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菩提心について

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

2024年6月3日 (月) 12:37時点における林遊 (トーク | 投稿記録)による版 (《第四講》)

福井市 千福寺に於ける1994年度春期北陸行信0B会での梯実圓和上の「菩提心」についての講義。この講義の磯山さんのテープ起こし。聞き取れなかった部分は????で示してある。

御開山は「信文類」で「菩提心釈」(註 246) を展開され「二双四重」の「教判」を示された。その(こころ)を梯実圓和上は『論註』(註 247で引文) の「願作仏心(往相) 度衆生心(還相)」の文を引文し、浄土真宗の「ご信心」とは阿弥陀如来の「上求菩提・下化衆生」の「菩提心」であることを示された。
 阿弥陀如来衆生浄土往生させようといふ第十八願の「欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚(わが国に生ぜんと欲(おも) ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ)」とは、願作仏心欲生心であり生仏一如の「無上菩提心」であった。法然聖人が「浄土宗のこころは浄土にむまれむと願ずるを菩提心といへり」と、信楽の義別(信楽の義を別開したのが欲生)としての欲生心である、阿弥陀仏の浄土に生れようと願う心の願作仏心は欲生心である。欲生釈に「次に欲生といふは、すなはちこれ如来、諸有の群生を招喚したまふの勅命なり。」と、我が浄土へ生まれようと欲(おも)えの「招喚したまふの勅命なり」の勅命であったである。
 この阿弥陀如来の衆生済度の菩提心に「信順」することを、願作仏心の「ご信心」といふのであった。
これを、御開山は「教巻」冒頭で「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり」(註 135)の「往相願作仏心)」と「還相度衆生心)」の二回向である浄土真宗の「ご信心」といわれたのである。この「ご信心」を「大信心は仏性なり」とも「如来蔵経典」に説く、如来に蔵せられた仏の胎児(tathāgata-garbha)であることを「信知」するといふのである。

【菩提心】

《第一講》

讃題
 浄土の大菩提は願作仏心をすすめしむ。すなはち願作仏心を度衆生心と名付けたり。(註 604)
 度衆生心といふことは、弥陀智願の回向なり。回向の信楽得る人は、大般涅槃をさとるなり。(註 604)

 こんにちは、この度は「菩提心」について話しをせよと、そういう御注文でございますので、少しそういう菩提心論といいますか、そういうことについてお話しをさせて頂きたいと思います。
 この「菩提心」ということから先に……、大乗仏教の根本的な問題でございまして、「菩提」といいますのは(さと)りの智慧のことですね。「阿耨多羅三藐三菩提」といわれていますように、最高の智慧の完成を目指していく心を、それを阿耨多羅三藐三菩提といいまして、それを略して「菩提心」と申しておるわけでございます。
 その「菩提心」ということにつきましては、お経の中で色々のことを説かれておりますし、それを釈された「」、あるいは「」の中にも詳しい菩提心釈というものが行なわれている訳でございます。ただ「浄土真宗」におきましては、実はこれは大変大きな問題になったわけなんですね。
 それは法然聖人が『選択集』の中でですね、「阿弥陀様のお救いにあずかるのは本願に説かれたお念仏ひとつで充分なんだ。それ以外何ものもいらないんだ。」と、そうおっしゃいまして、念仏以外に何物も救いの為に必要としないと、こうおっしゃったわけですね。そのことを法然聖人は『選択集』の中で詳しくおっしゃるわけですが、その中にですね「菩提心」も入っているわけですね。菩提心が必ずしもなくても、往生のさしつかえがない。こういうふうにおっしゃったわけですね。
 菩提心が無くたって、お念仏だに申せば必ず往生するんだとこういうふうにおっしゃったわけなんです。そのことが大変大きな問題となりまして、「法然は、菩提心は往生の為に不必要だと言った。しかし菩提心を無視して仏道というものはあり得ないじゃないか。仏道というものは、仏になろうという心に促(うなが)されて成立するんだ。その仏になろうとする心、つまり完全な目覚めですね。(仏陀、菩提)その完全な目覚めの智慧の完成を目指すというのが仏教なんだから、仏に成ろうとするのが仏教なんだから、仏に成ろうとする心が必要ないと、そんなことを言ってしまったら仏教じゃなくなってしまうじゃないか? 念仏といってもその基礎に菩提心があって初めて、念仏というのが仏道として意味を持つんだ。それを菩提心を否定してしまってどこに仏道があるんだ。そんなものは邪道だ。法然の教えというのはあれは仏教じゃない。外道だ!邪道だ!」というような論難が起きたわけですね。

 そういう論難をした最たる人が栂尾の明恵上人高弁という人でした。この人は、歳は親鸞聖人と同い年なんですね。だから法然聖人よりも歳は四十歳下なんです。法然聖人が亡くなった直後にですね……、おそらく在世中からご覧になっておったと思うのですけど、『選択集』が出版されたのですね。開版になったといわれております。これ、建暦版といわれるものなんですが、現在残っておりません。一冊も残っておりません。ただそういわれておるわけですが、法然聖人が亡くなられた直後に出版された、その建暦版の『選択集』を読んで、そしてその明恵上人が大変腹をたてられるんですね。腹をたてるというよりも義憤を感じたわけですね。
 今まで法然聖人という方は戒律をキッチリと保った、持戒堅固な清僧だと思っておった。法然聖人の教えについて色々と非難する人があるけれども、あれは法然が悪いんじゃあない。法然を誤解した弟子達が悪いんだ。その為に法然聖人までそのとばっちりをくって、流罪になったりした、そういうまことに気の毒な人だと思っておった。ところが『選択集』を読んでみて、なんだこいつが張本人なんだと、まさに専修念仏の連中の、あの異端・邪説というものの張本はここにあったということが判った。特にその中でも菩提心を無視するという、そういう説は絶対に仏教者として許せない。ということで『選択集註摧邪輪』を『一向専修選択集註摧邪輪』という上・中・下、三巻の書物を出しまして、強烈な論難をしたわけですね。
 続いてさらに『摧邪輪荘厳記』という一巻の書物を書きました。全部で四巻書きました。そして、もう法然聖人は亡くなっておりましたけれども、法然滅後の専修念仏者にその邪を改めるように、邪宗、邪(よこしま) な見解を改めるようにと迫ったわけですね。こういう事件があったわけなんです。

 それで法然門下の人達は何等かのかたちでこの明恵の論難に応答しなければならない思想責任がある。無視していいものではない。そこで法然門下の人達はこの問題と格闘していくわけなんですね。法然聖人が菩提心を捨てよと言われたことと、そして明恵が言っているように菩提心こそ仏道というものの中核であるということと、このふたつをどう統合するか。それが法然門下の学僧たちに課せられたひとつの課題であったわけでございます。
 実は親鸞聖人もそうした課題を背負うて、そして思索と体験を深めていくわけでございますが、そういう中で『教行証文類』の、ことに「信文類」というものが成立していくわけでございます。
 これはちょっと結論的なものになりますけれど、親鸞聖人が「信文類」の中で「信心正因である」ということをおっしゃるのですが、信心が成仏正因であるということを親鸞聖人はおっしゃるのですが、これは実は「信心」が「菩提心」であるからだ。だから「正因」といわれる意味があるんだ。これは実は「菩提心正因説」というものとキッチリと対応させて、そして「信心正因説」というものを確立していくわけなんですね。
 いわば論難をひとつの契機としながら法然聖人の教えというものを深めていく。そして、おそらく法然聖人もこの……、まぁ、法然もビックリ!と言ったらおかしいけれども、法然聖人もビックリしなさるほどの説が完成していくわけですね。これが『教行証文類』の「信文類」で明かそうとするひとつの意味であったわけです。それほど「菩提心論」というのは親鸞聖人にとっても重大な問題であったということですね。

 まぁそういうことでございますので、いったい菩提心とは何なのか? そしてそれはどの様に味あわれてきたか? そして法然聖人は何故菩提心を無視されたのか? そして親鸞聖人はどうしてもう一度菩提心を復活したのか? そのへんのところを基礎的に捉(とら)えていく必要があるのだろうと思うのですね。それはそのまま親鸞聖人の教えというものの特色というものを理解する一助にもなるわけでございます。
 実は親鸞聖人は、この信心は菩提心だということを言われるときに、その依りどころとされたのは曇鸞大師の『往生論註』なんですね。もちろんこれは『往生論註』そのままではとても信心の徳としての菩提心というものは出て来ません。やはり『往生論註』の文章というものを親鸞聖人流に読み切っていくところから出て来るわけですが、いったい菩提心というものがどういうものかということですね。
 基本的にそういう問題を追及した人が七高僧で申しますと源信僧都でございますね。
源信僧都の『往生要集』の中に、この菩提心というものが非常に詳しく、そして重大な意味を持つものとして著されておるわけでございます。
 このあいだから「原典版聖典の七祖篇」というのが出ましたので、これは上の方に本文を出しまして、下の方に読み下し文が出ておるのです。だからまぁ、使い易いものですね。やがてこれももっと詳しく、「七祖聖教の注釈版」がこれからつくられていきますけども、とりあえず「原典版聖典七祖篇」を見て頂いたら、菩提心というものがいったい何であるかということが大変ここに詳しく出ておるわけですね。
 これは「原典版聖典の七祖篇」、『往生要集』の上巻ですね。頁で言いますと一〇〇七頁から一〇四一頁(註釈版ではp.902~)まで、随分長いんですよ、この作願門の釈というのはね。これ「五念門」の中の作願門ですね。これは『往生論註』なんかで言うている「作願門」とは全然違うのです。この五念門行というのはもともと天親菩薩の『浄土論』にいわれているんですね。それを曇鸞大師も注釈されているんです。
 もっともこの『往生要集』を書かれた源信僧都は、天親菩薩の『浄土論』はお読みになっていますけどね、曇鸞大師の『論註』は読んでいらしゃらないんです。その当時、『論註』は未だ源信僧都の目に触れるところになかったわけですね。奈良にはあったんですよ、南都にはね。正倉院の御物(ぎょぶつ) の経録を見ますと、写経目録を見ますと、既に奈良時代に『論註』が書写されておりますし、そして実際奈良時代に「智光」という人が、元興寺のお坊さんですが、『論註』を使って『無量寿経論釈』というのを書いているわけですね。ただし智光はね、『論註』を使ったということは書いていないんですよ、書いてないようなんです。智光の書そのものは現在残ってないんです。引用されたものを集めて、断片的に窺い知ることぐらいでね。詳しい事は判らないんです。
 だから源信僧都もね、『論註』の存在というものを薄々とは知っておられたんでしょうが自分ではご存知ないのです。智光の書は読んでらっしゃるんですがね。
 そういうことで、ここにはね天親菩薩の『浄土論』と、それから道綽禅師の『安楽集』に、『論註』を受けて <浄土に往生しようとおもふ者は、すべからく菩提心を発すをみなもととすべし。(七祖 202)>、「菩提心を発すということが浄土を願生する者の根源になるんだ。菩提心によって念仏も、あらゆる行もそこから出て来るんだ。だから浄土に往生する者は菩提心を発(おこ)すことを源(みなもと) とせよ。」ということを『安楽集』の中で道綽禅師はおっしゃっているんです。
 <いかんとなれば、「菩提」といふはすなはちこれ無上仏道の名なり。(七祖 202)> 「菩提心」の「菩提」というのは無上仏道阿耨多羅三藐三菩提ですね、最高の覚りということですが、<もし発心して、仏に作(な)ろうとおもふ者は、この心は広大にして法界遍周す。この心は長遠にして未来際を尽くす。この心はあまねく二乗の障りを離る。もしよくひとたびこの心を発すれば、無始生死の有輪を傾く(七祖 202)> こういうふうにおっしゃっているわけですね。
 これは『浄土論』の、いや『安楽集』の言葉です。実はね、先程も言いました、栂尾の明恵上人あたりが法然聖人を論難するときに、こういう文章を用いるわけですね。「法然聖人は善導大師に依る、道綽禅師に依ると言っているけど、道綽禅師だって、善導大師だって菩提心を大切にしていらっしゃるじゃないか? 菩提心が根源だとおっしゃっているじゃないか? 菩提心を否定した善導なんて考えられないじゃないか? だから道綽善導に依っていると言うけれども、まったくお前の説は道綽善導とは違う。だから許せないんだ。」と言って論難しているんですね。
 その通りなんで、明恵上人の言う通りなんで、『安楽集』にはちゃんと、菩提心を発すことが浄土に往生することの源(みなもと)になるんだと書いてある。善導大師もね、『観経』の注釈を書かれる一番しょっぱなに「帰三宝偈」(七祖 297) というのをおきまして、それで <願わくばこの功徳をもって平等に一切に施し、同じく菩提心を発して安楽国に往生せん。(七祖 299)> と言っておられますね。そりゃもう、『四帖疏』(『観経疏』四巻) をお書きになった一番最後、『散善義』の一番最後は、やはりそうでしてね、菩提心を発そうということを自他共に呼び掛けていらっしゃるんですね。(七祖 504)
 その菩提心の内容というものを道綽禅師によって『往生要集』は詳しく釈していくわけなんですよ。源信僧都は『四帖疏』は読んでられないみたいですね。『四帖疏』をもし読んでられたとしても、それはせいぜい「玄義分」ぐらいなものでしょうし、「玄義分」も本当に読んでいらっしゃらないようですね。「玄義分」の文章を引かれていますけれども孫引きじゃないかなと思うのですね。直接の言葉じゃなくて義だけを引いてあるのですが、どうも孫引きのような感じがする。その意味で源信僧都は『論註』も読んでらっしゃらないし、善導大師の『観経四帖疏』も読んでいらっしゃらないようですね。
 このふたつの書物が南都(奈良)から北嶺(京都)へやって来まして……、京都近辺にこのふたつの書物がやって来ますのは源信僧都が亡くなって五十年くらい経ってからなんです。宇治の平等院で、そこの南泉房という所で、源隆国(みなもとのたかくに) が中心になって編纂した『安養集』で初めてその書物が現れて来るのでね、源信僧都が亡くなって五十年くらい経っているんですね。その頃に南都から京都に来たようですね。

 昔はね、今日我々が考えるのと全然違うんですね。情報の伝達というのは極めて遅いんですよね。今だったら書物なんて出たら何処へでも駆け巡りますけども、この当時は中々あっても読めない。またそれが中々伝達してこないというようなことがあるわけです。まぁその点、私等随分沢山 本が読めるというのは有難いことですけどね。もっともまた、その情報が多すぎて、その中に埋没してしまってアップアップしているというような状態で取捨選択が出来なくなってしまったというようなところもありますけどね。難しいところですわ。あんまりいらんことを言ってたらなんですが……。

 ここで、その『安楽集』の文章に依りまして、<まさに知るべし、菩提心は、これ浄土菩提の綱要なり。(要集 903)> 「浄土の菩提」ですね。「浄土に於いて覚りを完成していくことの一番の要である。」こうおっしゃいまして、そのことを詳しく述べていくというので菩提心の釈が行なわれていくんです。
 それで先程言いましたように、菩提心ということはどういうことかと言えば、これはもう一番簡単に言えばこういうことなんだと、それは仏に成ろうという心だ。菩提といいますのは「覚り」ですから、覚りの智慧。菩提というのは「覚りの智慧」のことですね。
 仏陀(ブッダ)というのも「目覚めたお方」ということですね。 「ブッドゥ」という「目が覚める」という言葉を語根としているもので、「ブッドゥ」にせよ「ボディヒ」にせよ、どちらも「目覚める」、「真実に目覚める」ということから出た言葉ですね。そこから「真実に目覚めたお方」、それが仏陀(ブッダ)ということです。その真実に目覚める智慧、そういう目覚めの智慧を菩提と呼んでいるんですね。ですから菩提心というのは仏に成ろうと願う心ですね。願作仏心=仏になろうと願う心。
 もう少し詳しく言うと、上求菩提・下化衆生の心というんだと、こう言うんですね。
菩提心というのはちゃんとこう定義がしてあります。菩提心というのは「願作仏心」、これは仏になろうと願う心です。ところがその仏ですね、問題は。「仏」とは本来何なのかと言うと、目覚めの智慧を完成された方であるのと同時に、人々を目覚めさせる人なんですね。自分が目覚めの智慧を完成すると同時に人々を目覚めさせる方なんです。仏陀(ブッダ)というのは、自らも目覚め(自覚)と同時に他を目覚めさせる(覚他)。
 「自覚」とは自ら目覚める。自覚するとは目を覚ますこと。真実に目を覚(さ)ますこと。真実を知ること。真実をさとること。これを「自覚」とこう言う。これは我々が今使っている「自覚」という言葉と、ちょっと違いますね。今使っている「自覚」というのは、なんか自分で自分を知るというようなこと、そういう意味のようですね。
 そりゃまぁ、「自覚」というのはね、真実に目覚めるということは、自己の本来のありよう、すがたというものに目覚めるという事だというふうに言えば、「自覚」ということが自己に目覚めるということでもありますけどね。そのときの「自己」は見せ掛けの自己とは違う。見せ掛けの自己じゃあなくて、本当の自己。私が「私」と言っている自己じゃあないんですね。インドでは私が普通言っている「私」というのは「アッハァム」という言葉で表わすのです。こりゃ私ですね。
 ところがもうひとつ「私」がある。これは「アートマン Ātman」という言葉で表わす。その場合はね、自己を超えた、そして自己をして自己たらしめている自己の根源的なものということなんです。そりゃあ宇宙的な、この天地を包むようなもの。宇宙的な、なんて言葉を使えば……、いや宇宙というよりも、万物を包含していくような、そういう自己なんです。自分でないものがひとつもない。全てが自分である。全てが自己であるというような自己なんですね。[1]
 だから全てが自己であるというような自己ですから、もう自己とは言えないですね。自己とか他己とかいう言葉がないんですね。自とか他とかいう言葉がない。あえてそれが自己の根源であるということで、真の自己というにしても、あるいは自らの心自身という言葉で表わしても、それはもぅかたちがありますよ。かたちがあれば私とは、我と我でないものとこうなれば、私があるということになりますから、かたちのない、いわゆるホームレス・セルフといいますか、そういうかたちのない自己。それがしかし宇宙を包含するような、万物を包含するような、そういう自己。そういうものに目覚めることだという意味では「自覚」というのは、自己に目覚めると言ってもいいんだけどね。
 普通に言っている「自分に目覚める」といようなこととは違うんですね。私等が普通、自己を自己として見るというのは、自分でないものと比べて「私は私でないものでない」というかたちで自覚しますからね。「私は私でないものでない」というかたちで自分を知るんでしょ。そのときの自分というのは、自分以外の者と切り放された自分ですよね。
そういうものに目覚める、そういうかたちで自己というものを確立していく。いわゆるアイデンテティなんてものはそういうことで言うんですね。アイデンテティを確立するというのはそういう意味で言うのですね。そのへんで仏教で言う「自覚」とこの「自覚」とは全然違うんです。
 仏教でいう「自覚」は自ら目覚めるということであり、自ら目覚めるというのは、何に自ら目覚めるのかといえば、自己の本来のすがたに目覚める。その自己の本来のすがたとは何かといえば、かたちのない天地を包むような、万物を包含するようなもの、それが私の根源である。そういうことに目覚めるんだとこういうんですね。これが「自覚」ということなんです。
 そして自ら目覚めると同時に、そういう目覚めを持たないで他と自他を区別して、そして自他を区別して迷っていく、そういうものを目覚めさせる。これを「覚他」、他をして目覚めさせる。だけど他をして目覚めさせるとは何かと言ったら、他も自もひとつだよということに目覚めさせるということなんで、これ他を目覚めさせるということは、他が自であるということに目覚めさせるということだからややこしい話しだ、こんなことを言い出したら。

