灸ふがごとくするは、すべて雑毒の善と名づく。この雑毒の行を回してかの仏の浄土に求生せんと欲ふは、これかならず不可なり。なにをもつてのゆゑに、まさしくかの阿弥陀仏、因中に菩薩の行を行じたまひし時、乃至一念一刹那も、三業の所修みなこれ真実心のなかになしたまひしによりてなり。おほよそ施したまふところ趣求をなす、またみな真実なりと。

 また真実に二種あり。一には自利真実、二には利他真実なり」と。{文 }

【46】
 利他真実について、また二種あり。

一には、「おほよそ施したまふところ趣求をなすは、またみな真実なり」と。
二には、「不善の三業は、かならず真実心のなかに捨てたまひしを須ゐよ。
 またもし善の三業を起さば、かならず真実心のなかになしたまひしを須ゐて、内外明闇を簡ばず、みな真実を須ゐるがゆゑに至誠心と名づく」と。{文}

【47】
 「自利真実といふは、また二種あり。一には、真実心のなかに自他の諸悪および穢国等を制捨して、行住坐臥に〈一切菩薩の諸悪を制捨するに同じく、われもまたかくのごとくせん〉と想へとなり。二には、真実心のなかに自他凡聖等の善を勤修すべしと。真実心のなかの口業に、かの阿弥陀仏および依正二報を讃嘆すべし。また真実心のなかの口業に、三界六道等の自他の依正二報、苦悪の事を毀厭し、また一切衆生三業所為の善を讃嘆すべし。もし善業にあらずは、敬ひてこれを遠ざかれ、また随喜せざれとなり。また真実心 のなかの身業に、合掌し礼敬して、四事等をもつてかの阿弥陀仏および依正二報を供養したてまつれ。また真実心のなかの身業に、この生死三界等の自他の依正二報を軽慢し厭捨すべし。また真実心のなかの意業に、かの阿弥陀仏および依正二報を思想し観察し憶念して、目の前に現ぜるがごとくすべし。また真実心のなかの意業に、この生死三界等の自他の依正二報を軽賤し厭捨すべし」となり。{文 }

【48】
 「一には至誠心」といふは、至とは真なり、誠とは実なり。すなはち真実なり。真実に二種あり。

一には自利真実なり。
難行道        聖道門
竪超 即身是仏即身成仏、自力なり。 竪出 自力のなかの漸教、

                        歴劫修行なり

二には利他真実なり。
易行道        浄土門
横超 [如来の誓願他力なり。] 横出 他力のなかの自力なり。定散諸行なり。

【49】
 自利真実について、また二種あり。

一には厭離真実なり。
聖道門        難行道
竪出         自力
竪出とは難行道の教なり、厭離をもつて本とす、自力の心なるがゆゑなり。
二には欣求真実なり。
浄土門        易行道
横出         他力
横出とは易行道の教なり、欣求をもつて本とす、なにをもつてのゆゑに、願力によりて生死を厭捨せしむるがゆゑなりと。

【50】
 また横出の真実について、また三種あり。

一には口業に欣求真実、
  口業に厭離真実なり。
二には身業に欣求真実、
  身業に厭離真実なり。
三には意業に欣求真実、
  意業に厭離真実なり。

【51】
 宗師(善導)の釈文を案ずるに、「一者真実心中」以下より、「自他凡聖等善」に至るまでは、厭離を先とし欣求を後とす。すなはちこれ難行道、自力竪出の義なり。「真実心中口業」以下より、「自他依正二報」に至るまでは、すなはちこれ易行道、他力横出の義なり。

【52】
 「二には深心。深心といふは、すなはちこれ深信の心なり。また二種あり。一には、決定して〈自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなし〉と深信す。二には、決定して〈かの阿弥陀仏、四十八願をもつて衆生を摂受したまふ、疑なく慮りなく、彼の願力に乗ずれば、さだめて往生を得〉と深信せよ」となり。{文}

