操作

WikiArc

「浄土真宗聖典目次」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
(同じ利用者による、間の24版が非表示)
1行目: 1行目:
 
[[画像:Rinyou.gif|left|50px||link=http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E6%9E%97%E9%81%8A]]<br clear="all">
 
[[画像:Rinyou.gif|left|50px||link=http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E6%9E%97%E9%81%8A]]<br clear="all">
 
+
*➡[[基本用語リンク]]
 
令和の領解文騒動について
 
令和の領解文騒動について
 
*[https://www.facebook.com/people/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E7%9C%9F%E5%AE%97%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA%E6%B4%BE-%E5%8B%A7%E5%AD%A6%E5%8F%B8%E6%95%99%E6%9C%89%E5%BF%97%E3%81%AE%E4%BC%9A/100091286410899/ ➡浄土真宗本願寺派 勧学・司教有志の会]
 
*[https://www.facebook.com/people/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E7%9C%9F%E5%AE%97%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA%E6%B4%BE-%E5%8B%A7%E5%AD%A6%E5%8F%B8%E6%95%99%E6%9C%89%E5%BF%97%E3%81%AE%E4%BC%9A/100091286410899/ ➡浄土真宗本願寺派 勧学・司教有志の会]
*[http://hongwanriki.wikidharma.org/index.php/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E9%A0%98%E8%A7%A3%E6%96%87%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B ➡新しい領解文を考える] [http://hongwanriki.wikidharma.org/index.php/%E6%96%B0%E9%A0%98%E8%A7%A3%E6%96%87/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E9%A0%98%E8%A7%A3%E6%96%87%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B 三種の失]
+
*[http://hongwanriki.wikidharma.org/index.php/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E9%A0%98%E8%A7%A3%E6%96%87%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B ➡新しい領解文を考える] [http://hongwanriki.wikidharma.org/index.php/%E6%96%B0%E9%A0%98%E8%A7%A3%E6%96%87/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E9%A0%98%E8%A7%A3%E6%96%87%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B ➡三種の失]
  
 
{{Inyou|
 
{{Inyou|
15行目: 15行目:
 
<br />
 
<br />
  
<span style="font-size:22px">生きることに意味があるように、死ぬることにも意義がある、と説くのが往生浄土の真宗です。その据わりは親鸞聖人の『教行証文類』です。</span><br clear="all">
+
<span style="font-size:22px">生きることに意味があるように、死ぬることにも意義がある、と説くのが往生浄土の真宗です。その据わりは親鸞聖人の『[[教行証文類]]』です。</span><br clear="all">
 
----
 
----
 +
<span id=mark01></span>※{{MK|➡}} {{SHD|mk01|
 
 [[宗教]]とは、[[宗]]と[[教]]え、また、宗の教えの意で[[仏教]]のもろもろの教え、あるいはその中の一つを指していう。それは自らの存在の意味を確認しようといふ「存在理解の枠組み」でもあった。この種々の[[仏教]]の中で、[[浄土真宗]]は大人の宗教だといわれる。梯實圓和上は、それを、
 