 とにかく「自覚・覚他」、自ら目覚めると共に他をして目覚めさせる。そういう「自覚」と「覚他」という目覚めの行ないが「覚行」、それが究極まで円満した人、完成した人、「満」というのは満ち足りるということで、完成するということですね。そこで自ら目覚め、他を目覚めさせるという、そういう目覚めの行ないが究極まで完成した、そういう方を「仏」と呼ぶんだ。これを「自覚・覚他・覚行窮満」(七祖 301)、それを「仏」と呼ぶんだ。だから仏陀(ブッダ)とは目覚めたお方という意味だけれども、自ら目覚めると同時に他も目覚めさせるという、自他を目覚めさせる そういう「智慧」のはたらきが完成したお方ということですから、「自覚」ということと、「覚他」ということが此にあるわけですね。
 「自覚」というのは自ら目覚めることによって、自らが自己から解放される。自分が自分から解放されていく。そして自他を超えた領域、自他一如の領域に達するわけですね。こういう事を自らを利する、これを「自利」というのです。利自と言ってもいいんだけれども、自らを利するということです。
 それに対して「覚他」というのは、これは他を利する。他の人達に利益を与えていく。
自らに利益を与えると同時に他に利益をあたえる。自らに利益をあたえるということは、自己が迷いから解放されて完全な安らぎの境地に到達すること。それはそうですわね、宇宙を包むような自己というものに目覚めたら、もう死なんものな。
 自分でないものはないんだということになってしまったら、天地我ならざるはなしということになってしまったら、「お前は誰だ?」「お前はわしじゃ。」「わしは誰だ?」「お前じゃ。」[2] ということになってしまったら、「他人の物は俺の物」「俺の物は俺の物」と……、そりゃイカンわ。そんなになると、「ひとの物は俺の物」「俺の物はひとの物」というふうに、全くとらわれがなくなってしまうから、実に豊かな大らかな領域が開けてくるはずなんですな。 はずなんですと言うたら何ですが、そんなふうに書いてあるだけのことで、わしゃとても確認出来ませんから……。これが「自利」。
 それから「利他」、他を利する。他をしてそのような境地に至らしむる。 だから自他共に本当の意味での豊かな充実した安らぎを完成する。そういうことが仏に成る、「阿耨多羅三藐三菩提」、菩提を完成するということなんだ。だから菩提の完成を目指すというのは自覚・覚他の、自利利他の完成を目指すということですから、そのことをもっと言い換えますとこの菩提心ということは、自利利他の完成を目指すということで、菩提心というのは端的に言ったら「願作仏心」ということだけれども、もう少し詳しく言いますと「上求菩提」(上は菩提を求め)・「下化衆生」(下は衆生を教化する)ということなんだ。これが菩提心ということだ。
 上は覚りの智慧の完成を求め、そして一切の衆生、生きとし生きる全ての者を目覚めさせていこうとする自利利他の完成を目指す。「自利」というのは、その、自分を救うというのはこれは「智慧」ですね。智慧を開く。智慧の目を開くことによって自分自身を救うていくわけですからね。
 同時に「利他」ということは、他を利するということは、他の人々の迷いを自らの責任に於いてそれを背負うて人々をその苦しみから解放しようということですから、これは「慈悲」ということになりますね。
 つまり菩提心というものは「智慧」と「慈悲」の完成を目指すもの。自らの覚りの完成を求め、同時に全ての人々に真実の安らぎを与えていこうとする「智慧」と「慈悲」のはたらき、しかしその根底にあるのは「智慧」ですね。仏教というのは非常に知的な宗教なんですね。慈悲といってもそれは智慧のはたらきなんですね。
 ただ「かわいそうにな」「気の毒にな」と言っておっても何も生まれて来やしませんからな。迷うている人を救うのは智慧なんですよね。道に迷って困っている人に、千福寺さんへ行くにはどう行けばいいんでしょうか? と迷っている人にね、「あんた迷っておいでなんですか。それはお困りですなぁ。いや、道に迷うというのは困ったもんでして、私も去年 道に迷ったときは難義しました。」そんなことを一日中言っていたとしても、どうにもならん。時間のロスだ。
 そうじゃないですね。「それだったらこの道を行きなさい。この道を真っ直ぐ行って、左の方へ曲って、そしてちょっと行った所にお寺が見えますよ。それが千福寺さんですよ。」というふうに道を教えにゃならん。道を教えるということは道を知ることですね。
道を知った者が、道を知らずに迷うている人に道を教える、これが智慧です。智慧が人を導くことを慈悲というのです。
 ですから智慧と慈悲というのは一体のものなんです。智慧が人々を導いていくことが慈悲である。真実の慈悲というのは智慧のはたらきですね。ですから全体として菩提心、覚りの智慧の完成を目指す。その智慧が自らを救い、人を救うということですね。これが実は「菩提心」ということだということです。そういう意味で菩提心というものの本質は覚りの智慧である。仏教ではその智慧のことを「般若波羅蜜(はんにゃ-はらみつ)」とこう言うのですね。「般若波羅蜜(プラジュナーパーラミータ)」ということで言うています。
 このあいだお彼岸がありましたが、この智慧によって彼岸に渡るというふうに注釈をしまして、智慧によりて彼の岸へ渡るということでね、そういうことを言いますが、とにかくこうして智慧の完成を求めること。それは自ずから、自ら目覚めると同時に他をして目覚めさせるということ、こういうことが実は「菩提心」ということの内容なんだ。これが仏教というものなんだ。これが仏道というものなんだということなんですね。

 だから「これを捨ててどこに仏道があるか?」という明恵上人の論難も、彼の立場から言えば分かるんですね。ただ、法然聖人はもうひとひねり違ったところでものを言っていらっしゃるんだけど、そこまで彼(明恵)の理解が行き届かなかったとしても、まぁ無理ないでしょうね。けどもそれを親鸞聖人はもう一度展開をしていくわけですね。
 さぁ、そこでもう少しいいますと、この「上求菩提・下化衆生」という心、これが菩提心というものだが、それを <別してこれを四弘誓願といふ。(要集 P.903)> とこう言っているんですね。この自利利他の心を四つの広く大きな願いということで、「四弘誓願」ということで表わされておるということですね。四つの広い誓願。「誓」というのは誓い。「願」というのは願い。「弘」というのは「広弘」、広いということなんですね。四つの大きな広い誓いと願い、これを「四弘誓願」と呼ぶわけなんです。
 その「四弘誓願」に縁事の四弘誓願と、縁理の四弘誓願があると……。ここから先はすごく教義的になるんですが、そんな難しいことは別としまして、とにかく「四弘誓願」ということがある。
 それはどういうことかと言えば、一つには「衆生無辺誓願度」ということだ。それから二つには「煩悩無辺誓願断」、これ言い方色々あるんです。この「煩悩無辺」というところは「煩悩無尽」と書いてあったり、あるいは「煩悩無数」と書いてあったりしますけれども、まぁこの源信僧都は「煩悩無辺誓願断」と言ってられますね。それから三つには「法門無尽誓願知」、これも「法門無量誓願学」とこういうふうに言われる場合もありますね。書物によって少しづつ言葉が変るときがあります。それから第四番目のところに「無上菩提誓願証」、これも「仏道無上誓願成」という場合があります。ですからいろんな言い方があります。けど今この『往生要集』はこのように出されていますね。
 「衆生無辺誓願度」、「煩悩無辺誓願断」、「法門無尽誓願知」、「無上菩提誓願証」と、これを「度」・「断」・「知」・「証」というふうに昔から、度(ど)・断(だん)・知(ち)・証(しょう)の「四弘誓願」というふうに言い慣わしておるのでございますね。
 仏道を学ぼうとする人は先ず第一にこの願いを発(おこ) すわけですね。これは比叡山でもそうですし、高野山でもそうですね。高野山でございましたら、お坊さんになろうと思いましたら先ず具足戒を受けるんです。そしてさらに三摩耶戒というのを受けまして、そしてこの「四弘誓願」を称える。比叡山でしたら、金剛戒、金剛法戒と云いますけれども円頓戒という大乗戒を受けます。「十重四十八軽戒」という、全部で五十八種類の戒律を受けます。そして十重禁戒四十八軽戒ですね。それを受けまして、それからこの「四弘誓願」を称えて、それで菩薩僧として出発を始めるわけですね。覚りを求める出家として出発すると、こういうことになるわけですね。
 だからまぁ「菩提心」というのはいちばん具体的には、この「四弘誓願」というかたちで表わされておるわけです。そこに色々な教義論的な意味を『往生要集』はあらわしておられますけれども、しかしそれよりも一番基本的なこの「四弘誓願」、それがいったい何であるかということを先ず我々は知っておかなければならないということでしょうね。
 それではちょっと休憩をしましてからこの「四弘誓願」の説明をさせて頂きましょうかね。南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・・・。

二十八日第一講終了

《第二講》

 それではもう少しお話しを続けさせて頂きましょう。全体として何時に終わればよろしいのですか? 「六時から夕食ですので、五時半前くらいに終わって頂ければ……。」そうですか。それじゃあもう一回休憩をさせて頂いて……。

 それで菩提心というのは具体的には「四弘誓願」で表わされるような、そういう願いであるということが『往生要集』にいわれているわけです。先ず、「衆生無辺誓願度」というのはですね、一切の衆生を誓って「済度」しようと願う事ですね。ですからこれは正に利他の誓願ということになります。「下化衆生」のことですね。自覚に対して覚他ということになります。これを見ますと先ず衆生の救済、一切の衆生を救済しようということを一番最初に誓っている。このすがたを見ますと、菩提心というのは先ず「利他」を先にしているということが判るのですね。利他を先にして自利を後にするということが分かります。衆生の救済、全ての人々の救済を目指す。
 したがって、その為に人々を救済出来るような人間になる。その為に後の自利の行が必要になってくる。色々な事を学ぶのも、煩悩を断ち切るのも、全てそれは人々を救済出来る人間になる為だということになりますね。利他の為に自利を行ずるのであって、自利の為に利他をするのではないというのが大乗菩薩道の特色なんですよ。人々に幸せをもたらす為に修業し、学問をしていくのであって、自分が覚りを開く為に修業していくんじゃない。同じ事でもそこは大分違いますね。
 医学生が医学を学ぶときに、何の為に医学を学ぶのかといいますと、そりゃぁ社会的に高い地位と名声と、そして富を獲得する為に医学を学び医者になるんだという、そういう人もいらっしゃるだろうと思いますね。けどまた反対に、病気の為に苦しみ悩んでいる人達を、その苦しみを少しでも軽減してあげる為に、少しでも病気の苦痛から人々を解放する為に、その為に医学を学ぶという人。そういう人とね、同じように勉強し、同じ様に技術を修得していったとしましても、その願いによって学問と技術の修得がどういうことに使われるかという大きな分かれ目になるんですね。
 昔から医は「仁術」だと申します。仁術の仁というのは思いやりの心ですからね。所謂、惻隠の情とこういわれていますからね。人々の苦しみ悩みを思いやる。その人々の病による苦しみや辛(つら)さを少しでも軽減させるよう、そういう願いによって技術を修得した人。それはその技術の全てを、自分の学問の全てを挙げて人々の救済の為に働いていくようになりますね。
 反対に、地位と、名誉と、財産を目的として医学を勉強したということになりますと、これは非常に危険な状態が出て来るわけでして、この人に取って医は仁術じゃあなくて、算術であるということで、如何に儲けるかということに終始をするという。そういうことでいらん薬を沢山出して薬浸けにして、そして点数を稼いでというようなことになりますとこれは大変危険な医者ということになるわけでしょうね。
 同じ学問をし、修業しましても、その学問と修業がどんな誓願によって導かれているかということによって意味が変ってくる。「行は願によって転ずる」 行(おこ)ないというものは願いによってその意味を変えるんだ[3]。だから「願」が大事なんだということを仏教では大変強調するのはそういうことなんですね。
 そういうことで、仏道というのは自分が安らかな境地に到達するという、ただそれだけを目指して修業するのではないんだ。自分が覚りを開くということは人々を覚らすことの出来る力を持った人間になる為だ。そりゃそうですわな。自分が覚らずに他人を覚らすわけにはいきませんでね。自分が判らずに人を判らすというのはそりゃ無理ですよ。だから(自分でも)判っておらん人の話しを聞くのは……、あれは口害だ。わしもその口害を撒き散らしておる一人なのかもしれんが、まぁ出来るだけ正確に(御開山の)受け売りをしたいと思いますので……。まぁ話しがあっちこっちに飛びましたが。

 「衆生無辺誓願度」、そういうところから始まる。生きとし生きる全ての者、それは無辺だ、ほとりが無いんだ。そのほとり無き衆生を悉く救済していこうという誓願に生きる者、これをボディサットバ、菩薩と言うんだ。これはしかし大変なことなんですよ。また後に詳しく申しますけれども、これは極めて崇高な言葉ですね。しかし崇高な言葉ですけどね、この言葉が本当に出て来るところには一切の衆生との連体感というものがあるはずなんですよ。生きとし生きる全ての者と連帯していく。そういう連体感がなかったらこういう言葉は出て来やしませんわね。言うたとしても空々しいです。わたしが「衆生無辺誓願度」と言っても、ただ口で言うているだけのことですね。ちっとも実感がない。だからそれを聞いていられたって、あなた方ちっとも感動を受けられないですね。私にそういう実感がないから。
 ところが本当の意味で、生きとし生ける全ての者を救うていこうという誓願を発(おこ)したときは、その人は一切の衆生と命の連帯、生命の深い連体感というものを持って、生きとし生きる全ての為に私は限りなく命を捧げているんだというような、そういう極めて崇高な心をあらわしているわけですね。
 だから「衆生無辺誓願度」という言葉をもし本気で言えたとしたら、その人にはもはや死はないわけです。その人には死はありません。死んでいる暇がありゃしません。もし私がこの世の中に生きている間に、一人といえどもまともに救うことが出来ないんだから。それだったら、あんた一生何をして来たんだ。「衆生無辺誓願度」と言って、人々を救うたか? 実はなんにも出来てないというんだったら、こりゃえらいこっちゃ。これは実に空しく一生を送ったことになる。だからやはり自分の全存在を挙げて、一人一人の救いに命をかけていく。それが菩薩の生き方なんだということですね。
 一人でも救われる人があれば、救い得る御縁がある人があれば、そこで身を捨てよ。それはすたらぬ(一代記 P.1268)と蓮如上人もおっしゃっていますが、あれは強烈な言葉ですよね。
一人でも救う人があれば身を捨てよ。それはすたらぬなり。それは捨てたことにならん。それが本当の生きることなんだ。身を捨てることが生きることなんだ。それが菩薩道ということなんだ。だから仏法では捨身(しゃ-しん)、身を捨てるということが言われているから、だから身を捨てるということは、それをしたからといって恩を着せるべきことではない。当然の事をしたことになるんだよと蓮如上人はおっしゃっていますが、凄い事をおっしゃる。

 まぁ、しかしあの人なんかは、なんですなぁ、やはり捨身の生き方というものをやった人なんでしょうね。やっぱりちょっと違うんですね。まぁ蓮如上人は色々な評価をされていますけれども、やはり捨身の生き方をした人の持つ凄味というものがありますな。あの凄味は捨身になった人間だけが持つことなんでしょうね。御開山にもそういう処(ところ) があります。蓮如上人にもそういうところがある。だから人の心を打つんでしょうね。あの方はやはり凄い人ですよ。
 今日は蓮如上人の話しをするつもりはないんだけれど、おそらくね、あの捨身になったというのはね、やはり本願寺が潰(つぶ)されたということが、あの方に影響を与えたのでしょうね。二百年間住み慣れた本願寺(大谷本願寺)を、比叡山の為に叩き潰された。それで追い出された。(寛正の法難
それからでしょうね、あの人の本格的な捨身の伝道というのは。それまではどうもそれほどまではいってなかったんじゃないかな。そりゃ一所懸命やろうとはしておられたけどね。変な言い方かもしらんけど、一所懸命やっておられた。だけどあのときから捨身の凄味が出て来るんですね。やはりあの迫害があの人を捨身にさせたんだろう。
 御開山もやはりそうだと思うのですね。三十五歳で流罪になって、そして越後に流された。あの時点でやはりあの人も捨身になったんでしょうね。「わしゃ捨身(すてみ)じゃ」とやけくそになってよく言いますが、あの人はヤケクソじゃないですよ。非常に冷静な捨身が成就する。そういうところがあるようですね。なんだかんだと言いますが、やはり蓮如上人というのは凄い人だと私は思うのですね。まぁちょっと話しが横へそれましたけれど……。

 「衆生無辺誓願度」というのはそういう捨身の誓願なんですよ。ですから本当にこの誓願が発せたら、その瞬間にその人は仏様と等しい位置にあるんだ、こう云われてきたんです。『華厳経』の中に <初発心時(しょ-ほっしんじ)、便成正覚( べんじょう-しょうがく)> という言葉がありますね。「初発心時」というのは初めて発心した時、すなわち正覚を成ずるというんです。「初めて、発心時」というのは菩提心を発した時ですね、すなわち正覚を成ずるとこう言われたのですね。これを「信満成仏(しんまん-じょうぶつ)」と言うてですね。
 教義的には「信満成仏」と言いますがね、<十信の満位において仏に成る> 。
「十信の満位」というのは「衆生無辺誓願度」というこの「四弘誓願」が本当の意味で発すことが出来る心になった、心の開きが見えた。そのときは もうその人は如来と等しい位置にあるんだということで「信満成仏」と言うんですね。

 実は菩提心というのは言葉は簡単ですけどね、それを本気で発すというのは大変なことなんだということですね。
 次の「煩悩無辺誓願断」、あるいは「煩悩無尽誓願断」とこういわれていますが、煩悩、果てしない煩悩、煩悩というのは私の体全体がある意味では煩悩のかたまりなんですからね。
私はこの細胞のひとかけらにいたるまで、自分と他人とをきちっと区別して、そして自己を拡大し、自己を保存していこうという、そういう欲望が満ち満ちているんですからね。
 だから細胞だって、ちゃんとその中に自と他を区別する能力を備えていますよね。遺伝子のDNAがもう既にそういう抗体を造り出していく能力を持っているわけです。抗体というのはそうでしょ。抗体反応というのは自分と自分でない物とを区別していく。そして自分でない物は自分を侵すことを許さない。他が自分の領分を侵すことは許さないというのが抗体反応ですよね。
 ですからこれは細胞のひとかけらまで自己保存の為にそういうふうになっているんです。そして自己拡張の為に細胞は絶えず分裂を繰り返して自己を作り替え、そして拡大していこうといるわけですね。そして自己を侵すものがあれば、それを許さない。その為にはちゃんと指令を出して、自分以外の物が侵入して来たら撃退するというふうにちゃんと出来ているわけです。そこに欠陥がおきたら死なにゃならんということになりますわな。免疫不全というのになりましたらこれはもう死を意味することになるわけですね。
 そうしますと我々の細胞のひとかけらまで、その意味で自己中心的な想念が満ちていると言ってもいいわけなんです。だから煩悩を断ち切っていくというのは、自己が自己でなくなってしまうということなんですからね。これは凄く危険な問題なんですよね。
よほど巧くコントロールしないと……、本当の意味で自己を超えるというのはよっぽどうまい「智慧」によるコントロールがないと出来ないことなんですよ。これは難しい問題だと思うのですよね。
 自己が自己でなくなる。なくなりゃいいじゃないかというので、それをとことん押し詰めようとしますと苦行主義になってしまうんです。先ず、ものの命を取ってはいけないんだったら食べちゃだめだ。断食ですね。断食が最高の功徳であるという、そういうふうな価値観が生まれてくるんです。これがジャイナ教なんですね。
 そういうジャイナ教的なかたちになりますと、どこか歪(いびつ)なものが出て来る。早い話しが農民はジャイナ教徒にはなれない。商人だけですね。まぁ商人層を捉えたからジャイナ教はインドの社会の中では結構生き延びてきたんだけどね。
 何故かというと農民は生き物を殺す。そうすると「殺すなかれ」という最高の倫理に反するというわけでね。それで殺さずに生活する、つまり一番善いのはと言うたら商売なんです。しかし善くないですあれも、誰かが殺したやつを売っているということでね。しかし非常に徹底しておりましてね。
 ただ極端にいきますと、本当に断食によって死を遂げるというのが最高の価値であるというふうに見てしまうという非常に危険な歪(ひず)みを生じてくるということになるんですが。これがすごく難しい問題なんですね。
 この「煩悩無辺誓願断」というんですが、これ実を言うと「大乗仏教」になりますとこれは「断」じゃなくて「転」なんです。煩悩を断ち切るというのは、実は煩悩を断ち切るんじゃなくて煩悩を転ずるんだ。意味を変えるんだ。煩悩の持つエネルギーを「利他」の為に、他の意味に転じていくんだという、そういう煩悩を転じていくというふうになっていくんです。
 このときには徹底した智慧のコントロールが必要なんですね。智慧によるコントロールが崩れたら煩悩を転じていくと言っても、また元の木阿弥(もくあみ) になってしまう。そういうところがありますので非常に難しい問題なんですがね。少なくとも煩悩の自己中心的な想念を打ち砕いて、そして一切衆生と連帯して生きようという、そういう「衆生無辺誓願度」というそれに相応しい自己を確立していく。それが「煩悩無辺誓願断」ということになります。
 次の「法門無量」あるいは「法門無尽誓願知」ということですが、これは学ばねばならない事柄というものは無限にあるんだ、果てしなく学ばねばならない事がある。それを悉く学び尽くしてしまおうというんですから終わりがないですね。だから菩薩には終わりがない。本当はそういう意味で菩薩というのは「無辺」、「無尽」というように、あるいは「無上」というふうに、目標に「無」が付いております。もうこれでいいというときが無い。そういうところに向かって自己を設定していく。
 「法門無尽誓願知」ということになりますと、あらゆることを学んでいこうという……。菩薩というのは、実は限りなく野次馬であるということでもあるんでしょうね。野次馬精神を失わない。死ぬまで野次馬精神を失わない。野次馬と言ったら悪いかな?(笑い)だけど何にでも興味がある。興味が湧かなきゃ駄目ですからね。
 学ぶということの基本は興味ですよ。「これは何だろうな? 面白そうだな。見極めてやろう。」という、そんな興味がなかったら勉強なんか出来やしませんよね。学問というのはそういうものですよね。だから学者というのは本当は野次馬なんです。野次馬が喜んでやっているんだから別に大した事はないんです、学問というのは。だから学者だからといって、別に崇(あが)めることはないわね。学者というのは、ちょうど子供が玩具を持って喜んで遊んでいるようなもんでしてね。野次馬が自分の興味に引かれて遊んでいるわけです。
 ただ場合によったらね、それが危険な場合がありますからね。それをコントロールせにゃならん場合がありますね。この頃、生命倫理なんていうことが言われています。生命倫理だとか、あるいは環境倫理なんていうことが言われてくるようになりました。あれは野次馬に枠をはめようとしているわけだ。
 智慧に導かれた法門。法門と言ったら何ですけどね、あらゆることを学ぼうとするんです。法門と言ったら物凄く難しいようだけど、そうじゃないんですよ。菩薩が学ばねばならんことというのは、覚りを開いた初地以上の菩薩が学ばねばならんことというのはずっと書いてあります。
 殊に『瑜伽師地論』なんかを見ますとね、菩薩が学ばねばならんことが色々と書いてあります。これはインドで、たとえば「医明」、「因明」、「工巧明」、「声明」、「内明」というのがありますよね。→(五明
 「医明」というのは医学です。菩薩は必ず医学を学ばねばならんということで医学の勉強をやるわけです。「アーユルヴェーダ」なんかを使いましてインドの医学を学んでゆく。だからお坊さんというのは優れた医者でもあるわけですよ。
 そういえば医学を伝道に使っていったアフリカの聖者シュバイツァーがいますね。彼は宣教師になっていく為に医学を学んでいくというところがありますね。やはり大したもんです。