 いまこの深信は他力至極の金剛心、一乗無上の真実信海なり。

【53】
 文の意を案ずるに、深信について七深信あり、六決定あり。

七深信とは、
第一の深信は、「決定して自身を深信する」と、すなはちこれ自利の信心なり。
第二の深信は、「決定して乗彼願力を深信する」と、すなはちこれ利他の信海なり。
第三には、「決定して『観経』を深信す」と。
第四には、「決定して『弥陀経』を深信す」と。
第五には、「唯仏語を信じ決定して行による」と。
第六には、「この『経』(観経)によりて深信す」と。
第七には、「また深心の深信は決定して自を建立せよ」となり。
六決定とは、以上次いでのごとし、知るべし。

【54】
 第五の「唯信仏語」について、三遣・三随順・三是名あり。

三遣とは、
一には、「仏の捨て遣めたまふをば、すなはち捨つ」と。
二には、「仏の行ぜ遣めたまふをば、すなはち行ず」と。
三には、「仏の去ら遣めたまふ処をば、すなはち去る」となり。
三随順とは、
一には、「是を仏教に随順すと名づく」と。
二には、「仏意に随順す」と。
三には、「是を仏願に随順すと名づく」となり。
三是名とは、
一には、「是を真仏弟子と名づく」となり。
上の是名とこれと合して三是名なり。

【55】
 第六に「この『経』(観経)によりて深信する」について、六即・三印・三無・六正・二了あり。

六即とは、
一には、「もし仏意に称へば、即ち印可して〈如是如是〉とのたまふ」と。
二には、「もし仏意に可はざれば、即ち〈なんぢらが説くところ、この義不如是〉とのたまふ」と。
三には、「印せざるは、即ち無記・無利・無益の語に同じ」と。
四には、「仏の印可したまふは、即ち仏の正教に随順するなり」と。
五には、「もし仏の所有の言説は、即ちこれ正教なり」と。
六には、「もし仏の所説は、即ちこれ了教なり」となり。
三印とは、
一には即印可、       二には不印、
三には仏印可なり。[三印は上の六即の文のなかにあり。]
三無とは、
一には無記、        二には無利、
三には無益なり。[三無は六即の文のなかにあり。]
六正とは、
一には正教、        二には正義、
三には正行、        四には正解、
五には正業、        六には正智なり。
二了とは、
一には、「もし仏の所説は、即ちこれ了教なり」と。
二には、「菩薩等の説は、ことごとく不了教と名づくるなり」と、
  知るべし。

【56】
 第七の「また深心の深信」については、決定して自心を建立するに、二別・三異・一問答あり。

二別とは、
一には別解、        二には別行なり。
三異とは、
一には異学、        二には異見、
三には異執なり。

【57】
 一問答のなかに、四別・四信あり。

四別とは、
一には処別、        二には時別、
三には対機別、       四には利益別なり。
四信とは、
一には往生の信心、凡夫の疑難なり。
二には清浄の信心、地前の菩薩羅漢辟支仏等の疑難なり。
三には上上の信心なり、初地以上十地このかたの疑難なり。
四には畢竟じて一念疑退の心を起さざるなり。報仏・化仏の疑難なり。

【58】
 上上の信心について、五実・二異あり。

五実とは、
一には真実決了の義なり、  二には実知、
三には実解、        四には実見、
五には実証なり。
二異とは、
一には異見、        二には異解なり。

【59】
 報化二仏の疑難について、『弥陀経』を引いて信を勧むるに、二専・四 同・二所化・六悪・二同・三所あり。

二専とは、
一には専念、        二には専修なり。五種なり。
四同とは、
一には同讃、        二には同勧、
三には同証、        四には同体なり。
所化とは、
一には、「一仏の所化はすなはちこれ一切仏の化なり」と、
二には、「一切仏の所化はすなはちこれ一仏の化なり」となり。
六悪とは、
一には悪時、        二には悪世界、
三には悪衆生、       四には悪見、
五には悪煩悩、       六には悪邪無信盛時なり。
二同とは、
一には十方仏等同心なり、  二には同時におのおの舌相を出す
三所とは、
一には所説、        二には所讃、
三には所証なり。