 [[宗教]]とは、[[宗]]と[[教]]え、また、宗の教えの意で[[仏教]]のもろもろの教え、あるいはその中の一つを指していう。それは自らの存在の意味を確認しようといふ「存在理解の枠組み」でもあった。この種々の[[仏教]]の中で、[[浄土真宗]]は大人の宗教だといわれる。梯實圓和上は、それを、
{{Inyou2|
+
: [[浄土教]]というのは、元来大人の宗教なんです。いい歳をして悪いことだと知りながら、性懲りもなく愛欲や憎悪の煩悩を起こし、人を<kana>妬(ねた)</kana>んだりそねんだりして、自分で悩み苦しんでいる、そんな自分の愚かさと惨めさに気づきながら、その悪循環を断ち切れない自分に絶望したところから、浄土教は始まるのです。その意味で浄土の教えは決して「きれいごと」の宗教ではありません。<br />
 [[浄土教]]というのは、元来大人の宗教なんです。いい歳をして悪いことだと知りながら、性懲りもなく愛欲や憎悪の煩悩を起こし、人を<kana>妬(ねた)</kana>んだりそねんだりして、自分で悩み苦しんでいる、そんな自分の愚かさと惨めさに気づきながら、その悪循環を断ち切れない自分に絶望したところから、浄土教は始まるのです。その意味で浄土の教えは決して「きれいごと」の宗教ではありません。<br />
+
: そうした自分のぶざまな愚かさを見すえながら、そんな自分に希望と安らぎを与えてくれる[[阿弥陀如来]]の[[本願]]のはたらきを「[[他力]]」と仰いでいるのです。だから[[他力]]とは、私を人間の常識を超えた精神の領域へと開眼させ、導く阿弥陀仏の[[本願力]]を讃える言葉だったのです。([https://www.amazon.co.jp/%E8%A6%AA%E9%B8%9E%E8%81%96%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%95%99%E3%81%88%E3%83%BB%E5%95%8F%E7%AD%94%E9%9B%86-%E6%A2%AF-%E5%AF%A6%E5%9C%93/dp/4804613137 『親鸞聖人の教え・問答集』]p.103)
 そうした自分のぶざまな愚かさを見すえながら、そんな自分に希望と安らぎを与えてくれる阿弥陀如来の本願のはたらきを「[[他力]]」と仰いでいるのです。だから[[他力]]とは、私を人間の常識を超えた精神の領域へと開眼させ、導く阿弥陀仏の[[本願力]]を讃える言葉だったのです。([https://www.amazon.co.jp/%E8%A6%AA%E9%B8%9E%E8%81%96%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%95%99%E3%81%88%E3%83%BB%E5%95%8F%E7%AD%94%E9%9B%86-%E6%A2%AF-%E5%AF%A6%E5%9C%93/dp/4804613137 『親鸞聖人の教え・問答集』]p.103)
+
と仰っておられた。その意味では[[浄土真宗]] の[[信心]]とは、[[二種深信]]の第一深信で説かれる、いわゆる[[悪人正機]]の[[法義]]でもあった。<br />
}}
+
しかし、この意を誤解して[[真宗]]の僧俗の中で、「どうせ私は[[凡夫]]ですから」と云う者がいる。しかし御開山の意によれば凡夫とは、凡夫であることを痛み自らを慚愧する語であった。この凡夫という語を「どうせ私は[[凡夫]]ですから」と怠惰の隠れ蓑として使う僧俗が多い。謙遜としての怠惰である。このような自らの内面の悪([[煩悩]])を見つめない者を「[[慙愧]]なき[[真宗]]は[[外道]]に堕する」といふゆえんである。[[浄土真宗]]とは、自らに真実が無いから[[浄土]]を[[真実]]とする[[宗教]]という意味である。[[悪業]][[煩悩]]を持つゆえ、この土で[[さとり]]を完成することが出来ないという挫折をとおして[[浄土]]へ[[往生]]して[[さとり]]を得ることを目的とする[[阿弥陀如来]]の[[本願]]の[[仏法]]である。<br />
と仰っておられた。その意味では[[浄土真宗]] の[[信心]]とは、[[二種深信]]の第一深信で説かれる、いわゆる[[悪人正機]]の宗教でもあった。自らの内面の悪([[煩悩]])を知らない真宗門徒を「慙愧なき真宗は外道に堕する」といふ所以である。[[浄土真宗]]とは、往生浄土の真実の[[宗教]]という意味である。[[悪業]][[煩悩]]を持つゆえ浄土へ往生してさとりを得させることを目的とする[[阿弥陀如来]]の[[本願]]の[[仏法]]である。<br />
+
  
 +
}}
 
<!--
 
<!--
 
<div style="font-size:large">{{Inyou|今宗の学者、 [[大蔵経|大蔵中]]の[[三部経|三部]]を学ぶなかれ、 <kana>須(すべから)</kana>く[[三部経|三部]]中の[[大蔵経|大蔵]]を学ぶべし。 三部は根本なり。 大蔵は枝末なり。 今の人、 三部を以て小となし、 大蔵を大となす、 <kana>謬(あやま)</kana>れるというべし。 「[[法霖|日渓法霖]]」→[[門余]] →[[八万四千の法門]]}}</div>
 
<div style="font-size:large">{{Inyou|今宗の学者、 [[大蔵経|大蔵中]]の[[三部経|三部]]を学ぶなかれ、 <kana>須(すべから)</kana>く[[三部経|三部]]中の[[大蔵経|大蔵]]を学ぶべし。 三部は根本なり。 大蔵は枝末なり。 今の人、 三部を以て小となし、 大蔵を大となす、 <kana>謬(あやま)</kana>れるというべし。 「[[法霖|日渓法霖]]」→[[門余]] →[[八万四千の法門]]}}</div>
 