【高務氏】真宗の方のアフリカの聖者小坂さんも奥さんが看護婦さんですね。
【梯師】そうそう、やっぱりああいう事は大事なことなんでしょうね。

 心の病と体の病というのはね、これは相関関係があるわけですね。ですからやはり心の病と体の病というのは、これを上手に両方を治していくということが大事なことなんでしょうね。まぁしかし最終的には体の病は治らなくなりますけれども、その時分に心は健全である。体は老い朽ちても心は健全であるといえるような、そんな処(ところ)まで行っておきますと、体の病が完全に超越されるわけなんでしょうね。お釈迦様なんかやはりそういうところがありますね。[4]
 こんな話しをしておったら……。わしの話しは何処へ飛ぶやら判らんけど……。
そんなことで学ぶというのは非常に大事な菩薩の義務なんです。義務教育と言ったらおかしいけど、そうなっているんですよ。
 それから「工巧明」というのは工学ですね。理工学を学ぶんですよ。日本で言いますと行基菩薩なんかそうですよね。彼は医学の知識もあるし、それから土木建築なんかの当時としては最高の技術を体得しているわけですね。弘法大師にもそういうところがありますよ。医学者としても薬学者としても大したものだし、土木建築の方もたいしたものだ。そういうところがありますね。
 弘法大師は若い頃に放浪しているんです。放浪をしている間に行基菩薩の弟子達に出会っているんですね。そういう行基菩薩の系統の人達に触れて学んでいるんです。そういうことがあるんです。それはちょっと横に置いておきまして……。
 「声明」というのは文法学ですね。我々が今「声明」と言いましたなら「梵唄」のことになります。梵唄と言いますのは「声明」の中のひとつでしてね、「声明」というのは元々、レトリック(修辞学)、文法学、それから正しい発声による声明、つまり宗教音楽ですね、そういったことに通達していくわけです。宗教家というのはやっぱり音楽家でもなければならんということで、先端的な音楽家でもあったわけですね。
 そういうことで菩薩は命がどれだけあっても足りない程なんです。だから菩薩には退屈がない。命を持て余すということがないわけですね。命をフルに使う。そういう意味で極めて充実しているわけですね。この頃だったら菩薩は先ずパソコンから始めにゃならん(笑い)。えらいこっちゃということになるんですが……。そういうことで「法門無尽誓願知」、学ぶべきものは無限にあるんですから、その意味で菩薩は限りなく学んでいく。
 そして「無上菩提」、あるいは「仏道無上誓願証」、どれでいいということのない覚りを完成していこうというのですね。無限なものに対して限りない意欲を燃やしていくというのは、これは凄いと思う。私等はだいたいそんなことは判りゃしませんから、大体の目標を設定しまして、その目標に向かってやっていくわけです。ところが目標が達成されますと虚脱感が出て来るわけですね。
 受験生なんかが五月病にかかるのもそうです。一所懸命とにかく大学に入って……。大学に入って何をするのか? 入ることしか考えてないんです。入ってから先のことを考えるのを忘れておったんだ。だから入った途端にすごく虚脱感に悩まされる。そして五月病にかかるというようなことになるんです。あれなんかは有限な目標設定、それが強烈であればあるほどその目標が達成された瞬間に虚脱感を感じていく。
 ところが菩薩は「無」に向かって意欲を、無限なものに向かって意欲を燃やしていくんですから終わりがないということですね。無限なものに意欲を燃やしていくというのはね、瞬間、瞬間が完結しているんですね。瞬間、瞬間が完結しながら、しかも常にその次、その次というものを設定していく。内から設定していくわけです。だから外に設定した目標じゃなくて、実は内側から設定していく。そういう、これが命の創造。命というのは自ら自己革新も行ないながら創造していくんでしょうね。「どっちへ行くんだ?」「知らんわい。」というようなもんで、「知らんわい。」と言ったらおかしいけど、無限なものの中に一応、「衆生無辺」、「煩悩」「法門」「無上仏道」というものを設定しているんですが、全部それは無限なるものですね。無なるものに向かって自己の命の火を燃やしている。こういうことが菩薩なんです。
 えらい話しが長くなりましたけど、実は「四弘誓願」というのは崇高な……、おそらく人間が考え得る文化の中でこれ以上のものはないだろうと思われるような言葉ですね。
凄く崇高な言葉ですよ。こういう言葉を残してくれた人間というのは、人間の文化というのは、まんざら捨てたものでもないのかなぁと思うのですね。やはり文化を超えたものが、そういう文化の中に身を顕したときにはこんな言葉になるのかなぁと思うのですが、まぁとにかくこれは大変なことでして、菩提心を本気でおこしたならばそれはもう「如来と等しい」と云われるような心境なんだということですね。
 それで、それ(菩提心)を本気でおこしていこうとした人達がいるわけです。ほとんどは口先だけで言うているんですね。ところがそうではなくてこれ(菩提心)を本気でおこしていこうとした、そういう人がいるわけです。ところが本気でこの心をおこそうとした瞬間に自己の無力さというものに打ち拉(ひし)がれていくということがあるわけです。
 これは前にも法然聖人や親鸞聖人を弾圧する元になった『興福寺奏状』というものがございます。これは興福寺から朝廷に出された訴訟状ですね。九箇条に分けて法然聖人の教えを非難攻撃をしまして、こういう邪教は日本の国にあらしむべきではないというので、この教えを禁制にして法然聖人以下おもだった者を重く処分をするようにということで朝廷へ申し出たんですね。元久二年ですが、そういう申し出があった。それを受けまして色々と事態が紛糾していくわけですが、ついに「承元の法難」という悲惨な事件にたち至るわけです。
 興福寺といいますのは奈良の興福寺ですね。いま、猿沢の池の上にあります興福寺、大きな搭がありますけども、そして南円堂や北円堂というのがありますけども、もうお坊さんの顔も見ることがない程寂びれ果てたお寺ですけどね。平安から鎌倉時代にかけては興福寺は大変なものでしてね、何しろ全盛を誇る藤原氏の氏寺ですからね。その藤原一門の信仰を集めておりますから大変な勢力でした。大和一国はこの興福寺が取り仕切っているわけです。それで全国に広大な荘園を領した荘園領主ですからね。それはもう当時は大変な羽振りをきかしておったのです。
 その興福寺から法然一門に対する弾劾状が来たのですが、この『興福寺奏上』を起草した人が笠置の解脱上人貞慶という人ですね。この笠置の解脱上人貞慶、もうこの当時きっての学僧であるだけではなくて、非常に真剣な仏道修業者としても有名なんですね。地位を捨て、名誉を捨て、そして山に篭って生涯本当に真剣に仏道を求めた人なんです。
この貞慶が、先程言いました明恵上人と同じことでございまして、非常に法然一門の生き方、在り方というものに対して義憤を感ずるんですね。仏教者として許せないというわけで義憤を感じたんです。そしてこの『興福寺奏状』を書いているわけです。
 従来の仏教の、ものの考え方から見れば法然聖人の教えというのは当然許すべからざるものであったわけですね。それほど法然聖人の教えというのは革新的なんですよ。そういうことがあった。
 この貞慶が亡くなるのは、法然聖人が亡くなった明くる年です。どうも法然聖人が亡くなった途端に目標を失ってしまって命がなくなったようですがね。法然聖人より歳は下ですけどね。その亡くなる一月くらい前なんですが、彼はもう病床にありまして、そして弟子達に病床で最後の法話をしているのですね。この法話が『日本大蔵経』の法相の部「観心為清浄円明事」、これは法相宗の学僧ですからね、ここに集録されていますが。御法話が漢文で書いてありますから御法話が読みにくくてかないません。とにかく学者というのは難義なものでしてね、そりゃ書いたのはお弟子が書いたんだけれども、漢文で書いてあります。
 その中で貞慶が問題にしているのは、私はこの一生涯何をしてきたかというと、菩提心を発そうとして、清浄な菩提心を発そうとして一生涯努力を続けて来たと言うているんです。その為にある時は笠置に篭り、釈尊に祈り、弥勒菩薩の助力を得、一切の諸天善神の加護を得て、そして本当の意味の清らかな清浄菩提心を発そうとして私は今まで苦労をしてきた。ところが残念ながら今日に至るまで清浄な菩提心というものを私は発すことが出来ない。それが残念だということを述懐しているわけですね。
 なんですね、「衆生無辺誓願度」……、この「四弘誓願」といいますのは、こんなのは先程言いましたように、口で言うのは三歳児でも言えるんだ。子供でも言える。けど本気でこの菩提心を、自分の心の中に不退転の菩提心を確立していこうと思うたら、この貞慶程の修業者をもってしても不可能であったということなんですね。だからそう言うているんですね。若い頃からこの問題一つにかかずり果てて学問もし、修業もし、また色々な方々に遇うて、菩提心を発(おこ)そうとして努力をしてきた。ところがどうしても発(お)きない。
 こう言いますのは、このままだったら死んだら恐らくこれを忘れてしまうだろう。このままの状態だったら、死んだらしまいになる程度の学問でしかないと言うのです。あるいは修業でしかないと言うのです。また元の木阿弥(もくあみ)だ。そう思うと死に切れないような気がすると言うのですね。
 先程私が言いましたように、「衆生無辺誓願度」と本気で思えば、一切衆生と連帯して、もう死ぬことがない。一切衆生の上に私は生きているんだという確信が持てる。一匹の虫にも、一羽の鳥にも私は寄り添っているというそういう確信がある。そうしたら私が死んだとは言わん。万物の上に生きているとこう言える。そういうことが本気で言えるんです、この心(清浄円明な菩提心)がおきれば。ところがそれが言えない。私は私として死んでしまう。それだけだ。私が私として死んでしまうというだけなんです。実に空しいと言うわけです。
 若い時分から色々とこう悩んで、色々な人に聞いた。この「菩提心」が発(おこ)せないというのは、これは私が愚かなんだろうか? 私が愚かだからそうなんだろうか? また、学問や修業が足りないからそうなんだろうか? それともこの教えに欠陥があるんだろうか?
これだけ私が一生懸命にやっても、一切衆生と連帯するという、そうなり切ったという感じが全然起こって来ないというのは、教えそのものに欠陥があるんだろうか? それとも私に欠陥があるんだろうか? 色々な人に聞いてみたというのです。ところが誰も答えてくれなかった。それに対して答える人は誰もいなかった。こう言っているんですよ。
 これはしかし凄い問い掛けだと思いますね。「教えに欠陥があるのか? それとも俺に欠陥があるのか?」とこう聞いた。そりゃ普通だったらお前に欠陥があるんだ。そんなもの決まっているじゃないか。教えに欠陥があるものかと、こういうふうに言いますよ。けれどもこれほど真剣に菩提心を発そうとして生き続けた人が、その真剣な眼差しで「教えに欠陥があるのか? それとも俺に欠陥があるのか?」と言われたら誰も答えられなかったんですね。誰も答えてくれなかった。
 そこで今となって私にはね、たったひとつ残されているのは臨終の来迎だ。臨終に阿弥陀様が迎えに来て下さる。丁度ここに来迎図がございますけれども、これは阿弥陀様と観音・勢至と、横側に十二神将が並んでいらっしゃるようですけど、ちょっと変った・・。これは何処の来迎図ですか?
・・・・・テープが切れました。残念!・・・・・

 しかし考えてみると、あの人、山田恵諦さん、お亡くなりあそばしたんですが、どうもあの人、仏様を見ていらっしゃったようですね。亡くなられる少し前に、仏様がすぅっと現れて下さるということをおっしゃっていたそうですがね。仏様がお出になって下さって、非常に慶んでいらっしゃったということをお弟子さんが語っておられましたけれども、やはりああいう人もあるんだな。凄いですよね。そういうことなんです。やはりすごく嬉しいようですね。
 法然聖人だって「臨終行儀」を見ると、お弟子が三尺の阿弥陀様を持って参りまして、普通の人がするように五色の糸を引きまして、その五色の糸を手に取って、そして阿弥陀様にお浄土へ連れて行って頂くと、そういう思いをする。これは「臨終行儀」のひとつなんです。阿弥陀様を枕元へ据えて、それで五色の糸を引きまして、この糸を取りなさいとお弟子が言いましたら、法然聖人は「俺はいらない」とおっしゃった。「そんなことは普通の人のすることだから、俺はいらない。」と言って、五色の糸を取るのを拒んでいらっしゃる。どうしてですかと弟子が問いましたら、お前達には見えないだろうけれども別の仏様がちゃんといらっしゃるとおっしゃったということです。そりゃ見ている者にはかなわんで。わざわざ糸を引いてもらわなくても、今仏様が来ていらっしゃる。
 あるいは向こうにこう視線をやっていらっしゃる。何か見えますかと言いましたら、お前達には見えないだろうけどな、いま仏様が御出(おいで)でになっているとおっしゃったということです。すごいものですね。
 法然聖人は最晩年は老人性痴呆性のような状況だったんですよ。習い憶えたお経の言葉も全部忘れてしまうような、お弟子の名前も忘れてしまうような、そんな状態だったそうだけれどね、あれは痴呆性というよりも、あっちの方へ往ってしまわれておるような感じですね。仏様が出て来なさるなんて、すごいですよね。そういうところがあるんだろうな。やっぱりその道一筋に命をかけて生き続けた人には、やっぱりそういうのが見えるんだろうな。
 まぁそれはそれで大変尊いんだけれども、貞慶には未だ見えていないんだよな。臨終それだけが頼みだと彼は言うている。そういうのを見ますと菩提心を発すということがどんなに困難であるかということが判る。
 だから先程も言いました、栂尾の明恵上人が『摧邪輪』の中で言うているんですね。
自分の事を語っているんです。自問自答しているのですね。「お前、そんなに菩提心を発さにゃいかん、菩提心を発さにゃいかんと喧しく言うけれども、お前は本当に菩提心を発したんか?」と言って自問自答しているんですよ。それに対して彼はこう答えているんですね。「いや、残念ながら私は清浄菩提心を発せていない。しかし私は必死になってその清浄な菩提心を発そうとしているんだ。それなのに彼(法然)は菩提心なんかいらないと言うから腹がたつんだ。」とこう言っているんです。→(摧邪輪
 (菩提心を)おこせていない状態は一緒なんですよ。法然聖人はね、自分の事をおっしゃってね、「嘆かわしき事は、道心(菩提心)の薄き事と病の多いことが、それが私にとって一番嘆かわしい事だ。」(要義十三問答) とおっしゃっている。そんなことを自分でおっしゃっている。病気がちであることと、道心が……、道心というのは菩提心のことですね。道心の薄いこととが私の一番の悩みだと、こう弟子達におっしゃっている。道心が薄いと自分ではっきりと語るんですね、法然聖人はね。
 しかしこんなに道心の薄い私がお念仏ひとつでお浄土にやって頂くんだと、こう法然聖人はおっしゃるんですよ。この人達は、菩提心を発さなきゃいかんのだ。これが最高に崇高な心なんだということで……。だからそれに向かって自分はひた向きに生きていくわけなんだが、しかし貞慶のような絶望的な言葉、あるいは栂尾の明恵上人のように「私は発(おこ)せていないけれども、発そうとして生涯勤め励んでいくんだ。それが努力目標なんだ。」と、その努力目標さえも取ってしまう法然が許せないとおっしゃっているんですね。
 しかしこの人達を見ながら判ることは、自分に本当の菩提心は発っていないということを慚愧しながら書いているわけですね。そういう点が、私は共通していると思うのですよ。だからもし貞慶が法然聖人に向かって、先程言いましたように「教えに欠陥があるのか? 私に欠陥があるのか?」と聞いたら、恐らく法然聖人はずばりと答えなさったはずなんです。それに答えてくれる人はひとりしかいなかったということですね。法然聖人しかいなかったんですよ。つまり法然聖人もその問題で悪戦苦闘をしたんですね。そして悪戦苦闘をした揚げ句に「念仏」に帰したわけなんです。
 ですから彼(貞慶)は臨終の来迎を期待した。臨終の来迎を期待しても現れてくれるかどうか分かるか、というのですね。それよりも今私の前に現れてくれている南無阿弥陀仏、今私の前に現れている生きた如来様である南無阿弥陀仏に救われていくんだというその法然聖人の信仰ですわな。おそらく貞慶もね、二人が本気で話し合ったら分かったと思うんですよね。笠置の解脱上人も、法然聖人と本当に会ってね、腹を割って話し合ったら分かったと思うのです。
 だけどね、もしかしたら彼もね法然聖人に会っていることがあるかもわからん。法然聖人が「大原問答」をなさったときに貞慶もそこに列席したという記録はあるんです。記録はあるんだけれども、もう少し信憑性があまりないのですけどね。だけど少なくとも法然聖人が奈良の東大寺で『三部経』の講義をされた。 →(東大寺講説)
その時はおそらく彼はその席に侍(はべ)ったんじゃないか。その話しを聞いたんじゃないかという感じはするんですよ。その直後に彼は笠置に入ったんですね。おそらくそれでカルチャーショックを受けたんですね。
強烈なカルチャーショックを受けたんだと思いますね。それで何か訳が判らなくなって笠置へ篭ってしまったんですね。
 もっと虚心坦懐に二人が会って話しをしておったら、もっと開けるものがあったんじゃないかなぁと思うんだけどね。まぁまぁそれはそれとして……。

 親鸞聖人が『正像末和讃』の中にね
<自力聖道の菩提心 こころもことばもおよばれず 常没流転の凡愚は いかでか発起せしむべし(註 603)>、
<三恒河沙(さんごうがしゃ) の諸仏の 出世のみもとにありしとき 大菩提心おこせども 自力かなわで流転せり(註 603)>
 こういう言葉が出ております。この言葉ですね。「自力聖道の菩提心 こころもことばもおよばれず」、「四弘誓願」の世界というのは、本当に「心も言葉もおよばない」広大な世界だというのですね。「愚かな者はどうしてそんな心を本気で発すことが出来ようか?」とおっしゃっているわけですね。
 それで「三恒河沙」、ガンジス河の砂の数を三倍した程の仏様にお会いして、そしてその教えを聞いて大菩提心を発してみたけれどもかたちだけであって 、「自力かなわで流転せり」、菩提心をかたちだけは発してみたけれども、結局他人ひとりも救うことも出来ず、自分自身も救うことが出来ないで、今まで流転してきたとおっしゃっているんですね。この言葉は大変意味深重な言葉なんですよ。「自力聖道の菩提心」これはすごい言葉なんだけれども、その重さに打ちひしがれていく、そういう人間の姿というものを顕していらっしゃる。

 そこから親鸞聖人はね、転換していくんですね。本当の菩提心というのは私が発すものじゃなくて、むしろ菩提心を聞いて感動するもんだ。菩提心は、私が発そうとしたら「自力かなわで流転せり」というかたちになる。しかし仏様の菩提心を聞いて感動し、その菩提心に包まれている自分というものを見出していくときに、はじめて菩提心が私を救う法になってくるんだという、そういう発想が転換されるわけですね。菩提心は、私が発すものじゃなくて、私が菩提心に包まれるべきものなんだ。菩提心は私より大きいんだ。
 私が発そうとした菩提心は私の中へ閉じ込めてしまうでしょ。私の中へ閉じ込めた菩提心は私を救うことは出来ない。ただ私を包む菩提心が私を救うんだ。その私を包む菩提心とは阿弥陀仏の本願なんだ。あの本願が、阿弥陀仏の誓願が真の菩提心なんだというふうに味わっていかれる。そういう展開がなされていくんですね。