【60】
 「一仏の所説は、すなはち一切仏同じくその事を証成したまふなり。これを人に就いて信を立つと名づくるなり」と、知るべし。

【61】
 「次に行に就いて信を立つとは、しかるに行に二種あり。

一には正行、        二には雑行なり」と。

【62】
 正行について、五正行・六一心・六専修あり。

五正行とは、
一には一心に専読誦、    二には一心に専観察、
三には一心に専礼仏、    四には一心に専称仏名、
五には一心に専讃嘆供養なり。
またこの正のなかについて、また二種あり。
一には、「一心に弥陀の名号を専念する、これを正定の業と名づく」と。
二には、「もし礼誦等によるはすなはち名づけて助業となす」となり。
六一心とは、次いでのごとく一心なり。
六専修とは、次いでのごとく専修なり。

【63】
 また正雑二行について、また二行あり。

一には定行、        二には散行なり。

【64】
 また正雑について、また二種あり。

一には念仏、        二には観仏なり。

【65】
 また念仏について、また二種あり。

一には弥陀念仏、      二には諸仏念仏なり。
法身   報身   応身   化身

【66】
 また弥陀念仏について、二種あり。

一には正行定心念仏
二には正行散心念仏なり。
 弥陀定散の念仏、これを浄土の真門といふ、また一向専修と名づくるなりと、知るべし。

【67】
 また諸仏念仏について、二種あり。

一には雑行定心念仏、
二には雑行散心念仏なり。
 諸仏定散の念仏は、これ雑中の専行なりと、知るべし。

【68】
 また観仏について、また二種あり。

一には正の観仏、      二には雑の観仏なり。

【69】
 また正の観仏について、また二種あり。

一には真観、        二には仮観なり。

【70】
 また真仮について、十三の観想あり。

日想   水想   地想   宝樹想
宝池   宝楼   華座   像想
真観   観音   勢至   普観
雑観

【71】
 また正の散行について、四種あり。

読誦   礼拝   讃嘆   供養

【72】
 上よりこのかた定散六種兼行するがゆゑに雑修といふ、これを助業 名づく、名づけて方便仮門となす、また浄土の要門と名づくるなりと、知るべし。

【73】
 また雑の観仏について、二種あり。また真仮あり。

一には無相離念、      二には立相住心なり。

【74】
 また雑の散行について、三福あり。

一には、孝養父母・奉事師長・慈心不殺・修十善業なり。
二には、受持三帰・具足衆戒・不犯威儀なり。
三には、発菩提心・深信因果・読誦大乗・勧進行者なり。

【75】
 上よりこのかた一切の定散の諸善ことごとく雑行と名づく、六種の正に対して六種の雑あるべし。雑行の言は人・天・菩薩等の解行雑するがゆゑに雑といふなり。もとよりこのかた浄土の業因にあらず、これを発願の行と名づく、また回心の行と名づく、ゆゑに浄土の雑行と名づく、これを浄土の方便仮門と名づく、また浄土の要門と名づくるなり。おほよそ聖道・浄土、正雑、定散、みなこれ回心の行なりと、知るべし。

【76】
 「三には回向発願心」とは、回向発願心といふは、二種あり。

(自利)には、「過去・今生の自他所作の善根をもつて、みな真実の深信心のなかに回向してかの国に生れんと願ずるなり」と。
二には、「回向発願して生るるものは、かならず決定して真実心のなかに回向せしめたまへる願を須ゐて得生の想をなすなり」となり。

【77】
 回向発願して生るるものについて、信心あり。

信心とは、
「得生の想をなす、この心深信すること、なほ金剛のごとし」となり。

【78】
 この深信について、一譬喩・二異・二別・一問答・二回向あり。

一譬喩とは、
「この心深信すること、なほ金剛のごとし」となり。
二異とは、
一には異見、        二には異学なり。
二別とは、
一には別解、        二には別行なり。