-->
 
-->
<span style="font-size: x-large;">[[七祖-補註12|本願]]を信じ[[念仏]]を申さば仏に成る。この簡単な理を説く文類<br></span>
+
<span style="font-size: x-large;">[[七祖-補註12|本願]]を信じ[[念仏]]を申さば仏に成る。この簡単な理を説く[[文類]]<br></span>
  
 
*➡[[補註1|註釈版 補註]]
 
*➡[[補註1|註釈版 補註]]
 
*➡[[七祖-補註1|註釈版 七祖篇補註]]
 
*➡[[七祖-補註1|註釈版 七祖篇補註]]
 
*[[浄土真宗年表]]
 
*[[浄土真宗年表]]
 
+
*➡[[基本用語リンク]]
 
==浄土三部経==
 
==浄土三部経==
 
*[[仏説 無量寿経_(巻上)]]
 
*[[仏説 無量寿経_(巻上)]]
277行目: 278行目:
 
*[[醍醐本法然上人伝記#『三心料簡および御法語』|三心料簡事]] 醍醐本 上に同じ。『観経』の三心釈に独自の見解を示されている。
 
*[[醍醐本法然上人伝記#『三心料簡および御法語』|三心料簡事]] 醍醐本 上に同じ。『観経』の三心釈に独自の見解を示されている。
 
*[[聖覚法印表白文]]
 
*[[聖覚法印表白文]]
 +
*[[三部経大意]] 『真宗聖教全書』版
 
*[[三部経大意(良聖本)]] 金沢文庫本 昭和八年に発見された神奈川県の金沢文庫に襲蔵されてきた法然聖人の法語。
 
*[[三部経大意(良聖本)]] 金沢文庫本 昭和八年に発見された神奈川県の金沢文庫に襲蔵されてきた法然聖人の法語。
 
*[[三部経大意(真仏本)]] 専修寺本 真宗高田派に秘蔵されていたが金沢文庫本の公表に伴い公開された良聖本の異本。
 
*[[三部経大意(真仏本)]] 専修寺本 真宗高田派に秘蔵されていたが金沢文庫本の公表に伴い公開された良聖本の異本。
 +
*[[三部経釈]] 無量寿経釈 観無量寿経釈
  
 
*[[拾遺古徳伝絵詞]] 覚如 覚如上人撰述による法然聖人の伝記。
 
*[[拾遺古徳伝絵詞]] 覚如 覚如上人撰述による法然聖人の伝記。
321行目: 324行目:
 
*[http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%96%B0%E7%BA%82%E6%B5%84%E5%9C%9F%E5%AE%97%E5%A4%A7%E8%BE%9E%E5%85%B8:%E6%96%B0%E7%BA%82%E6%B5%84%E5%9C%9F%E5%AE%97%E5%A4%A7%E8%BE%9E%E5%85%B8%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6 WEB版新纂浄土宗大辞典](浄土宗の『浄土宗大辞典』のネット版(018/04/01 公開)。当サイトと同じくウィキペディア(Wikipedia)で使われているMediaWikiを採用したサイト。)
 
*[http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%96%B0%E7%BA%82%E6%B5%84%E5%9C%9F%E5%AE%97%E5%A4%A7%E8%BE%9E%E5%85%B8:%E6%96%B0%E7%BA%82%E6%B5%84%E5%9C%9F%E5%AE%97%E5%A4%A7%E8%BE%9E%E5%85%B8%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6 WEB版新纂浄土宗大辞典](浄土宗の『浄土宗大辞典』のネット版(018/04/01 公開)。当サイトと同じくウィキペディア(Wikipedia)で使われているMediaWikiを採用したサイト。)
  
*[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch/search/?keywd=%E6%AD%A4%E4%BA%8B%E6%A5%B5%E5%83%BB%E4%B9%9F# 浄土宗全書テキストデータベース]
+
*[https://jodoshuzensho.jp/jozensearch/ 浄土宗全書テキストデータベース]
  
 
*[https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ 大正新脩大藏經テキストデータベース]
 
*[https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ 大正新脩大藏經テキストデータベース]

2024年11月5日 (火) 11:13時点における最新版

Rinyou.gif

令和の領解文騒動について

聖典の種別:注釈版 七祖篇
聖典のページ:

親鸞聖人 熊皮の御影




生きることに意味があるように、死ぬることにも意義がある、と説くのが往生浄土の真宗です。その据わりは親鸞聖人の『教行証文類』です。


「隠/顕」

 宗教とは、え、また、宗の教えの意で仏教のもろもろの教え、あるいはその中の一つを指していう。それは自らの存在の意味を確認しようといふ「存在理解の枠組み」でもあった。この種々の仏教の中で、浄土真宗は大人の宗教だといわれる。梯實圓和上は、それを、

 浄土教というのは、元来大人の宗教なんです。いい歳をして悪いことだと知りながら、性懲りもなく愛欲や憎悪の煩悩を起こし、人を(ねた)んだりそねんだりして、自分で悩み苦しんでいる、そんな自分の愚かさと惨めさに気づきながら、その悪循環を断ち切れない自分に絶望したところから、浄土教は始まるのです。その意味で浄土の教えは決して「きれいごと」の宗教ではありません。
 そうした自分のぶざまな愚かさを見すえながら、そんな自分に希望と安らぎを与えてくれる阿弥陀如来本願のはたらきを「他力」と仰いでいるのです。だから他力とは、私を人間の常識を超えた精神の領域へと開眼させ、導く阿弥陀仏の本願力を讃える言葉だったのです。(『親鸞聖人の教え・問答集』p.103)

と仰っておられた。その意味では浄土真宗信心とは、二種深信の第一深信で説かれる、いわゆる悪人正機法義でもあった。
しかし、この意を誤解して真宗の僧俗の中で、「どうせ私は凡夫ですから」と云う者がいる。しかし御開山の意によれば凡夫とは、凡夫であることを痛み自らを慚愧する語であった。この凡夫という語を「どうせ私は凡夫ですから」と怠惰の隠れ蓑として使う僧俗が多い。謙遜としての怠惰である。このような自らの内面の悪(煩悩)を見つめない者を「慙愧なき真宗外道に堕する」といふゆえんである。浄土真宗とは、自らに真実が無いから浄土真実とする宗教という意味である。悪業煩悩を持つゆえ、この土でさとりを完成することが出来ないという挫折をとおして浄土往生してさとりを得ることを目的とする阿弥陀如来本願仏法である。

本願を信じ念仏を申さば仏に成る。この簡単な理を説く文類

浄土三部経


浄土真宗聖典 七祖篇(註釈版)

浄土真宗聖典(註釈版)第二版

  • 各巻中の一連番号をクリックすることで、読み下し、現代語、漢文(原文)、読み下しと対応する文を読むことが出来ます。

聖典に準ずるものとして浄土真宗聖典(註釈版)に掲載されているもの

註釈版に未記載の文献

註釈版に未記載の親鸞聖人の著書

  • 西方指南抄 御開山が、法然聖人の法語・消息・問答・行状記などの遺文を、収集し編纂した書物。

註釈版に未記載の先達の著述

  • 聖覚法印表白文 聖覚 御開山が『尊号真像銘文』で引文の『聖覚法印表白文』
  • 善信聖人絵 覚如 覚如上人が二十六歳の時に作られた『御伝鈔』の初稿。
  • 御文章集成 蓮如 蓮如さんのお手紙(お文)を集めて成った書。帖内のお文も含まれているが、いわゆる「帖外御文章」ともいへる。

法然聖人関連の文書

浄土門関連文献

無量寿経の異訳(現存する五存のうちの四訳)

  • 無量壽如來會   無量寿経の異訳。いわゆるシナで付加されたという三毒段・五悪段がないのが特徴。
  • 大阿弥陀経(漢文)   無量寿経の異訳。阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経といい。大阿弥陀経と称される二十四願系の経典。
  • 大乗無量寿荘厳経(漢文)   無量寿経の異訳。宋の法賢の訳で本願が三六願である、。御開山は、この経をご覧になっておられなかったのか依用されておられない。

  • 称讃浄土仏摂受経   玄奘三蔵による阿弥陀経の異訳。「諸経和讃」で、「百千倶胝の劫をへて 百千倶胝のしたをいだし…」の和讃はこの経に依る。

安心論題二十五題

浄土教の文献サイト

  • 真宗聖典検索 Web site(真宗大谷派による聖典検索サイト。検索後の頁数を含む表題をクリックすれば画像情報によって漢字のルビを参照できる)
  • WEB版新纂浄土宗大辞典(浄土宗の『浄土宗大辞典』のネット版(018/04/01 公開)。当サイトと同じくウィキペディア(Wikipedia)で使われているMediaWikiを採用したサイト。)