 ちょっとここで休憩をしまして、もう少しお話しをさせて頂きましょうか。

一日目、第二講終了

《第三講》

 それじゃあもう暫くお話しを致します。先程から「四弘誓願」のことについてお話しをしてきたんですが、親鸞聖人がここで <自力聖道の菩提心 こころもことばもおよばれず 常没流転の凡愚は いかでか発起せしむべし (註 603)> と、こうおっしゃって、この菩提心を、「自力聖道の菩提心」というのは自分の力でこの菩提心を発し、そしてその菩提心を実現していこうとすること、それが「自力聖道の菩提心」なんですね。それは心も言葉もおよばれない広大無辺な心である。
 『安楽集』のお言葉の中にね、菩提心の徳を讃嘆しまして、<もし心を発し仏に作(な)らんと欲すれば、この心広大にして法界に遍周せり。この心究竟して等しきこと虚空のごとし。この心長遠にして未来際を尽す。この心あまねくつぶさに二乗の障を離る。もしよく一たびこの心を発せば、無始生死の有輪を傾く。(七祖 202)> こう言葉を極めて菩提心を讃嘆されているんですね。
 「この心は広大にして法界に遍周す」というのですから、この菩提心は天地を包んでいると言うのですね。そして「長遠にして未来際をつくす」というのですから、あらゆる時間系列を包んでいる。つまり時間と空間を包んで超えている。それが菩提心だと言うのですね。我々がものを考えるときには時間と空間というそういう形式によってものを考える。時間と空間の枠の中へ入らないことは捉えられない、考えられないことでございますね。そういう意味で「心も言葉もおよばれず」というのは、考えられない、また言葉で表現することも出来ない、そういう徳を菩提心は持っておる。
 もしよくひとたびこの心をおこしたならば、無始以来の生死の迷いを断ち切っていくんだ。こう言われているんですね。「生死有輪を傾ぶく」というのは、この生死 輪廻転生の迷いというものを一瞬にして断ち切っていく。これが菩提心というものだとおっしゃっているわけですね。そのことをここで「心も言葉もおよばれず」、ただし「常没流転の凡愚は如何でか発起せしむべし」(註 603) どうしてそういう心を我々凡愚が起こすことが出来ようかと、こう言われたわけです。
 その次に、『正像末和讃』ですがね、<三恒河沙の諸仏の 出世のみもとにありしとき 大菩提心おこせども 自力かなわで流転せり(註 603)> こう言われています。実はこれは『安楽集』に出て来る言葉でしてね、もとは『涅槃経』の言葉なんですね。ただ御開山の引用とは全然意味が違うんです。『安楽集』を見ますとそこに、私達が仏様の教えに遇い、そして教えを聞いてそして信じ、また人にそれを説いていくというような、そういう言葉ですね。実は長い長い間の仏様のお育てによって、そういうことがあらしめられるんだということが言われているんですね。
 ここに説聴の方軌を明すということが言われている。これ実は親鸞聖人も「信文類」(註 258) にこの文章は引かれているんですね。そのところに、これは「原典版聖典」を見ますと二百十二頁なんですが、<もし衆生ありて、熙連半恒河沙等の諸仏の所に於いて菩提心を発せば、しこうして後にすなはちよく悪世の中に於いて是の大乗経典を聞いて誹謗を生ぜず、若し一恒河沙等の仏の所に於いて菩提心を発すこと有れば、しこうして後にすなはちよく悪世の中に於いて経を聞きて誹謗を起こさず、深く愛楽を生ず。もし二恒河沙等の仏の所に於いて菩提心を発すこと有れば、しこうして後にすなはちよく悪世のなかに於いて是の法を謗せず、正解し信楽し受持し読誦す。もし三恒河沙等の仏の所に於いて菩提心を発すこと有れば、しこうして後にすなはちよく悪世の中に於いて是の法を謗せず、経巻を書写し、人の為に説くといへども、いまだ深義を解らずと。何を以ての故に此くのぼとき教量をもちいるとならば、今日座下にして経を聞く者は、昔すでに発心して多仏を供養せることを顕さんが為なり (七祖 187)> と言っていましてね。
 たとえば一恒河沙、カンジス河の砂の数ほどの仏様にお遇いして、その仏様の御元(みもと) で菩提心を発してそして修業した、そういう経験がある者は、今日この悪世の中に生まれてきて、この教えを聞いても、大乗の教えを聞いても謗(そし)るようなことはなく、その教えに対して深く愛楽を生ずる……聞いて楽しむことが出来るようになる。
 もし二恒河沙の仏様、つまりガンジス河の砂の数を二倍した……。ガンジス河の砂の数と言いますけど、あんなものは数えられる様な物じゃあないですよね。数えられないということなんです。その数えられない物を二倍したって、やっぱり数えられないんです。まぁとにかく、ガンジズ河の砂の数を二倍した程の仏様の元で菩提心を発して修業したことのある、そういう人は、悪世の中においてこの法を聞いても法を謗ることもなく、正しく理解し、そして疑いなくそれを信じ、そしてそれを受持し読誦するという、そういう人間になる。
 もし三恒河沙、つまりガンジス河の砂の数を三倍した程の仏様の御もとにおいて菩提心を発した、そんな経験のある人、そしてそれだけの仏様方のお育てを得た者は、この悪世の中に於いてこの法を聞いても謗ることもなく、そしてそれだけじゃなく、信心を発すだけじゃなくて、そのお経を書写して人の為に説く。そういう事が出来るようになる。深い道理を理解するということは出来ないけれども、しかし信じて、そして法を聞くことを慶ぶだけじゃあなくて、お経を書写して人の為にそれを説くことが出来るようになる。そういう人は既に三恒河沙の諸仏の御元で菩提心を発してお育てを受けた人なんだとこうおっしゃってね。
 何故こういうことを私が言うかというとと、道綽禅師はおっしゃるんですね。「今日座下にして……。」いまこの法座に於いてこのお経を聞いている者は、この場合は『観無量寿経』ですがね、今初めて仏法を聞いたのじゃなくて、既にかつて三恒河沙の仏様方にお遇いをして、そして沢山の仏様方を供養し、その御教化に遇うた人なんだ。それだけのお育てを得たから、今此でこうして教えを聞き、信じ慶ぶ、そういうことになっているんだ。こういうふうにこうおっしゃっているわけなんですね。
 これですと今こうして教えを聞く身になっていることを慶ぶという、そういうかたちで書いてあるんですよ。
ところが親鸞聖人はね、<三恒河沙の諸仏の 出世のみもとにありしとき 大菩提心発せども 自力かなわで流転せり (註 603)> と、ガンジス河の砂の数を三倍した程の仏様方にお遇いをし、そこで菩提心を発したけれども、結局今こうして凡夫であるということは、それはそれだけ沢山の仏様方にお遇(あ)いをして菩提心を発しても、まともな覚りを開くことは出来なかった。どうしようもない者だということを表わしているんだとこう言うのですね。
 これ反対の意味になっているでしょ。つまりお経なり、また『安楽集』なりが現そうとしていることは、それは喜ばしいことを現そうとしているんです。いまこうして教えに遇えたということは、実は長い間のお育てを頂いたお陰であると慶(よろこ)ぶんだよという、そういうことを現したんですね。御開山にもそういう一面もあるんです。<たまたま行信を得ば遠く宿縁を慶べ (註 132> という、こういう一面もあるんですがね。
 ところがそんなに沢山の仏様に遇うて、そして菩提心を発して修業しながら、未だに煩悩具足凡夫でしか有り得ないということは、自力の菩提心は完成し難いものであるということをあらわしているというのですね。そういうふうに読み切って、読み変えていらっしゃるわけなんです。このあたりの読み変えというのは、同じことを言っても真反対の意味になっていくんですね。
 そりゃまぁそうですわな。三恒河沙の諸仏のお育てを受けたから、いまこうして教えに遇えたということは有難い事だなということですね。反対に、三恒河沙の諸仏の教えに遇うて菩提心を発したけれども、今だに凡夫だというのはよっぽどだめな奴だぜということを現してくるわけなんです。両方あるんですね。だから慚愧歓喜、俺はよっぽど愚かな者だなということを現わすのがひとつ。その愚かな私が法を聞く身になっているということは有難いことだなという……、これ真反対の意味をここに、ひとつの事柄が現わしているわけですね。それを御開山は両方に理解されているわけですね[5]
 まぁこのへん、親鸞聖人の読みの深さというかな。しかしこれで見ますとね、末法の時代だから救われないのと違うんですね。仏様にお遇いして、仏様の教えを聞いて、そして菩提心を発したんです。師匠が悪かったわけではないんです。師匠が悪かったから修業が出来なかったわけではないんです。仏様の教えに遇(あ)えなかったから迷ってきたわけではない。仏様の教えに遇うて、仏様を師匠として菩提心を発しても駄目な人間は駄目なんだと、こういうことなんで、こりゃどうしょうもない人間なんだなということを「自力かなわで流転せり」という言葉で現わしているんです。
 こういうところに菩提心というのは、大菩提心というのは素晴らしい徳を持っているんだけれども、私の手には合わんというわけですね。法然聖人が面白い喩えを出しまして、「聖道門の教えというのはどんなのですか?」という質問に対して、「よちよち歩きの子供がお爺さんの靴を履いている様なもんだ。」とこう言うておられるんですね。
お爺さんの靴というけれども、昔の靴は木靴なんですよ。木で出来た靴ですね。あれは結構重いんですよ。しかもお爺さんの靴だから大きい。あんな大きい靴をね、歩き始めた赤ん坊が履いたとしても一歩も足が出ませんね。
 教えが高すぎて、自分の身には合わんということ。それを喩えてよちよち歩きの子供がお爺さんの木靴を履いて……、履いたことは履いたけれども、一歩も足が出ないなら同じことだ。なにも教えがつまらんのではない。けれどもその教えを教えの通りに実践することが出来ない私が愚かであるということを現わすんだ。
 しかし逆に言いますと、こんどは身に合わん教えを与えたというのはどういうわけだ、ということになってきますね。子供には子供の靴を与えればいいのに、身に合わん靴を与えたのはどうしてかということになってくる。あれはやっぱり子供があの靴を履くんだと言って無理をする。自分の身の程を知らずに、この靴を履くんだと無理をする。駄駄をこねる。もし履かせなかったら泣いて怒って動かないということになる。だからそんな事を言うんだったら履いてみなさいと言って履かせてみたら、一歩も動けない。「どうだい。動けないだろう。だからお前にはお前の靴があるんだよ。」と言って初めて子供が納得して自分の靴を履くようになる。
 教えもその通りだ。阿弥陀さまの御本願の教えを説いてみても、自力の執着の強い者は「何だ、こんなもの!」と言って受入れようとしない。そこで、それじゃあ何が聞きたいんだと、「そりゃあ、自力の教えが聞きたい。」と言うもんだから、「それなら仕方が無い。やれるものならやってみなさい。」と言って(自力の教えを)与えた。与えられてみると手に合わんことが判って、そして自分が自分の身に合うものを……、教えはこのお念仏しかないということに気が付くように育てていくんだ。そこで自分の身の程を知らせる為に身に合わんものを仏様は与えていかれたんだ。
 だからこれはお育ての教育的手段であるということで、これを「方便」と言う。だから「方便」というのはつまらんという意味じゃなくて、方便というのは非常に巧みに我々を教育されるということなんですが……。とにかくここでこういうふうに「自力の菩提心」というものを、我々の手の合わないものとして現わされたんだ。
 じゃあその菩提心というのはどういう意味を持つのかということですね。この「四弘誓願」というのは大変これは尊い教えで、自利/利他の仏の智慧と慈悲の徳に適(かな)った素晴らしい心。この心を発せばその発した瞬間に仏と等しい功徳を身に体得する程の大きな徳を持っている。その意味でこの「四弘誓願」というのは真の尊い教えであると言わねばならない。
 「四弘誓願」をまとめて言えば、上求菩提・下化衆生ということになるとこう言いましたが、それを更に一口で言えば、「願作仏心」・「度衆生心」ということになる。その願作仏心というのはそのまま度衆生心、衆生を済度しようという心でもある。仏に成ろうと願う心は、同時に衆生を済度しようという心でもある。これが自利利他ですね。先程言った智慧慈悲の心、これが菩提心、開けば「四弘誓願」になる。
 まとめれば「願作仏心」・「度衆生心」になるのです。願作仏心というのは先程言った言葉で言えば「上求菩提」、上は菩提を求め、そして「下化衆生」、下は衆生を教化する。こういう上求菩提・下化衆生という心、それを少し言葉を変えて言いますと願作仏心度衆生心ということになる。菩提を求める心、それは仏に成ろうという心。衆生を済度しようという心。これが菩提心だということです。
 実はこの願作仏心度衆生心というのは、これが菩提心であるということをおっしゃったのは、先程申しました曇鸞大師の『往生論註』なんですね。曇鸞大師の『往生論註』に菩提心というのを、こういう願作仏心度衆生心という言葉で表された。まぁ上求菩提・下化衆生自利利他、これは同じ事ですが、こういう言葉で表現されている。 その願作仏心・度衆生心というものを、それを曇鸞大師がね、面白い喩えで表わすんですね。火掭(かてん) の喩えというので表わすんですよ。それはどういうことかと言いますと、阿弥陀様の本願、菩薩の誓願、皆そうなんですが、衆生を済度しようというのが先にたっているんですね。「衆生無辺誓願度」、それから自利の方が後になっている。これが阿弥陀様の本願で言うと「若不生者 不取正覚」、もし生まれずば正覚を取らじと、こういうかたちで誓ってある。その「もし生まれずば」というのは衆生を往生させることが出来ないようならば私は正覚を取りませんという誓い方なんですね。これはまさに利他の誓なんですよね。
 これは衆生の往生ですね。衆生の往生を誓った。必ず衆生を往生させる。もし衆生を往生させることが出来なかったら、私は正覚を取りませんということですから、これは仏の正覚成就ですね。正覚成就を誓う。衆生を往生させるということは利他ですね。仏が正覚を成就するというのは自利です。この「自利」と「利他」というかたちで、こういわれているのですね。往生と正覚というかたちで使ってある。衆生を浄土に往生させる。もしそれが出来ないようならば私は正覚を取りませんという誓なんですね。
 私が仏になったときにはこういうことをしようというのが仏の誓願なんですが、その誓願は色々なことが誓ってありますね。その誓願の中には、私が仏に成ったら私は素晴らしい浄土をつくろう。そして浄土に生まれてきた人達にこういう徳を与えようというようなことがずっと誓ってある。それから、私が仏に成ったときには光明無量であり、寿命無量であるような、そういう仏に成ろうというような誓がある。それからもうひとつは、衆生を浄土に往生させる為にはどの様な方法を使うかということを誓った、浄土に往生する道を明らかにした、こういうことをする者を往生させようというふうに誓った願ですね。
 まぁ四十八願、沢山有りますけれども、まとめてみると、浄土を完成しょうということと、それから光明無量・寿命無量の仏に成ろうということと、それから衆生を救済してそして浄土にあらしめていこうということと、そういう三つの事が、大きく分けると三つの事が誓ってある。これを「摂法身の願」、「摂衆生の願」、「摂浄土の願」(摂法身願・摂浄土願・摂衆生願)と、こういうんですが、ともかくそういう事柄が誓ってある。まとめて言えば衆生を救済しようということと、そして仏徳を完成して、仏としての徳を完成し、そして浄土を建立していこうという、そういう誓になっているのですね。
 要するに自利と利他の誓になるわけですが、それが第十八願を見ますと「衆生もし生まれずば正覚を取らじ」というかたちで誓われている。これは衆生救済を誓ったものですから、そこで見ると「衆生往生させることが出来なかったら、私は正覚を取りません」とこういうふうに誓ってあるんですね。
 衆生を往生させるというのは、これは度衆生。それで衆生を往生させることによって自分は仏陀としての正覚、覚りを完成するというのだから、これは願作仏心。仏に成ろうと願う心ですね。これが実は十八願の中でこういうふうに二つが明されておる。
 ところがこれをよく見ると面白いことが判るのですね。この本願で衆生を往生させることが出来ないようならば私は仏になりませんと誓ったんですね。ところが出来上がってみるとどうかと言うと、仏が先に、衆生が往生しない先に仏は仏に成ってしまっている。十劫の昔に阿弥陀仏に成られたということが誓われている。これはちょっとおかしいじゃないか? 衆生を往生させることが出来ないなら私は仏にならんと言いながら、何故仏が先に正覚を取るんだ。未だ衆生が往生していないのに何故仏は正覚を取るんだということを問題にしているんですね、曇鸞大師が。
 そしてそこに、これが巧方便回向というものなんだ。巧(たくみ)な方便、救済の手立てというものがこういうかたちで成立するんだということがいわれているんですね。そのときに火掭(かてん)の喩えというものを出しているんですね。火掭というのは火箸。火箸だけどね、昔の火箸は金(かね)じゃなくてね、木の火箸なんですよね。竹でもいいですけれども、木の火箸です。
 むかし私は田舎でよく、山なんかへ行きまして焚木をしますと……。山でお昼の食事をしようと思っても、今みたいな魔法瓶なんてものはありはしませんからな。山で火を焚きまして、お湯を沸して、それで食べるわけですよね。焚火をするときには木の枝を切りまして、その木の枝を火箸代りにしまして、それで火を焚くわけですが、それを火掭というのですね。木の火箸を考えろというのですね。火を摘(つま)むのが火箸ですね。
 ところがね、火が燃えているでしょ。その燃えている火を火箸で掴むとね、まだ火が燃え尽きる先に火箸の方が燃えつきてしまうという、こういう喩えを出す。これが火掭の喩えというのです。仏は衆生を済度しようと誓う。そして衆生の救済を先にして、自分の身を後にする。けれども衆生救済のはたらきをしているうちに菩薩の方が先に仏になってしまう。これはちょうど、火箸で火を摘(つま)んでいると火箸の方が火より先に燃えてしまうようなもんだ。こういう喩えを出している。まぁ喩えは一分なんですがね。
摘んだ火箸が、摘まれた火より先に、火箸の方が焼け落ちてしまう。丁度そのようなもんだと言うているんですね。
 ただそこにね <その身を後にして、しかも身先だつ(七祖 145)>、これを巧方便と言うんだ。こういうふうに曇鸞大師はおっしゃっている。どういうことかと言いますと、誓うときには必ず衆生を先にと誓うんだ。衆生を往生させる為に私は正覚を成就するんだ。正覚を成就するというのは衆生を済度する為のものだから、したがって衆生往生せずば正覚を取らじ、衆生を救済することが出来ないような仏だったら、仏としての値打ちはないんだと、こう誓う。だから衆生救済の為に仏に成るんだというときには衆生救済を先に誓うんだ。「衆生無辺誓願度」というのを先に誓うんだ。
 これによって、これから行なう修業のすべてが自分の為のものではなくて、衆生の為の修業を行なっていくということになっていく。ところがその修業をして衆生救済を完成する為にはどうしても仏が先に成仏しないとその救いの、衆生救済というものが成就しなくなる。だから誓いの方は衆生を先にする。けども事実救済が成立するときには仏が先に立ってないといけないんだ。
 ちょうど先程言いました喩えで言いますと、お医者さんが勉強をするときには、勉強して医者になろうと誓うときには、それは苦しみ悩む人達を救う為に医者になるんだと誓う。だから私が医者になるのはなにも自分の為じゃない、病の為に苦しみ悩む人を健康にする為に私は医者になるんだとこう言うのです。ところが実際にその人が人々を救う為には自分が医者になっておかないと駄目なんですね。
 医者にならないで病人を診察したら、これは医事法の違反になりまして医療裁判にかけられねばならなくなりますね。免許を持たないのに、国家試験に通っていないのに……。つまり人々の病気を診察し、そして薬を調合して、またその手当をするだけの資格がないのに病気を診断したり、また治療したりしたら、これは違反ですね。
 だから実際に救済するときには、先に自分が救済出来る者に成っておかなければならん。願いは必ず衆生の救済を先に……、利他を先にする。けれども事実としてその救いが行なわれるときには、仏が先に仏になっておかなければならんのだ。それで本願は「衆生もし生まれずば正覚を取らじ」と言いながら、実際救済するときには仏が先に仏になって、そして私は仏になったよということによって、お前はたすかることに間違いないんだよということの宣言をおこなっていくということですね。
 だからここで利他を先にして自利を後にする。そのことが完成するときには自利があって、・・・・・・・残念!テープが終わっちゃいました。