【79】
 一問答について、七悪・六譬・二門・四有縁・二所求・二所愛・二欲学・二必あり。

七悪とは、
一には十悪、        二には五逆、
三には四重、        四には破戒、
五には破見、        六には謗法、
七には闡提なり。
六譬とは、
一には、明よく闇を破す。  二には、空よく有を含む。
三には、地よく載養す。   四には、水よく生潤す。
五には、火よく成壊す。   六には、二河 水の河・火の河。
二門とは、
には、「随ひて一門を出づるは、すなはち一煩悩門を出づるなり」と。
には、「随ひて一門に入るは、すなはち一解脱智慧門に入るなり」となり。
四有縁とは、
一には、「なんぢなにをもつて、いましまさに有縁の要行にあらざるをもつて、われを障惑する」と。
二には、「しかるにわが所愛はすなはちこれわが有縁の行なり、すなはちなんぢが所求にあらず」と。
三には、「なんぢが所愛はすなはちこれなんぢが有縁の行なり、またわが所求にあらず。このゆゑにおのおの所楽に随ひてその行を修すれば、必ず疾く解脱を得るなり」と。
四には、「もし行を学ばんと欲はば、必ず有縁の法によれ。少しき功労を用ゐるに多く益を得」となり。{文 }
二所求とは、上の文のごとし。
二所愛とは、上の文のごとし。
二欲学とは、
一には、「行者まさに知るべし、もし解を学ばんと欲はば、凡より聖に至るまで、乃至仏果まで一切礙なくみな学ぶことを得んとなり」と。
二には、「もし行を学ばんと欲はば、必ず有縁の法によれ」となり。 {乃至}
二必とは、[上の文のごとし。]

【80】
 この深信のなかについて、二回向といふは、

(自利)には、「つねにこの想をなせ、つねにこの解をなす。ゆゑに回向発願心と名づく」と。
には、「また回向といふは、かの国に生れをはりて還りて大悲を起して生死に回入して衆生を教化するを、また回向と名づくるなり」となり。

【81】
 二河のなかについて、

「一つの譬喩を説きて信心を守護して、もつて外邪異見の難を防がん」と。
「この道、東の岸より西の岸に至るまで、また長さ百歩なり」となり。{文}
「百歩」とは、
人寿百歳に譬ふるなり。
「群賊・悪獣」とは、
「群賊」とは、別解・別行・異見・異執・悪見・邪心・定散自力の心なり。
「悪獣」とは、六根・六識・六塵・五陰・四大なり。
「つねに悪友に随ふ」といふは、
「悪友」とは、善友に対す、雑毒虚仮の人なり。
「〈無人空迥の沢〉といふは、悪友なり。真の善知識に値はざるなり」となり。
「真」の言は仮に対し偽に対す。
「善知識」とは、悪知識に対するなり。[1]
真の善知識、     正の善知識、
実の善知識、     是の善知識、
善の善知識、     善性人なり。
悪の知識とは、    仮の善知識、
偽の善知識、     邪の善知識、
虚の善知識、     非の善知識、
悪の善知識、     悪性人なり。
「白道四五寸」といふは、
「白道」とは、白の言は黒に対す、道の言は路に対す、白とは、すなはちこれ六度万行、定散なり。これすなはち自力小善の路なり。黒とは、すなはちこれ六趣・四生・二十五有・十二類生の黒悪道なり。
「四五寸」とは、四の言は四大、毒蛇に喩ふるなり。五の言は五陰、悪獣に喩ふるなり。
能生清浄願往生心」といふは、無上の信心、金剛の真心を発起するなり、これは如来回向の信楽なり。
「あるいは行くこと一分二分す」といふは、年歳時節に喩ふるなり。
「悪見人等」といふは、驕慢・懈怠・邪見・疑心の人なり。