そのことが働きとして、事実として出て来るときには自利が完成していないと利他というものは行なわれない。自分も救えておらんのが、他人を救うことは出来ない。自分が覚(さと)らんとって、他人を覚らすことは出来ない。道を知らない者は道を教えるわけにはいかん。だから人々を導く人は先ず道を知らなければならない。
 添乗員さんはいっぺん先に(旅行先に)行っておいてもらわにゃならんのですね、あれ。添乗員さんが一緒に迷ってもらったら困るんですね。まぁそういうことがあるわけです。だから添乗員さんが旅先を先に見に行くのは自分の為に見に行くんじゃなくて、実はこれから導く人の為に見に行くわけなんですね。もっとも自分で楽しんでいるかも知らんけど……。まぁそういうことになるわけなんです。ちょうどこの様になっている。
 そうすると阿弥陀仏の本願というのは利他を先にした本願、如来の「度衆生心」の顕れであるけれどもそこに如来の「願作仏心」というものがこもっている。本願としたときには「度衆生心」を表にして誓ってある。そしてこの如来の本願は全体として度衆生心ですね。全体として如来の本願は度衆生心の宣言ですね。これが本願ですね。
 仏の本願というのは仏の「度衆生心」の宣言なんです。度衆生心を本当に宣言出来るということは、実は既に自らが一切衆生と連帯しているような方でなければ本当の意味の度衆生心は出て来ないんですね。だから「法蔵菩薩」はただの凡夫とは違うんだということが言われておりますが、とにかく全体として度衆生心の(宣言なんです、本願というのは)……。この仏の度衆生心を聞く。仏の度衆生心を聞いて信ずるならば、私達はどういう姿が出て来るかというと、必ず仏に成らしめるという本願を聞くんですから、必ず仏に成らして頂けるという「信心」が成立する。
 つまり仏の度衆生心にぴったりと適(かな)った信心というのは、仏に成らして頂くことが出来るという信心になりますね。そこで如来の「度衆生心」が私の「願作仏心」になるんだということですね。だから本願を聞くということは如来の菩提心を聞いて感動することだ。如来の菩提心を聞くことは私が仏に成らして頂けるという確信を持つことなんだということになるんですね。
 そこで、信心が仏に成ろうと願う心として、これは実は「願作仏心」という意味を持つんんだ。だから信心そのものが願作仏心である。信心というのは仏に成らして頂くんだとこういう。どうしてそんなことが言えるのかと言えば、必ず仏にするという……、「もし生まれずば正覚を取らじ」という如来の度衆生心が、私に聞こえたんだから。したがって私はその度衆生心願作仏心というかたちで、私に届いて来るんだ。この願作仏心はそのまんま如来の「度衆生心」が私の上に「願作仏心」というかたちで顕現しているんですね。だから願作仏心はそのまま如来の度衆生心。その如来の「度衆生心」が「願作仏心」ですから、その願作仏心はそのまま度衆生心という徳を内に持っている。
 その度衆生心という、衆生を済度しようという心、そういう心が私の上では「願作仏心」というかたちで如来の度衆生心が現れている。つまり仏様の方では度衆生心が表になって、そしてつまり願作仏心は裏になっている。一切衆生を済度する。必ず浄土に往生させるというかたちで……。
 しかしその浄土に往生させるということは、もし生まれずば私が正覚を取らないといった如来の「正覚成就」というものに裏打ちされている。如来の正覚成就に裏打ちされて度衆生心というものが意味を持って来るんです。如来の正覚に裏打ちされていないと、この度衆生心は力を持たないことになります。先程言いましたようにお医者さんに未だ成っていなかったら、その人には診てもらうわけにはいかないのです。どれだけ救うてやりたいと言っていてもそれだけの力がないですから診てもらうわけにはいかない。
 ところが救うだけの力を持っているという正覚の成就、如来の覚りの完成というものが……、これに裏打ちされて度衆生心が意味を持ってくる。
 私の方はそれを頂いた「願作仏心」が表になる。信心というのは「願作仏心」が表になる。必ず仏に成らせて頂けるという、それが表になる。けどその願作仏心というすがたは、如来の一切衆生を済度しようとするその如来の本願を聞いて感動した心ですから、そうすると一切の衆生が同じ仏の子であるということが今度は願作仏心の内側に潜んでいる。潜んでいると言ったら可笑しいですけどね。願作仏心の内容として度衆生心というものが私の上に、徳として度衆生心が与えられておる。この度衆生心がハッキリと顕現していくのが、これが「還相回向」といわれるはたらきになるわけですね。
 けどこの願作仏心に於ける度衆生心がふたつのはたらきをする。度衆生心が今度は表に出て来る。度衆生心が表に出て来るときと、裏にあるときの違いがある。これが表に出てきたときはどういうことになるかというと、これは願作仏心が完成して仏になったとき、私が仏に成ったときには度衆生心が今度は表に出て……、浄土に往生して何をするのかといえば、蓮の華の上で百味の飲食を頂いて昼寝をしているというのではないんだ。そんな事の為にお浄土に往くのとは違う。一切衆生を救済する為にお浄土に往くんだ。
 有名な日渓法霖師の遺言で「臨末の偈」というのがあります。あそこに「往生の一路は平生に決す。今日何ぞ論ぜん死と生と。蓮華界裡(れんげ-かいり)の楽を好むにあらず。 娑界に還来して群萌を化せん。」とこう詠(うた)っておられます。一番最初の二句は何とか自分で書けてますけれども後は目が見えなくなったんでしょうね。手が動かなくなったのか、弟子に書かせております。臨終ぎりぎりのところで、まぁよくあんなことを言われるもんだなぁと思いますけどね。しかし凄じい気力を持った人ですね。
 あそこに「蓮華界裡の楽を好むにあらず。娑界に還来して群萌を化せん」と、こういうことを言う。そのときは「あなた、お浄土に何をしに往かれるの?」と言えば、それは、「お浄土に生まれるのは楽をしに往くんじゃないんだ。一切衆生を済度することの出来る身に成る為に私はお浄土に往くんだ。」と、こういうふうに言うているわけなんですね。
 こういう考え方というのは、これが仏道というものの基本なんですね。何の為に仏になるのか? 仏に成ることが目的じゃないんだ。一切衆生を済度することが目的なんだという。だからお浄土に往くことが根本目標じゃないんだ。お浄土に往って一切衆生を済度する身になること。だから終わりに極まりないんだ。終わりがないんだ。仏に成るんだったら終わりがある。お浄土に往くだけだったら終わりがある。けどお浄土に往くというのは、そのまんま十方世界を包んで一切衆生と共に連帯していく。そういうことが浄土に生まれていくということなんだということになりますね。これが実は「菩提心」なんです。
 だから菩提心は願作仏心が表。現世に於いては願作仏心が表、そして度衆生心はその裏。裏といったら何ですけどね。つまり願作仏心というものを裏付けているものとして度衆生心がちゃんとある。けれども浄土に往生したら、そして仏に成ったらどうなるのかと言うと度衆生心が表になる。一切衆生を済度していくということが表になる。これが還相摂化というものになるわけですね。実はこういう構造を持っているということですね。
 これが『往生要集』の先ほど言いました「作願門」にですね、その事に付いてこういうことを言っているんですね。念仏修善を浄土に往生する因とする。「業因」ですね。『原典版聖典の七祖版』で言いますと一〇三八頁にこういうことが書いてありますね。
<念仏修善を業因となし、往生極楽を華報(けほう)となし、証大菩提を果報となし、利益衆生を本懐となす。たとへば、世間に木を植うれば華を開き、華によりて菓(このみ)を結び、菓を得て餐受するがごとし。(七祖 930)>
と、こういうふうに言われているんですね。
 我々の方で言うとね、念仏修善を「業因」とする。念仏を因とする。そして往生極楽、これを「華報」とする。それから証大菩提、これを「果報」とする。それから利益衆生、衆生を利益する。これを「本懐」とする。これが仏道というものなんだ。仏道体系なんだということをこういって、「菩提心」というのはこういう構造を持っているんだというのですね。これはまぁ『往生要集』の言い方なんですね。
 何の為に「念仏」をするんだ。それは極楽に生まれる為だ。極楽に生まれて何をするんだ。それは覚りを完成するんだ。覚りを完成して何をするんだ。一切衆生を「済度」していくんだ。一切衆生を済度してどうするんだ。終わりがないんだ。こういうことですね。一切衆生は無辺ですから終わりがないんだ。これが仏道というものなんだ。こういう体系が菩提心というものだ。こう言うんですね。

 そうしますと、ここで私達は阿弥陀仏の本願を聞いて、阿弥陀仏の「度衆生心」を聞いて「願作仏心」を得た。その阿弥陀仏の度衆生心は、阿弥陀仏の願作仏心というものに裏打ちされているわけですね。これは譬えば『嘆仏偈』でいえば <願我作仏 斉聖法王> というのがそうですね。「願わくば我、仏とならんに、聖法王にひとしからん。」(註 12) あの言葉が「願作仏心」ですね。私は仏に成ろう。仏に成ってどうするんだ。一切衆生を「済度」するんだ。一切衆生を済度する為に本願を建てた。
 そうしますと、阿弥陀仏に於いては「願作仏心」を裏側にして……、裏、表と言ったら語弊がありますが、これ喩え一分としていて下さい。それじゃあ阿弥陀仏の表の顔は何かと言いますと、衆生救済の願なんですね。一切衆生を「済度」するという願なんです。その仏様の教えを聞いた私はどうなるかと言うと、仏に成らせて頂くという願になる。これが「信心」なんです。信心の行者といわれる者。
 仏に成らせて頂くというその願は、必ず一切衆生を済度することの出来る身にさせて頂いているんだという、そういう思いが内に潜んでいる。これが「大乗仏教」なんだ。だから一切衆生を救済する身にやがて成らせてもらうんだという思い。そういう思いが何時も内に潜んでいる。そういうものが「大乗仏教」としての浄土教なんだということですね。 それでその願作仏心が、やがて浄土に往生すれば仏になる。仏に成ったときに浄土に於いては度衆生心が今度は表になって一切衆生を教化していく。いわゆる還相回向の菩薩となる。還相の菩薩という、あの菩薩は裏が仏なんです。裏が仏であるような菩薩なんですね。それが還相の菩薩といわれるもの。だからその意味に於いて、仏に成ってどうするんだ? そりゃ一切の衆生と共にあるんだという、それを「念仏を業因とし、往生極楽を華報とし、証大菩提を果報とし、利益衆生を本懐とする。」ということになる。
 これが実は菩提心というものの具体的な姿だ。菩提心の具体相というのはこういう形をとるんだというふうに『往生要集』はおっしゃっていたわけですね。それを親鸞聖人はもう一度、自分の心の中で再編成されたわけですよ。如来の度衆生心を頂いて、願作仏心の信を成就し、その願作仏心の信はそのまま一切の衆生の救済を念ずる度衆生心を裏に秘めておる。それが今度はお浄土に往けば表に現れてきて救うものとなる。
 今は、生きている間は救われる者、浄土に生まれれば救うものとなる。しかしその救うものと成ることを今既に決定している。この状態を還相回向といいまして、すでにそれは往相回向利益として内に持っているものだということですね。
 <南無阿弥陀仏の回向の 恩徳広大不思議にて 往相回向の利益には 還相回向に廻入せり(註 609)[6]
 <往相回向の大慈より 還相回向の大悲を得 如来の回向なかりせば 浄土の菩提はいかがせむ (註 609)>
こういう和讃になってあらわれたり、あるいはこの菩提心の釈は「高僧和讃」の中で曇鸞大師のお徳を讃(たた)えるところ、あるいは天親菩薩のお徳を讃えるところに出て来るんです。
 先ず天親菩薩のお徳を讃えるところを見ますとね、五八一頁ですね。五八一頁の十七首目のところですね。上の段の一番最後ですが、ここに、
<尽十方の無碍光仏 一心に帰命するをこそ 天親論主のみことには 願作仏心とのべたまへ(註 581)>
 <願作仏の心はこれ 度衆生のこころなり 度衆生の心はこれ 利他真実の信心なり(註 581)>
 これは仏に成ろうと願う心、これは信心ですね。無碍光如来に帰命する信心のことを天親菩薩は「願作仏心」と言われたんだ。仏に成ろうと願う心だと言われたんだ。「願作仏の心はこれ 度衆生の心なり」と言われたのは、これを願作仏心は阿弥陀仏の度衆生の心だということですね。阿弥陀仏が私を済度して仏に成らしめようとなさった。その阿弥陀仏の度衆生の心が私に届いて願作仏心、仏に成ろうと願う「信心」となる。だから私に、仏に成らせて頂くことが出来るという「信心」を与えた如来の度衆生の心、それを「利他真実の信心」と言うんです。それが利他真実の信心となって私の上に現れてくるんです。
 <信心すなはち一心なり 一心すなはち金剛心 金剛心は菩提心 この心すなはち他力なり(註 581)>
 <願土にいたればすみやかに 無上涅槃を証してぞ すなはち大悲をおこすなり これを回向となづけたり(註 581)>
まぁこういうふうにおっしゃっています。これは願作仏心が如来の度衆生心となって、その如来の度衆生心が本願の信心をあらしめている。したがってこの信心は如来の度衆生心の顕現ですから、内に度衆生心を秘めておる。私の上にある度衆生心は、今度は一切衆生を済度する身に成らせて頂けるという、そういう思いを秘めている信心だ。そういう信心がやがて浄土に顕現すれば還相回向摂化となって現れていくんだ。こういうふうに見られたわけですね。

 一応これが親鸞聖人の、願作仏心度衆生心といわれる信心が菩提心だという、そういう考え方になるわけですね。この考え方ですね、信心が菩提心であり、願作仏心には度衆生心という思いが秘められているんだという、そういう親鸞聖人の信心の味わい方というものが、これが実は念仏者の現実の生き方というものの一つの指針になって来るわけでしょうね。
 そういう点で、「信心」が「菩提心」だというかたちで展開された親鸞聖人の教えというものが、やはり非常に特異なかたちの念仏者を育てていくということになる。つまり自利中心の念仏者というんじゃなくて、多くの人々と連帯しながら浄土を目指していくような、そういう念仏者というものを育てていこうとする。そういう教えに転換するということがある。あくまでも念仏の行者は願作仏心を表にしている。しかしその願作仏心が度衆生心というものを裏に持っている。裏打ちされている。
 そういう意味で済度する人間じゃなくて、済度される人間でありながらやがて済度する人間に変る、菩薩に変るということが、済度される人間、救われる人間を改造していくという、そういう一面が出て来るわけですね。これが親鸞聖人の大変な特色なんです。
 だいたい「一念義系」の人達、親鸞聖人も含めて一念義系の人達が非常に伝道的であるということ[7]。伝道的というかな? それがまぁ、過激だということで弾圧を受けるわけですがね。そうでない人達、「多念義系」の人達はね、浄土を目指すという一面では非常に集中しているんですけどね。何て言うかな? 隠遁者的になるんですね。現世への関心が非常に薄くなっていくわけです。
 蓮如上人なんかでもそうですね。お弟子方に非常に、火の玉のようになって伝道する人達が出て来る。何故あんな伝道者が出て来るのか? その伝道者が出て来る秘密は実は、願作仏心だけれども度衆生心を内に秘めている。度衆生心はあるけれども表は常に願作仏心なんですね。表が願作仏心だというのは聞法者としての位置を動かさない。つまり教化者という位置に立たない。 教化者の位置に立たないんだけれども教化者、非常に優れた教化者であるという一面が出て来るんですね。
 そういう点で非常に特異な宗教集団を形成していくわけです。おそらくこれは一念義系の人達に共通した特色なんですね。まぁそれが今言いましたように余りにも刺激が強すぎるというので、弾圧を受けるというようなことになるわけです。そういうのは吉崎時代までの蓮如上人に、それが非常に強く出ているんですね。それから後は蓮如上人は非常にこうセーブしますけどね。セーブしても、セーブしてもやはりそれが出て来るところがあります。
 そういうところにちょっと特異な姿が出て来ますので、それをまた明日お話しをすることにしましょうか。それでは今日はこれで一応終わらせておきましょうか。

 称名     以上一日目第三講終了

《第四講》

讃題
 しかるに菩提心について二種あり。一つには竪、二つには横なり。また竪についてまた二種あり。一つには竪超、二つには竪出なり。竪超・竪出は権実・顕密・大小の教に明かせり。歴劫迂回の菩提心、自力の金剛心、菩薩の大心なり。
また横についてまた二種あり。一つには横超(おうちょう)、二つには横出(おうしゅつ) なり。横出とは、正雑・定散、他力のなかの自力の菩提心なり。横超とは、これすなはち願力回向の信楽、これを願作仏心といふ。願作仏心すなはちこれ横の大菩提心なり。これを横超の金剛心と名づくるなり。 横竪の菩提心、その言一つにしてその心異なりといへども、入真を正要とす、真心を根本とす、邪雑を錯とす、疑情を失とするなり。欣求 浄刹道俗、深く信不具足の金言を了知し、永く聞不具足の邪心を離るべきなり。(註 246)

 おはようございます。昨日から親鸞聖人の菩提心についての見解を伺ってきたんですけども、親鸞聖人の「菩提心論」をまとめて明されておりますのが ただ今拝読いたしました「信文類」の「菩提心釈」なんですね。信心が菩提心なんだという意味でおっしゃった訳ですけれども、その菩提心をあらわすについて実は二双四重という教判を用いまして、そして四種類の菩提心を出されます。
 菩提心につきまして「横」・「竪」の違いがある。「竪」ですが、これねぇ、「シュ」と読むか、「ジュ」と読むか? 漢音で読みますと「シュ」、呉音で読みますと「ジュ」なんですね。これは「シュ」と読んだり「ジュ」と読んだり、読み癖がどちらもありますのでどちらでもいいですけどね。「たて」ということですね。
 「竪出」・「竪超」、それから「横出」・「横超」、これを「二双四重」と申します。「横」と「竪」でそれぞれ一双をなしていて「二双」、これに「出」「超」「出」「超」とつきまして「四重」ですね。これを「二双四重」というのですね。菩提心につきましてこういう「二双四重」という分類をなさるわけなんです。
 「竪」といいますのは「タテザマ」ということですね。悟りを開く方法の中で「たてざま」に悟りを開いていくのを「竪」というのですね。これが実は聖道門のことなんです。聖道門の教えを「竪」という言葉で顕(あらわ)すんですね。
 それに対して浄土門の教えを「横」という言葉であらわしていきます。親鸞聖人は「竪」というのは自力であり、「横」というのは他力であると、こういうふうにおっしゃいます。おもしろい分類をなさるわけです。
 こういうふうな「横」「竪」という分け方は、法然聖人の中にもすでに「横」「竪」という分類をされたことがあったようなんですよね。だけどこれを教判としてこういうふうに完成されるのは親鸞聖人なんですよね。
 中国の宋代に『楽邦文類』という書物が書かれるんですね。『楽邦文類』という書物が日本に入って参りましたときは、親鸞聖人はすでに四十代でございますので法然聖人はその『楽邦文類』を読んでいらっしゃらないわけなんですが、その『楽邦文類』の中にですね、択瑛法師という方が仏教を「横出」と「竪出」とに分類したということが書かれておりますね。「横出」と「竪出」に仏教を分類して、「横出」というのは他力の法門のことであり、「竪出」というのは自力の法門であるとこういうふうに分類していきます。そういう例が『楽邦文類』の中に書かれております。この択瑛という人の「横出」「竪出」というこの分類を親鸞聖人はいち早く取入れておられるわけなんです。
 そして「横超」というこの言葉は、善導大師の有名な『十四行偈』にございますね。<道俗時衆等 各発無上心> という言葉で始まる『帰三宝偈』ですね。その中に「横超断四流(おうちょう-だんしる)」という言葉が出てまいります。「横さまに四流を超断する」というふうに「横超」という言葉が善導大師の上にあるんですね。この「横超」という言葉。それに択瑛の「横出」「竪出」という仏教の分類がありましたので、それと「横超」という概念とを合せまして、そして「横超」、それに対して「竪超」、それで「横出」「竪出」というこういう分類を完成されるわけです。
 どうもこの法然聖人に既に「横超」に対して「竪超」という言葉があったらしいんですね。それは『西方指南抄』、親鸞聖人が編纂された『西方指南抄』の中に「浄土宗の大意」として教えられたという法語があるわけなんです。その「浄土宗の大意」として教えられたという法語は他にちょっと……、似たような言葉はあるんですけれども、あの頃の言葉で出た本というのは他にありませんので……、おそらくあの横超は親鸞聖人が法然聖人から聞かれた、それをそのまままとめられたものなんでしょうね。その中に <二超の中には横超なり> という言葉があるんです。実は今言いました『西方指南抄』に一部、法然聖人のこの法語を親鸞聖人が注釈をされたところがあるんです。これは『末燈抄』に集録されています。
 この『末燈抄』に集録されたものは今度出しました『注釈版聖典』では、「ご消息集」ですが、これは親鸞聖人の八十五歳頃……。 親鸞聖人が『西方指南抄』をお書きになるのは八十四歳から八十五歳にかけてなんですね。八十四歳の十月から八十五歳の一月にかけて『西方指南抄』六巻が編纂されるわけです。『西方指南抄』を親鸞聖人が編纂されますとすぐそれを……、下野(しもつけ)の高田の覚信房という方にそれを書写させたんですね。
 それで現在、親鸞聖人の御真筆本と、それから覚信房の清書本とが、ただし覚信房の清書本は一番最後の文がないんです。下末がね。それでその下末だけは高田の顕智上人、この方も親鸞聖人の直弟なんですが、後に写して補足してられるんです。これははたして覚信房が最後まで写さなかったのか? 写したものが何処かへ紛失した為に顕智がもう一度写し直したか? どちらか分らないんですが、顕智の写したものが一巻ございまして、それ全部合せて清書したものです。
 それで、それ全体として高田の真仏上人に与えていらっしゃるのですよ、『西方指南抄』をね。これは真仏がお願いしたんだと思いますね。それまで法然聖人の法語集を編纂する為に資料を集めていらっしゃった。それを『西方指南抄』としてまとめてほしいとお願いしたのが真仏上人だったわけですね。それでまぁおまとめになりまして、それを高田系の真仏の弟子でもあった覚信房が写したのです。

 写した中に、今言いました『西方指南抄』の、「浄土宗の大意」と云われる法語、それを文章を省略したら分り難いですよね。それで、それを解説してほしいということで親鸞聖人に頼んだ。頼んだのは誰か? 真仏が頼んだのか、それとも清書した覚信房がお願いしたのかよく判らないんですけどね。おそらく真仏だろうと思うのですが、それで、それを親鸞聖人が解説をされたんですね。これがその『末燈抄』でいいますと第八通、そして今度編集した『御消息集』では第十通、『注釈本聖典』ですと七五六ページから七五八ページにかけて出ていますね。
 これ一番最後のところ <閏三月三日> という年号が出ています。それで <閏三月三日> というのは、三月が閏(うるう)なんです。閏三月ですね。これは太陰暦でいう場合は一年の誤差が、太陽の運行と合せますと一年の誤差が非常に出て来るのですね。秋分と春分の日がずれるわけなんです。それで何年かに一回づつ閏月を設けるわけなんです。閏月といいますのはね、たとえば閏三月といいますと、三月・閏三月という具合に三月が二回あるのですね。閏十月といいますと十月を二回やるわけです。それによって太陽の運行と月の運行とのズレを直していくわけなんですよ。
 それで何時閏月が有ったかという事を調べますと、この閏三月といいますのは何年であるかということが分るわけなんですね。
 それで親鸞聖人の生きていらっしゃた中で(長く生きておられましたからね。九十年間)三月に閏月があったのは二回あるのですね。安貞元年(1227)と正嘉元年(1257)と二回あるわけです。親鸞聖人の歳でいいますと五十五歳と八十五歳の二回あるのです。五十五歳であるわけはございませんので、『西方指南抄』を前提にしていますからね。そうしますとこれは八十五歳。『西方指南抄』が完成した八十五歳以後の三月なのか? ちょうど覚信房が京都で亡くなるという事件がありますので(慶信上書 註 766)、覚信房がお願いをしたか?、あるいは真仏がお願いをしたか? 何れにしても親鸞聖人に、御法語がちょっと判り難いので注釈して下さいと言ってお願いしたわけですね。
 その中にですね、七五七ページのちょうど六行目の所に、真ん中のところですけど、<二超といふは、一には竪超、二には横超なり。いまこの浄土宗は横超なり。竪超は聖道自力なり。(註 757)> そういうふうに注釈してある。これは『西方指南抄』では <二超のなかには横超なり (浄土宗大意 p.1026)> と書いてあるのですね。それだけではちょっと判りませんから、「二超とは何なのですか?」、そして「その二超の中の「横超」だと言うのはどういう意味なんですか?」ということを、それに答えられているのですね。

 『西方指南抄』は先程言いましたように、法然聖人の法語ですから、そうすると法然聖人の中にですね、「二超」という概念があるということになりますね。「二超」という概念があって、「二超の中で浄土宗は「横超」である」こういうふうに法然聖人はおっしゃっておったということがわかるわけですね。そうすると「竪超」・「横超」というこの概念は法然聖人が既に用いていらっしゃった。そこへ択瑛法師の「竪出」・「横出」という用例が『楽邦文類』によってもたらされた。このふたつを統合して親鸞聖人は「竪超」「竪出」「横出」「横超」という概念を造られたわけです。
 それで法然聖人と親鸞聖人の二人の間にもう一人、成覚房幸西という一念義の派祖なんですが、この成覚房幸西がやはりこの「横超」・「竪超」という概念を用いているんですね。「横」と「竪」という概念を用いているんです。(『玄義分抄』) そうしますと、こういう人がそれを書いたのは法然聖人が亡くなって六年後、建保六年という年に書いておられるのです。親鸞聖人が『教行証文類』を書かれるのはそれより更に十年後でございますので、まぁ早いところでみて十年ぐらいは後なんです。ですから親鸞聖人もこういう概念を完成される背後にそうした長い伝統があるということですね。
 先程申しました善導大師の『十四行偈』でも「横さまに四流を超断する」ということを <横超断四流> と言われたわけで、なにも「横超」というのは「竪超」に対する言葉として使ってられるわけじゃないのです。
 「横超断四流(横ざまに四流を超断する)」という言葉ですね。だから「竪超」なんてことは別に関係ないんですね。「横さまに四流を超断する」といわれた中から「横超」という言葉だけを取り出してきて、それで浄土宗の位置付けをしようとされたのですね。
 それで「四流」というのは煩悩の濁流をあらわすんです。それを超断するというのは煩悩の濁流を超える、煩悩あるいは苦悩の流れを超えていくということを示すのです。四つの流れ、これねぇ「四流」というのは何を指すかというと、一番簡単に言えば「生老病死」の四苦ですね。これが苦果、苦しみの果報ですね。「生老病死」の四流を超える。そういうことを「四流を超える」と言う場合もあるんですね。 ところが「四流」という言葉を……、おそらくこれは『涅槃経』に依っていると思うのですね。善導大師は『涅槃経』を非常によく読んでいらっしゃいますのでね、『涅槃経』を読みますとこの「四流」というのは「四暴流(しぼる)」のことなんですね。
 ひとつは「欲暴流」、暴流というのは激しい流れのことです。欲というのは愛欲ですね。全てを失わせていくような激しい愛欲の流れのことを「欲暴流」というのです。ふたつには「有暴流」、有というのはこの場合は「業有」[8]ですね。罪業、迷いの行いによって人間は押し流されていく。三つ目は「見暴流」、見というのは邪見ですね。邪な見解。邪な見解によって一切の善は押し流す。四つ目は「無明暴流」、無明というのは無智ですね。真実を知らない愚かさ、その愚かさに押し流されていく。「愛欲」「罪業」「邪見」そして「無智」という四暴流によって押し流されていく。そして「生老病死」という果報をつくり出していく。
 「四暴流」、もちろんこれは因ですね。苦をつくりだしていく因になるのです。だから因から言うか、果から言うか、どちらにしましても煩悩とそれのもたらす苦しみの結果を「四流」という言葉で顕したものです。それを超断する。
 「四暴流」といいますと因ですね。苦を造り出していく因のことになります。因から言うか、果から言うか、何れにしましても煩悩とそれらのもたらす苦しみの結果、それを四流という言葉であらわしていく。それを超断する。超え断ちていく。この四流を断ち切り超えていくということになりますね。横さまに四流を超断すると書いてありますからね。それであそこでは「金剛の志(こころざし) をおこして 横さまに四流を超断して」と書いてある。「金剛の志」というのはね、何物にも破られることのない堅固な志願ですね、願いですね。堅固な願いをおこして、そして横さまに四流を超断していくとこう書いてある。
 それでこれが「金剛の志」というのが菩提心ですね。その金剛の如きこころざし、さとりを開こうとする、そして一切の衆生を救済して諸共(もろとも)にさとりを完成しようというその金剛のような堅固なこころざし、菩提心を発して、そして横さまに煩悩の流れを断ち切り、そして一切の苦悩を超えて安らかなさとりの世界に生れていこう、さとりの世界を願えというので、「金剛の志(こころざし)をおこして 横さまに四流を超断し」とこう書いてあるのですね。
 そして「弥陀界に入らんと願いて 帰依し合掌し礼したてまつる」というふうに三業に対する帰依を勧めているんですね。これは別にこの事自身は普通に読めば何ということはないんですよ。菩提心を発して、そして煩悩の流れを横切って、そして向こう岸へつれていこうということなんです。煩悩の濁流が流れている。この岸から向こうの岸まで、此岸から彼岸まで渡していくわけなんでしょ。
 煩悩の流れ、これは欲・有・見・無明という四暴流であり、「生老病死」という苦果である。そういう煩悩の流れを渡って彼岸の岸へ渡っていく。迷いの岸からさとりの岸へ渡っていくわけでしょ。だから渡るときは流れを横切るわけですね。渡る時は横切るから、横さまに四流を超断すると言っただけのことですね。そういう言葉なんです。
 ところが、この言葉をですね、「横さまに四流を超断する」という「横」というのはね、これは「竪」に対する言葉なんだ。竪(たて) に超えるんじゃなくて横に超えるということを表しているんだということで、「横超」というのは「竪超」に対する言葉なんだ、こういうふうにみたのは法然聖人ですね。こんな見方というのはちょっと常識を外れた見方なんですね。
 それでそういう見方を法然聖人がされておったということはこの「浄土宗の大意」で分るし、先程読みました幸西大徳の書かれたものによって、法然聖人からこの方もこういうことを聞いていらっしゃったんだなということが判るわけですね。
 だから共通の「横超」という言葉、横に超えるのは竪(たて)に対するんだ。竪(たて)に超える超え方を「聖道門」といい、横に超える超え方を「浄土門」というんだ。ただ此岸から彼岸へ煩悩の流れを渡っていくというのは聖道門も浄土門も同じ事なんですね。なにも聖道、浄土は関係ないんですね。けども「横超」といった言葉の中に特別な意味を見出した。これが法然聖人なんですね。
 親鸞聖人のね、独特の見解だと考えられる事の中の多くは法然聖人の中にあるんですよ。だから法然聖人という方はすごく独創的な方だったんですね。だけどあの方は書かれない方なんですよ。自分で書かないんですね、ほとんど書かれない。まぁ筆不精というかな。あの方の場合はほとんど皆、弟子の筆録なんですよ。主著の『選択集』でさえも自分が直接書いたものじゃないんです。弟子に書かせたものなんですね。三人の助手を使って、三人の助手に書かせているわけなんです。めったに自分で筆を取って字を書かない。そうですね、手紙の中のある種の手紙で、自分でお書きになったものはあります。もちろん何通かあります。しかし手紙の中でも代筆があるようですね。
 昔からね、たとえば後に西山派の派祖になった証空上人のものだという……、いや、これは証空のものじゃなくて法然聖人のものだという論争があるものがあるんですよ。しかしこれは論争することはないんですよ。法然聖人の命令を受けて証空が代筆しただけのことです。
 代筆した場合、正確な代筆をする場合と、少しその人なりの癖が出て代筆をするのがありますのでね。文章まできちんと言って代筆させる場合と、大体こんな事を書けと言われて代筆した場合とがあってね。そのへんで少し、同じ法然聖人の名前で出してあるけれども文章のスタイルの違うものがあるんですね。
 ところがこれは間違い無く法然聖人のものだと分るのは真筆、自筆本ですね。ただ自筆が少ないんですよ。それで熊谷直実宛ての手紙が一通と、それから正行房宛ての手紙が断片ですけど残っておる。そのあたりが真筆として残ってますので、それでまぁあの方の文章のスタイルが大体推し量ることが出来る。それによって合せてみると法然聖人の自筆の手紙だと思われるのが何通かあるわけですね。
 それを見ますとそんなに、なにも文章が下手だとかいうことはないんです。非常に格調の高い、良い文章を書く人なんです。これだけの文章が書ける人なら書けばいいのにと思いますけどね。たしかに字はあまり上手ではないようだ。しかしこれは私は嬉しい。あまり(字は)上手ではないけれども、しかし文章にはやはり品(ひん)がありますね。たいしたものだ。
 そういうことで残っている自筆は非常に少ないですね。だからね直弟の親鸞聖人だとか、幸西だとか、あるいは証空だとかいう直弟子達が法然聖人から聞いたんだと、こういって書き残しておられるものは非常に大事にしなければならないですね。聞き書きだけどそれしかないんだからね。

 それで親鸞聖人の菩提心に対する見解ですけど、深いところで法然聖人と繋がっているわけです。話があちらこちらへ飛びましたが、宗教家の中には書かない宗教家は沢山いるんですよ。超一流の宗教家になりますと書かない方が多いですね。お釈迦様も書かれませんね。それからイエス・キリストも書かないですね。あれ皆、後からお言葉を編纂したものですね。どこまでイエスの言葉であるか、そんなもの考え出したら分らなくなってしまう。ラッキョの皮をめくるようなもんだ。あれもおかしい、これもおかしいといったら何も残らんようになってしまうというようなもんですね。

 お釈迦様もそうですね。だから非常に難しい。ソクラテスでもそうです。弟子のプラトン、あれがまた書き過ぎるくらい書く人で、しかしプラトンの『対話編』が無かったらソクラテスが何者であったかなんて分らないですよね。そういうふうに超一流の思想家、宗教家なんかは書かないというのが多いです。ところがまたむちゃくちゃ沢山書く人もおりますね。御開山なんかはよけい書く人だった。すごく筆まめな方なんですね。まぁそれはちょっと余談になりましたがね。
 この「横超」「竪超」、それから択瑛の「竪超」「竪出」を組合わせて、そして「二双四重」という見事な体系にしまして、仏教を分類して……、それで仏教を分類することによって何が分るかといいますと、自分の位置が……、自分の宗教がどんな位置にあるかということを決めていくわけですね。自分の位置付けというものをキチッと仏教全体の体系の中で決めていく。それを「教判」といいます。
 いわば「宗教」が仏教全体の中で自分の位置付けというものを教義的に確立するわけです。宗教のアイデンテティというものを確立するというのが教判論なんですよ。そのところ????使うわけですね。
 それで「横超」「竪超」、それから「横出」「竪出」と分けましてね。「横」と「竪」というのは、「横」というのは「他力」を表わし、「竪」というのは「自力」を表わすとこう言うのですね。これはもう非常に……、イメージ言語なんです、これは。いわゆる普通の意味じゃないですね。イメージ的な言語なんですね。
 「竪(たて)」といいますのは、非常に順当な考え方。普通の常識的な順当なものの考え方を「竪(たて)」と言ったんです。紙を裂く時、紙の繊維の流れにしたがって紙を裂きますとすぅっと綺麗に破れるでしょ。繊維に逆らって横に破ろうとしましたら、横紙破りと云いまして、むちゃくちゃに破れるわけですね。繊維にそわないで破る場合はね。
 「横(よこ)」と「竪(たて)」という場合にね、いわゆる「竪(たて)」という場合は人間の普通の物の考え方の順序に従って発想していくような。それに対して人間の普通の物の考え方、常識を破ってしまうような物の考え方を「横(よこ)」と言います。タテとヨコというのはちょうどそんな考え方ですね。 横車、横死等、全部非常識、常識を超えた、つまり人間の普通の物の考え方というものではその枠の中に入らないような、そういういわゆる、思議に対する不思議。タテというのは考えて判る世界。ヨコの方は人間の思いを超える、不思議。 そういう思議と不思議というものを、それを「横」「竪」という概念でイメージ的に表わしているんですよ。
 ちょうど、考えてみたらコロンブスの卵みたいなものです。本当にコロンブスがあんなことをやったのかどうかは知らんけどね、コロンブスがアメリカ大陸を発見したというので祝賀会が催された。その席である人が「西へ西へと行ったら突き当たるのだから、そんなものたいしたことがないじゃないか。」と言いましたら、そのときコロンブスがね「この卵を立ててみてくれ。」と言ったんですね。
 その人が一生懸命卵を立てようとするんですがなかなか卵は立ちはしませんわな、あれ。横にはなるんだがタテにはなかなかならん。「こんなものは立たん。」と言いましたら、コロンブスは卵の底をカシャンと割ったんですね。それで割った卵を立てたわけです。そりゃ底を潰せば卵は立ちますよ。「割れば誰でも立てられるわい。」と言ったら、「割らないで立てろと誰が言うた。卵を立てろと言ったのであって、割らずに立てろとは言っていないぞ。誰でも出来ると言うが、誰も考えつかなかったじゃないか。」と答えるんですね。
 これです。これがやはり発想の違いなんですね。卵を立てなさいと言われたら誰だって普通の卵をそのまま立てようとするからなかなか立たんですね。ところが卵の底をガシャッと割って、そして立ててみせた。発想の転換ですよ。その発想の転換が出来るか出来ないか、これが天才凡才の違いなんですね。
 ちょうどそんなところがあるんですね。思議というのはいつでも当たり前なんですね。
だけどその当たり前が当たり前であると見抜くのは天才しかないのですね。天才が一度見抜いたら、後はそれが当たり前になってしまうんですね。普通の当たり前ということになってしまうんです。実は天才によってのみ見出される当たり前という世界があるんですよ。ここで仏教の発想の転換というものが行なわれていく。その仏教の発想の転換をやったのは法然聖人ですね。
 (それまでの普通の考え方では)悪い奴が善くなって、そして最高に立派な人間になった、それが仏様だと。これは人間が段々と修業をして、心を清めて立派に、立派になったのが仏様だと、これは非常に分りやすい考え方ですね。愚か者が賢くなって、その最高に賢いお方を仏様と言うんだ。悪い奴が善くなって、最高に善くなったお方、だから最も賢くて、最も善で、最も清らかな、それが仏様だとこう言うのですから、それなら最も汚い状態から最も綺麗な状態になる。愚かな状態から賢い状態になる。煩悩の汚れた状態から煩悩を綺麗に浄化した状態になる。ものの道理が全然分らない愚かな人間という状態から、正しいものも道理も正確に判った聖者の状態になる、それが仏様だ。だから仏様がその凡夫の状態からずぅっと地続きで向上して、そしてその向上の極限に仏様があるという、こういう考え方ですね。

 それに対して法然聖人が発想の転換をやられるわけです。悪人が善人になって仏になるんじゃないんだ。悪人がそのまま仏になるんだ。愚かな者が賢くなって仏になるんじゃないんだ。愚かな者がその愚かなままで仏になるんだ。そんな考え方というのはちょっと想像のつかない考え方ですね。それを法然聖人は阿弥陀仏の本願のはたらきとして見ていかれたわけですね。

 凡夫を仏にする。凡夫が仏になる。そういうことを阿弥陀仏の本願から感得する。そのままが人間の思いはからいを超えているという不思議ですね。その不思議の領域を「横」という言葉で表わします。タテの発想に対してヨコの発想ですね。
 私よく言うんだけれど、竹筒があるとしますわな。その中に虫がおるものとします。この虫が外へ出る為には、竹を食い破らなければなりませんね。しかし竹の外郭は非常に堅い皮だからとても虫の力では外の皮を食い破ることは出来ない。けれども竹の中の節の皮は何とか食い破ることは出来る。外の皮に較べれば節の皮はずっと柔らかいですからね。それでこの虫が外へ出る為には節の皮を一つづつ食い破って、そして少しづつ上にあがっていって外に出るというのがいちばん……、突破しやすいところから突破していくというのが、これがまぁ普通の考え方ですわな。
 しかし虫を外に出す為には必ずしもそうしなけりゃならないわけじゃないですわな。虫の力ではだめでも、ほかの力で虫のおるところの竹の外郭を破ったら、穴を開けたら、虫は竹から出ることができるわけですね。
 つまり虫が外に出るのに対して、虫が自らの力で一歩一歩節を破って、そして順次向上していって、そして竹の殻から出ていくというこの発想。もうひとつは他の力によって竹の横に穴を開けてもらって、そこから虫が救い出されるという方法もあるわけですね。まさにこれ、コロンブスの卵みたいなところがあるんですね。→(竹筒)
 阿弥陀様というのは竹の横に穴を開けるんだ。阿弥陀様というのは、ずっと上まで上がってきたものを、それを阿弥陀様はここまで迎えにくるんじゃない・・・・テープが切れちゃいました。

こう考えた。これが法然聖人の浄土教なんですね。これはまた随分横紙破りなんですよ。だから非難、攻撃を受けるわけなんです。そんな莫迦(ばか)な仏教はあるかというわけですね。
 凡夫が何も修業もせずに、愚かな奴が愚かなままで、そのままで仏様のお力によってさとりを開くなんてそんなマジックみたいな仏教なんてあるものか! そんなマジックみたいな仏教を説く法然の教えなんか魔説である。悪魔の説であるといって非難を受けたわけなんですね。
 いやこういう仏教があるんだと言ったのが法然聖人なんですね。

【質問】(原氏)それが昨日のお話の悪人正機ということですね。
【答え】そうです。悪人正機ということになるわけですね。これ発想の転換なんですね。
【質問】昨日先生もお話しされていました、言葉だけが先行して、言葉だけが論じられて、基礎的な背景が論じられていないというのはそういうことなんですね。
【答え】そうですね。そういうことをここで押さえておくのです。

 法然聖人の「横超(おうちょう)」というのでも、善導大師の言葉の吟味の上で「横超」があるのなら、「竪超(しゅちょう)」ということがあるんだ。ヨコというのがあるのなら、タテということがあるんだ。だから横(よこ) に超えると言ったら、竪(たて) に超えるということがあるんだ。竪に超えるのが「聖道門」だ。それに対して横に超えるのが「浄土門」なんだと、こういうふうなかたちで法然聖人はおっしゃるわけなんです。我々の立場はこの「横超」の立場なんだ。「竪超」の立場でもって我々の立場を論じてもらったって、そりゃ当たりませんぜというわけなんだ。

【質問】善人なおもて往生をとぐ いかにいわんや悪人をや、というのは横超の立場ですね。
【答え】そういうことです。
【質問】悪人なお往生す いわんや善人をや、というのは竪超の立場ですね。
【答え】その通りです。
先ずはこういう発想の違いというものがあって、それを表現しているわけですね。これが独創的な思想家の仕事なんです。まぁ私等としては言われた言葉を何とか忠実に頂き、追体験していこうとするわけなんですけどね。
【質問】だから、どのような御文があるかないかということが問題じゃなくて、そういう思想というものの違い目を受け取ってもらわにゃ困るということですね。
【答え】そういうこと、そういうこと。

 これが判れば、法然の中にそれ(横超・竪超)があったとしても、実はちっとも不思議じゃないということなんですよ。あるのが当たり前だと、ないと思う方がおかしいんだということでね。それで見てみたら有るんですよね。そういうことがあるということは、しかし親鸞聖人が伝えているわけなんです。親鸞聖人は法然聖人の「法語」としてちゃんと伝えておられるわけですね。だから法然の法語としてあったんです、これはね。
 あったことは、先程も言いましたように親鸞だけが伝えたわけじゃなくて成覚房幸西も伝えている。それから善慧房証空も伝えている。だけど、それはあそこにはこんな「二双四重」というような形ではキッチリと体系化されてないからね、だから断片的な伝え方がされている。だけどそのような断片的なものだけど、それをちゃんと体系だてたら親鸞聖人のような体系が出来上がるということなんですね。
 だから法然聖人のところに未完成の魅力というものがあるんですよ。あの方の場合、まだまだ未発掘の部分というものが沢山有る。法然聖人というのはまだまだ発掘できる人なんです。いや、御開山だってそんなんですよ。私等のところでも、誰か偉い人が出ましてその教えをキチッと体系化致しますと、そうなのかと思ってしまうのですよね。ところが体系化しますと必ず抜けているのです。何か大事なものが抜けているのです。その抜けておるところが大切な……、実はそこにその人の最も面白いものがあったりしましてね。

【質問】先生の今の説でも大分抜けていますか?(笑い)
【答え】おう、抜けとる。抜けとる。(笑い)だからどんどん、どんどん探してちょうだい。そういうこと。

 それで「横超」とか「竪超」というのはどちらかというとイメージ言語だと言いましたね。普通の論理的な言語というより、イメージ的なものですね。それがある人の宗教的な状況というものをそういう言葉で象徴的に表現する、そういうものなんです。こういうことが言われるのは、あれはやっぱりね、あの人達は詩人でもあるんですね。本当の宗教家というのは詩人でもあるわけですね。つまり言葉の天才なんですよ。研ぎ澄ました言葉を使える人達なんですよ。

【質問】「総序」の御文(ごもん)なんか素晴らしいですよね。
【答え】そうですよね。あれなんか随分よく練れてますよね。

 そういうことで、菩提心には四種類ある(四重)。だからたとえば法然聖人の否定された菩提心といいますのは、これは「竪の菩提心」なんです。自力聖道の菩提心ですね。
 それから「出」と「超」というのはね、「出」とは出るということ、「超」とは超えるということですね。「超える」ということと「出る」ということとを対応しまして、「出る」というのは順次・順番に、一から二、三、四というように順番に出て行くのを「出る」と言うのです。それに対して「超える」というのは、一から十まで一遍に飛び超えてしまうんです。そういうことで「竪」と「超」とにまた対応させるんですね。
 一段、一段と上がっていくのと、飛び超えていくのと、自力の中にもそれがある。他力の中にもそれがある。それで「竪出」「竪超」、「横出」「横超」というのを分けたわけですね。
 法然聖人が、「菩提心は必ずしも必要でないんだ。無くてもそれは障りにならないんだ。」と言われたのは実は「竪の菩提心」を言われたんです。自力の菩提心について言ったんだ。他力の菩提心について言ったんじゃないんだ。こういうことは法然聖人の御言葉にね、浄土の菩提心とは浄土を願生することだ。浄土に生れようと願う心が浄土の菩提心だと言われています[9]。そうすると浄土に生れようと願う、いわゆる「願生の心」、「欲生の心」というのはこれは「信心」ですからね。その欲生、願生という信心が菩提を願う心になるんだ。だから菩提心を発(おこ)さなくても、浄土に生れたいと願う心がおきたら、その人にはすでに菩提心があるのと一緒なんだ(*)。こういうことを法然聖人がいわれた文章があるわけなんですね。これは『三部経』の注釈である『三部経大意』という書物に書かれています。
 そういうことを成覚房幸西も「浄土の菩提心は浄土に生れようと思う願生の心が浄土の菩提心だ。」というふうに言っております。そうしますとそういう考え方というのはあったわけですね。
 それを、しかしもっと深めて、浄土に生れようと願う心、それが真実の菩提心であるということがどうして可能なのかということを追及していかれるのが親鸞聖人なんですね。浄土に生れたいという願いは、浄土に生まれてくれよと願う如来の願いだ。それが私に感応している。浄土に生まれてくれよ、という如来の願いを受け取った姿が浄土に生まれたいという願いなんだ。そうしますと浄土に生まれてくれよという如来の衆生済度の心、「度衆生心」が、浄土に生まれたいという「願作仏心」になるんだ。だから如来の度衆生心が願作仏心になるんだという、こういう論理が法然聖人にちゃんと含まれてあるんだ。それをまぁ法然聖人はそこまで詳しくおっしゃらなかっただけなんだということなんですね。
 これはあの論難する人があって、それでさらに詳しく言うということがあって、それがなかったら別に言わなくてもいいことなんだ。