【82】
 「また、西の岸の上に、人ありて喚ばうていはく、〈汝一心正念にして直ちに来れ、我能く護らん〉」といふは、

「西の岸の上に、人ありて喚ばうていはく」といふは、阿弥陀如来の誓願なり。

「汝」の言は行者なり、これすなはち必定の菩薩と名づく。龍樹大士『十住毘婆沙論』(易行品 一六)にいはく、「即時入必定」となり。曇鸞菩薩の『論』(論註・上意)には、「入正定聚之数」といへり。善導和尚は、「希有人なり、最勝人なり、妙好人なり、好人なり、上上人なり、真仏弟子なり」(散善義・意 五〇〇)といへり。「一心」の言は、真実の信心なり。「正念」の言は、選択摂取の本願なり、また第一希有の行なり、金剛不壊の心なり。

「直」の言は、回に対し迂に対するなり。また「直」の言は、方便仮門を捨てて如来大願の他力に帰するなり、諸仏出世の直説を顕さしめんと欲してなり。

「来」の言は、去に対し往に対するなり。また報土に還来せしめんと欲してなり。

「我」の言は、尽十方無礙光如来なり、不可思議光仏なり。「能」の言は、不堪に対するなり、疑心の人なり。「護」の言は、阿弥陀仏果成の正意を顕すなり、また摂取不捨を形すの貌なり、すなはちこれ現生護念なり。「念道」の言は、他力白道を念ぜよとなり。「慶楽」とは、「慶」の言は印可の言なり、獲得の言なり、「楽」の言は悦喜の言なり、歓喜踊躍なり。

【83】
 「仰いで釈迦発遣して、指へて西方に向かへたまふことを蒙る」といふは、なり。「また弥陀の悲心招喚したまふによる」といふは、なり。「いま二尊の意に信順して、水火二河を顧みず、念々に遺るることなく、かの願力の道に乗ず」といへり。

【84】
 至誠心について、難易対 彼此対 去来対 毒薬対 内外対

難易対
難とは三業修善不真実の心なり、
易とは如来願力回向の心なり。
彼此対
彼とは浄邦なり、      此とは穢国なり。
去来対
去とは釈迦仏なり、     来とは弥陀仏なり。
毒薬対
毒とは善悪雑心なり、    薬とは純一専心なり。
内外対
内は外道、外は仏教。    内は聖道、外は浄土。
内は疑情、外は信心。    内は悪性、外は善性。
内は邪、外は正。      内は虚、外は実。
内は非、外は是。      内は偽、外は真。
内は雑、外は専。      内は愚、外は賢。
内は仮、外は真。      内は退、外は進
内は疎、外は親。      内は遠、外は近
内は迂、外は直。      内は違、外は随
内は逆、外は順。      内は軽、外は重。
内は浅、外は深。      内は苦、外は楽。
内は毒、外は薬。
内は怯弱、外は強剛。    内は懈怠、外は勇猛。
内は間断、外は無間。    内は自力、外は他力。

【85】
 おほよそ心について、二種の三心あり。

一には自利の三心、     二には利他の三信なり。

【86】
 また二種の往生あり。

一には即往生、       二には便往生なり。

【87】
 ひそかに『観経』の三心往生を案ずれば、これすなはち諸機自力各別の三心なり。『大経』の三信に帰せしめんがためなり、諸機を勧誘して三信に通入せしめんと欲ふなり。三信とは、これすなはち金剛の真心、不可思議の信心海なり。また「即往生」とは、これすなはち難思議往生、真の報土なり。「便往生」とは、すなはちこれ諸機各別の業因果成の土なり、胎宮・辺地・懈慢界、双樹林下往生なり、また難思往生なりと、知るべし。

 本にいはく

建長七歳乙卯八月二十七日これを書く。

                     愚禿親鸞八十三歳


  1. 以下は『観念法門』(p.634)からの引文。善性人の善・正・実・是・真と、悪性人の偽・邪・非・虚・悪をあげておられるのだが、仮を挿入されて仮の善知識とする。仮なる法を説く者を、悪の知識とされたのであろう。