【質問】浄土に生まれてくれよという如来様の願い、それに応(こた)えて浄土に生まれたいという衆生の心。欲生というのはですね、本願の三心の中の欲生が表にたつのですか?
【答え】そう、これ非常に大事になるわけですね。欲生心というのは非常に大事なものだ。
【質問】そしたら信楽というものが中心だといわれているものと、少し齟齬が出て来るんじゃないですか?
【答え】信楽が中心だというのはね、如来の言葉を受入れるという状態を言うときには「信楽」なんです。受入れた状態は何だといいましたら、如来の仰せのままに浄土に生まれると願う心だ。これが欲生だ。だから欲生心というのは大変重要なもんだ。だから「欲生帰命説」、「願生帰命説」と出したのはやっぱりそういう心を出そうとしたんですよ。ですから「三業惑乱」というのは変な論争でしてね。分けちゃならないものを二つに分けて、どっちの義を取るかというふうなね、そんな論争なんです。あれは不幸な論争だよね。あれもういっぺんやり直さなくちゃ、難しいんですけどね。そんなんでね。これから蓮如時代をみる場合なんかでもあれは非常に不幸な論争ですね。

 実は親鸞聖人がですね、三心釈の中でね <本願召喚の「勅命」> ということをいうのは欲生心なんです。<欲生というは、すなわちこれ如来、諸有の群生を召喚したもうの勅命なり (註 241)> だから我が国に生まれんと欲(おも) えというのが如来の勅命なんだ。その勅命を聞いて「信順」するのが、それが「信楽」なんだ。だから信楽の中身は欲生だということなんですね。

【質問】信楽義ですか?
【答え】いや、「義別(信楽の義を別開したのが欲生だといふ意)」というふうに見た方がよかろうということで言うているだけでね。「三業惑乱」の論争の中で出て来たんで、実は信楽というのは欲生のことなんですね。欲生という性格を持った信楽なんです[10]

 ですから善導大師は「清浄願往生心」を生じるなりと言われたのです。「白道」とは何かと言うたら清浄なる「願往生心」、衆生貪瞋煩悩の中に清浄願往生心を生じるなり、とこう言ったのですね。だから浄土真宗の「信心」というのは願往生の心という性格を持っているんだ。だから「願往生心」という言葉でもって信心を表わしたってちっとも差し支えないんだということですね。
 ただ、如来の仰せを頂く、如来の仰せを受入れるというときはね、そのときは私の計(はか)らいを入れないで受入れないと、如来の仰せは仰せの通りには私の身につかないよというのが……。はからいを離れて、私心を雑(まじ) えないで、仰せの言葉を言葉の通りに受入れるんだよ。そのときはじめて願往生の世界というのが開けてくるんだよと言うているわけなんで、その仏様の仰せを聞くという状態をあらわした言葉が「信楽」であらわされている。疑いなき心ですね。
 信心というのは、前の信心のところで言うたこともありますが、「信」ということを親鸞聖人は「聞」と言われていますね。疑いのない心。いや、疑う心もない状態をいうんですね。
 『一念多念文意』にね <信心は、如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり。(註 678)> というふうに、疑う心の無いことを信心と言うんだということですね。疑う心がないというのは、はからいがないということなんだ。はからいを雑(まじ)えない、つまり疑いがない状態を信心というんです。
 じゃあ信心とは何なのかと言いますと、信とは無いんですよ。信には実体がないんですよ。だから『本典』には「信文類」だけに出体釈が無いんですよ。『教文類』と『行文類』と『証文類』には皆、出体釈が付いていますよ。「教」とは何か? 『大無量寿経』だ。「行」とは何か? 称名だ。「証」とは何か? 利他円満の妙位・無上涅槃の極果だというふうに物柄(物の本体、本質)を出してある。ところが「信文類」だけは出体釈が無い。いきなり信心の讃嘆なんですよ。出体釈が無い、物柄を指定しないというのは信に物柄が無いからなんです。「信」という物柄は無いんだ。
 じゃあ何があるんだと言ったら「法」がある。はからいを雑(まじ)えないから法が法の通りに私の上に実現している。邪魔ものがないから、法が法の通りに、教えが教えの通りに私の上に顕現する。それを「信」というんだ。だから「信」とは何かと言ったら「法」なんですよ。だから「信」の徳を語るときには「法」を語るんです。「法」を「機」の上で、法を私の上で語れば「信」と呼ぶんですね。
 あえて信の「体」を言うときには「至徳の尊号をもって信の体とする」(註 232)とこう言ったんだ。
だからあえて信の物柄を言えばに名号になるんですね。名号というのは仏の言葉ですね。
仏の本願の言葉が「信心の体」であると、こういうことになるんですよ。つまり本願が私の上に顕現している。<至心に信楽して我が国に生まれんと欲(おも)え> 私の国に生まれるんだと欲(おもえ) よといわれた言葉がすっと私の中にあるから、それで仏の世界へ生まれていくんだなという、ひとつの新しい世界が開ける。これが信心の内容なんですね。
 だから「他力の至心信楽のこころをもつて安楽浄土に生れんとおもへとなり」(註 643) とこう『尊号真像銘文』は言うわけです。

【質問】「欲」という字を「オモエ」と読まれますね。そういう読み方ってあるんですか?
【答え】うん、あるある。「欲」というのは「欲願」でしてね。思うんですけど、やはり願えということなんです。願うということなんです。願うということは、まだ実現していない事の実現を願うということでね。それを「欲」という言葉が表わしているんです。
【質問】「決定要期」であるわけですね。
【答え】そう、「決定要期」です。新しい未来を創造したわけですね。新しい未来が造り出されていく。 その新しい未来を造り出す言葉が如来の本願の言葉なんですね。そこで新しい世界を造っていくわけです。それが本願の言葉なんですね。

 だから信心というのは本願が主体化することなんです。如来の本願が私の上に主体化していくわけですね。そういう如来の願いが私の上に顕現していく相(すがた) を「信心」というわけです。如来の「度衆生心」が「願作仏心」だ。仏になろうと願う心。この仏になろうと願う心というのが「欲生心」なんです。浄土に生まれようと願う心ですね。だけど浄土に生まれようと願う心が、仏になろうと願う心なんだというところに「菩提心」の特色を出していっているわけです。
 このように親鸞聖人は、浄土に生まれるということと仏になるということとを同義語として 使っていらっしゃる。同義語に使ってしまうという、これが往生が直ちに成仏であるという、そういう信念が背後にあるわけですね。これがちょっと今までの、本来の浄土教の常識を変えてしまうんですね。
 そういうことがあって、「願作仏心」が如来の「度衆生心」である。願作仏心が度衆生心になったすがたが、言葉で表現すれば本願の言葉なんだ。「我が国に生まれんと欲え」という言葉なんだ。「我が国に生まれんと欲え」という言葉が《如来の度衆生心》だ。如来の大悲の表現としての言葉なんだというのですね。
 その言葉に喚(よ)び覚(さま)されて、その言葉が私の上に主体化したときに、浄土へ生まれんと欲(おも)う心、それは如来の領域へ生まれようという心だから、如来に成ることを欲(おも)う心なんだ、ということになる。だから「願生心」とは「願作仏心」なんだ。そういうことを願生心の中に読み取っていこうとするわけなんですよ。
 それが「三心」の字訓釈ですね。「欲生」の「欲」というのは <成作為興の心なり(註 230)>(成仏・作仏)というような読み方になるわけですね。よくまぁ、あんな言葉を探してこられたもんだ。そして読み切っていくんですね。こんなのはもぉ、あるひとつの信念が確立しているんですね。その信念を確立させたのがこの言葉だから、この言葉の中にこの信念をあらしめるような意味が含まれているに決まっているというので、読み切っていくわけです。こういうのは天才だけに開ける世界ですね。天才にはそういう飛躍がおこなわれる。

 それでこの「横出」というのは、浄土教の中になお自力的な要素、聖道門的な要素を交えて阿弥陀仏の本願を考えていこうとすること。それは「横出」といわれるものだ。
だから昨日も言いましたが、論功行賞的な、聖道門的な発想でもって阿弥陀仏の救いを考えていくのが、これが「横出」という考え方なんです。それは阿弥陀仏に触れているけど阿弥陀仏の真実を知ってはいないということで「横出」というんです。
 それで「横超」というのが阿弥陀仏の本願を如実に受け取った姿だということで、これが「自然法爾」の世界なんですね。大悲の「必然」という、そういう表現になる。これが実は「横超」の「菩提心」といわれるものだということで、その「横超の菩提心」というのは私の上で「願作仏心」というかたちで表れていく。願作仏心、仏になろうと願う心ですね。そういうかたちで私にある。
 しかし仏になろうと願う心というのものが表われたときに、我々は変貌するんだ。価値観が一変するんだ。これはやはりああいう人達、やはり生まれ変わった。そういう思いがあるんですね。今までの古い私は死んだんだ。新しい私が蘇った。そういう生まれ変わりの体系というものを結構持ってられるんですよ。

 あの人は面白いのはね、名前を変えるという癖があるんですよ。その、生まれ変わりみたいな体験をされますとね、名前を変えられる。「範宴」というてたら、法然聖人の門下になった瞬間に名前を変えてしまわれまして、「綽空」と名乗られます。そのように「綽空」と名前を変えたんだけれども、なお新しい領域が開けたときに「善信」と名前を変えられます。法然聖人の元で、これは夢の御告げによって変えるんだけれどもね。それからさらに、……「善信」は一生使いますけどね。天親と曇鸞の教学に開眼しますと、天親の「親」という字と、曇鸞の「鸞」という字を取りまして「親鸞」というふうに名乗られる。そういう面白いところがございまして、しょっちゅう名前を変えておられる。
 そういうところが、あれはある種の生まれ変わりの表現ですね。古い私は死んだんだ。新しい私が蘇(よみがえ)ったんだ。そういうところがある。
 この死と復活みたいなものが……。イエスは死んで復活しますけど、どうも御開山は生きている間に死と復活を繰り返す。そういう部分があるようですが、そういうものをね、たとえば阿闍世の廻心のところで読み取っていくのが「信文類」末巻のところの、阿闍世がお釈迦様の前でね、「古い私が死んで、新しい私が蘇った。無常な私は死んで常住のいのちが蘇った。」(意 註 287)と言うあの蘇りの告白がありますがね、あの文章を引きまして、<我は無根の信を獲たり (註 286)> という有名な、あそこに出てきます言葉を非常に大事にしていかれます。
 新しい価値観を持った、新しい人生観を生きるそういう人間として蘇ったんだ。そういう強烈な廻心体験というものがあって、そういうものが <横超の金剛心> という言葉になって表現されていくわけでしょうね。
 もっともこれも昨日言いましたように、栂尾の明慧上人あたりの論難がひとつのキッカケとなっている。だから疑謗を縁とするのですね。浄土教に対する疑いと謗(そし)り、論難を縁として、そして素晴らしい世界を開いていく。<信順を因とし、疑謗を縁として……そして妙果を安養にあらわさん。(註 473)> という『教行証文類』の最後の言葉というのはね、敵が全部私を育ててくれる肥(こや)しになっているという……、こんな人、論難してもかなわんですね。そういう凄いバイタリティがあるわけですね。

 えらく話が長くなりました。ちょっとここで休憩をして、もう少しお話しをさせて頂きます。実は私、今日は十一時五十分のJRで帰りたいと思いますので、十一時半頃に終わらせて頂きたいと思います。ちょっとここで休憩をして、そういう新しい菩提心を体系付けて、どういう世界観とか人生観がおりなしていくかということをちょっと考えてみたいと思います。

【質問】それはあれでしょ。今までの人間の思考方法から脱却したということは、全く奇想天外な領域に踏出したということですね。
【答え】そうそう、だから変り者なんです。(笑い)
【質問】だから分らないんですね。
【答え】そうそう、相当変り者。だからその当時としては奇想天外な新しいものにぱぁっと飛び付いていって、そこで自分を形成していくというような人は、それは当時の社会からみれば変り者だよな。
【原氏】岡本太郎みたいに、「バクハツだぁ!」なんて言って・・。(笑い)
【梯師】ハハハッ(笑い)、それじゃあちょっと休憩させて頂きます。

  称名

 前半終わり

《第五講》

 それじゃあ もう少しお話しをさせて頂きましょう。親鸞聖人が、こういう「横超」の菩提心ということをおっしゃいまして、従来、菩提心といえば、私達が発してそしてそれが一切の修業の原動力になるような、またその修業の方向付けをするような、そういう心だと考えられておったのに対して、「横超の菩提心」とは、つまり如来の本願のこころを受入れたその「信心」が「菩提心だと言われるのです。
 その如来の本願を受入れた心と言いますのは、如来の本願に包まれ、そして大悲されている自己として自己を見出していくということがあったわけですね。だからその意味で自分が発(おこ)す心というよりも、それはその心(菩提心)が自分を包んでいく。そして自分の存在を本願の中に確認していく。そういうかたちで菩提心というものが捉えられているということですね。
 本願の中に自分を見出すということは、如来の度衆生心の真っ只中に自分が置かれてあるという、そういうことを見出すわけですね。その如来の度衆生心の真っ只中に自分がおかれてあるということによって、自分が如来の子として蘇っていくわけですね。如来に大悲され、そして「如来になれ。おまえは如来の子なんだ。だから如来になることがおまえの本来の在り方なんだ。」というふうに如来によって見極められ、見定められ、そして呼びかけられている。そういう自分に気付くことですね。
 その意味で、菩提心を発すということよりも、如来の菩提心の中に自分を見出し、そして如来の菩提心によって自己の存在というものが意味付けられ、そして自分の生存の意味と方向がそこで決定していく。如来の菩提心によって意味付けられた自己の方向、これが「願作仏心」というかたちで、いわゆる「信心」になるわけですね。仏に成ろうと願う。こういう方向付けがあります。
 仏に成ろうと願っていくような、そういう存在として自分が意味付けられ、方向付けられているということですね。そういうことが親鸞聖人の菩提心釈の根源にあったということが判るわけです。
 そういう親鸞聖人の菩提心釈を支えておるものは、お経で言いますと『華厳経』と『涅槃経』なんですね。それで『華厳経』は、以前に「如来に等し」ということをお話ししたときに申したのでございますけれども、この経の一番最後に「入法界品」というのがありまして、この「入法界品」の一番最後のところに <この法を聞いて、心に信じ疑いなければ、すみやかに無上道を成じて、諸々の如来と等し(華厳経の訓 (入法界品))> と言われた、その文章を受けて、そして <信心よろこぶその人を 如来と等しと説きたまふ (註 573)> という言葉に要約(諸経和讃) しておられますね。それで『涅槃経』によって、<大信心は仏性なり 仏性すなはち如来なり (註 573)>、こういうかたちで信心というのは如来の子としての目覚めを与えられることなんだ。

 「仏性」というのはね、ただ仏に成ろう、因という意味、一般にそう云われますけれど、「仏性」とはもともと「タターガータ・ガルバ (tathāgata-garbha)」=「如来蔵」ですのでね。「如来蔵」というのは「如来の子」という意味なんですよ。如来の胎児ということなんですからね。
如来の子としての目覚めがそこにあたえられる。だから「信心」というものが如来の子としての目覚めをあたえられるものだということですね。
 まるで悪魔に魂を売ったような生き方をしている私に向かって、如来は「それでもおまえは如来の子なんだ。煩悩具足の日暮らしをしておっても、それでも私の子なんだ。」と如来は言い続ける。その如来の言葉によって蘇る。如来の子としての目覚めを与えられる。そういう目覚めに支えられた新しい生き方というもの、それが阿闍世の、父親を殺し、母親を牢獄に入れた、あんな悪逆な阿闍世がお釈迦様の教えによって蘇った。あの『涅槃経』の阿闍世の蘇りというものを御開山は『教行証文類』の「信文類」に非常に長く引用されて、そのことが述べられていく。それは悪逆無道の者が如来の言葉によって、如来の大悲によって蘇って、如来の子としての目覚めが与えられた。その新しい生き方というものをそこから展開していく。
 そういうことを『涅槃経』をもって詳しく述べていくんですが、それを一句に表わしたのが <大信心は仏性なり 仏性すなはち如来なり (註 573)> という言葉でしょうね。
 だから <信心よろこぶその人を 如来と等しと説きたまふ> というあの「信心」というのは、その話しをしたときに申したのですが、『華厳経』では <この法を聞いてこころに信じ疑いなければ> とこう書いてあるのですね。これが『華厳経』の最後の結びの言葉なんですね。
 <この法を聞いて> これは普通に読みますと、<この法を聞いて歓喜し、心に信じて疑いなき者は、すみやかに無上道を成じて諸々の如来と等し> とこういうふうに読む言葉なんですね。それを親鸞聖人は <この法を聞いて、そして、信心を歓喜し> とこう読んでいられます。<信心を歓喜し、疑いなき者は> これを省略しまして「諸々の如来と等し」とこういうふうに読んでおられるわけなんですね。
 「この法」というのは何かと言いますと、菩提心なんです、これ。『華厳経』の「入法界品」の結論ですから、そして『華厳経』全体の結論ですからね。『華厳経』とは何を顕した経なのかといいますと「菩提心」をあらわした経なんだ。「入法界品」というのは菩提心のすがたを、有名な善財童子という少年の求道の旅を通してあらわしているのですね。
 善財童子が五十三人の善知識を次々と尋ねて、そして旅をしていくというそういう善財童子の旅物語が出て来ます。今度あれを梶山さんがね、現代語訳をやられたらしい。
もうぼつぼつ出ると思うのですよ。梶山雄一先生といいまして、京大の名誉教授で、今、仏教大学に行っておられるんですよ。あれは仏大に何せんと、ウチ(行信)へ来てもらったらいいと……。それで今年からウチへちょっと客員研究員のかたちでね、来てもらうことにしましてね。ゆくゆくはウチへ取り込んでしまおうと思ってるんです。(笑い)まぁ、これは内緒やで。素晴らしい先生ですのでね。

 あの人は現代語訳(さとりへの遍歴 上下)を出して下さったらしいんですわ。もうぼつぼつ出ると思います。もう出ているかなぁ。もう出ているか、出るかぐらいですわ。あれ読んでみなはれ、面白いですよ。

【質問】どこから出るんですか?
【答え】さぁ、それはワシも忘れたんだけれどね。だけどそんな話し・・、噂を聞いた。

 ともかく『華厳経』の原本は難しいんですよ、結構ね。それで山辺習学師だったかなぁ、それを現代語に……、あっ、赤沼智善さんか。あの人、「人生修業の旅」ってあるでしょ。いや、やはり山辺習学さんか。共著じゃあなく、どちらか一人のはずだ。まぁまぁ、出してられるんだ。結構難しいんだ、あれもね。読みづらいですよ。今度のはもっと読みやすくしているらしいので御縁があったら読んでみて下さい。面白い本ですね。
判かりやすくすれば非常に面白いと思うのですがね。ともかく原本は難しい。
 これは菩提心というものを物語であらわしているんです。それを一番最後に受けて、<この法を聞いて> というのは、菩提心の法を聞く。文殊菩薩に導かれて、これは「智慧」を顕していますね。文殊の智慧に導かれて、そして五十三人の善知識を次々と尋ねていく、その物語なんですね。それをあらわしているんです。だから「菩提心」というものをひとりの人間がどういう生き方をするかということで示しているんです。
 「菩提心」というのは、昨日言いましたように「四弘誓願」であらわしているんですが、それが実際に、菩提心が主体化したときにどういう生き方をするかということですね。それはそのときそのとき出会っていく様々な出来事の中で、そこで法を聞こうとする。日常的な生活をそのまま仏道に変えていくわけです。
 だから善財童子が尋ねた善知識といいましても、そりゃ修業者もおりますよ。菩薩もおりますけども、しかし普通の在家の信者さん、あるいは船乗りさん、ペルシャ湾を越えてそしてメソポタミァやらアフリカまで、世界中を航海をするようなそういう船乗りさんだとか、あるいは行商人であるとか、金貸・金融業者であるとか、中には道端で遊んでいる子供、やっと字をおぼえ始め、砂場で字を書いて遊んでいるそういう子供からも法を聞く。あるいは遊女ですね。遊女から法を聞く。それこそあらゆる人から、実は日常我々が出会っている全ての人が、その気にさえなれば素晴らしい法を聞かせてくれる人なんだ。
 ただそれを聞こうとする耳を傾けないから、またそれを見ようとする目を養わないから見えないだけだ。こういうことで、人生すべて師匠なんだ。あらゆるものが私を育ててくれる師匠なんだ。そういうことが菩提心ですから、そういうことを見抜いていく心を開く、視野を開いていくことが菩提心なんですから、だから菩提心をおこすということは日々の生活を「聞法の道場」として生きていく。辛い事も悲しい事も苦しい事も全部それが私に何かを教えてくれている師匠である、こういうふうに受け取っていく、そういう生き方を問題としていくんですね。
 そういう生き方の方向が判れば <こころに信じ疑いなきものは、すみやかに無上道を> 最高のさとりを完成して、諸々の如来と等しいという境地に入るんだ。こうおっしゃっているわけですね。ところが親鸞聖人はここへ <この法を聞いて> というのは阿弥陀仏の本願を聞くことだとこう言われるのです。つまり阿弥陀仏の本願というのは、かの菩提心だということですね。だから本願を聞くことは菩提心を聞く事であり、実はこの『華厳経』を聞くことなんだというんです。
 『華厳経』と『大無量寿経』とはもともと非常に親近性のあるお経でしてね。まぁ『華厳経』はどちらかといえば専門家向きなんだ。それから較べると『大無量寿経』というのはやはり在家向きでしてね、判りやすく書いてある。あれでも判りやすいのです。(笑い)
どこが判りやすいのかと思うけど、判りやすい。『阿弥陀経』なんかすごく判りやすく書いてありますね。まぁそういうなんですけど。
 そこで親鸞聖人は「この法を聞く」ということは本願を聞くということだ。そして「信心を歓喜する」とこう言うのですね。「信心を歓喜する」と読まれるのですよ。これはちょっと変った読み方ですね。「信心を歓喜する」というのは何か? この法を聞いて疑う心がなくなった、そのような状態に私をあらしめてくれている、そのことを感謝するんだということですね、喜ぶんだから。だから信を得たことが、それが無上の喜びであるということですね。
 信を得たことが無上の喜びであるということは、法に心が開けたということが無上の喜びであるということですね。そして疑いなく法を聞き、法に促(うなが)されて生きていく者、法に揺り動かされて生きていく者、それが諸々の如来と等しといわれる、そういう徳を与えられているんだということで <信心よろこぶその人を 如来と等しと説きたまふ(註 573)> とこういうふうにこの文章をまとめておられますね。『華厳経』全体をあれだけの言葉にまとめられたんですね。
 これが菩提心なんです。この菩提心をもって生きる者は、自分の人生全体が「道場」として受け止められていくんだ。考えてみたらねぇ、私等これで一日、本当にこう掛替えのない日を生きているわけですよ。今日という日はもう二度とないんだよと、こうおっしゃってますが、それはその通りなんだけども、シラーッとしてしまってそんなの当たり前のことじゃないかと思うのですけど、しかしひょっとこう思うて、もう本当に二度とない日ならば二度とない日のように生きなきゃならんのじゃないかと、ふと思うことですわね。
 それでその掛け替えのない日々の、その日がどんな日であったとしても、嬉しい日であったとしても、悲しい日であったとしても、それが私にとって掛け替えのない日ならば、
・・・・・・・テープが切れちゃいました。残念!

あれ代りようがないもんな。代り様が無いということは掛け替えがないということだ。私の死は私しか死ねないんだから。そうすると私しか死ねない死を、私しか死ねない死として受け止めていく。それだけの????こともあっていいんじゃないか。だから掛替えの無いものを掛替えの無いものとして受け止めていくという、そういうことが、そういう呼び覚ましというものが、実は菩提心なんですよね。
 それでその中で、しかもこの菩提心が一切の衆生との連帯を呼びかけていく。そういう菩提心であるということになりますと、私が仏の子であるように、あの人もこの人もみんな仏の子なんだ、そういう目覚めというものがあたえられていく。そういうところから新しい仏の子の甦りを見ていくということでしょうね。
 それで阿闍世がですね、お釈迦様の説法によって甦っていく、つまり仏の子として甦るんですね。「一切衆生悉有仏性」という、一切の衆生悉く仏性ありという……、あれは『涅槃経』では <一切衆生悉有仏性 如来常住無有変易> というこういう対句になっているんですね。これより前に <大信心は仏性なり 仏性すなはち如来なり (註 573)> というのですけれども……。
 『涅槃経』というのは <一切衆生悉有仏性 如来常住無有変易> ということですね。
一切衆生悉有仏性」というのは一切衆生悉(ことごと)く仏性ありということですね。仏としての本性を持ち、「性徳」を持っているということなんです。「性徳」というのは変らない性質ということでね。仏になったから増えるわけでもない。凡夫であるから少なくなるわけでもない。凡夫になって減ることもない、仏になって増えることもない、そして変化することのない根源的な性質、それを「仏性」と言っているんですね。
 一切の衆生は悉く仏性を持っている、ということは一切の衆生は「如来の子」であるということですね。その、一切の衆生は如来の子であるということを違った言葉で言いますと「如来蔵」という言葉であらわされるんですね。
 (如来蔵=タターガータ・ガルバ tathāgata-garbha) ガルバと言いますのはもともと子宮を表す言葉なんですね。「蔵」といいますのは、これが実は「胎蔵」なんですね。「蔵」と言いましても色々ありまして、「アーラヤ ālaya(阿頼耶)」という言葉を翻訳した「蔵」もありますね[11]。それから「アーカラ ākara)」という言葉を翻訳した「蔵」もあります。「ダルマ アーカラ Dharm ākara」、法蔵菩薩の「法蔵」なんかは「アーカラ」の翻訳ですね。だからそれぞれの翻訳によって意味は変りますよ。漢字にしたら一緒の「蔵」という字ですけどね。
 今の「蔵」は「胎蔵」ですね。「胎」とは母胎なんですね。もともと「ガルバ garbha」というのは子宮から出て来て、子宮の中に宿っている胎児のことも「ガルバ」と言うんですね。それでこの場合の「ガルバ」は胎児という意味なんです。それで「如来蔵」というのは如来の胎児という意味が強いですね。如来の母胎の中にやどっている子供。如来の子なんです。
 如来の子供。そして如来の中にありながら如来を見ることが出来ない。如来の子でありながら如来らしいはたらきが出来ない。これが「胎児」なんですね。母胎の中にある赤ちゃんは人間の子でありながら人間としての活動はひとつも出来ない。ものも言えないし、また歩くことも出来ない。そんな状態ですから胎児と言うんです。しかし如来の子である。人間の子である。やがてその子は人間の子として成長すべき、そういう徳をちゃんと具えている。そういうのが赤ちゃんですよね。
 ちょうどそのように人間は、赤ん坊がそうであるように、如来の智慧と慈悲の中に包まれてありながら、そして如来にいちばん近いところに居ながら、如来を見ることが出来ない。しかし確実に如来としての「性徳」、性質は具えている。そういうところを「如来蔵」と言うんですね。だから「如来蔵」とは凡夫のことなんです。凡夫は「如来蔵」であるということなんですね。「如来蔵」というのは如来の胎児、如来の子という意味なんですよ。だから衆生は「如来蔵」であるというのが「如来蔵経典」の特色なんです。この『涅槃経』というのは一切の衆生は如来の子であるということを宣言するわけですね。 だから如来は永遠なんですよ。実は『涅槃経』というのはお釈迦様が亡くなるときに説かれたという聖典になっているわけなんですね。死んでいくお釈迦様をつかまえて、如来は永遠であると語らせるわけですね。死んでいくお釈迦様が如来は永遠であると、こう語るわけなんです。
 その如来は永遠であるということ語るときに、どうしてそういうことを語るかというときに、たとえばこの『涅槃経』、阿闍世のところで語りますと、「我は阿闍世の為に涅槃に入らず。」と言うのです。「阿闍世の為に涅槃に入らず。」とはどういう事かと言いますと、阿闍世というのは一切の煩悩の衆生のことである。五逆を造り、そして煩悩をおこして苦しみ悩んでいる衆生のことである。「阿闍世の為に涅槃に入らず。」と言いますのは、一切衆生の為に涅槃に入らないということなんだと経典に出ていますね。
 そうすると仏様は一切の衆生と連帯し、一切衆生の苦悩のある限り如来はそこで生きているんだ。だから一切衆生の上に如来は生きているんだ。言い換えれば、我々が如来の胎児である限り、如来は私のところで生きているんだということですね。如来の胎児としての私と共に如来は生きている。そして胎児である私を一人前の仏にする為に如来は活動し続けているんだ。だから如来は死なないんだと、こう言うんですね。
 如来が死なないというのは、ただ仏は永遠であるというだけじゃなくて、「一切衆生悉有仏性」ということと一つに組み合っているわけです。だから「一切衆生悉有仏性 如来常住無有変易」と対句になっているわけです。これが『涅槃経』のテーマなんです。それこそ最初から最後まで、「一切衆生悉有仏性 如来常住無有変易」という言葉が何度も何度も出てくるんです、ちょうどベートーベンの第五交響曲「運命」のジャジャジャジャーンみたいに。
 そうすると「大信心は仏性なり、仏性すなはち如来なり。」 普通、如来蔵思想というのは信心の宗教なんですよ。自分は如来蔵であるなんてことは分らないんだから。ただ自分は「如来蔵」であるということを、仏の言葉を聞いてその言葉によって、自分は如来蔵としての自分を受け取るわけです。如来の胎児、如来の子として自分を受け取っていく訳なんだから。そして一切の衆生は如来の子であるというんだから、そういうものとして受け止めていくわけなんです。だからこれ「信心」なんです。だから如来蔵思想というのは《信心》の仏教なんです。
 「般若波羅蜜」というのはそれが智慧の仏教であるなら、「如来蔵思想」というのは信心の仏教なんですね。そうでしょ、私は(胎児であるから)何も知らないんだけれどもね、「如来の子として自分を受け止めよ。そこに如来は、おまえのところに限りなく生きているんだよ。そういうものとして受け止めよ。」というこの言葉によって、「あぁ、そういえば私は如来の子なんだ。そして如来の子である私と共に如来は永遠なのか。」というふうに受け止めていく。これが信心の仏教としての如来蔵思想なんですね。

 そういうことをここで、阿闍世の回心を通して見ていくわけですね。阿闍世は……、もう時間が来てしまいましたので急いで言いますが、二八四ページから出て来るんですね。<伊蘭子より栴檀樹の生ずるを見る。(註 286)> 伊蘭というのは物凄く悪臭を放つ草だと云われていますね。これ、下剤に使われる薬草なんです。凄く臭いんです。そういえばヒマシ油も結構臭いもんな。あれと同じ様なもんです。まぁまぁそれはいいとして……。
とにかく、臭い伊蘭より栴檀樹を生ずる。栴檀というのは白檀、香木ですね。
 <われいまはじめて伊蘭子より栴檀樹を生ずるをば見る。伊蘭子はわが身これなり。栴檀樹はすなはちこれわが心、無根の信なり。> と言われています。この「無根の信」というのが「如来蔵」を信受した??ですね。二八六ページの終わりから二行目のところですね。(註 286)
 <栴檀樹はすなはちこれ我が心、無根の信なり。無根とは、われはじめて如来を恭敬せんことを知らず、法・僧を信ぜず、これを無根と名づく。世尊、われもし如来世尊に遇はずは、まさに無量阿僧祇劫において、大地獄にありて無量の苦を受くべし。われいま仏を見たてまつる。ここをもって仏の得たまふところの功徳を見たてまつり、衆生の煩悩悪心を破壊せしむ。(註 287)> それで <仏ののたまはく、大王、善いかな善いかな、われいまなんぢかならずよく衆生の悪心を破壊することを知れり。(註 287)>

 それで阿闍世が言うんですね。
 <世尊、もし我あきらかによく衆生のもろもろの悪心を破壊せば、われつねに阿鼻地獄にありて、無量劫のうちにもろもろの衆生のために苦悩を受けしむとも、もって苦とせず(註 287)> とこういうふうに言うんですね。つまりその前は、彼は「無量阿僧祇劫のあいだ無量の苦を受けん」ということを恐れおののいていたんですよね。父親を殺した報いによって、地獄に堕ちて無量の苦しみを受けるのではないかということを恐れおののいていた。それがいま、お釈迦様の教えによって如来の子として甦る。
 彼はどうなったかというと「衆生の諸々の悪心を廃せば」、衆生を救済することが出来るならば、「我つねに阿鼻地獄ありて」私は無量億劫、地獄の底で苦しみを受けたとしても、一人でも人々を救うことが出来るならば私はそれを苦と致しませんとこう言うんですね。これがまさに地獄を破ってしまうんですね。地獄を苦としなくなると地獄は破れていくんですね。地獄を恐れる場所と見ておった者が、地獄を自分の生き場所として、自分のはたらき場所として地獄を見ていく。
 人生を逃避する場所として見ておった者が、教えの真実を確かめ、それを実現していく場所として人生を受け取り変えたんだ。そういうことが出てくるわけなんですね。
 <そのときに摩伽陀国の無量の人民、ことごとく阿耨多羅三藐三菩提心を発しき、かくのごときらの無量の人民、大信を発するをもってのゆゑに、阿闍世王所有の重罪すなはち微薄なることを得しむ。(註 284)>
一切衆生の為に、どんな苦を受けても私は後悔いたしませんと言った瞬間にですね、・・・・・・・残念、テープが切れちゃいました。

 親殺しの王様に率いられるマガダ国の民というのは悲惨でございますが、衆生の為なら私は地獄を引き受けようと言った王様に率いられる人民は極めて幸せであるということなんですよね。そういうことで???????。
 そのことによって阿闍世はその罪が微薄になった。その罪が消えていったということですね。父親を殺したというその重罪は変らないけど、その意味が変った。
 <王および夫人、後宮采女、ことごとくみな同じく阿耨多羅三藐三菩提心を発しき。そのときに阿闍世王、耆婆に語りていはまく(註 287)>
この耆婆は阿闍世をお釈迦様のところまで連れて来た善知識なんですよね。<耆婆、われいまいまだ死せずしてすでに天身を得たり。(註 287)> 「天身」というのはこの場合は自在な身ということでしてね。生死にあって自在を得るというそういう意味です、「天身」というのは。まだ死なない前に、私は天身を得た。<命短きを捨てて長命を得、無常の身を捨てて常身を得たり。もろもろの衆生をして阿耨多羅三藐三菩提心を発せしむ。(註 287)> 無常の命を捨てて、そして永遠のいのちを獲得した。それが「命みじかきを捨てて長命を得、無常の身を捨てて常身を得たり」ということなんです。「死せずして天身を得たり」とこう言っています。ここに彼の甦りがある。ここに生きる甦りがある。これがこれからの阿闍世の新しい国王としての生き方をリードしていく。それによってマガダ国の人民は悉く救われていくという、こういう設定になっているわけですね。
 ここで自分が本当の意味で如来の子であるという甦りを受入れたんであって、一切の衆生の上に如来の子としての徳を見、一切の衆生の深遠さというものを見出していく。全ての人々の掛け替えのない尊厳さを見出していく。そういうところから私の生き方が生まれるということですね。
 「信心の社会性」というようなことが云われておりますけど、あれ自身が今どきの言葉だし、むしろそれよりも一切の衆生が「仏性」であるという、そういう思いを自分の上に絶えず甦らせながら生きようとする。これは我々はそれを覆い隠そうとする煩悩を持っているわけなんですね。それを覆い隠そうとするんですよ。それが煩悩具足凡夫としての固有の性質ですね。その固有の性質を絶えず仏心が破り続ける。破っても破っても煩悩が死ぬまであり続ける。だから法は死ぬまで聞き続ける。死ぬまで法に導かれ続ける。
 それによって何が見えて来るかというと、一切の衆生は如来の子であるということ。それを絶えず甦らせて頂く。そして人生は「道場」である。仏道を確かめていく道場であるというかたちで自分の人生というものを受け止めていく。そういう心を絶えず喚び覚ましていく。これはもう油断すれば、放っておけば必ず埋没していく、煩悩に埋没していきますからね。だから絶えず喚び覚ましていく。

 蓮如上人がね、ある人が「いくら教えを聞いても篭を水に浸けたようなもので、水から篭を上げれば水が無くなるように、聞いた話をすぐに忘れてしまいます。」と言いましたら、蓮如上人が「それならその篭を水に浸けておけ。」(一代記 P.1259) とおっしゃったといいますね。水から上げたら(水が)落ちてしまうんだったら、水に浸したら篭の中に水は溢れますね。上げたら抜けていく水ならば、浸けたらすぅっと入って来ますね。「すっと入る身であることを慶べ。」と言うておられます。
 水に浸しておけとおっしゃった。これは法から離れると、お念仏から離れると、ろくな事せんぞということなんです。絶えず教えに導かれて、お念仏に導かれ続けなければならない存在なんだよということを教えてられる。ああいうところに非常に緊張感がありますね。そういう緊張感が失われますと、「悪しき一念義」になってしまうんですね。御信心を得た。これでみんな片付いた。これは「悪しき一念義」、一番悪い信心になるわけなんですね。
 そうじゃなくて、法を聞いた。だから絶えず法を聞き続ける。信を得たということは何かといえば、法を聞くのが楽しくなる、そういう人間になったということなんです。
法を聞く事が楽しくなりますと、絶えず煩悩に埋没するそういう煩悩から、それから絶えず法によって喚び覚まされていくという生き方へ変っていくということですよね。
 そういうことが伝道に展開していくんですね。昨日も申しましたが、一念義系の人達が非常に伝道に熱心であった。その為に弾圧を受けた。弾圧を受けたのはむしろ一念義系の人々だったんですね。何故かというと、その教化が過激であったからなんですね。新しい価値観を遠慮なしに説いていったというところがあって、いわゆる過激的というような、強烈な伝道が行われていきました。それが弾圧の原因になるわけなんですね。
 しかし非常に熱烈な信仰を持っておったということが判るわけですね。それが自ずから菩提心というものが、「願作仏心」が「度衆生心」を内包している。こういう構造になるわけですね。まぁお話をしておりますと時間がきてしまいました。菩提心につきましてはまだまだ言い足りないところが残ったようですけど、一応これで終わらせて頂きます。どうも失礼致しました。

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 合掌


脚注

  1. 鳩摩羅什の弟子であり、シナではじめて空の論理に通達(つうだつ)したといわれる僧肇には「天地我と同根、万物我と一体」といふ言葉がある。『論註』にはシナの祖師では唯一、肇公(僧肇)として固有名詞であらわされていた。
  2. 『碧巌録』六十八則に、挙(こ)す。仰山 三聖に問う、汝の名は什麼(なん)ぞ? 聖云く、恵寂。山云く、恵寂は是れ我。聖云く、我が名は恵然。仰山、呵呵大笑す。
    (仰山:恵寂が三聖:恵然に、お前は誰だと問ふと、俺は恵寂(お前)だと答えた。恵寂は、それは俺の名だと答えた。そこで恵然は我が名は恵然と答えると恵寂は大笑いした。
  3. 『往生要集』「総結要行」に「業は願によりて転ず」(要集 1031) とある。ここでの業とは行為のこと。
  4. アーナンダよ。わたしはもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。譬えば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、恐らくわたしの身体も革紐の助けによってもっているのだ。
     しかし、向上につとめた人が一切の相をこころにとどめることなく一部の感受を滅ぼしたことによって、相の無い心の統一に入ってとどまるとき、そのとき、かれの身体は健全(快適)なのである。(岩波文庫『仏陀最後の旅』 p.62)
  5. 『唯信鈔文意』には「おほよそ過去久遠に三恒河沙の諸仏の世に出でたまひしみもとにして、自力の菩提心をおこしき。恒沙の善根を修せしによりて、いま願力にまうあふことを得たり。他力の三信心をえたらんひとは、ゆめゆめ余の善根をそしり、余の仏聖をいやしうすることなかれとなり。」と、諸仏のお育てを感佩しておられ、余の仏を蔑んではならないとする。
  6. 「往相回向の利益には 還相回向に廻入せり」と、「せん」といふ未来形ではなく「せり」といふ現在形、または過去形であらわしておられる。これは往相回向の「願作仏心」には還相回向の「度衆生心」も裡に含んでいるといふことであろう。もちろん、往生浄土を喪失した者が妄想する現世における社会活動としての還相ではない。
    御開山は『正像末和讃』「悲歎述懐」で、
    小慈小悲もなき身にて
     有情利益はおもふまじ
     如来の願船いまさずは
     苦海をいかでかわたるべき
    と有情利益ができないことを、悲歎・懺悔されておられた。先達は、懺悔なき真宗は外道に堕すると言われていた。
  7. 御開山は「行の一念」「信の一念」を説かれるので非常に一念義に近いのだが、決して念仏相続を軽視するような悪しき一念義では無かった。それは『御消息』十三通で、慶信が「一念するに」と書いていたのを、御開山が「一念までの」と訂正され、一念に固執する一念義的な誤解を避けられたとする(梯實圓和上)。
  8. 業有(ごう-う)。十二因縁の十支の「有」を業有とする。
  9. 三部経大意」に「菩提心は諸宗おのおのふかくこころえたりといへども、浄土宗のこころは浄土にむまれむと願ずるを菩提心といへり。念仏はこれ大乗の行なり。無上の功徳也。」とある(三部経大意)。御開山の示される「願作仏心」である。
  10. 欲生釈に、「次に欲生といふは、すなはちこれ如来、諸有の群生を招喚したまふの勅命なり。」(註 241)と「招喚したまふの勅命なり」とある。六字釈には「帰命は本願招喚勅命なり」(註 170) とある。これが第十八願の「欲生我国 乃至十念(わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん)」の、なんまんだぶの乃至十念《行》と欲生我国の願作仏心である《信》であった。
  11. アーラヤ(ālaya)はサンスクリット語で「蔵」を意味し、仏教の用語では「vijñāna(識)」の意訳を組み合わ「阿頼耶識」として使われます。